アリス先生のお料理教室 番外編【夏バテに効く料理】
「こんばんは!」
「あら、いらっしゃい、久しぶりですね。おや、今日は一人なんですか?」
夕日が地平線の向こうに落ちてからしばらくした頃、魔王のレストランに赤毛の少女が一人でやってきました。人間界の隠れ里に住む吸血鬼の少女アンジェリカです。
以前に何回か訪れた時は同じく吸血鬼の少年エリックと一緒でしたが、今日は珍しく彼女一人だけ。出迎えたアリスもそれに気付いて疑問に思いました。
「はい、エリックは夏バテでずっと寝込んでるんです。実はワタシもちょっと前まで……」
「あらあら」
吸血鬼というのは魔族の中でも強力な種族として知られていますが、その弱点の多さもまた有名です。ニンニクや銀の武器などもそうですが、特に強い日差しを苦手としています。すなわち、日差しが強く日照時間も長い夏場は吸血鬼にとっての鬼門。
吸血鬼としての血が薄いアンジェリカたちならば直射日光に当たっても灰になったりはしませんが、それでも夏場に表を出歩いていたら皮膚が火傷したみたいにヒリヒリと痛みますし、体力も大きく消耗します。
血を吸えば一時的に体力は回復しますが、これがクセモノで吸血によって吸血鬼としての特性が強化される、すなわち弱点まで強くなってしまうのです。例えるなら栄養ドリンクを飲みながら無理矢理疲労を誤魔化して働くようなものなので、どこかで限界を迎えて体調を崩すのは必然。
根本的な体力や魔力が強いので命に関わるようなものではなく重度の夏バテどまりですが、毎年夏の終わりまでには村の半数がダウンしています。
多くの作業は夜のうちにしていますが、農作業や家畜の世話などは日の出ている時間に行わないといけないものもあるので、つらいからといって夏の間ずっと休んでいるワケにはいきません。
強力な力を持つ年配の(外見は年齢不相応の若者だったりしますが)吸血鬼たちは本当に死んでしまう可能性があるので昼の作業は夏に限らず一年中できませんし、自然と昼間の作業はアンジェリカたちやその親世代くらいの比較的若い世代が担当することになります。
身体をすっぽり覆うような日除けの服、非常に暑苦しいソレを着込んで炎天下で畑や家畜の世話をしていたのですから、夏バテも無理のないことでしょう。
「それは大変でしたね」
「はい、大変でした……」
アリス自身は吸血鬼ではありませんが、アンジェリカたちの苦労はよく理解できました。魔界在住の吸血鬼たちも夏は長期休暇を取ったり、夜間だけ働いていたりと弱点と上手く付き合うための工夫をしています。
吸血鬼に限らず、雪女や雪男、氷鬼などの種族の者は同じく夏を苦手としていますので、彼らが一族揃って雪山までバカンスに行ったりするのは魔界では恒例の光景になっています。
逆に冬は寒さが苦手な者たちの休暇シーズンとなっているので、ちゃんと住み分けができています。魔王軍では種族特性を理由とする休暇申請は優先して受理することになっているので、組織の副社長か社長秘書的なポジションにいるアリスにはお馴染みの理由なのです。
魔界であれば数多の種族がそれぞれの苦手を補いながら活動できますが、単一の種族しかいない人間界の隠れ里ではそうもいかず、身体に無理をさせてでも根性で頑張るしかなかったのでしょう。
◆◆◆
「そういえば、リサさんから聞きましたが。貴方たちもこの店で働きたいとか?」
「あ、それなんですけど……」
アンジェリカは残念そうに続く言葉を口にしました。
「十五歳になるまではダメだって、お父さんとお母さんが。エリックの家のおじさんとおばさんも」
「そうですか、残念ですが仕方ありませんね」
どうやら以前リサと話していたアルバイトの件は、保護者に却下されてしまったようです。こうして時折遊びにくるだけならばともかく、働くとなれば村から毎日のように通うのは難しい距離ですし、まだ十三歳になったばかりのアンジェリカを他所に働きに出すというのは彼女の両親としては色々と不安なのでしょう。もしかしたら、勤め先が魔王のお店だからということもあるかもしれません。
距離に関してはエルフの村のように転移陣を敷けば解決するかもしれませんが、それを敷設する許可を吸血鬼の里の大人たちから勝ち取れるかはまた別問題(エルフの村の時はタイムが村の長老衆を口八丁で丸め込んでちゃんと許可を得ているのです)。
アリスの立場としては保護者の同意もなしに未成年を雇う強い理由もないので、自分から転移魔法陣について言うつもりはありませんでした。
「まあ、お金儲けなら今すぐでなくともいいでしょう」
「お金もそうなんですけど……ここで働けば、魔王さまみたいなお料理ができるようになるかも、って思って」
「へえ、あなたも?」
「も?」
「いえ、こちらの話です。もしかして、料理が流行ってるんでしょうかね?」
ここ最近、何故か流れで料理の先生をやっているアリスはそんな感想を持ちました。もちろん実際にはただの偶然なのですが。
「ふむ、それならばこういうのはどうでしょう?」
仕事として雇うのは無理でも、お店が空いている時間に料理を教えることはできます。現在の生徒はメイだけですが、面倒を見ようと思えばもう何人かくらいは見られるでしょう。
「はいっ、それでいいです! お願いします!」
アリスの提案にアンジェリカは一も二も無く飛びつきました。
◆◆◆
「せっかくですから、今から何か作ってみましょうか?」
「え、今からですか!?」
「最初は簡単なものから始めますから、そう身構えなくても大丈夫ですよ」
もう夜も遅く、店内のお客も減ってきました。
残っているのは勝手知ったる常連ばかりですし、少しくらいアリスが厨房に引っ込んでも大丈夫でしょう。
「それで、どんな料理を作りたいか希望はありますか?」
「ええっと、夏バテに効く料理を……あっ、べ、別にエリックは関係なくて、ワタシのお父さんがまだ夏バテ気味なんですよっ」
エリック本人がいない状況でも勝手にツンデれているアンジェリカです。顔を赤くして本心を誤魔化そうとしていますが、さいわい相手がアリスだったので言葉通りに父親に作るために覚えたいのだと解釈しました。
「そうですね、夏バテに……あなたの村で作っている作物は今の時期は何がありますか?」
「え? ええと、キュウリにカボチャにピーマンにトマトに大豆に……」
アンジェリカは村の畑の様子を思い出し、指折り数えながら農作物の名前を挙げていきました。
「村で鶏は飼っていますよね?」
一通りの作物の名前が出た後で鶏の有無を確認し、
「では、簡単で美味しくて夏バテに効くアレでいきましょう」
アリスは今回アンジェリカに教える料理を決めました。
◆◆◆
翌日、まだ夜明け前の早朝。
迷宮都市から大急ぎで村に戻ってきたアンジェリカが、今度はお皿の乗ったお盆を持ってエリックの家を訪れていました。皿の上の料理はつい数時間前に覚え、それを改めて自宅で作ってきたばかりのものです。
「エリック、具合はどう?」
「あまり食欲がなくて……それは?」
「アリスさまに教わって、これならエリックも食べられるかもって作ってきたんだけど……あ、そ、そうじゃなくて、ワタシのお父さんに作って余ったから持ってきてあげたのよっ」
「えっと、ありがとう? え、アンジェリカが作ったの!?」
エリックは何故か顔を赤くしているアンジェリカからお盆を受け取り、その料理に視線を移しました。
「なんだか変わった料理だね」
「ちゃんと味見はしたし、お父さんは美味しいって言っていたから不味くはないと思うんだけど……」
料理の試食をしたアンジェリカの父は、娘の初めての手料理とあって感涙に咽びながら食べていました。そのままの勢いでエリックの分まで手を付けようとしたので、妻と娘からボディに痛烈な打撃を喰らって、今はまだ家の床に転がっているはずです。
それはさておき、アンジェリカはエリックの様子をドキドキと緊張しながら凝視していました。エリックとしては睨みつけられているようで少々居心地が悪いのですが、それは割といつものことなので気にせずフォークで料理を口に運びました。
「…………!」
「ど、どうかしら? あ、口に合わなかったら残していいから……」
いつもの気の強さからは想像できない、まるで別人のようにしおらしい態度でエリックの反応をうかがうアンジェリカ。一口食べたところでエリックが無言になったこともあり、不安そうに彼の顔と皿を交互に見ています。
ですが、その心配は杞憂でした。
「美味しい! 美味しいよ、トマトと卵って合うんだね」
「そうなの、ワタシも最初は驚いたんだけどね」
アリスがアンジェリカに教えたのは、トマトと卵の炒め物。
肉が入っていないので胃腸が弱っていても食べやすいですし、不足しがちなビタミンやたんぱく質を補いやすいので夏バテにはもってこいです。
切って炒めるだけなので初心者でも何度か練習するだけで簡単に作れるようになります。他の具材が入ったり、何種類もの調味料を使う高度なレシピもありますが、今回は村にある食材だけで作れるシンプルなものなので問題ありません。
火を通したトマトは酸味が柔らかくなり甘くて食べやすいですし、卵のトロリとした口当たりのおかげで食欲がない時でもスルスルと胃に落ちていきます。
普段よりも幾分やつれ青褪めて見えたエリックですが、食べ進めるにつれて頬に赤みが差し、体力と気力が戻ってきたようです。
「ああ、美味しかった。なんだか元気が出てきたよ!」
「そ、そう? それは良かったわね……ふふ」
「ありがとう、アンジェリカ」
「どういたしまして、エリック。じゃあ、ワタシは家に帰るわね」
もうすぐ夜明け。
迷宮都市まで行って戻って料理までしてと、一晩中忙しく動き回っていたアンジェリカは眠そうにまぶたをこすっています。ですが、そんなに疲れているのにとても楽しそうです。
「ふふ、アリスさまにお礼を言わなきゃ。今度はどんな料理を教えてもらおうかしら?」
どんどん生徒が増えていく予感がします