仕込み、仕込まれ
「どうも、こんにちは、コスモスさん」
「おや、あなたは……リサさま?」
コスモスが一瞬言葉に詰まったのには理由があります。
本日のリサは長い髪を編み上げて、深めの帽子を被り、簡単な変装をしていたのです。近くで顔を見れば判別できますが、見た目の印象はガラッと変わっていました。
「なるほど、変装ですか。たしかにリサさまには必要でしょうね」
勇者の特徴として知られる長い黒髪を隠していれば、知り合いの前に出てもそれがリサ本人だと気付かれる危険はかなり低くなります。勇者時代に会ったことのある人々が見ても、他人の空似だと思われる可能性のほうが高いでしょう。
「そのファッションもお似合いですよ。と、それはさておき今日はどのようなご用向きで?」
現在コスモスとリサがいるのは、運営本部として機能している公舎の応接室。
ちょっとした会議にも使用できる広めの部屋ですが、現在いるのは彼女たち二人だけです。
今回は珍しくリサがコスモスを名指しで訪ねてきたのですが、その理由はまだ口にしていませんでした。
「いえ、大した理由じゃないんです。アリスちゃんから最近コスモスさんが頑張ってるって聞いたので、お菓子を作って差し入れに」
「おや、これは済みません。そういうことでしたら、ありがたく頂きます。ほほう、レーズンサンドですか」
リサが取り出したのは、魔王のレストランで使っている持ち帰り料理用の紙箱。その中にはリサお手製のレーズンサンドがぎっしりと詰まっていました。
薄焼きのクッキーにラム酒漬けのレーズンとバタークリームを挟んだ、シンプルながらも人気の高いお菓子です。コスモスも好物なのか、いつもの無表情ながらも、どことなく瞳が輝いているように見えます。
「では早速……美味ですね。やはり頭脳労働のあとは甘い物に限ります」
「やっぱりお仕事忙しいんですか?」
「いえいえ、大したことはありませんよ」
一見謙遜しているように聞こえるかもしれませんが、本当に大したことはしていません。先程リサに呼ばれるまで、サボってクロスワードパズルを解いていたのです。たしかに頭脳は使っていますがこれではとても労働とは言えません。
「そうだ、水筒にミルクティーも入れてきたんです。お砂糖はいくつ入れますか?」
「おや、至れり尽くせりですな。では二つでお願いします」
リサがあれこれと世話を焼いてくることに微かな疑問を覚えつつも、特に拒否する理由もないのでコスモスは成り行きに任せてくつろぐことにしました。
「まあ、お人好しのリサさまが何か企んでいるとも思いませんし」
「……そういう考えは口に出しちゃダメですよ?」
「おっと、これは失敬」
そんなやり取りもありましたが、二人してレーズンサンドをサクサクと、温かいミルクティーをゴクゴクと堪能していきます。
「ラムレーズンというのは良い物です。なんに入れても美味しくなります」
「ええ、アイスなんかも美味しいですし、結構万能ですよね」
「はい、ラムレーズンさえあればご飯が何杯でも食べられますね」
「流石にそれは荷が重いんじゃ……」
ラムレーズンの万能ぶりは実に大したもので、大抵のお菓子には合わせることができます。
まあ、流石にコスモスが言うようにご飯のオカズにはならないと思いますが。相手がコスモスなだけに、本気で言っているのか冗談なのか見極めが難しいラインです。
そんな会話も交えながら和やかにティータイムを過ごし、やがて紙箱の中身はカラッポになりました。
「じゃあ、わたしはこれで失礼しますね。お仕事頑張ってください」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
本当は他の用事があるものと想定して身構えていたコスモスですが、リサは紙箱と水筒を片付けると早々に帰っていきました。
「はて、本当に差し入れを持ってきただけだったのでしょうか?」
肩透かしを喰ったコスモスは、そのままどこか腑に落ちない気分を持て余し、なんとなくクロスワードの続きに戻る気にならず、真面目に書類仕事をすることにしました。
コスモス本人は気付いていませんが、奇跡的なまでの勘の良さだと言えるでしょう。
◆◆◆
一方、公舎を離れたリサは人気のない裏道まで移動してから、緊張を解いて息を吐きました。
「こんなことして本当にいいんでしょうか……?」
【仕方があるまい、相手が相手だ。それに我が主も怪しいと言っていたであろう】
「まあ、それはそうなんですけど」
会話の相手は聖剣です。
目深に被っている帽子で周囲からは見えませんが、耳掛け型のイヤホンのような形状になっていました。これならば人前でも目立たずに意思の疎通が可能です。
「それで、その……仕掛けのほうは?」
【うむ、成功した。これでリアルタイムでの監視が可能だ。現在は真面目に仕事をしているようだな】
「なんだか気が引けますね」
先程の会話の最中に聖剣の一部、超小型の分体がコスモスに気付かれぬように衣服や髪の隙間に潜り込んでいたのです。分体の一つ一つは砂粒程度の大きさの上、周囲の色に合わせて擬態しているので、気付かれる心配はまずありません。
欠点としては、このサイズだと自力での移動力が相当に低下してしまうので、対象の近くまでリサに寄ってもらわないと仕掛けられない点です。
リサも知らぬ間に聖剣が習得していた新技ですが、これにより分体が得た情報をリサの手元にいる聖剣の本体もリアルタイムで把握できるのです。
「あ、お風呂とか着替えは覗いちゃダメですよ」
【我が主よ、我をなんだと思っているのだ……まあいい、何か不穏な動きがあれば知らせる。それまでは忘れておくがいい】
アリスは近頃のコスモスの更生をすっかり信じ込んでいましたが、それを伝え聞いたリサは理屈ではなく本能的に何かがおかしいと感じていたのです。
そこに新技を実践する機会が欲しいという聖剣の申し出を受け、罪悪感はありましたが、転ばぬ先の杖のつもりで今回の仕掛けを仕込みに行ったというワケでした。
釣り針に見事獲物が引っかかるか否か。
結果が出るのはもう少し先のことになりそうです。
剣、とは……?