リサとシモンと空気の読めないその他大勢
「数々のご無礼、どうかご容赦ください……」
「そんな、わたしのほうこそ騙していたみたいで……」
偶然からリサが勇者本人であることを知ってしまったシモンと、それを知られてしまったリサが、お互い対面して土下座でもし合うかのような低姿勢で延々と謝り続けていました。土下座というのは比喩ですが、実際おでこをテーブルにこすり付けるような勢いです。
自分が悪い。いや自分のほうが悪い。そんな生産性のない謝り合戦がひたすら繰り広げられています。
ちなみに現在地は魔王のレストラン。
人の多い街中で出来る話ではないので、その場にいた全員を引き連れてゾロゾロと店にやってきたのであります。
随分と人数が増えてしまいましたので、この場に誰がいるのか順に名前を挙げていきましょう。
まず店の関係者である魔王とアリスとリサ。
常連のシモンと、その姉のイリーナと、世話役兼護衛のクロードとイリーナの侍女。
そしてA国の王様とその家族とついでに護衛の騎士が十人ほど。護衛役の騎士たちには部外者が店に入り込まないように店の前で見張りをしてもらっています。
自分たちの店ではありますが、今回の問題に関しては完全に部外者である魔王とアリスはすっかり蚊帳の外に置かれています。仕方がないので魔王は厨房にお茶菓子の用意をしに行き、アリスはしっかりと配達されていた、昼間購入した砂色の布を自室に置きにいっています。
そんな状況で先程からリサとシモンが延々頭を下げ続けているのです。
一切の悪気がなかったとはいえ、勇者の正体をバラすキッカケになったA国の王様もその光景を見て気まずそうにしていました。
ですが、店内の空気はその一角を除いてそれほど暗くありません。
状況を理解していないのか、それともあえてこの重苦しい空気を無視しているのか、イリーナは王様の家族(王妃と王子と王女)と和やかにお茶をしていたりします。
そのおかげで店内の雰囲気が二分され、完全に店内の空気が暗くならずにいるのはある意味で救いかもしれません。あるいはその落差によって、かえって落ち込んでいる側の暗さが際立ってしまうかもしれませんが。
「さあ皆さん、ドーナツが揚がりましたよ」
と、そこで空気を読めないことにかけては世界チャンピオン級の魔王が、お茶をしていた明るい側の面々のところに揚げたてのドーナツなどを持ってきやがりました。どうやら帰ってきてから今までの間に冷蔵保存していた生地を揚げてきたようです。
見ればアリスも店の外で見張り中の騎士たちにドーナツと飲み物の差し入れを渡しています。
「まあ、素敵なお菓子ですね」
「ええ、そうですわね」
「母上、あの方が父上の仰っていた魔王なのですね」
「お母さま、このお菓子とても美味しいです」
明るい側の面々の雰囲気は美味しいお茶とお菓子のせいでますます朗らかになるばかり。
ですが、数メートル先でそんな談笑をしている中では自分たちの現状があまりに滑稽に過ぎると思ったようで、ようやくリサとシモンも顔を上げました。テーブルに頭をこすり付けるような勢いで謝っていたせいで、二人ともおでこが赤くなっています。
「何から話しましょうか……ええと、改めて自己紹介をしておきますと、一ツ橋リサです。異世界人で、去年まで勇者をやっていて今はこのお店の従業員です」
「おれ……ではなく私はG国の現王が末子、シモンと申します。勇者さまにおかれましては、お会いできたことは光栄の至りなれど、これまでのご無礼の数々どのようにお詫びすればよいものか……」
「そんな、わたしが悪いんですから謝らないでください」
「いえ、そのようなワケには……」
と、一歩前進しそうになった話の流れが再び謝罪の無限ループに陥ろうとしましたが、今度はそうなる前に止まりました。というか止めざるを得ませんでした。
「へえ、シモンくんって王子さまだったんですね」
「言われてみれば、なんとなくそんな雰囲気あったよね」
空気の読めない魔王と元魔王がドーナツ片手にすぐ横で談笑をしています。
実はシモンが王族であるとはこの店の中ではこれまでただの一度も明言されたことはなく(最近は本人も忘れかけていましたが 、一応はお忍びのつもりだったのです)、なんとなく良い家のお坊ちゃんなのだろうとは思っていた魔王たちも納得した様子です。
ちゃっかり自分たちの分のドーナツとお茶をキープしていたクロードとイリーナの侍女も「実はそうだったのですよ」などと笑いながら和やかに雑談の輪に加わっていました。
「あ、お茶のおかわり欲しい人はいますか?」
「はい、いただきますわ」
「わたしもほしいです」
「ああ……うん、済まないが余にももらえるかね」
アリスの問いかけにイリーナと王女が答え、更に気まずそうに突っ立っていた王様も避難するように平和なほうへと逃げてしまいました。
「…………」
「…………」
この状況では真剣な空気を維持するのはもはや不可能。
真面目にしようとすればするだけ、リサとシモンだけがどんどんと道化になるばかりです。
「あれ、二人ともドーナツ食べないの?」
「……いただきます」
「……おれももらおう」
最終的に魔王がドーナツの乗った皿を彼らのテーブルに置き、二人ともヤケ食い気分でドーナツに手を伸ばしました。
◆◆◆
「まあ、すごいわ。本物の勇者さまにお会いできるなんて! 国に帰ったらお友達に自慢しなくちゃ」
「あの、できれば秘密にしていただきたいんですが……」
魔王に引き続き勇者のサインも手に入れたイリーナは、まさに有頂天といった様子です。日本語で書かれているので読めないのですが、大事そうに抱えています。彼女はミーハー気質なのか、こうして有名人に会ったりするとテンションが上がってしまうのです。
リサが現役で勇者をやっていた頃も、立ち寄った街や村で「ちょっと一筆」と頼まれたことは何度かあったのですが、サインを書くのは未だに慣れない様子です。人数が少ない分だけまだ今回はマシですが。
「そうだシモン、良いことを思いついたわ」
「なんですか、姉上?」
「ねえ、リサさま。シモンが最近剣術を始めたそうなんですけれど、良かったら稽古を見てあげていただけませんか」
「姉上、何を言っているのですか!? そんな恐れ多い……」
「ええ、別にそれくらいなら構いませんよ」
「よろしいのですか! ……ではなく、よいのか!」
「はい、毎日は無理ですけど、たまになら」
結局、リサとシモンの付き合い方は、これまで通りの形をなるべく維持するということに決まりました。
勇者に対する畏敬の念と、これまで親しくしていた給仕との落差でシモンにはまだ混乱が残っているようですが、あまりへりくだられるとリサのほうが恐縮してしまうので、極力元通りの関係にしようということで話が落ち着きました。
元々ケンカをしていたワケではないので仲直りというとおかしいかもしれませんが、先程までのようなロクに話もできないような状況は脱したようです。
「それはさておき……アリスたちはリサの正体を知っておったのだな」
「ええ、ごめんなさい、シモンくん」
「いや、いい。現におれ自身あれほど無様に取り乱してしまったのだ。秘密にしておくのは当然であろう。リサさ……リサの存在が公に知られれば、世界中から人が押し寄せてきて、この店の営業もできなくなるであろうしな」
「リサさんって、そんなに人気なんですか?」
「うむ」
街中を歩けば度々勇者を讃える歌が聞こえてきたりするので、アリスも勇者の人気は理解していたつもりなのですが、その認識は相当に甘すぎるものでした。魔界における魔王も幅広い支持を受けてはいますが、はっきり言ってその比ではありません。
当初は各国の公的機関やら商人やら神殿やらが、各々のお金儲けや人気取りや信者の獲得などの思惑があって勇者人気を煽っていたのですが、いつの間にか盛り上がりは意図的に制御できる域を優に超えていました。
もはや人気などという生温い言葉ではなく、勇者そのものが神格化されて信仰を受けているに等しい状況です。もしも勇者がアルバイトをしている飲食店などがあると知られれば、勝手に聖地化されて巡礼者が世界中が押し寄せても不思議はありません。そうなれば今までのように平和に過ごすことはもはや不可能です。
「お店が営業できなくなるのは困りますね」
「……なんだか済みません……」
「まあまあ、まだ本当にそうなると決まったワケではありませんし」
責任の所在が誰にあるかは微妙なセンですが、リサは申し訳なさそうにアリスに頭を下げています。
「とにかく、皆さん。わたしのことについては秘密にしていただけると助かります」
リサはこの場の一同に向けて改めて頼みました。





