迷える子羊たちと勇気のカケラ②
本日二話目の投稿です。
順番飛ばしにご注意ください。
精神に深いダメージを負ったシモンが帰宅してからおよそ三時間後。
大使館内の自室で魂が抜けた状態のまま帰郷の準備をしていたシモンの下に、これまた元気のないリサが訪ねてきました。彼女を部屋に案内したクロードも困った顔をしています。
「……あの、こんにちは」
「……おお、リサか。何用だ?」
リサは学校帰りなのか、異世界の地では非常に目を引くセーラー服姿をしています。目立たないように大使館の敷地内に直接転移してくる程度の判断力はあったようですが、この調子だとこのままフラフラと大通りを彷徨いかねません。
「あの時」から数日が経過し、流石に夜通し眠れないまま泣き続けるようなことはなくなりましたが、よく見れば目元が微かに赤くなっていますし、どことなく憔悴したような印象があります。
「あの……約束したから、剣のお稽古に」
なんと、リサはこんな状態でありながらも律儀に約束を守って、放課後の空き時間にシモンの稽古を付けに来たのです。この性分は、もはや真面目という域を通り越して頑迷とすら言えるかもしれません。
「わざわざ来てもらってすまぬが、今日は気分が優れぬのだ……先刻、あの店に行ってな」
「あ……」
シモンの端的な言葉だけで、リサにはすぐに事情が飲み込めました。
彼がアリスに微笑ましい好意を抱いていることには、リサもなんとなく気付いていましたし(人並み程度の感性があれば普通は察せられます)、ならば、婚約なり交際なりといった報告を受けてショックを受けたであろうことも自明でした。
「……ごめんなさい」
「なぜリサが謝るのだ?」
シモンが失恋した原因は、そもそもリサの行動にあるのです。リサなりに熟慮を重ねた結果の決断ではありましたが、こうして年端もいかない少年を落ち込ませてしまったことに対し、今更ながらに罪悪感が湧いてきてしまったようです。
「なに、所詮はおれが男として未熟だっただけのことよ」
シモンは、どうしてリサが謝るのかが分からずにいましたが、自分以上に暗い雰囲気を纏った人間を見て少しは頭が冷えたのか、そんな風に無理に強がってみせました。
リサの罪悪感がそれで薄れたりはしませんでしたが、これでなお凹んだままだとシモンの気遣いが無駄になってしまうということも分かっているので、リサも無理矢理に笑顔を作りました。
どん底まで落ち込んだ者同士が立ち直ったフリをしながら談笑するという、客観的に見れば実に最悪な状態ではありますが、とりあえずはまともに会話ができる状態にはなったようです。
とりあえず、黙っていても始まらないのでリサが適当に思いついた話題を切り出しました。
「ところで、随分と部屋がごちゃごちゃしてますね?」
「ああ、いま荷物を片付けていてな」
実際にはクロードが作業の大半をおこなっているのですが、シモンも個人的に買い集めた土産や手荷物などの仕度はしており、部屋の中は随分と散らかっています。
「おれも姉上たちと共に国に帰ることになっていてな」
「え!? ……帰っちゃうんですか?」
シモンの言葉で、リサのどうにか隠していた落ち込みが再燃してしまいました。
元の予定では、精々数週間程度だけ帰郷し、その後はまた迷宮都市に戻って留学を再開する予定だったのですが……、
「…………」
残念ながら、今のシモンにはそれが一時的なものだと断言することはできませんでした。
彼の中にあった帰郷の目的も英気を養うためではなく、失恋のトラウマから逃げるためという意味合いに変化していたのです。
シモンにとって、住み慣れた故郷を離れて過ごしたこの半年あまりの日々は、街中を見て見聞を広めたり、勉学や鍛錬に励んだり、新たな交友関係を作ったりと非常に実り多いものでしたが、失恋のショックはそれ以外の全てを塗り潰すほどに強烈だったのです。
「あ、あの……わたしなら、場所を教えてもらえれば、帰ってからもお稽古を見に行けますから」
リサは再び精神の泥沼に沈み込んでしまったシモンを励まそうと、そんな風に提案しました。
ずっと憧れていた勇者に剣の稽古を見てもらえると言ってあれほど喜んでいたシモンですから、口約束とはいえ幾ばくかの効果はあるでしょう。
たしかにリサならば、大体の位置さえ分かっていれば一瞬でシモンの故郷まで行くこともできますし、今後も継続的に付き合いを維持することも難しくはありません。しかし……、
「それは願ってもないが……よく考えたら、アリスたちもおれに会いに来かねないのだな……」
「あ」
特殊な移動手段を持っているのは何もリサだけではない、ということにシモンも気付いてしまったようです。国に逃げ帰り、そのまま迷宮都市に戻ることを止めたとしても、そのうち、かなりの高確率で魔王たちがシモンに会いに来てしまうことでしょう。それこそ引っ越した友人のところに遊びに行く程度の気安さで。
なんということでしょう、もはやシモンの安住の地はこの世界のどこにも存在しないのです。
「ははは……いっそ、出家して神官にでもなれば楽になれるかもしれぬな……」
遠い目をして呟く少年に対して、リサは何も言うことができませんでした。
リサ自身もあれ以降、一度も魔王たちの下へ行く勇気が持てずにいるのですから、人にあれこれ言う資格などあろうはずもありません。
しかし、この直後、延々と落ち込み続ける失恋コンビの状況を好転させる……か、どうかはさておき、少なくともこの最悪な負のスパイラルを破壊する爆弾が投げ込まれることになるのです。