闘技大会準決勝
会場内に響き渡るのは割れるような歓声、悲鳴、怒号。
もはや、人の声が空気の震動として肌を叩くような状況にあって、しかし最大限の集中を維持しているガルドの精神は音を遥か彼方に置き去りにし、静寂の極地にありました。
眼前に迫るは巨大な拳。
ガルドはそれを紙一重で回避します。
比喩ではなく言葉通りに巨岩の如き拳を振るうのは、対戦相手である魔族の選手。奇しくも徒手での格闘を得意とする者同士の対戦ではありますが、両者の体格には大人と子供以上の差がありました。
ガルドの対戦相手である巨人族の選手の、「現在の」身長は約六メートル。
試合開始の時点では二メートルを少し超える程度だったというのに、あっという間にそれほどの大きさになってしまったのです。
しかも、巨人の動きからはしっかりとした理論に基づいた合理性が見て取れます。どうやら、なんらかの武術を修めているらしく、怪力や体格を有効に使う術をよく知っているようです。図体だけの素人でないことは明らかでした。
予選でガルガリオンがやったように、巨人族は自らの魔力を賦活させることで体躯を巨大化できるという、魔族の中でも非常に珍しい種族特性を有しています。
舞台や会場を破壊したら失格となるルールがあるので巨大化は六メートル程度の大きさに留まっていますが、それでも普通であれば人間一人を相手取るには充分すぎることでしょう。
「よっ、と」
ですが、この巨人族の選手にとっては残念なことに、ガルドは普通ではありませんでした。試合開始から五分以上も経つのに未だ一発の打撃も当たっていません。完全に動きを見切られていました。
攻撃が当たらないだけならばまだ良かったのですが、身長差は三倍、体重に至っては十倍以上もの差があるというのにガルドの打撃が不思議と効いてしまうのです。
どういう理屈かと申しますと、拳法でいうところの鎧通しや浸透剄のような技術を用いて殴ったり蹴ったりしているので、巨人の硬く分厚い骨や筋肉もほとんど意味を成しません。ガルドはごつい顔や大雑把な性格に似合わず、繊細な技術を色々と習得しているのです。
いくら巨人族がタフでも、内臓を直に殴られるようなダメージを何度も何度も繰り返し受ければただでは済みません。
しかもボディをガードしたら、今度は痛覚が集中している足の小指を押し潰すような打撃で攻めてきたり、足の生爪を剥がそうとしてくるあたり、まるで容赦がありません。
結局、試合開始から約九分の時点で巨人族の選手が降参し、ガルドの勝利が決まりました。
◆◆◆
「「「お疲れさまです!」」」
「おう、お疲れ」
試合を終えて控え室に戻ったガルドに、室内にいた若者たちが一斉にお辞儀をしました。ガルドは軽く片手を挙げてそれに応えます。
「アラン……仇は取ったぜ」
「あの、死んだみたいに言わないで欲しいんですけど……あ、冷たいジュース買ってきたんでどうぞ」
「お、気が利くな」
差し出しされたオレンジジュースをガルドは一息で飲み干しました。
アランは前日の試合で今日ガルドと戦った巨人族と戦って、全力で逃げ回りながらチクチクと剣で足を突いていたのですが、最終的にはむんずと胴体を掴まれて、場外に放り投げられ負けてしまったのです。
前日に己が惨敗したという事情もあって、アランは不安な心持ちで先程の試合を観戦していたのですが、終わってみれば心配していたのがバカらしいくらいの完勝でした。
「ともあれ、これで決勝進出ですね」
「そうだな」
本日の試合は準決勝。次の決勝戦で勝利すればチャンピオンです。
「賞品で何をお願いするかは決めてあるんですか?」
「いや、元々ただの腕試しのつもりだったから、考えてないんだよな」
優勝賞品は『(魔王に出来る範囲内で)どんな願いでも叶える権利』。
それが、もうすぐ手の届くところまで来たというのに、ガルドには特にこれといった願いがありませんでした。お金には困っていませんし、名誉は元々あった上に今回の大会で更に揺ぎ無いものになっています。
「んー……まあ、明日までに考えておくか」
「呑気ですねぇ」
「そもそも、まだ勝てると決まったワケじゃないしな」
ガルドの視線の先には控え室に備え付けの魔道モニターがあります。どうやら、これから次の試合が始まるところのようです。この試合の勝者が決勝戦の相手となるのですから。今のうちから注意深く観察をしておかないといけません。
相手が何を苦手とし、何を得意とするのか。
戦法。戦術。性格。技術。武器。流派。
見るべきところは無数にありました。
◆◆◆
もう一つの準決勝も、前の試合と同じく人間と魔族の対戦のようです。
人間のほうは銀色の杖を持った魔法使い。あの勇者リサの従者にして人類有数の賢者としても名高い、人の手で聖剣を造ろうと頑張っているあの老人です。
この大会にも魔法使いは何人か出場していましたが、一対一の接近戦を強いられる試合では持ち味を活かせずに大半が早い段階で敗退していました。
準決勝まで勝ち残ったということは、この老賢者の魔法がその不利を覆すほどの域に達しているか、あるいは魔法以外の武術を高い水準で修めているのかもしれません。
左手は杖を、右の手は隠し武器の用意でもあるのか、ローブの中に隠したまま構えています。サイズ的に大型の武器はないとしても、ナイフか棍棒かはたまた鎖か。実際には何も持っておらず、相手の隙を誘う為のブラフだというセンもあり得ます。
対する魔族の戦士は、体格だけで言うならば人間とほぼ変わりません。いえ、背丈だけならば普通の大人より頭一つ分低いくらいです。
しかし、その姿を人間と見間違う者は決していないでしょう。
その魔族は、己の頭部を小脇に抱えた首無騎士だったのです。脇に抱えた頭部の眼は油断なく対戦相手を見据え、もう片方の手に持った小剣をいつでも突き込めるように構えています。
首無騎士族は巨人族以上に稀少で、魔界でもほとんど姿を見ることはありませんが、吸血鬼並の不死性と高度な戦闘技術を兼ね備えた強力な種族です。
こう見えてもゾンビやスケルトンとは違いれっきとした生物で、頭部と胴体は専用の亜空間を通して繋がっています。
その断面からは青白い燐光が常に放たれており、その光には目視しただけで心の均衡を乱す効果があります。心の弱い者であれば近くで見ただけで恐慌状態に、強者であっても多少なりとも集中を乱すことができるのです。
ちなみに、この首無騎士の彼女、普段は魔王城の事務方で働いているのですが、日常生活では邪魔になるので普段は燐光を抑える為の毛糸のカバーを着用していますし、鎧も普段は着ていません。理由は大きくて邪魔臭い上に可愛くないからです。いくら種族名に騎士と入っているからといえ、四六時中武装していなければならない筋合いはないというワケです。
実はこの首無騎士の女性、今は試合中なので冷静を装っていますが、切れ長の瞳が印象的なクール系美人の為か、人間・魔族を問わず男性からの声援が集中して先程から内心ウキウキだったりします。
たとえ首が離れていても男は美人に弱いもの。気合を入れてメイクを決めてきた甲斐があったというものです。
この彼女、仕事はそれなりに充実しているのですが、私生活がダメダメな典型でした。職場には決まった顔ぶれしかいない上に男性は既婚者が多く、今回は出会いを求めてこの大会に出場したという裏の事情があったりもします。
その結果、やる気がありすぎて気付けば準決勝まで来てしまっていたことには実は本人が一番驚いていました。旧魔王軍時代からの習慣とダイエットの為になんとなく惰性で続けていた剣術も時には役に立つものです。
このまま選手なり観客なりから好みのイケメンをゲットできればそれでよし、もしダメでも優勝して魔王に頼んでお見合いを斡旋してもらおうと考えていました(魔王本人は狙っていません。周りが怖いので)。
両者は試合開始のゴングが鳴っても微動だにしません。
ジリジリとした緊張感が高まり、観客席もいつの間にか静まり返っていました。
勝負は一瞬で終わる。
誰一人として言葉を発さずとも、会場内の全員がそう確信していました。
先程の試合が動ならば、こちらは静。
ノドがひり付き息も出来ないような緊張が────実際には一分か二分程度でしたが────何時間も続いたような錯覚を観客たちは共有していました。
と、そこで魔法使いの老人が先に動きました。
ローブの中に隠していた手を抜き放ち、握っていた何かを素早く投擲したのです。
が、首無騎士の女性も流石の反射速度でその投擲物を剣で払いのけ、そのままの勢いで反撃に出ようとして……できませんでした。
「きゃっ、な、何よコレ!?」
彼女の全身に絡みついて動きを封じたのは、なんと投網でした。丸めた状態で投げた網が、払いのけようとした際の衝撃でパッと広がったのです。
しかも普通の素材ではなく、なんらかの金属を加工した品らしく、老人の杖と同じ銀色の金属質な光沢が見て取れます。小剣で切ろうとしても、まともに振れない状況では勢いを乗せられずに上手くいきません。もがけばもがくほどに身体に絡まっていくようです。
「ほいっと、悪いのう」
「あ、か、返して! きゃあっ」
老人は、網から脱出しようと躍起になっている女性の隙をついて、なんとその頭部を奪取したのです。先程まで左手に持っていた長杖の先端がいつの間にか虫取り用の網のようになっていて、女性が手で持っていた頭を近付かずにヒョイと掬いあげてしまいました。
あとはそのまま、もがいている胴体を置き去りにゆっくりと歩いて舞台の端まで行き、そのまま網に入れた女性の頭部だけをそっと場外の地面に降ろしました。
ルール上、身体の一部が場外に落ちた時点で敗北となります。つまりはこれで決着です。
こうして準決勝の第二試合はあっけなく魔法使いの老人の勝利となりました。
◆◆◆
「あのお爺さんが決勝の相手ですね」
「ああ、なんだか得体が知れない爺さんだな」
モニター越しに一部始終を見ていたガルドとアランは、先程の試合についての感想を呟きました。
「なんだか、強いのか弱いのかもよく分かりませんでしたね」
「網を使う武術なんて聞いたこともないしな」
相手が強ければ対策を練るなり奮起するなりとやることはありますが、こうも何も分からないと何をすべきかもはっきりしません。
もう一度モニターを見ると、老人が一度降ろして転がっている女性の頭部を、先程の先端が網になった杖で拾い上げようとしているところでした。
頭が網の中に入り、そして持ち上げようとして……突然、老人の動きが止まりました。手から杖を離して、女性の頭部が再び地面に落ちてしまいましたが、老人は腰を押さえたまま微動だにしません。顔からはダラダラと脂汗を流し、悲壮な表情を浮かべています。
「まさか、あの爺さん……今ので腰をやっちまったのか?」
そのまさか。
まさかのぎっくり腰でした。
人間の(人間ではありませんが)頭部というのは結構な重さがあり(体重の約一割)、変な持ち方をすれば腰に負担がかかってしまう可能性も充分にあり得ます。今回は軽めのボーリング球を虫取り網で拾い上げたようなものなので、重量が先端にかかっている分、持ち手は実際以上の重量を感じたことでしょう。
モニターの中では、ようやく網から抜け出した女性の胴体が現状に気付いて老人に肩を貸して支え、舞台の外で待機していた救護班の医者と治癒術師が慌てて駆け寄ってきています。とてもではありませんが、一日二日で治りそうには見えません。
「……ってことは、決勝は?」
「他の誰かが繰り上がるのか……まさか、流石に決勝が不戦敗ってのはないと思うけどよ……ないよな?」
◆◆◆
斯くして、ガルドは闘技大会の優勝者としての栄誉を手にしました。
非常に煮え切らない、不完全燃焼な気分と共に。
※色々と補足
巨人やデュラハンなどは本作用に元ネタからアレンジした設定を採用しているので、元ネタとの相違や矛盾はお気になさらぬようお願いします。
巨人は巨大化できる種族。
巨大化できる最大値には個体差があり、大きいほど強い。普段は最小サイズで生活しています。
デュラハンは首が離れている種族。
作中でも触れていますが、アンデッドではなくそういう生き物です。頭部が食事をしたら胴体が太ったりもします。アイルランド出身ではありません。池袋にも行ったことはありません。
ちなみに吸血鬼も、本作ではアンデッドではなく生者枠です。
魔法使いの老人は以前リサの旅に同行していた、人工的に聖剣を作ろうとしている人物。
今回使用した投網と杖は、自作の人造聖剣を変形させたもの。今回は実戦データ収集のために大会に参加していました。まだ課題は多いですが着々と完成度は上がっているようです。





