黒くて甘くて、真っ黒で
まず目に飛び込んできたのは鮮烈な白。
遥か北の地にそびえる山々を彷彿とさせる、冷たくも雄大な白き山。
その隣に並び立つは、母なる大地が育んだ黒。
黒という色は、ともすれば暗く重苦しい印象を感じさせることもあるが、この場合は例外である。どこまでも優しく、そして柔らかく、人々の心を甘く蕩かせる。
大いなる白と黒の山々の谷間を流れるのは大河。
川底に沈む、どこまでも透き通った水晶と、隠された宝を覆い隠さんとするトロリとした黒き流れ。
あるいは、これらの山河だけでも一種完成した芸術。
完成品とすることもできたであろう。
しかし、創造主は自らに妥協を許さなかった。一歩間違えれば全ての歯車を狂わせるかもしれない危険を冒してでも、この世界を更に飾り立てようとしたのだ。
山裾には赤みがかった黒真珠が、純白の宝玉が、薄桃色の絨毯が、そして黄金が、絶妙の距離感、バランス感覚を頼りに置かれる。
最後に白き山の頂上に瑞々しい紅玉が飾られ、ようやくこの世界は完成した。
だが、形ある物はいずれ滅びるが定め。
完成して間もないこの世界は、無粋な鉄器によって無残にも破壊され、蹂躙され、原型も残さずに消え去る運命なのだ。
◆◆◆
「ふふ、美味しいですね、このクリームあんみつ」
目の前のテーブルに鎮座するクリームあんみつを、この日はアルバイトをお休みしているリサが上機嫌で突いていました。
この日はお昼過ぎまで実家の洋食屋『洋食の一ツ橋』のシフトに入っていたのですが、お昼の混雑が落ち着いたところで抜けて、異世界の魔王のレストランまでオヤツ休憩に来たのです。
器の中央にこんもりと盛られたバニラアイスと小豆餡の山。
トロトロの黒蜜と、ツヤツヤと光り輝く寒天。
わずかに塩気を感じる赤えんどう豆。
モチモチの食感が嬉しい白玉と求肥。
黄桃を食べやすい大きさに切ったものと、アイスの上に乗ったサクランボも相性抜群です。
「うちのお祖父ちゃんは『クリーム入りは邪道だ』なんて言うんですよ、こんなに美味しいのに」
「あら、そうなんですか?」
「わたしの従姉妹の子はシンプルな豆かんが好きだって言ってましたね。わたしは具がいっぱいあるほうが美味しいと思うんですけどね」
「まあ、そのあたりは個人の好みですからね」
リサのお喋りに付き合っているアリスも、今は客波が引いてまったりモードです。最近は色々と忙しいことも多かったので、二人とも久々にゆっくりできる時間を満喫していました。
「そういえば、この間気付いたんですけど、あんこ系にコーヒーって結構合うんですよ」
「なるほど、だから今日はホットコーヒーなんですか」
いくらか涼しくなってきっとはいえ、まだ残暑の厳しいこの時期。
アイスコーヒーならまだしもホットを注文するお客はほとんどいません。アリスはリサの言葉を聞いて、その変わった注文に得心がいったようです。
「ああ、幸せ……わたし、白玉って大好きなんですよ」
モチモチぷにぷにとした魅惑の白玉。
その二つしかない内の片方にスプーンで丁寧に黒蜜を絡め、あんこと一緒に口に運ぶリサの表情は幸福に緩みきっています。元とはいえ勇者という勇ましい肩書きの持ち主とは思えぬ姿です。
「冷やした小豆と白玉で冷やしぜんざいもいいですよね」
「あ、美味しそうですね、それ。メニューに加えてみましょうか?」
この店のメニューの決定は、大体が従業員の気紛れに委ねられています。気になったメニューをお試しで限定的に入れてみて、反応が良かったらレギュラー入りするといった具合です。
冷やしぜんざいであれば新たな材料の仕入れも必要なく、今ある食材の組み合わせでできるので、早ければ今日の夜にはメニューに載っているかもしれません。
「試食はまかせてください」
「あまり食べると夕飯が入らなくなりますよ」
リサはまだまだオヤツを食べ足りないようです。
いつもこんな調子で色々食べてしまうせいで、毎夜体重計を苦々しい表情で眺める羽目になるのは本人も重々承知してはいるのですが、こればかりは如何ともしがたいようです。
◆◆◆
「おやアリスさま、リサさま、お取り込み中でしたか」
「どうしたんですか、コスモスさん?」
リサがクリームあんみつの、最後に取っておいた二つ目の白玉を食べ終えたところで、何やら書類のような物を持ったコスモスがレストランにやってきました。外はまだまだ暑いのか、コスモスの額には薄らと汗が浮かび、前髪が張り付いていました。
普段の仕事に加えて、運営委員長としての業務をこなすべく忙しく動き回っているのだということはリサも一目見てはっきりと分かりました。口には出しませんが、のんびりとオヤツを食べながらくつろいでいる自分に後ろめたさを覚えたほどです。
「お仕事中ですか、ご苦労さまです」
「いえいえ、この程度軽いものです」
ここ最近、コスモスのエキセントリックな言動が減ってきて真面目に仕事をしているということは、リサもアリスから聞いて知っていました。
実際、地上の街では大勢のホムンクルスたちが忙しく走り回っている姿をリサ自身も何度も見ていますし、彼らを統括する立場のコスモスの多忙さは察するに余りありました。
「魔王さんかアリスちゃんにご用ならわたしは外しますけど」
「いえ、リサさまもご一緒にこちらの書類をご覧ください」
「なんですか、これ?」
コスモスが持っていた何枚かの書類を、リサの座っていたテーブルに広げました。
「「……『本戦出場証明書』?」」
「ええ、おめでとうございます」
アリスとリサの疑問の声が綺麗にハモりました。
「あの、わたしたち、まだ予選に参加すらしてないんですけど?」
お祭りの目玉イベントとしての各種大会。
それらの中の一つである演芸大会にエントリーしている彼女たちは、仕事や学業の合間を縫って練習をしており、来るべき予選に備えていました。
一応プロであるフレイヤはともかく、素人の二人は極端に下手ではないけれど特別上手くもないといったレベルの歌唱力で、客観的に実力を評価するなら大勢のプロが参加する大会の予選通過すら危なかったでしょう。
しかし、その予選に参加すらすることなく本戦への出場決定とはこれは如何に?
「それがですね」
頭の上にクエッションマークが浮かぶアリスとリサの二人に、コスモスが説明したのは以下のような理由でした。
バトルロイヤル形式の闘技大会とは違い、演芸及び料理大会はランダムに八組ごとの組み合わせを作ってミニトーナメントを行うという予選形式でありました。競技の性質上、判定が評価者の主観に委ねられる部分が多いための措置であります。
そこまではアリスたちも、また他の参加者たちにも告知されていたことです。
しかし、大会には単なる冷やかしが目的で参加申し込みをした選手も少なからず、運営本部の想定以上にいたのです。出場のためにお金はかからず、街頭各所に置いてある用紙に名前を書くだけで気軽に参加できるようにした弊害でしょう。
中にはお酒に酔った勢いで申し込み用紙に記入したり、かろうじて自分の名前だけ書ける幼児が意味も分からないで書いた物もありました。
そうなってくると、後から出場を辞退したり、保護者に辞退させられたり、そもそも自分が申し込んだことを忘れていたりといったケースも出てきます。
そういった事例が明らかになったのはごく最近、予選のミニトーナメントの組み合わせの抽選が終わったところでした。
そして驚くべきことにアリスたちのチームを除く七組全てが予選を辞退、もしくは申し込み無効となり不戦勝での本戦進出が決まった、というのがコスモスの説明でした。
「組み合わせのやり直しも検討しましたが、なにぶん時間がないのもので。私の独断でこういう形にさせていただきました」
「そう、なんですか?」
「じゃあ、仕方ない……ですね?」
どこか釈然としないものを感じながらも、コスモスの多忙さを知っている二人は深く追求することができません。基本的に彼女たちはお人好しな性格をしているのです。それに損得で言えば、この話はアリスたちにとって得でしかないのです。
「それでは用件は以上となります。この度は私の不手際でご迷惑をおかけしました。ああ、お手数ですがフレイヤさまにもこの件をお伝えください」
「あ、はい。頑張ってくださいね」
「コスモス、あまり無理をしてはいけませんよ」
アリスとリサは困惑を隠し切れない様子でしたが、コスモスはそれに構わず足早に立ち去って行きました。
◆◆◆
コスモスは店外に出るとすぐにハンカチで汗、ではなく霧吹きで身体に吹き付けておいた水を拭いました。本当に汗をかいているように見せかけ、実際以上の多忙さを装って追求しづらい空気を作るための小道具なので、もう必要ないのです。
実際の業務においては、最高責任者であるコスモスは魔法の冷房が効いた部屋で飲み物を飲みながら書類仕事をメインにこなしているので、わざわざ汗をかいて表を走り回ったりするはずもありません。部下のホムンクルスたちを時折アリスやリサの前でこれ見よがしに走らせているのも、実情以上に仕事が大変なのだと思わせるための演出の一環でありました。
「やれやれ、偶然とは恐ろしいものですね、ふふ」
今回の「偶然」は、当然のことながらコスモスが職権を濫用して意図して作った「偶然」なのですが、この時点ではアリスたちが気付けるはずもありません。
ですが、この程度はまだコスモスの企みの序の口も序の口。
彼女の真の恐ろしさというか真っ黒さが発揮されるのは、まだこれからが本番でした。
リサの話にちょっと出た従姉妹とは拙作『異世界の魔法使いは脳筋しかいませんでした』の主人公であるリコの事です。直接こちらに登場する事はないと思いますが、あちらもよろしくお願いします(ダイマ)





