ロイヤル姉弟
「ほう、ここが宿か」
「なかなか良い部屋ですわね」
「うむ、噂通りの豊かな街のようだ」
十人の身なりの良い人々が楽しそうに話をしていました。彼ら彼女らを近すぎず離れすぎずという距離で見守っている護衛や使用人たちの姿から察するに、見た目通りに身分の高い人々のようです。
「ここに来る途中の道に良さそうな酒場が何軒かあったろう。早速街に繰り出そうじゃないか」
「いやいや、この街の食事は美味いと聞く。酒の前にまずは食事にしてだな」
「あらあら、その前にお買物を楽しみたいわ。お友達にお土産を買っていくと約束しているの」
彼らはお祭りの開催に合わせて訪れた観光客でした。同じような観光客は少し前からずいぶん増えていて、本番前だというのに街には活気が溢れています。彼らのような身分の高い他国の者も少なくありません。
「むむ、あれはA国の王家の御一家。以前に彼の国の晩餐会でお会いして以来だな、ちょっとご挨拶をしてこよう」
「あっちはY国のモーブ公爵家の前当主殿か。お孫さんも一緒のようだ」
ちょうど今いるのが迷宮都市でも屈指の高級宿が立ち並ぶ通りとあって、軽く見渡しただけでも各国の王侯貴族が両手の指で数え切れないほどにいます。
いくらお忍びの旅行の最中であっても、そうとなれば挨拶の一つもしないワケにはいきません。こういう場で結んだ縁故から大きな事業や婚姻が決まることもあるので、たかが挨拶とはいえおろそかにはできないのです。
十人もいた彼ら彼女らは、ある者は他国の知人や友人に声をかけに、ある者は食事やショッピングのためにお供を引き連れて街へと繰り出しに行ってしまい、最後に一人の少女がポツンと取り残されました。
まるで喪服のような漆黒のドレスを身に纏い、特に怪我をしているようには見えないのに腕に包帯を巻いて片目を眼帯で覆っている独特のファッションセンスの、栗色の髪の少女です。
「ええと、わ、私は……?」
少女は一人見知らぬ街で置いてけぼりにされてオロオロとうろたえていましたが、
「姫様、弟君にお会いになるのでしょう?」
「あ、そうだった……そうね、もちろん覚えていたわ!」
隣で静かに控えていた侍女の助言で自分の目的を思い出したようです。
少女は天下の往来で大袈裟な決めポーズを取り、それから足早に歩き出しました。
「さあ、行きましょう。シモンが待っているわ!」
「あ、姫様、大使館への道は反対ですよ」
◆◆◆
「シモン、久しぶりね!」
「おお、姉上、息災そうで何よりです」
途中で道を間違えて迷子になりかけ涙目になりながらも、少女は無事にシモンが現在滞在しているG国の大使館まで辿り着きました。
ちなみにお付きの侍女と隠れて彼女を守っている護衛たちは当然正しい道を把握していますが、頼まれない限りはあえて道の間違いを教えたりはしません。何故ならそのほうが面白いからです。奇抜なファッションや趣味に口出ししないのも同じ理由でした。
「イリーナさま、ご無沙汰しております」
「クロードも久しぶりね」
少女、改めイリーナ姫は数ヶ月ぶりに可愛い弟と会えて非常にご機嫌です。手紙のやり取りはよくしていましたが、実際にこうして会うと感慨深いものがあるのでしょう。
「少し大きくなったのではないかしら?」
「うむ……ではなかった、はい! おれは、じゃなく私は毎日剣の鍛錬に励んでおりましたので」
「毎日欠かさずに破壊と混沌を司る邪神にシモンの無事を祈った甲斐があったわ」
「その邪神とおれ……私の成長に因果関係があるとは思いたくないな、のですが」
「あら、公の場ではないし、別に話しやすいように話してくれればいいのよ?」
普段は自然と偉そうな話し方が出てしまうシモンですが、敬愛する家族に対しては自分を良く見せようとするあまり、少々堅苦しい喋り方になってしまうようです。公の場ではそういう使い分けも必要ですが、身内しかいない状況ならば砕けた話し方でも問題はありません。
「できれば『姉上』ではなく、昔みたいに『お姉ちゃん』と呼んで欲しいのだけれど」
「む……それはなんというか、照れるので駄目だ、です。そ、それより父上や母上たちもいらしているのですか?」
シモンは姉を「お姉ちゃん」と呼んでいた頃のことが恥ずかしいのか露骨に話を逸らしました。
「お父さまは来ていないわ、お仕事が忙しいみたいなの。来れたのはお母さまたちが三人と兄弟の中の七人だけよ」
シモンたちの父は五人の妻と二十人の子供がおり、今回来れたのは合計十人だけ。上の兄姉ほど重要な役職に就いていたり、すでにそれぞれの家庭を持っている傾向が高いので、今回旅行に来たのは比較的若く身軽な兄姉ばかりです。
「お父さまったら、シモンに会いにくるために退位するって言って大変だったのよ」
「はっはっは、ご冗談を。父上がそんな無責任なことをするはずがないでしょう」
それに関しては冗談でもなんでもない国の一大事だったのですが、シモンは冗談だと思って軽く流しました。最終的に大臣に泣き付かれた上位の王子たちが協力して、酒瓶で王の頭を殴って気絶させ、意識を取り戻す前に玉座に鎖で拘束することで事なきを得たのですが、危うく国家存亡の危機となるところでした。別の意味での事件性があるように見えるかもしれませんが大事の前の小事、気にしてはいけません。
◆◆◆
「『歌う羊亭』っていう宿に皆で泊まっているから、後で皆に会いに行ってあげるといいわ」
「ふむ、『歌う羊亭』ですね。たしか、あの通りの途中に……はい、分かりました」
シモンにとっては迷宮都市の中はもう自分の庭のようなものです(彼の実家である王城の庭は専属の庭師たち以外には把握しきれないほどに広いので、この例えは適切ではないかもしれませんが)。屋号を聞いただけですぐに場所が分かりました。
「どうせなら今から行きましょうか?」
「それはよしたほうがいいわよ。もう皆遊びに行ってしまったもの。宿には誰も残っていないと思うわ。だから今日は私とお出かけしましょう?」
「ええ、それはかまわ……かまいませんが、どちらに?」
イリーナの脳裏には、この場所へ来るまでに見かけた彼女好みの衣服やアクセサリを扱うお店の数々が浮かびましたが、それらの誘惑を振り払うように言いました。
「魔王よ」
「……というと?」
「この街では魔王がレストランをしているのでしょう? 闇に生きる者としては、是非ともこの眼で見定めなくてはいけないわ!」
シモンが国へ送った手紙には、当然のことながら魔王のレストランについても書かれていました。それを読んだイリーナはずっと気になっていたのです。
「今からだとちょうどオヤツ時ですね。では姉上、早速参るとしましょう」
「ええ! ……頼んだらサインとかもらえるかしら……?」
「ん、何か言いましたか?」
「いえ、なんでもないわ!」
こうして、シモンとイリーナのロイヤル姉弟は揃って魔王のレストランに向かうことになったのです。