閑話・聖剣と姉弟
「おお──ッ! なんという栄誉!」
「うふふ、大袈裟ですねえ」
爽やかな芝生の薫る広々とした庭園。
とある国の大使館の敷地内に、無邪気な少年の声と、それを微笑ましく見守る人々の姿がありました。庭園は周囲を高い塀で囲われており、また大使館の職員にも人払いをしているので、人目を気にせずに大っぴらにはできない話で盛り上がっています。
「何が大袈裟なものです……ものか。まさか、この手に聖剣を持つことができるとは……!」
「そういうものですか?」
「そういうものなのだ!」
いつもの背伸びしたような振る舞いも今ばかりはなりを潜め、リサに持たせてもらった聖剣をキラキラと輝く瞳で眺めています。
先日、ちょっとした口約束でシモンの剣の稽古を見ることになったリサが大使館にやってきて、まずは動きの手本を見せるために聖剣を(実に数ヶ月ぶりに剣の形で)具現化したのですが、その聖剣にシモンが食いついたのです。
聖剣が【少年よ、よろしく頼む】と挨拶した時には随分と驚かれましたが、それでも畏れより好奇心のほうがずっと大きかったようで、色々な構えを次々と取って英雄気分を満喫しています。
「ねえねえ、シモンばっかりずるいわ。私にも触らせてもらえないかしら?」
「姉上、順番です! もうちょっとよく見てから……」
聖剣に興味があるのはシモンだけではなさそうです。
イリーナは剣術自体に興味があるワケではないのですが、実在する「伝説の武器」というフレーズが琴線に響いたようです。最初はリサと一緒にシモンの様子を微笑ましく眺めていたのですが、すぐに我慢ができなくなってシモンの下へと駆けていきました。
「イリーナさん、別に慌てなくてももう一本出しますよ」
「そんな風に何本も出せるものなのね。まあ、とても綺麗……ちょっと重いけれど」
刃物を取り合ったりしたら危ないので、リサが聖剣をもう一振り具現化してイリーナにも手渡しました。彼女もまたシモンと同じようにキラキラとした瞳で白銀に輝く剣を鑑賞しています。
「リサさ……リサよ! 振ってみてもよいか?」
「はい、いいですよ。気を付けてくださいね」
この形だと大人用の金属剣と同じくらいの重量があるので、まだ幼いシモンや運動の習慣がないイリーナにはかなり重めなのですが、二人ともとても良い笑顔でブンブンと振っています。きっと明日は酷い筋肉痛が待っていることでしょう。
ふらふらと危なっかしいですが、リサが遠隔で聖剣に指示を出して刃引き(刃を丸めて切れないようにする事)をしているので、間違えて自分の足に当たってもすごく痛い程度で済むはずです。まあ、リサが注意して見ているので当たる前に念じて剣を消すほうが早いでしょうが、事故防止の方策は多すぎるということはありません。
「ぜえ……ぜえ……」
「はあ……はあ……」
体格に比して重すぎる剣をペースも考えずに振っていた二人は、案の定三分もしないうちにバテてしまいました。
いつも剣の稽古をしているシモンは、普段疲れた時のように早々に草の上に腰を下ろして身体を休めていますが、イリーナはバテてはいても服を土で汚すようなはしたない振る舞いには抵抗があるようで立ったままです。無理をしているのが明らかで足元がフラついています。
「よかったら、ここに座ってください」
「ぜえ……あ……ありが、とう……ぜえ……ございましゅ……」
すかさずリサがイリーナの持っていた聖剣をイスに変形させて彼女を座らせました。普段運動しない人間が急に全力で動いたせいか、もはや息も絶え絶えといった様子です。
「……おお、今のが噂の変幻か。リサよ、もっと色々見せてくれぬか?」
「ええ、いいですよ」
一方、普段から体力を練成しているおかげかシモンはすぐに回復して、剣がイスになるという不可思議な現象に再び目を輝かせています。
リサもシモンのリクエストに答えて、新たに四脚のイスと、洒落た喫茶店にでも並んでいそうなデザインのテーブルに、あえてゆっくりと過程が分かるように変形させていきました。
「リサよ、できれば、もっとこう……弓とか槍とか格好良い武具を見せてもらいたいのだが」
「いいですよ。でも、ほら」
リサの視線の先には、飲み物とお茶菓子らしき物の乗ったワゴンを押すクロードの姿がありました。その後ろには日除けのパラソルを持ったイリーナの侍女の姿もあります。彼らにもリサの正体はバレているので気兼ねは無用です。
「ほっほっほ、おかげさまでイスとテーブルを運ぶ手間が省けましたな」
「そろそろお二人が後先考えずにハシャギ過ぎてバテている頃合かと思い、誠に勝手ながらご休憩の準備をしておりました」
どうやらこの姉弟の行動パターンは、使用人たちの掌の上であったようです。
「さ、それじゃあ続きは休憩してからにしましょうか」
「うむ。あとで他の格好良い武具も見せてくれ」
【少年よ、格好良い武器、いや兵器ならば後で我が色々と見せてやろう。ところで衛星兵器に興味はあるかな?】
「えいせい……なんだそれは?」
「聖剣さんはちょっと黙っててくださいねー。シモンくんも気にしちゃダメですよ」
◆◆◆
「あら、シャーベットですね」
「ええ、格安で大量の氷が手に入ったとかで、館の料理人が色々と氷菓子を作っているのですよ」
秋に入ったとはいえ季節は夏を少し過ぎたばかり。夏の忘れ形見のような陽気を感じる日もまだまだあります。この日もその例に漏れず暑かったので、シャーベットのような氷菓子は休憩にもってこいです。
ちなみに、その材料を冷やすための氷の出所は、街の外に先週出現した巨竜と巨人の氷像なのですが、それはリサたちには知る由もありません。氷というのは夏場ではそれなりに値の張る品ですから、商魂逞しい人々が切り出したり削ったりして勝手に売っているのです。氷の『中身』は混ざっていないので多分問題はないでしょう。
リサは後から来た二人にもイスを勧めましたが、使用人二名は今回は給仕役に徹するつもりのようです。流石の手際でテキパキとお茶の準備をしていきました。シャーベットもただ普通に器に盛るだけではなく、金属製の容器で冷やしていた何種類かのシャーベットを色のバランスを考慮して見目良く配置し、更に果物のソースやミントの葉で彩りを加えています。
「……少しは……落ち着いてきたわ」
「姉上、あまり無理をしてはいけませんよ」
シモンは自分のことを棚に上げて言いました。
「まあまあ、とりあえず休憩にしましょう」
リサは先程は全然動いていなかったので全く疲れていませんが、だからといって遠慮するなどという発想はありません。
三人は揃って銀のスプーンを皿の上のシャーベットに突き入れました。
今回のシャーベットはレモンとブルーベリーの二種。
華やかな黄色と鮮やかな紫色の対比が白い皿の上で美しく映えています。
乳成分が主張するアイスクリームとは違うサッパリ感がシャーベットの魅力です。冬の朝霜を想起させるような、しかしそれよりも繊細なシャリシャリという氷の感触が舌を楽しませ、そして儚くも消えていきます。
「……おいしい」
「美味ですね、姉上」
先程まで運動していた二人はレモンの酸味が格別に心地良く感じるようです。
レモン系の味付けは皮の苦みを活かして深みを増す手法も一般的ですが、今回のシャーベットには皮の部分は使われておらず、更に砂糖の量も通常のレシピよりも増やしているようです。苦い物が得意ではないシモンが食べることを考慮して、これを作った料理人が工夫したのでしょう。
「ベリーの香りが立っていますね……一度、果汁を煮詰めた? でも生っぽい風味もあるような……それにこの酸味は……」
リサはなんらかの工夫がされていると思しきシャーベットを口にした途端ブツブツと独り言を呟き、分析モードに入っていました。きっと彼女に流れる料理人の血がそうさせるのでしょう。
ちなみに正解は、生のブルーベリーと一度砂糖と煮詰めてジャムにしたブルーベリーの二種類を組み合わせて使い、更に隠し味に無糖のヨーグルトを少量加えているのです。
レモン味のほうの食べる者に合わせた細やかな味の調整といい、ここの料理人は中々の腕をしているようです。
◆◆◆
休憩の後。
【さあ少年。次は何がいい?】
「弓は全然引けなかったからな。次は扱いやすい武器がいいな」
【そうか、ならばスコップなどオススメだぞ】
「いや、おれは武器を……」
【何を言うか。刺してよし、切ってよし、殴ってよし、掘ってよしの万能兵器だぞ】
「そういうものなのか?」
当初の剣の稽古という目的を忘れて、シモンはすっかり聖剣に夢中になっていました。聖剣もシモンのことが気に入ったようで、次々と形を変えて触らせています。
他の面々はその様子を微笑ましげに眺めています。
「わたしは武器にはあんまり興味ありませんし、もしかして聖剣さん欲求不満だったんでしょうかね?」
「そうなんですか、リサさま?」
「いや、欲求不満かどうかは知りませんけど」
「いえ、そちらではなく、武器に興味がないというほうです」
イリーナの問いにリサは即答します。
「はい、ありませんよ。女の子で武器が大好きって人のほうが珍しいんじゃないですか?」
「それはたしかに。なんだか勇者さまって意外と普通というか……噂と違うんですね」
「わたしは普通の人間ですよ。あと、わたしに関する噂はほとんど嘘なので忘れてください」
リサは、王族の前で礼を失する行為とは自覚しながらも、誇張された噂の数々には心底ウンザリしている様子で溜め息を吐きました。街中を歩けばイヤでも自分を題材にした歌なり詩なりが聞こえてくる状況というのは、結構ストレスが溜まるようです。
イリーナは気分を害したりはしませんでしたが、かわりにリサのそんな普通の少女っぽい仕草に静かな驚きを得ていました。伝説上の英雄が、自分と同じ一個の人格を持った人間だと気付いたというか、急に身近な存在になったように感じたのです。
リサは少しの間俯いていましたが、しかし言い忘れていたことを思い出したかのようにガバッと顔を上げて言いました。
「あ、でも武器に興味はないですけど、聖剣さん自体はすごく便利なんですよ」
「便利? たくさん出せたり、色々な武器に出来るのが便利ということかしら?」
「いえ、ちょっとニュアンスが違うんですけど……たとえば、このイス」
リサが今自分たちが座っている聖剣を変形させたイスを指差しました。
「長旅だと基本馬車での移動なんですけど、あんまり家具の類を持ち運ぶ余裕ってないんですよ」
「それはたしかに。私も国からこの街まで馬車でしたけれど、普段より苦労しているようでしたね」
イリーナの返答が他人事風なのは、実際に苦労したのは使用人たちだったからです。
途中で食事の用意をするのにも、主人を着替えさせるのにも一苦労。王族が乗るような馬車なのでかなりの設備を詰め込んだ豪華仕様ではありますが、それでも何もかも普段通りとはいきません。
「そこで聖剣さんですよ。こういう風に食事の時にイスやテーブルにしたり、雨が降ってきたら傘にしたり。ちょっと晩のオカズが足りないなと思ったら、網にして川に仕掛けておくと勝手に魚とか海老がかかったり。あ、そうそう、馬車の上に固定できるようにして洗濯物を干すと、これがまたよく乾くんですよ」
現代日本の平凡な女子高生であったリサの精神が過酷な旅の間にもどうにか平穏を保っていたのは、聖剣を活用することで身の回りの細々とした苦労を少なからず解消できたおかげもあるでしょう。だからといって、多少行き過ぎな部分があるように思えなくもありませんが。
正直、知りたくはなかった種類の勇者の真実を聞かされたイリーナは「さっきの感慨はただの気のせいで、英雄になるような人間はやはり普通ではないのでは?」と思いましたが、賢明にもその感想は言葉にすることなく、冷めたお茶と一緒に飲み下しました。
スコップの強さはガチ





