料理大会本戦第一試合
勝負というものは終わってみるまで分からない、と人は言います。
確かに格下が予想を覆して格上殺しを成し遂げた例は、戦争にしろスポーツにしろ古今枚挙に暇なく、そうした奇跡を成し遂げた者は時に英雄と呼ばれることすらあります。
しかし、そうした事例、弱者が強者に勝利する例が圧倒的少数派であることは当然です。奇跡とは滅多に起こらないからこそ奇跡たり得るのですから。
だから今回の勝負の結果も、まあ当然かつ順当なものであったのです。
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料理大会は一対一のトーナメント形式で行われ、一般客からランダムに選ばれた審査員と審査委員長の投票によって勝敗を決める方式です。
料理の味で雌雄を決することになりますが、例えば片方の選手がステーキを、もう片方がケーキを出したりしたら比べようもありません。そこで試合ごとに特定の食材がテーマとして設定され、ある程度限られたジャンルの中で腕比べをすることになります。
料理の種類によっては長時間の仕込みが必要な物も少なくありません。
即興で作っても勿論問題ありませんが、選手には試合の前日にはお題の食材が通知されるのである程度の仕込みが必要な料理を提供することも可能です。
他人が調理した品をそのまま出すような不正防止のためと、勝負としてのショー的な要素を考慮して、最低でも仕上げ段階は会場で本人が行うルールになっています。
実際の試食が始まる前から見た目や香りで観客の興味を引きつけることができれば審査でも有利に立つことができるでしょう。
使用する食材の費用に関しては運営持ちなので、選手の懐具合に関係なく高価な食材を使うことも可能です。
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料理大会本戦の第一試合は、アリスが先程予想した通りに魔王と料理長の組み合わせでした。
魔王はつい数時間前の開会式での礼服から着替えていつものエプロン姿になっていましたが、やはり先程の「挨拶」が印象深かったのでしょう。かなりの注目を集めていました。
登場しただけで少女からお婆さんまで幅広い世代の女性たちから黄色い声援が飛んで、客席最前列にいたアリスの精神をガリガリと削っています。
一方の料理長もある意味で注目を集めていました。
魔族だとかどうだとかとは別の次元で、四本腕のマッチョなオカマはインパクト抜群だったようです。フリルの沢山ついた特注のコック服が分厚い筋肉で張り裂けそうになっており、料理長が客席の男性たちにウインクを飛ばすたびに茶色い悲鳴が上がりました。
正午から始まった本戦一回戦のテーマ食材は豚肉。
この世界でも庶民から王族まで幅広く親しまれている馴染みの深い食材です。その分調理法も多岐に渡り、メニュー選びの段階から料理人のセンスが問われます。
「これは中々難しい食材ですわね」
「審査委員長、そう申されますと?」
何がどうしてそうなったのか、何故か審査委員長席に座っている神子と、その隣にいる男性型ホムンクルスのクスノキが観客席に聞こえるように実況・解説を始めました。
一応は気を遣っているのか帽子と服装で変装していますが、半ば死に設定とはいえ存在自体が機密扱いの人間がそんなに目立っていいのでしょうか?
その辺りの事情には全く触れず、神子はマイペースに解説を続けていきます。
「豚料理というのも色々ありますが、観客の皆さまも食べ慣れていらっしゃるでしょう?」
「つまり慣れている分、ちょっとやそっとの工夫では目新しさに欠けてしまうということですね」
「はい、お二方がどのようなメニューを選択するかが気になりますわ……あら? 魔王さま、魔王選手は随分と大きなお鍋を使うのですね」
まず最初に動き出したのは魔王でした。
舞台上に設置された厨房の魔道式コンロに火をつけ、あらかじめ下準備をしていたと思しき深い鍋を弱火で熱していきます。
「これは……何やら甘い香りがしますね」
「はい、どうやら魔王選手は煮込み料理のようです」
豚肉を使った煮込み料理と言っても色々とありますが、今回魔王が選択したのは豚の角煮。皮付きの分厚いバラ肉の表面に軽く焼き色を付けた後でじっくりと煮込んであり、すでに箸で触れただけでホロホロと崩れるような柔らかさになっています。余分な脂もすっかり抜けているので、ボリューミーな見た目に反して食べやすく仕上がっているはずです。
そして、それと平行して別の鍋でチンゲン菜を塩茹でにし、更には白いご飯まで炊いているようです。
「おや、魔王選手がわざわざこちらに来てお鍋の中を見せてくれました。ご協力ありがとうございます。お鍋の中が見えないと実況しようがありませんので」
「こ、これは、煮卵。そしてネギ。どうやら魔王選手は豚の味が染みた煮卵と長ネギを一緒に出すつもりのようです」
ここで鍋の中の映像が会場内の魔道モニターに映し出されました。
ツヤツヤとした飴色に輝く豚肉と、すっかり煮汁を吸い込んだ煮卵とトロトロの長ネギ。そして会場内に漂い出した甘い香りに観客のテンションも急上昇です。
……と、ここまでは会場内の空気は魔王優勢になっていたのですが、料理長も負けてはいません。
「はて……この匂いは?」
「何やら魔王選手の匂いを上書きするような食欲をそそる匂いがしますね」
会場内の注目が離れている間にも料理長は着々と調理を進めていました。
巨大な骨付きのアバラ肉に岩塩と香辛料を丁寧にすり込んでから豪快にオーブンで焼いた、スペアリブのオーブン焼きで勝負に来るようです。
「単純ながらも魅力的な料理ですね」
「はい、容姿に反して堅実な調理をする選手ですね」
「しかし、ただ焼くだけでこれほどの匂いを発するものでしょうか?」
「もしかすると何か見えない部分に工夫があるのかもしれませんね」
肝心の工夫の段階は魔王に注目が集まっていたために誰も見ていませんでした。そのために神子とクスノキもあまり料理へのコメントをすることができず、ただ豚が焼けるのを注視することしかできません。
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「ここで両選手調理終了したようです」
「では審査員の皆さま、試食をしたらどちらかに投票をお願いします」
ここで神子のいる委員長席にも両方の料理が運ばれてきました。
まず最初に魔王の作った豚の角煮に目を向けます。
「これは随分と柔らかいですね。そしてお肉が甘い……お砂糖も使っているようですが、脂の甘さが最大限引き出されているようです」
実況と解説をしないとならない立場上、神子は早食いを封印して、いつになくゆっくりと味わって食べています。
自重で崩れそうなほどに柔らかく煮込まれた豚バラは、比喩ではなく口の中で溶けるように消えていきます。
魔王があえて皮付きのバラ肉を使用したのにも理由があります。トロトロプルプルとした皮の部分の食感は繊維質の肉の部分とはまるで違い、ある種蠱惑的ですらありました。
そして例の煮卵や長ネギも忘れてはいけません。
卵を二つに割るとしっかり黄身にまで煮汁の色が染みており、ネギのほうも今にもとろけそうな食感と甘さで舌を飽きさせません。
全体的に濃い味付けですが、ここで塩茹でしたチンゲン菜が活きてきます。目にも鮮やかな緑色は単なる彩りではなく、口内の味覚をリセットする役割を担っているのです。いくら余計な脂が抜けていても同じ味付けだけだったならくどさを感じたかもしれませんが、チンゲン菜の爽やかな風味と食感のおかげでその心配は無用です。
そして極めつけは白米。
角煮と白米の相性の良さに関しては、あえて語るまでもないでしょう。たとえメインの肉がなくとも、その煮汁だけでご飯がドンブリで食べられるという人も少なくないのではないでしょうか。
「さて、もう一方のお料理ですが、これは豪快ですね」
料理長の皿には大きな骨付き肉がドンと鎮座しています。メインの肉以外にも卵や野菜など彩り豊かだった魔王とは対照的とも言えます。
「なるほど……ではお行儀は悪いですが」
神子は料理長の意図を察して、ナイフやフォークは使わずに骨の両端を掴んでガブリといきました。すると瞬間的に肉の旨味が爆発するような勢いで口内を駆け巡ります。
「これは素晴らしい。この味、そして柔らかさ。ただ焼いただけではありませんね」
観客が見たのは岩塩と香辛料を刷り込んで焼くところだけでしたが、料理長は事前に丁寧に肉のスジ切りをした上で、半日以上もの時間、肉を特製のタレに漬け込んでいたのです。
タレの材料はすり下ろしたタマネギ、ニンニク、ショウガ、白ワイン、リンゴ、パパイヤ、キウイ等の食材が主となっていました。
そう、タンパク質を分解する酵素を含む食材を多く使っていたために、オーブン焼きという肉が硬くなりがちな調理法であっても、これほどまでに柔らかい食感を実現できたのです。
しかもただ無闇に柔らかくしているのではなく、適度な食べ応えを感じる程度の歯ごたえは保っています。タレの調合と漬け込み時間に関してよほど研究を重ねたのでしょう。タレの少し焦げた部分がまた香ばしく、豚の持ち味を十二分に味わえるような料理だと言えました
「ごちそうさまでした」
「どちらも素晴らしい品でしたね」
抽選で選ばれた幸運な一般審査員も、審査だということを忘れてガツガツと食べています。抽選から漏れた観客席からは怨嗟の声と腹の虫の合唱が聞こえてくるほどです。
「さて、それでは食べ終えた審査員の方から投票をお願いします」
◆◆◆
「残念でしたね、魔王さま」
「いやぁ、負けた負けた。流石は料理長だね」
アリスは、予想通りに料理長との勝負に敗北した魔王を慰めていました。
魔王は魔王でそれなりに楽しめたのか、一回戦敗退という結果の割には落ち込んだ様子はありません。敗因の一端はこの勝ち負けへの執着の無さにあるのかもしれませんが、特に気にしてはいないようです。
ちなみに精神性以外の敗因はというと、一言で言えばテーマに沿っているか否かでした。
「まあ、見ていた限りでは公平な審査だったのではないでしょうか」
「うん、負けたけど納得はしてるよ」
お題となる豚肉以外にも卵や野菜や白米なども出して、それ自体は好評ではあったのですが、やはり飛び道具感があったのは否めません。更に魔王は普段の感覚で白米を出していましたが、米というのは食べ慣れない人間にとっては匂いに抵抗を覚えるタイプの食材の代表格でもあるのです。魔王はその点を失念していたようです。
案の定、ランダムで選ばれた一般審査員の中には米の匂いが苦手だという遠方からの観光客も混ざっており、それがマイナス点になってしまいました。
普段のようにレストランで提供するならばともかく、特定のテーマのある勝負の場においては料理の選択を誤った感がありました。
その上、それらの飛び道具を全部合わせても、それでようやく料理長の品と互角の評価だったのです。投票結果だけ見ればそれほどの大差ではないにしろ、魔王としては完敗と認めざるを得ませんでした。
もし魔王の失点がなかったとしても、魔王の勝ち目はほとんどなかったでしょう。流石は料理長、魔王やアリスの知る限り最高の天才なだけはありました。
「残念ではありますが、相手が料理長では仕方がありません。気を取り直してお祭りを楽しみましょう」
「そうだね。考えようによっては早めに負けたほうが自由な時間は増えるわけだし」
かくして、魔王の料理大会の成績は一回戦敗退で終わってしまったのでした。
以前にもチラッと書きましたが、魔王は料理に関しては天才ではありません。