ボーイズトーク【ぐだぐだ編】
「あ、魔王さん、こっちの席ですよ」
「やあ、どうもお待たせしました」
もう日も落ちた宵の口。
魔王がいたのは、この時間にしては珍しく自分の店ではありませんでした。
迷宮都市の大通りに面した広場の一角。
木製の簡易なテーブルやイスがいくつも並べられ、周囲の飲食店で買ってきた料理や飲み物を食べられるようになっています。即席のビアガーデンのようなものでしょうか。
早くもすっかり出来上がった酔っ払いが地面に伸びていたり、お酒のグラスを片手に歌っていたりと大騒ぎになっています。
誰が最初に始めたのかはもう分かりませんが、夕方近くになると周囲の飲食店の小僧たちが各自の店から予備のテーブルやイスを運んできて、このような飲食スペースを作っているのです。
これならば静かに飲みたい客は店内で、騒ぎたい客は外で飲むという住み分けもしやすいですし、何より酔っ払いの吐瀉物の掃除や面倒な絡み酒の相手をする手間が省けるので、大方の店は協力的なのです。
「話には聞いていましたけど、随分と賑やかですね」
「ああ、荒っぽい連中が多いからな。ま、ともかくまずは乾杯だ」
テーブルを囲んでいるのは、ガルド、アラン、ダンの、常連の男衆三人組。
ここに魔王も加わって、今回は珍しく男性陣だけの集まりとなっています。
「魔王の旦那とはあんまりプライベートの付き合いがなかったけど、たまにはこういうのもいいでしょうよ?」
ここに来る前に山程買ってきたと思しき酒瓶の中から麦酒を一本取り出したダンが、それを魔王のグラスに注ぎます。ぷつぷつと弾ける泡が膨らんで、グラスのフチから溢れ出す直前で止まりました。
「ははっ、女共がいるとできない話もあるしな」
「人前なんですから、あんまりエグい下ネタはナシですよ」
ガルドがガハハと笑い、アランが前もって釘を刺しています。
いつもの魔王の店ではお酒ではなく甘い物がメインになるせいもありますが、ガルドも気を遣って色々と自重しているのです。
完全に酔っ払ったらこんな忠告など忘れてしまうのでしょうが、意識が残っているうちはガルドも節度を守ってくれる……かもしれません。
「それじゃあ、ぼちぼち始めようぜ。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
年長者(実際には魔王のほうが年上ですが、雰囲気的に)のガルドが乾杯の音頭を取って、その場の全員が勢いよくグラスを呷りました。
「これ、おつまみに用意してきましたよ」
「おお、待ってました!」
魔王がどこからともなく取り出してテーブルの上に並べたのは、塩茹でした枝豆とカラアゲというおつまみの黄金コンビ。それ以外にもアランとダンが事前に買ってきた焼き鳥やら煮豚やらもあり、テーブルの上は料理で埋め尽くされています。
「この豚イケますね。タレは醤油とお酒と生姜とニンニク……あと果物っぽい香りもするかな?」
「おいおい、飲んでる時くらい仕事は忘れようぜ」
魔王は癖になっているのか自然と煮豚の味付けの分析をしてしまい、ガルドに呆れられています。一種の職業病なのかもしれません。
魔王は持参した枝豆を一房手に取り、口に運びました。
プツリという小気味良い感触と共にサヤの中の豆が口内に飛び込んできて、ほのかな塩気と大地の豊かさを思わせる豆の風味が感じられます。
そこで勢いよく麦酒を流し込むと、爽やかな苦みが枝豆の余韻と混じりあい、えもいわれぬ美味さです。少し麦酒がぬるくなっていましたが、それもまたオツなもの。喉越しの滑らかさのおかげもあり、ついつい次の豆へと手が伸びてしまいます。
「おお、いい飲みっぷりっすね」
「たまにはこういうのも良いね」
「こっちの焼き鳥も美味いですよ。ささ、どんどんいきましょう」
普段は料理人と客という立場なせいか最初は丁寧な口調だった魔王ですが、お酒の力によるものか、あるいは対等な友人としての距離感を掴み始めたのか、少しずつ話し方が柔らかくなっていきました。
◆◆◆
お酒の種類は麦酒だけでなく葡萄酒や蜂蜜酒もありました。
それらのお酒とおつまみの相性を順に見ていくのも面白いものです。自然と酒量も増えていき、魔王を除く三人の顔は熟れたトマトみたいに赤くなっていきました。魔王だけは見た目では酔っているのかわかりませんが、それでも心なし饒舌になっているようです。
「────それで、魔王城の廊下で足音が聞こえたから後ろを振り向いてみたんだけど、誰もいなかったんだ。曲がり角の向こうから歩いてきたアリスも誰も見てないっていうし、あれはきっと幽霊だよ」
などと、自分が体験した怪談話などを披露しています。
その話自体は怖くなくとも、ちょうど語り終えたタイミングで魔王の背後の建物の窓に見覚えのある金髪がチラリと見え、三人の背筋が凍りついたりもしましたが、実害はないのできっとセーフです。
いる所には普通に幽霊がいる世界ではありますが、それでもなお、死者よりも性質の悪い生者のほうが恐ろしいというのは地球と共通のようです。
◆◆◆
「ところで、旦那は誰狙いなんすか?」
「狙いって?」
「いやだなあ、女の子に決まってるじゃないすか。お店に可愛い子いっぱいいるし」
テーブルの上のおつまみ類が残り少なくなってきた頃、酔いが回ったダンが魔王にそんな質問をしました。男だけの飲み会では定番の話題ですが、色々とデリケートな問題も孕みます。とても素面では話せません。
それと同時に魔王のすぐ背後にいつの間にか置かれていた木箱がガタリと揺れましたが、アルコールで判断力が鈍っているせいか今度は誰も気付きませんでした。
「そうだなあ」
魔王は葡萄酒をチビチビと飲みながら、自分の周りの女性たちについて考えを巡らせます。
舌を刺激する葡萄の酸味と微かな渋味をゆっくりと味わい、それを飲み下すと一つの答えを口にしました。
「うん、みんな良い子だよね」
天然で言っているのか本心を誤魔化しているのか分かり難いですが、魔王は明確な答えを口にしませんでした。黙って聞いていたガルドとアランも拍子抜けしています。
「いやいや、そういうことではなく……じゃあ、こんな子がタイプだ、みたいのはないんすか?」
「タイプ……そうだな」
「ちなみにオレは乳がデカイ女がタイプです」
ダンが男らしく断言しました。ガルドはそれを聞いてうんうんと頷いて同意し、比較的常識人のアランは答えずに苦笑しています。
魔王は今度は冷めたカラアゲを噛みながら考えています。揚げたてには及びませんが、時間が経って冷えてしまってもそれはそれで美味しくいただけます。鶏の肉汁を味わいながら考え、グラスに残っていたお酒で口内の脂を洗い流してから答えました。
「髪は長いほうが好きかも」
魔王の背後の木箱の側面をブチ抜きながら手が飛び出してガッツポーズを決めていましたが、周囲にはもう酔っ払いしかいなかったので誰にも気付かれませんでした。きっと幻覚だと思われたのでしょう。
「あれ、でも魔王さんの店に出入りしてる女の子って大体髪が長いですよね?」
アランが魔王の好みに対してそう指摘しました。
店によく出入りしている女子の中で髪が長いのはアリス、リサ、神子、エリザ、タイム、ライム、最近ではフレイヤやイリーナも長髪です。例外はメイとアンジェリカくらいなものでしょう。年齢的にライムは省くにしても、これでは特定などできません。
ガッツポーズを決めていた背後の木箱の手も、元気を失って再び穴の中に引っ込んでいきました。
「他には、他にはないんすか?」
「そうだなあ……あ、美味しそうにご飯を食べる子は好きだよ」
「それって全員だよな?」
次なる答えを述べた魔王に、すかさずガルドの指摘が入りました。
関係者のほぼ全員がレストランの従業員か常連かの二択ですから、美味しそうに食事をするのは当然といえば当然です。
こういう話題は、誰が誰を好きかをそれとなく仄めかしたり推測したりするのが楽しいもの。こういう曖昧な解答だけでは場の空気が盛り下がってしまいます。
魔王にその気がなくとも、なんとなく白けた空気になりかけてしまいましたが、ここでダンが声を上げました。
「じゃあ、質問を変えるぜ。ズバリ、乳派か尻派か?」
またもや質問としては定番ですが、今度は二択で攻めてきました。これならばどちらに転んでもある程度は盛り上がると見越してのことです。
「ちなみにオレは胸だ」
「俺も胸だな、いや尻は尻でいいけどよ。待てよ、太モモも捨てがたい」
「ボクは……鎖骨が、その」
前から順番にダン、ガルド、アランが答えました。
二択の意味があるのかは大いに疑問ですが、アルコールが頭に回っているせいでその辺りの細かい部分はどうでもよくなっているようです。
それに、この流れでは魔王も女性のどの部分が好きかを答えざるを得ません。背後に置いてある木箱からも、緊張で生唾を飲み込む音が微かに漏れ出しました。例の如く、誰も気付いていませんでしたが。
しばし黙考していた魔王は、やがてゆっくりと、彼にしては珍しく少しだけ恥ずかしそうに口を開きました。
「僕は─────」
◆◆◆
もう日付も変わろうとする深夜、魔王が自分の店に帰ってきました。あの女子禁制のフェチ暴露大会のあとも散々飲みながら男同士でバカ話をしてきたせいか、身体中からぷんぷんとアルコールの匂いを放っています。
「おかえりなさい、魔王さま」
「ただいま、アリス。あれ、今日は髪型が違うんだね」
「ええ、ちょっと気分転換で」
すぐにアリスが出迎えに出てきましたが、何故かいつもの髪型ではなくポニーテールにしており、普段は隠れている綺麗なうなじが見えています。
「いつもの髪型もいいけど、それも似合ってるよ。うん、可愛い、可愛い」
「そ、そうですか……ふふ、ふふふふ」
「あれ、服に木屑が付いてるけど何かあったの?」
「あ、あれ、おかしいですね。どこで付いたんでしょう、ほほほ……」
アリスの髪や服には、何故か細かい木屑が付着していました。ずっと店番をしていたはずなのにどうしてそんな物をくっ付けているのでしょうか?
いやはや、不思議なこともあるものです。





