違和感の表裏
「そういえば」
ガルドとの話が一段落したところで魔王がアリスに話を振りました。
「アリスたちのほうはどうなったの?」
闘技大会のほうは一足早く優勝者が決まってしまいましたが、まだ演芸と料理の二大会は残っています。
ちなみに料理大会に関しては一回戦で魔王を下した料理長が破竹の快進撃を続けており、ほぼ優勝間違いなしと目されています。このまま料理長が優勝すれば(本人は全然気にしていませんが)、一回戦負けした魔王の面子もある程度は立つというものです。
しかし、演芸大会のほうは何やら妙な展開になっていました。
「……あ。ええと……そういえばどうなったんでしょう?」
「え、どういうこと?」
お祭り二日目、意気込んで会場に向かったアリスたちでしたが、その場で行われた抽選の結果シード枠となって、その日は何もせずに終わりました。
本戦に勝ち上がったチーム数が奇数なので、シード枠が出るのは当然といえば当然です。肩透かしを喰いながらも、その場ではクジ運の良さを喜んでいたのですが、
「次の試合の予定が決まったら連絡が来ると言われていたんですけど……未だに来てませんね」
他の二大会でも日程の都合上、選手によっては一日か二日程度の空白ができるケースは普通にありましたが、アリスの場合は二日目にそう言われてから六日目の現在まで、全くなんの報せも来ていませんでした。
それに、元々出場を決めた時点ではともかく、冷静になって客観的な判断が出来るようになってからは優勝の可能性はかなり低いと考えていた上に、ここ数日は毎日魔王やリサと楽しく遊び歩いていたせいもあり、実は今さっき魔王に聞かれるまで、もうすっかり大会のことは忘れてしまっていたのです。
「……もしかして、報せが来ていたのに気付かなかった、とか」
ここ何日かは店を空けていることも多かったですし、行き違いによって連絡が取れなかった。あるは配送の間違いか何かで、本来届くはずの通知が来なかったという可能性もあるのでは、とアリスは考えました。
「だとすると……知らないうちに不戦敗になっていたりするんでしょうか?」
いくら勝てる可能性が少なかったとはいえ、知らない間に、練習の成果を一度も披露することなく不戦敗になっていたというのは面白くありません。
「ちょっとコスモスに会って確認してきます」
アリスは現状の自分たちの状況を確認するため、店を出てコスモスがいるはずの公舎へと向かいました。
◆◆◆
「決勝進出おめでとうございます」
「あなたは何を言っているんですか?」
開口一番コスモスが伝えた賛辞にアリスが異議を唱えました。
「決勝とはトーナメントの最後の試合で、これに勝ったら優勝です。そこに勝ち上がったことに対してお祝い申し上げましたが、何か?」
「いや、そういうボケはいいですから。そもそも勝ち上がってないですから」
先程の言葉の意味を淡々と説明するコスモスにアリスがツッコミを入れました。ここ最近はこういうやり取りも減っていたのですが、ブランクを感じさせないキレのある見事なツッコミです。
ですが、コスモスは食い下がりました。
「いえ、信じがたいことにそれが本当なのですよ。順を追って説明しますと────」
コスモスはアリスたちのチームが知らぬ間に決勝まで進んでいたことを、こう説明しました。
まずは最初のシード枠の件。
これに関してはアリスも知っていましたし、特に問題はありません。
次の試合に関して。
これについては「相手方の出場者にどうしても外せない急用が出来て来れなくなったと直前に連絡がありまして」と、コスモスは説明しました。
「なんでも妊娠中の奥さんが急に産気づいたとか」
「それなら……まあ、仕方がないですね」
「私も気になって後でその旅芸人の一座に確認しましたが、ちゃんと出産に立ち会うことができたそうですよ。元気な男の子だったとか」
「それは良かったですね」
説明を受けてアリスも納得しました。可能性としては低いですが、突然そういう事態が起こることもないではありません。
そして次の試合です。
「こちらはあまりおめでたい話ではないのですが……実は相手のチームが他国から逃げてきた窃盗団の一味だったのです。奇術師集団だったのですが、興行で各地を渡り歩きながら犯行を重ねていたようで。前日の試合で正体に気付いた観客の方の通報で緊急逮捕しました」
逮捕されていては大会も何もありません。
先程の話とはまるで反対ですが、これも仕方のない理由だと言えます。
「そして昨日は中日となっていたので一日飛ばしまして、今日の準決勝です」
「はあ……それで、今度は何があったんですか?」
「いえ、今度は事件性はありません。ただ、相手のヘンドリックさまがですね」
「え、出場してたんですか?」
約百体もの人形を操り、たったの一人でオーケストラと舞台劇を同時にやるという離れ業を披露して順調に勝ち進んでいたヘンドリックなのですが、準決勝の相手がアリスたちだと知ると「主君に逆らうわけには参りません」と、昨日の時点で即座に棄権を表明したのです。
「今の主君は私じゃなく魔王さまですし……そもそも、別にそれくらいで逆らったなんて思わないんですけど……」
「私に言われましても。随分と忠義に篤いというか、変なところで律儀ですよね、あの方」
「ん~……まあ、確かにそういうところありますね」
説明を聞いてアリスも一応は納得したようです。
アリス自身が先代の魔王だった頃から独特の美学に基づいた忠義を尽くしていたヘンドリックなので、そういう風に目上の者を立てる可能性もあるだろうと判断したようです。
「……まさか決勝まで不戦勝なんてことはないですよね?」
「興行的には盛り下がるので、運営側としてはあまり不戦勝が続くのは望ましくないのですが……闘技大会のほうは既にそうなってしまいましたし、仕方のない面はありますからね」
「仕方がない……んでしょうかねぇ」
コスモスが悩んだ素振りを見せますが、アリスとしては何も言えません。それに、結果として何も損はしておらず、むしろ凄まじい幸運に恵まれているのです。
予選を含めてここまで一度も舞台に立たずに決勝まで残ってしまうというのが、どれほどの低確率かは計り知れませんが、可能性はゼロではありません。コインを百回投げて全部裏だったくらいの確率かもしれませんが。
「これは、本当に願いが叶うチャンスをモノにできるかもしれませんよ?」
「え、ど、どうしましょう!?」
ガルドもそうでしたが、単なる雑談のタネではなく、すぐ目の前にそれほどの権利がぶら下がっているとなると大いに迷うもののようです。アリスの場合、方向性は最初から定まっていますが、どの程度のことを願うかはまだはっきりしていませんでした。
宝くじを買って、当たったら何を買おうかと想像するのは楽しいですが、実際に当たった場合にはそんな風に無邪気にはしゃいではいられないようなものです。宝くじの例で言うと、なまじ不相応な大金を持ったせいで人間不信に陥ったり、金銭感覚が壊れて破滅したりという話はそれほど珍しいものでもありません。願いには慎重を期する必要があります。
「まあ、アリスさまのことですから、いざ魔王さまに何か言おうとしてもヘタれて無難な答えに逃げてしまうかもしれませんが」
「くっ……! すごく反論したいけれど、自分でもそんな気がするのが悲しいです」
アリスもいい加減自分の個性というか芸風は把握しています。
すごく悔しいけれど、コスモスの言葉に反論できずにいました。
「では、こういうのはどうでしょう?」
「こういうの?」
自らのヘタレ根性を嘆くアリスにコスモスが助け舟を出しました。
机の上にあった白紙に羽ペンでサラサラと文字を書き、それをアリスに渡します。
「私の立場上あまり片方の選手に肩入れするのはまずいのですが、勝敗には関わりのない部分ですし、この程度ならば問題ないでしょう。さあ、もしも明日優勝出来たら、これを魔王さまに渡すのです。もちろん、出来るのならば口頭で伝えても構いませんが」
「こ、こ、こ、ここ、これは!?」
「おや、もしかして違うことを願う気だったのですか? では、その紙は処分しておきましょう」
コスモスが手を伸ばして取ろうとしましたが、アリスは決して取られまいと両手の内に握り込むように紙を確保し、今の問いに対する返答のつもりなのか首を猛烈なスピードで横にブンブンと振っています。どうやら、コスモスが予想した通りの願いでいいと肯定しているようです。
アリスの受け取った紙には『ずっと好きでした。結婚してください』という、この上なくストレートな一文が記されていました。いくら魔王が鈍くても、これを受け取ってもまだアリスの気持ちに気付かないということはないでしょう。
しかも『願い事』という体裁がある以上、この告白に魔王の拒否権はないのです。
◆◆◆
アリスは『結婚』というストレートな単語と、そのチャンスが目前に迫っていることに気付くとすっかり舞い上がってしまい、フラフラとした足取りで部屋を出て行ってしまいました。
部屋に一人残されたコスモスは、
「気付いたのが準決勝後……まあ、想定していたケースの中では悪くはないですね。理想は明日まで気付かないことでしたが」
と、静かにほくそ笑みました。
なんということでしょう。
アリスの訪問も、先程のやり取りも、全てはコスモスの掌の内だったのです。
「私を訪ねてきたのがアリスさま一人だったのも幸運でしたね。どうやらツキの流れが来ているようです」
何日目の時点で違和感に気付いて訪ねてくるか?
そして誰と来るか?
一人か、魔王と一緒にか、あるいはチームの二人とか。それらのケースを事前に全て想定し、怪しまれないような会話パターンを無数に練っておいたのです。
先程の会話内でも不戦勝続きの現状を「信じがたいことに」と評し、「不戦勝は望ましくない」などと、自分はあくまでもその結果に無関係であるという印象操作を行っていました。闘技大会の決勝が流れてしまったことも交え、そういう事態が『偶然』起こり得るものであると思い込ませたのです。
コインを百回投げて連続で裏が出る可能性は限りなく低いでしょう。
しかし、そこにイカサマがあったら?
両面が裏のトリックコインの使用や審判の買収など、頭を使い手を尽くせば、百回どころか千回だろうと一万回だろうと裏を出し続けることは容易です。
もし、先程の会話でアリスがコスモスの発言に疑問を覚えたとしても、子供が生まれたばかりの芸人や、逮捕された容疑者の存在を確認しようとした場合に備えての仕込みもちゃんと用意してありました。一切の抜かりはありません。
今回は無駄に終わってしまったようですが、前者に関しては口止め料と口裏合わせ(実際に赤ん坊が誕生したのは先週のことだったので)を兼ねた多額の謝礼金と引き換えに出場を辞退してもらい、後者に関しては予選に申し込んだ段階で素性を把握していましたがあえて泳がせ、任意のタイミングで逮捕できるようにしておいたのです。
トーナメントの組み合わせを決める抽選に仕込みがあったことなどは、もはや言うまでもないでしょう。その際に使用したクジ引きの箱やクジは既に焼却処分が完了しているので証拠もありません。
ヘンドリックは協力者の一人です。
他にも何名かいますが、コスモスの目的に賛同した彼らは、舞台の表裏を問わずに暗躍してくれています。彼らには裏切った場合のメリットは一切ないので、離反や計画が漏れる心配も無用です。それでも念には念を入れて、計画の全貌を把握しているのはコスモス一人に留めておくほどに機密主義を徹底していますが。
そして、計画の肝となる部分。
雑談の中でさりげなく『願い事』を書面に起こし、アリスが魔王に伝えられる確率を上げることにも成功しました。もしもアリスが訪ねてこなかった場合はコスモスのほうが出向いて同じ流れに持って行く予定でしたが、疑われるリスクが上がるので、このタイミングでの訪問は非常に幸運でした。
しかも念には念を入れ、用紙をどこかで失くしたり、土壇場になって渡すことすら出来そうにない場合の備えも用意してあります。もはや、アリスがヘタれようがどうしようが結果には関係はないのです。
「ふふ、私もそろそろ結婚式に着ていく服を見繕っておかねばなりませんね」
計画は万事順調。
コスモスの目的の、そしてアリスの恋の成就まで、あと一日。