アリス先生のお料理教室・入門編
ある日の朝、常連のメイさんが珍しく一人でお店にやってきました。まだ他のお客さんが誰もいないような早い時間です。いつもはお仲間のアランさん達と一緒に来る事が多いのですが、今日は他のお三方はいないようです。
珍しいとはいっても特に問題があるわけでもなし、私はいつもと同じように席に案内しようと思ったのですが、その前にメイさんが、何故かもじもじと照れながら私に頼み事をしてきたのです。いつもと同じようなのんびりとした口調なのですが、今日は不思議と雰囲気が硬いように感じられます。
「料理を教えて欲しい、ですか?」
「はい~、実はですね~」
なんでも、今度の武術大会にアランさんとダンさんが出場するので、最近猛特訓をしているのだとか。それで応援のために手料理を作って差し入れをしたいと思ったのだそうです。
これは余談になりますが、武術、料理、演芸の三大会の賞品が『どんな願いでも一つだけ叶える権利』だという事を発表すると大きな反響が起こりました。各大会の出場希望者は瞬く間に膨れ上がり、その勢いはとどまるところを知りません。
勿論、どの分野にしても簡単に優勝を狙うことはできないでしょうが、トーナメントの組み合わせで強者同士が早々に潰しあうような展開になれば、実力で劣っていても運次第で勝機があると見た人が少なくないのでしょう。
話を本題に戻しましょう。
「それで、どうして手料理なんですか? 別に出来合いの物を買って差し入れてもいいのでは?」
「それが~……その~……」
にわか仕込みの料理よりは、店売りの物を買った方が簡単で美味しいと思うのですが、メイさんには何か手料理にこだわる理由でもあるのでしょうか?
「その~……アリスさんは魔王さんに食べてもらうなら、自分で作った料理とどこかで買ってきた物ならどっちが嬉しいですか~?」
質問の意図はよく分かりませんが、それはもちろん私が自分で作った方を食べてもらったほうが嬉しいですね。普段の食事でも、魔王さまが作ったほうが味は良いのですが、私の作った物を褒めてもらった時など、このまま死んでも悔いはない程に嬉しい気持ちになります。
「ええと、その~……多分それと同じような気持ちでして~、あの、アランが家庭的な子がタイプだってダンと話してたのを聞いて……喜んでもらえたらな~って……」
余程照れているのか、言い終わった時にはメイさんの白い頬は真っ赤に染まっていました。要するに今の話をまとめると……、
「なるほど、つまりメイさんはアランさんが好きなんですね!」
「大声で言わないでください~!?」
おっと、失敬。
フロアに他の人がいたら危ないところでした。
「その~……ちょっと前に二人で買出しに出た時にさりげなく重い物を持ってくれたり、何も言わずに歩く速さをわたしに合わせてくれたり。思い返してみると、昔からそんな風だったのに今更ながらに気付きまして~……それに最近なんだか顔が大人っぽく引き締まってきた感じがして……他にも色々ありますけど、それで、なんだかいいな~、って」
「ほう、アランさんなかなかやりますねぇ」
彼らのことはレストランのお客さんとして以外の面はあまり知らないのですが、話を聞く限りではアランさんは(無論、魔王さまほどではないにせよ)なかなかの好青年のようです。
「でも、わたしって子供っぽい体型ですし、そもそも家庭的でもないですし~……」
「分かります、その悩みはとてもよく分かります」
もうちょっと育ってくれないものかと日頃から努力はしているのですが、まったく成果が出ていません。これはもう世界のほうが間違っているに違いありません。私は同じ悩みを持つ同志を見つけて、かつてない種類の心強さを覚えました。ちなみに、リサさんは良い友人ですが、体型の仕様上この悩みは共有できないので同志にはなれません。
「それで体型は仕方ないにしても、まだどうにか出来る余地があるほうを改善しようかと~」
「それで料理の特訓をしようということですか。はい、分かりました協力します」
「本当ですか~!」
「はい、一緒に頑張りましょう!」
「はい~!」
私はメイさんとがしっと握手をして協力を約束しました。
私も演芸大会に向けて慣れない歌や踊りを営業時間外に練習しているので、時間が惜しい気持ちはありますが、同じ恋する乙女としては放っておけません。それに、似た境遇の相手を手助けすることで、私が魔王さまを攻略するためのヒントを得られるかもしれませんし。
◆◆◆
そういえば、今になって気付きましたが、さっきの私と魔王さまの例えを出してきたということは……、
「あの、つかぬことを伺いますが、私が魔王さまを、その…………好き…………なのに気付いてました?」
「むしろ、隠してるつもりだったことに驚きました~」
「なっ……!?」
以前にリサさんにも指摘されましたが、私ってもしかして気持ちを隠すのが下手なんでしょうか。肝心の魔王さま以外の人には当たり前のように見透かされてる気がします。それなのに、どうして魔王さまは気付いてくれないのでしょう?
◆◆◆
「では、まずは簡単なところからいきましょう」
「はい、先生~」
まだ他のお客さんが来る気配がないので、早速教えにかかります。限られた時間を無駄にはできません。ちなみにメイさんにはよく手を洗った上で、私の予備のエプロンを貸して付けてもらいました。調理場は清潔に保たないといけませんからね。
「じゃあ、僕はフロアのほうにいるからね」
「はい、よろしくお願いします」
「わざわざすいません~」
魔王さまには肝心の動機の部分は伝えずに、メイさんの料理の特訓で厨房を使わせて欲しいとお願いしました。お店が混んでくるお昼前までには終わらせるとしましょう。
「今日は、そうですね、サンドイッチでも作りますか」
「お~、いいですね~」
基本的には具材を用意してパンに挟むだけですが、単純そうでいながら意外なほどに奥が深いですし、色々と応用も利きます。携帯性にも優れているので、屋外で食事をすることが多い冒険者の方には向いているメニューでしょう。
「では、まずは具材を用意します。アランさんの好物ってなんでしょう?」
「そうですね~、なんでもよく食べますけど、やっぱりお肉でしょうか~?」
食べ盛りの男性だとやっぱりお肉ですか。
更に言うなら、野菜主体のあっさり系より、食べ応えのあるガッツリ系のほうが喜んでもらえそうですね。
「そうですね、お肉系のサンドイッチで食べ応えのある物だと……カツサンドとかローストビーフサンド、照り焼きチキンのサンドイッチもいいですね」
「どれも美味しいですよね~」
「ハンバーガーなんかもサンドイッチの一種ですし、いいかもしれませんね」
「いいですね~」
どれも人気を博しているメニューですし、食べ応えも充分です。美味しく作れれば、きっと喜んでもらえるでしょう。ですが……、
「ところでメイさん、お料理の経験は?」
「……買ってきた食材に火を通せば、とりあえず食べられる物にはなりますので~……」
味はともかく一応食べられる物にはなる、程度のレベルのようですね。そもそも考えてみたら、料理に自信があったら人から教わろうとは思わないですか。だとすると、先述のサンドイッチの具になるトンカツやローストビーフなんかはまだ難しいかもしれませんね。
「では、今日はメイさんでも簡単に美味しくできるサンドイッチにしましょう」
「そんなのがあるんですか~?」
最初から難しい物に挑戦するのは失敗のもとですし、今回は初心者でも簡単に出来て美味しいサンドイッチにしましょう。
まず用意するのはベーコンです。
ちょうどスライス済みの物があったので今回はそのまま利用します。
「これをフライパンでカリカリになるまで焼いてください」
「油は引かなくていいんですか~?」
「ええ、ベーコンから出る脂だけで充分です」
ベーコンを熱すると大量の脂が出てくるので、そのまま加熱すると揚げ焼きのような状態になります。あとは焦げ付かないように注意しながらカリカリになるまで焼けば一段落です。
メイさんには菜箸は使いにくそうだったので、金属のトングを貸してフライパンからベーコンを引き上げて別皿に移動してもらいました。
「このまま食べても美味しそうですね~」
「さっきの焼いてる途中の段階で卵を落とせばそのままベーコンエッグにもできますし、このまま細かく切ってサラダの上にトッピングとして乗せてもいいですね」
失敗しようがないほど簡単な割に応用が利きやすいので、カリカリベーコンは覚えておいて損はないですね。
さて、では次の材料に移りましょう。
「今度は水にさらしておいたレタスの水気を切ってから適当な大きさに千切ります」
「はい~」
ここは失敗する要素がないですね。
「次はトマトの薄切りです。指を切らないように注意してください」
「はい~、このくらいの厚さでいいですか~?」
「ええ、その調子です」
心配していましたが、思ったよりも手際がいいようです。
料理の経験はともかく刃物の扱いは堂に入っているように見えますね。
「狩った獲物の皮を剥いだり解体したりしますので~」
「なるほど」
料理で包丁を使うことは少なくても、刃物自体には慣れている様子。この調子ならば、それほど心配することはなさそうです。
「パンの種類はなんにしましょうか?」
「そうですね~」
本格的に教えるのであればパン自体の焼き方から始めるべきかもしれませんが、今回は省略してあり物を使うことにします。
現在厨房には、食パン、コッペパン、バゲット、ライ麦パン、米粉パンなどが置いてあります。私が選んでもいいのですが、ここまでくれば何を選んでもそれなり以上には美味しくなりますし、どうせならメイさんに自分で選んでもらったほうが想いがこもるというものでしょう。
「これにします~」
「バゲットですね、ではそれでいきましょう。横から刃を入れて上下に割ってください」
歯ごたえが強い分食べ応えがありますし、悪くない選択でしょう。波型の刃が付いたパン切り包丁で二つに切り分ければ、完成はもう目の前です。
「あとはバゲットにマヨネーズと、辛いのが好きならマスタードも塗っていきます。それでさっきのベーコンと野菜を挟めば出来上がりですよ」
「え、これだけですか~?」
「はい、これで終わりです」
もうお分かりでしょうが、今回私が選んだのはBLTサンドです。失敗する要素はほとんどないですし、料理初心者のメイさんでも美味しく作れると思ったのです。
マヨネーズやマスタードに関しては最近は上の街でも普通に出回っていますし、他の材料も簡単に手に入る物ばかり。高価な調理器具も必要ありません。
どうやら経験が少ないだけで勘自体は悪くなさそうですし、この調子で応用の利くメニューを中心に覚えていけばどんどん上達してくれることでしょう。
「できました~!」
「では、試食してみましょうか」
特に問題なく完成し、早速二人で試食してみることにしました。あまり食べ過ぎるとお昼が入らなくなってしまうので、小さめに切り分けたサンドイッチを口に運びました。
バゲットの表面のパリパリした感触の奥から、瑞々しいレタスとトマト、そしてベーコンの脂の味が姿を現します。
マヨネーズのこってりとした酸味とマスタードのピリ辛も良いアクセントになっています。元々、二口か三口分くらいの大きさだったので、あっという間に食べ終えてしまいました。
「これ、わたしが作ったんですよね~?」
「はい、そうですよ」
私よりも先に食べ終わったメイさんが、なんだか不思議そうに残りのBLTサンドを見つめていました。
「これならアランさんも喜んでくれると思いますよ」
「そう、だといいですね~」
まあ、客観的に評価するならば今回作ったBLTサンドは「普通」の枠は出ないですし、トマトの切り口が少しだけ潰れていたりといった粗が見えないこともありません。魔王さまの料理を普段から食べ慣れているアランさんが驚くほどではないでしょう。
ですが、そこは想いでカバー出来るはずです。
というか、出来なければ魔王さまより料理の腕で劣る私が困るので、気持ちでカバーできるという実証例が欲しいのです。その辺りの下心はメイさんには隠しておいたほうが良さそうなので口には出しませんが。
「残りは持ち帰り用の紙箱に入れておきましょう」
「何から何まですみません~」
「いえいえ、可愛い生徒のためですから」
「ありがとうございます、先生~」
純粋な親切心でやっているわけではないので、感謝を向けられてちくちくと良心が痛みますが顔には出しません。多分隠しきれた、と思います。
まあ下心云々はさておき、人に何かを教えるというのはなかなか新鮮な体験でした。似た境遇の者同士、メイさんのことは応援したいですし、頑張ってもらいたいですね。





