身バレにご注意
「おや、そこにおられるのはリサ殿では?」
「えっ? あ!」
いつものようにリサがアルバイト前の散歩をしていると、ふと誰かに声をかけられました。
「陛下、どうして迷宮都市に?」
「いやな、大きな催しをするというので、妻と子供たちを連れてお忍びで旅行に来たのだ」
「お忍び、ですか?」
リサを呼び止めたのは、かつて彼女を召喚したA国の王様でした。どうやら休暇を取って家族と観光に来ていたようで、いつもの王冠やマントも付けず、動きやすそうなラフな格好をしています。
お忍びという割には周囲には完全武装の騎士の姿がチラホラ見えますが、彼の立場上護衛を付けないワケにはいかないのでしょう。騎士たちもリサに気付いているらしく、視線を向けると目礼を返してきました。
「そういえばリサ殿は魔王殿の店で働いているのであったな」
「よかったらお店にも来てくださいね」
「うむ、是非とも伺わせてもらおう。ああ、それと話は変わるのだが」
王様は周囲をキョロキョロと見回して、何かを確認してからリサに言いました。
「リサ殿は普段からこうして街を歩いているのかな?」
「はい、そうですけれど?」
「お節介かもしれぬが、少し無用心ではなかろうか」
「無用心?」
リサは言葉の意味が分からないようで不思議そうに小首を傾げました。迷宮都市の治安は一種異様とも言えるほどに良いですし、魔物や危険な動物などもいません。そんな場所で何を用心するというのでしょう?
「一応、公式には勇者はもうこの世界にいないことになっているからな。変装もせずに出歩いて、もし顔を知っている者に出会ったら大騒ぎになるやもしれぬ」
「あ、そういうことでしたか……たしかに無用心でしたね」
この世界で勇者時代のリサに直接会ったことのある人は、全体からすればごく僅かです。姿絵や彫像なども出回っていますが、記憶や伝聞を頼りに作られたそれらと本人を見比べても、モデルになった当人だと確信までは持てないでしょう。
ですが、この迷宮都市には相当の人数が、特にここ数日は外部からの旅行者が数多く流入しています。リサが勇者時代に各国を巡った際には国の重鎮との謁見や面会、時には晩餐会や舞踏会などに出席したことも少なからずありましたし、旅行者の中に実際に彼女と会ったことのある者もいるかもしれません。
何かの弾みで正体がバレてしまい、勇者が再びこの世界を訪れていることが明るみに出れば、もう今のように気軽に道を歩くこともできなくなる恐れがあるのです。
「こういう言い方は悪いかもしれぬが、勇者の利用価値は計り知れぬほどに大きい。中には悪意を持って近付いてきたり、強引な手段を取る者がいないとも限らぬ。ゆめゆめ注意召されよ」
「……う、気を付けます」
勇者のネームバリューの凄まじさは、リサ自身も不本意ながら認めざるを得ません。そして王様はあえて言いませんでしたが、リサが独身の女性だというのも問題です。日本の感覚とは違って、十代の後半ともなればこの世界では充分に結婚が視野に入ってくるお年頃。
仮に勇者の存在が明るみになれば、各国の王族や貴族から山のような婚約の申し込みが届くことでしょう。もしも勇者と縁を結ぶことができれば、その国の今後数百年の繁栄はその時点で保障されたも同然です。
少し前にリサがA国に行った際、酒に酔った王様がまだ年齢一桁の王子との婚約を勧めたのも、冗談ではなくそういう思惑があったからこそなのです。彼は早々に諦めましたが、だからといって勇者の威光を他の国に取られるの危険を看過することはできません。リサに忠告したのも純粋な親切心からだけではないのです。
「なに、この催しが終わればそなたの顔を知る者たちも自分の国に帰るだろう。しばらく注意していれば大丈夫だろうさ」
「そうですね、しばらくは注意しておきます」
早速、リサはポケットから取り出したリボンで普段は下ろしている髪をポニーテールに結いました。髪型を変えるだけで人の印象というものはかなり変わりますし、今はこれくらいしか出来なくとも、もっと意識的に変装すれば勇者だと気付かれる心配はほとんどなくなるでしょう。
かつては平和を守るために召喚された勇者が、今度は勢力争いのタネになりかねないというのは皮肉な話です。注意して顔を知っている者を避けるようにしていれば充分回避できそうなのがまだしもの救いでしょうか。
しかし、この時リサはすっかり忘れていたのです。大勢の注目を嫌でも集めざるを得ない舞台の上で歌う日が、もう数日後にまで迫っていたことを。





