祭りの夜(前編)
たん、たん、たたたん。
ととん、とん、とん。
太鼓の音が境内の空気を震わせる。
祭囃子を奏でる笛の音。
屋台を冷やかす人々の喧騒。
いつもは静かな神社も、祭りと正月だけは大いに賑わう。
老いも若きも、男も女も、皆が盛大に騒ぎ出す。
あまりに人が多いので、まっすぐ歩くにも難儀するほど。
そんなに大勢いるものだから、ヒトならぬナニカが紛れていてもわかりはしない。
そもそもが、神を奉るからこその祭りである。
信仰は失われ、神秘は損なわれ、今や無いとされている。
だけれど、今宵は神の日、祭りの日。
祭囃子に誘われて、いないはずのナニカが、気紛れに顔を出すこともあるやもしれぬ。
◆◆◆
「どうでしょう、おかしくないですか?」
「バッチリです! すごく可愛いですよ!」
リサは、浴衣の着付けを終えたアリスちゃんの姿を見て歓声を上げました。長い髪を牡丹の飾りが付いた簪でまとめていて、一部の隙もない、いつにも増した美少女ぶりです。髪色と顔立ちからくる洋風の印象と、和風の衣装のオリエンタルな雰囲気が合わさって最強に見えます。
「わたしの着付けまで手伝ってもらっちゃって、ありがとうございます。それにしても、着付けなんてどこで覚えたんです?」
「説明書を読んだんです。この浴衣を買ったお店で着方を書いた冊子を頂きまして」
わたしも近くのデパートでつい最近新しい浴衣を買ったのですが、一人では上手く着られないので、アリスちゃんに手伝ってもらいました。以前に旅行で日本全国を回った際に京都のお店で浴衣を買って、着付けまで習得していたそうです。
わたしたちは現在、日本にあるわたしの自宅にいます。近所の神社で夏祭りをやるので、アリスちゃんと魔王さんを誘ってみたのです。そんな理由で、わたしの部屋でアリスちゃんと一緒に浴衣に着替えていたのでした。
流石に、魔王さんは一緒に着替えるというワケにはいかないので、今は一階のお店のほうで待っていてもらっています。
ちなみに、わたしの家族には、詳しい素性は隠してお友達として二人を紹介してあります。アリスちゃんの日本人離れした見た目のおかげか、どうやら二人を海外からの留学生か何かだと都合よく勘違いしてくれたみたいです。本当のことを話すわけにはいかないので、このまま誤解したままでいてもらいましょう。
ところで、魔王さんと挨拶をしたお父さんの顔がひきつっていましたけれど、なんででしょう?
まさか、異世界の魔王だなんてバレたはずはありませんし、不思議ですね。
「魔王さま、お待たせしました」
「うん、じゃあ行こうか」
無事に着替えを終えてアリスちゃんと一緒に一階に下り、魔王さんと合流しました。魔王さんは、お父さんがサービスだと言って出したという、何故か大ジョッキ入りのエスプレッソの残りを一息に飲み干しました。
「コーヒー、ごちそうさまでした。美味しかったです」
「それじゃあ、行きましょうか。すぐ近くの神社が会場ですから」
魔王さんがコーヒーのお礼を笑顔で言うと、お父さんの顔の引きつり度が増しました。先程からのおかしな様子が少し気になりましたが、奥から出てきたお母さんが「気にする必要ないから、楽しんでらっしゃい」と言ってくれたので、疑問はひとまず忘れてお祭りを楽しんでこようと思います。
◆◆◆
目的の神社があるのは、家から歩いて十分もしないくらいの近所。
普段はあまり人がいない寂れた様子なのですが、夏のお祭りの時とお正月の初詣の時は、人で溢れてまっすぐ進むのも難しいほどです。
「このソースの香りがたまりませんねぇ」
お祭りグルメの王道、タコヤキにお好み焼きにソースやきそばという面々が凶悪なまでの匂いを発していました。もちろんソース系以外にも定番のわた飴やりんご飴、チョコバナナ、クレープ、鈴カステラ、焼き鳥、牛串などなどの充実したラインナップが揃っています。味を想像するだけで、なんだか頬が緩んでしまいそうです。
「食べ物以外はないんですか?」
アリスちゃんが、わたしのだらしなく緩んだ表情を見て苦笑しながら聞いてきました。おっと、ついつい食欲が暴走しそうになってしまったようです。
「あれはなんだろう?」
魔王さんの視線の先にあったのは、昔懐かしい型抜きの屋台です。
爪楊枝や画鋲を使って、澱粉や砂糖で出来た型をミゾに沿って削っていき、上手に型を抜くことができたら難易度に応じた賞金や賞品が出るというゲームですね。
わたしの説明を聞いた魔王さんとアリスちゃんは、早速屋台のおじさんにお金を払って挑戦しましたが、
「こんな感じかな……あ」
「慎重に行けば……あら」
もちろん、初心者が簡単に稼げるほど型抜き道は甘くありません。わたしも小学生の頃に、貴重なお小遣いと引き換えにその教訓を学んだものです。最終的には五年生の時に、型抜きとヒモくじに関しては手を出すべきではないという悟りを得ました。懐かしいものです。
「あら、素敵な細工ですね」
「風鈴ですか、綺麗ですね」
型抜きの次は風鈴を売っている屋台にアリスちゃんが目を留めました。
色とりどりの風鈴は、お祭りの熱気の中にありながら、音も見た目も涼やかです。この感覚が風流というものなのでしょうね。
「お土産に買っていきましょうか」
「荷物になるから後でもう一回来たほうがいいですよ」
お祭りで考えなしに色々買い込むと、慣れない浴衣と合わさって、移動するのが大変になるのです。良さそうな物の目星を付けておいて、帰り際に一気に買うほうが合理的でしょう。
「なるほど、勉強になります。……あら、あのカラーひよこというのは?」
「あれはですね……」
生き物系のゲームは迂闊に取ると後が大変です。
せっかく取ってもすぐに死んでしまったり、逆に手に負えないくらいに成長したり繁殖したりする可能性を理解した上でなければオススメできません。
「ふむふむ、参考になりますね、魔王さま……魔王さま?」
「あれ、魔王さん?」
アリスちゃんに金魚すくいの際の手首の使い方について熱弁していたら、いつの間にか魔王さんの姿が消えていました。どうやら話に夢中になるあまりはぐれてしまったようです。
「ど、どうしましょう……! 魔王さまが迷子です!?」
「その言い方はどうかと思いますよ?」
迷子になったのは魔王さんか?
それとも、わたしたちか?
どっちにせよ不名誉には違いないですし、早く探さないといけません。とはいえ、この混雑ですから普通に探していては効率が悪すぎます。そこで手っ取り早く、普通ではない手段に頼ることにしました。
「む、リサさん。あちらから魔王さまの匂いが!」
「アリスちゃん、あっちから魔王さんの気配が!」
数秒の精神集中の後、わたしたちは同時に同じ方向を指差しました。アリスちゃんの探索手段に関してはノーコメントです。
「神社の本殿の方みたいですね」
「この建物の裏にいるみたいですよ」
多くの人で賑わっている神社の境内から離れた本殿。その更に裏側に魔王さんはいるようです。そんな人気のないところで何をしているのでしょう?
建物の裏手にぐるっと回り込むと、幸いすぐに魔王さんを見つけることができました。魔王さんは、誰かと話をしている様子。
話し相手は、どうやら浴衣を着た女の子のようです。白い狐のお面を付けているので顔は見えませんが、体格からすると年の頃は五歳くらい。黒い髪を肩のあたりでおかっぱにしています。お祭りに来た近所の子でしょうか?
「魔王さま、ここにいましたか! 」
「ああ、ごめんごめん。探させちゃったかな」
魔王さんとは無事に合流できました。残りの時間を人探しに費やさずに済んで一安心、と言いたいところなのですが、
「魔王さん、その子は?」
もしも迷子ならご両親が探しているはず。屋台の並んでいる辺りに、お祭りの運営本部のテントがありましたし、連れて行けば迷子のアナウンスをしてもらえるはずです。
そんな風に考えていたのですが、その子はどうやら迷子ではなかったようです。当のその子本人が口を開いて言いました。
『わしゃぁ、迷子じゃあないよぅ、黒い髪のおねいちゃん』
声音は年相応に幼いのに、妙に老成した印象を受けました。そのせいか、一瞬、目の前の子が喋ったのだとは分からなかったほどです。
『ここん社は、わしの家みたいなもんだから、心配はいらないよぅ』
つまり……この子はここの神社の神主さんの子供ということでしょうか?
だとするならこの神社の敷地内は自宅の一部ということですし、迷ったりはしないでしょう。どうやら、本人が言う通り迷子ではなさそうです。
くぅ。
迷子ではなかったことに安心したわたしの耳に、そんな可愛らしいお腹の音が聞こえてきました。
「そうそう、この子が屋台の料理を食べてみたいって言っててね」
『こん時代のかねはもってなくてなぁ。供え物はいっつも餅だの果物だのばかりでとうに飽きとるし、たまには珍しいもんを食いとぉてのう。それで、このおにいちゃんにおねがいしとったんだよぅ』
なんだか、時代がかったような、おかしな話しかたをする子です。このくらいの年齢の子の流行はよく知りませんが、アニメか何かの真似でしょうか?
古めかしい喋りかたのせいで理解に少し時間がかかりましたが、要は、お金がないけど屋台の料理を食べたいから魔王さんにおねだりしていた、ということのようです。
「どうせ色々食べるつもりでしたし、それなら一緒に食べましょうか」
「そうですね、この子一人増えたくらいなら大して負担にもならないでしょうし」
『ありがとぉなあ、おねいちゃんたち。ここん社ん中なら人も来んし、すわってゆっくり食えるけぇ、いっしょに食べようやぁ』
そういえば、わたしもそろそろ小腹が空いてきました。魔王さんとアリスちゃんも、同じように空腹を覚え始めた頃合のようです。
しかし、神社の子に勧められたとはいえ、神社の本殿の中で飲食していいのかはちょっと不安です。ですが、ベンチはどうせ空いていないでしょうし、立ち食いをしてせっかくの浴衣に料理のタレでも飛んだら困ります。座ってゆっくり食べられるというのは魅力的な提案に思えました。
この子が他の人は来ないと断言していますし、ゴミや汚れを残さないように気を付ければ大丈夫でしょう。
普通の状態だったならば、五歳かそこらの子が言うことを真に受けて、神社の中で飲食をしようなどとは思わなかったかもしれません。ですが、この時のわたしは、不思議と自分の判断に違和感を覚えることがありませんでした。
『あのりんご飴っていう、あかぁいやつをな、前からいっぺん食ってみたかったんじゃ』
無邪気にメニューの希望を述べるその子に、何か言葉に出来ない違和感を覚えつつ、わたしたちは屋台の並んでいる方へと料理の買い出しに向かいました。