閑話・魔眼
「魔眼というのは本当にあるものなのか?」
「ええ、ありますよ」
シモンが何気なく発した問いに、アリスは迷うことなく答えました。
「いやな、おれの姉上が眼帯を着けているのは、魔眼を封じるためらしいのだ」
「まあ、そうだったんですか」
「ああ、姉上を疑うわけではないが、国の魔法使いたちに聞いても魔眼など知らぬと言うし、少し気になってな」
実際には、そういう「設定」なだけですが、イリーナは周囲にそう話していました。入浴と睡眠時以外はずっと片目を隠しているので、シモンも最後に姉の両目を一度に見たのはもう随分前のことです。
そんなことをずっと続けていると視力が落ちそうなものですが、宮廷医のアドバイスに従って一日おきに眼帯を左右で付け替えているので、今のところは目が悪くなったりはしていないようです。
イリーナ本人としては設定のブレは好ましくないのですが、眼病になって目が見えなくなるかもしれないと大袈裟に脅かされたのでそこは妥協して、一日おきに魔眼と普通の目が入れ替わるという珍妙なスタイルを採用したのです。
いくら素直なシモンといえども、そんな風にコロコロ入れ替わる魔眼を何かおかしいと感じていました。が、信頼するアリスが魔眼の実在を証言したことで、疑いを捨てて姉の言葉を信じることにしてしまったようです。
「そうかそうか。ところで、魔眼とは結局何ができるのだ? 魔法の一種みたいなものだろうと見当は付くのだが、姉上に聞いても説明が難しくてよくわからんのだ」
「そうなんですか、だったら今実際にやってみましょうか」
「なに? アリスも魔眼を持っていたのか」
「ええ。ああ、ちょうどアレが」
アレというのは、飲食店には付き物の、黒くて平べったくて、テカテカと光っているあの虫です。普段から清潔にしてはいますが、それでも時々入ってきてしまうのです。
「まったく、どこから入ってきたんでしょう」
うんざりとした気分で嘆息したアリスは、しかし次の瞬間魔眼を発動、正確には渾身の殺気を込めてアレを睨み付けました。まるで馬上槍の一閃がごとき鋭い視線が突き刺さります。アレの這っていた壁に穴が穿たれなかったのが不思議に思えるほどでした。
魔力は一切使われていないというのに、その効果はテキメンでした。ついさっきまでは元気に走り回っていたアレの動きが止まって、そのまま絶命してしまったのです。
「これが魔眼です。直にアレを触りたくはないので、おもに掃除の時などに重宝していますよ」
「いや、今のは……」
単にガンを飛ばしただけではないだろうか?
そう思ったシモンですが、言葉には出せません。なにせ虫や小動物くらいならそれ単体でショック死してしまうような凄まじい殺気。隣で見ていただけのシモンも、本能的な恐怖で思わず身体がすくんでしまったのです。正直、ズボンを濡らさなかったのが奇跡的なほどでした。
「……ということは、姉上もコレができるのか?」
「本人が言っているならそうなんじゃないですか?」
もちろんイリーナにそんなことは不可能ですが、彼らにそれを否定する材料はありません。
後日、ワケも分からずシモンに怯えられたイリーナが涙目になったりしたのですが、彼女がその原因を知ることはついぞありませんでした。