ss 孤独なグルメ
百話記念企画⑩
今回のお題は夜想曲様の『神子で孤独のグルメ(焼肉)』です。
夜想曲様、ありがとうございました。
「そろそろ昼食にしましょう」
大使館の執務室で机に向かっていた神子が、手にしたペンの動きを止めてポツリと呟きました。本国に郵送する書類(予知によって知りえた数ヶ月先までの天候や相場の変動を書いた物)を書いて頭を使ったせいかお腹が空いてきたようです。
「今日は外で食べて参りますわ」
「かしこまりました」
神子は秘書官に予定を伝えると、外出着に着替えるために一旦自室へと戻りました。神殿関係者としての立場上、執務中は白い神官服を着ているのですが、街歩きをするには目立ちすぎて不向きなのです。
大使館内にも職員が利用する食堂はあるのですが、神子はどちらかというと外食を好んでいます。迷宮都市に来るまでは神殿の決まった区画から出られなかったので、その反動なのでしょう。
迷宮都市に来て一番良かったのは監視が緩んで、ある程度自由に出歩けるようになったことかもしれません。いざという時のために秘書官が手配した護衛が常時影ながら見守っていますが、幸い危険なことに巻き込まれたことはありません。
「これでよし、ですわ」
私室の姿見の前で、神子は自分の姿をチェックしています。
本日の外出着は、少し前にリサと一緒に出かけた時に購入した夏物のワンピース。立場上、これまでは神官服以外の服を着る機会が少なかったのですが、最近は年頃の少女らしく少しずつお洒落心が芽生え始めてきたようです。
「今日は何を食べましょう?」
『わたくしは今日はお肉の気分です』
「それでは今日はお肉にいたしましょう」
特に呼んでいるわけではないのですが、食事時を狙って女神が身体に憑依しにくるのも慣れたもの。自前の肉体を持たない女神は、神子に憑依した状態でないと食事をすることができないのですが、現在の仕事に必要な予知や千里眼などを使うための対価と考えれば一緒に食事をする程度は安いものです。
『おや、三つ向こうの通りを右に入った所に新しいお店が。焼肉屋さんのようですね』
「では、今日はそのお店に行ってみましょう」
それに女神は千里眼を駆使して、新しくオープンしたお店や、分かりにくい場所にある隠れた名店などを見つけてくれるので非常に便利です。今日も千里眼で発見した、いつもの神子のお散歩ルートから外れた位置にあるお店を見つけてくれました。
「人気のお店みたいですわね」
『ええ、これは期待できそうです』
目的地の焼肉屋はオープン早々混雑していて、店の外にまで肉が焼ける芳しい匂いが漂ってきています。食べ終わって店から出てきた冒険者グループの顔を見ると満足気に緩んでいますし、これは中々期待が持てそうです。
「ごめんください」
「一名様ですね、ご案内します!」
店内は混んでいましたが、幸い待たずに席に通されました。若い女性の一人客ということで少々目立っていますが、大半の客は食事に夢中になっているようで居心地の悪さを感じることもありません。
この店は焼肉屋とはいっても客が各々の卓で焼くのではなく、厨房で調理した物を運んでくるタイプのようです。客が各自で卓上調理する形式の飲食店はこの世界ではまだ一般的ではないですし、慣れていない客が生焼けの肉を食べて食中毒になる恐れもあるので、厨房で調理した物を出す方が衛生管理の面で安心できるのでしょう。
「メニューの数を絞ってあるようですね」
『焼肉定食の上と並だけとは思い切ったメニューですね』
メニューに載っている料理名は、値段が高めの『焼肉定食(上)』と、それより少し安い『焼肉定食(並)』の二種類のみ。どちらにも汁物とサラダが付き、ライスかパンかを選べるようになっているようです。
恐らくはメニューを絞って廃棄ロスのリスクを下げ、それで浮いた分のコストを回すことで値段に比して良い肉を出せるようにしているのでしょう。
『お酒の種類は随分あるみたいですね。あの……』
「まだお昼ですから頼みませんよ」
料理メニューの少なさの割にお酒の種類は随分と豊富なようです。
麦酒、米酒、葡萄酒、蜂蜜酒、林檎酒、マニアックなところだと馬乳酒なんてものまであり、同じ種類の酒でも様々な銘柄を置いているようです。きっと店の主人の趣味が大きく影響しているのでしょう。
女神はお酒が嫌いではないようで、それとなく神子に催促していましたが、すげなく断られてしまいました。帰ったら午後の仕事が待っているので仕方ありません。
「すみません店員さま、この焼肉定食の上と並を一人前ずつ、両方ともライスでお願いします」
神子はまずは小手調べとばかりに一人前ずつ頼みました。
「お客さん、ウチのは量が多いけど大丈夫?」
「はい、一人前ずつでお願いします」
迷宮都市の飲食業界ではいつの間にか有名人になっていた神子ですが、この店はまだオープンしたばかりのためか店員氏は彼女のことを知らなかったようです。
細身の神子が多めの定食を二人前も食べ切れるのか心配していますが、もちろん量に関しては全く問題ありません。神子ならば二人前どころか二十人前でもペロリと平らげてしまうことでしょう。
なのに何故一人前ずつという少量しか頼まないのかというと、味が口に合わなかった場合の保険です。出された物は残さず食べますが、不味い物を大量に食べるというのは相当にキツいものがあるのです。
まだ迷宮都市に来たばかりの頃、ロクに血抜きも臭み抜きもしてないような肉を出す店でうっかり大量に頼んでしまった時に得た教訓でした。その時は苦労してどうにか完食しましたが、それ以来初見の店で食事をする時にはまず少量頼んで味見をすることにしているのです。
「お待ちどうさま! 焼肉定食の上と並です!」
「まあ、美味しそうですね。ありがとうございます」
どうやら、この店は当たりだったようです。まだ食べる前から神子はそう確信しました。肉が冷めにくいようにするためか、木や陶器ではなく熱した鉄皿を使っており、タレに漬けた肉が焼ける香りだけでご飯が食べられそうです。
焼肉定食(上)は霜降りや赤身肉、焼肉定食(並)は内臓肉が中心の構成になっていますが、どちらも実に美味そうで、先程店員氏が言っていた通りボリュームもたっぷりあります。
「お肉が柔らかいですわ」
霜降りはとろけるような、赤身は適度な肉の弾力が、内臓肉は部位によって異なる様々な歯ごたえを楽しめます。ですが、歯ごたえがあっても硬いわけではなく、歯を突き立てるとプツリという小気味良い感触と共に簡単に噛み切ることができます。
『漬けダレに工夫があるみたいですね』
「なんでしょう、タマネギみたいな風味がしますけれど、それだけじゃなさそうですね? 魔王さまやリサさまなら分かるでしょうか?」
舌でタレの味を分析してみようと試みますが、色々な素材が使われているようで正確には判別できません。
このタレは、この店の主人がたまたま購入したシャリアピンステーキのレシピを応用して開発した逸品です。
シャリアピンステーキとはタマネギの酵素を使って柔らかく仕上げたステーキですが、この店の主人はすりおろしたタマネギをベースに、甘みを足すための果物や風味付けの香辛料、そして酒を加えることで味に深みを出していました。豊富な酒のメニューといい、よっぽどの酒好きなのでしょう。
「焼肉といったら白いご飯ですね」
タレの分析は一旦忘れて再び食事に集中します。
甘辛いタレの染みた肉を一旦白米の上に乗せて余分なタレを落とし、まずは肉をじっくり味わいます。そして肉を食べ終えたら、続いてタレと脂の染みた白米を一口。この米がなんともいえず美味いのです。
肉、米、肉、米、肉、米……たまにサラダやスープも挟みますが、この繰り返しでいつまでも食べ続けられそうです。
「ふう……美味しかったですね」
『ええ、実に美味でした』
空になった皿を前に神子と女神はそんな感想を述べています。どうやら、この店は彼女たちのお眼鏡に適ったようです。
「すみません店員さま、おかわりをお願いします。とりあえず、上と並を追加で二十人前ずつ」
とはいえ、食事はまだ『前菜』が終わったばかり。
彼女たちの食事はこれからが本番です。
ssは今回で終わりです。次回からは本編に戻ります。
思い付きで始めた企画でしたが、作者としても面白い経験でした。読者の皆様と変わった形で交流ができて楽しかったです。
またその内にキリがいい所で何かやってみたいですね。





