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迷宮レストラン  作者: 悠戯
開店編
11/382

昔話・金の魔王と黒の魔王②


 “金の魔王”アリス率いる魔王軍は、着々と人間界への侵攻の準備を整えていきました。


 戦闘訓練。行軍訓練。

 軍団の編成。作戦の立案。

 装備や物資の割り振り。その他諸々。

 いずれも大きなトラブルなく順調そのもの。

 しかし準備の進みは、すなわち己の死が近づいてくることに他ならない。そう悟っていたアリスの心は日毎に凍てつき、まるで死刑の執行を待つ罪人のような心持ちでありました。



 けれども、無情にも時間は待ってくれません。

 ついに魔王軍が人間界への侵攻を開始する日がやってきたのです。


 魔王軍の総勢、実に十万。

 それだけの魔族の軍勢が整列し、進軍の時を今か今かと待っています。


 魔王アリスは軍勢の先頭に立ち、魔界と人間界を隔てる世界の壁に十万もの軍勢が通れる大穴ゲートを穿つ大魔術の詠唱をしていました。極限の集中を維持したままの数時間にも及ぶ詠唱により、世界を隔てる壁は最早いつ壊れてもおかしくないような状態でした。


 そして詠唱の開始から数時間後。

 いよいよアリスが呪文の最後の一言を唱え終え、今まさに世界を隔てる壁に大穴が穿たれようとしたその瞬間、その場の誰もが予想だにしない事が起こったのです。



 白光一閃。

 天から閃光の如き勢いで落ちてきた何者かが開きかけたゲートを斬ったのです。


 本来、いかなる物理現象でも干渉できない筈の大魔術は、その一撃で安定を喪失。

 今まさに開こうとしていたゲートは、まるで幻のように霧散しました。


 その場の誰にも何が起きたのか分かりません。

 世界が凍り付いたかの如き静寂に包まれました。


 天から落ちてきたのは漆黒の髪と瞳を持つ青年。

 手にした剣も闇を凝縮したかのような真っ黒け。

 彼は一度ゆっくりと周囲を見渡すと、魔族達の先頭に立つ魔王アリスに向け名乗りました。


 「僕は勇者だ」と。






 “金の魔王”アリスは最初あまりの状況に酷く混乱していました。

 が、その名乗りを聞くと納得し、いくらか頭も回り始めます。


 恐らくは抜け目ない女神が、先手を打って人間界に被害が出る前に勇者を送り込んできたのだろう、といった具合です。どうして魔界の動きを察知できたのかは謎ですが、敵は神。その程度やってのけても不思議はありません。

 侵攻計画を察知したのならば、馬鹿正直に魔族が来るのを待つ必要もなし。

 相手が油断しているところに先制攻撃を仕掛けようというのは、そもそも魔王軍がこれからやろうと思っていたことなのです。それを逆にやられる可能性を想定していなかったのは、痛恨のミスとしか言えません。世界そのものに穿たれたゲートを一刀両断するという非常識も、伝承に語られる勇者ならばその程度はやるだろうと思えました。



 この男が勇者だというのならば、アリスを殺すのだろう。

 それから私の部下達を殺し、最後は魔界という世界そのものを殺し尽くすのだろう。

 魔王アリスは、そんな避けようのない絶望が喉元まで迫っているのを感じていました。



 ですが、この漆黒の勇者の次の一言はまるで予想外のものだったのです。



「魔王、僕はキミを助けに来た」


 

 アリスには何を言われているのか分かりませんでした。

 助けに来た?

 誰が、誰を?

 そんな言葉をよりにもよって勇者が魔王に言うなど到底信じられません。



 しかし、男はどうやら本気のようです。


 言葉は少なくとも、その瞳に映る憐憫の色が言葉以上に語っています。

 驚くべきことに、この勇者は本当に魔王を助けにきたのでしょう。


 アリスはまず困惑し、次に煮えたぎるような憤怒を感じました。


 魔界に生れ落ちてから数百年。

 己の力のみを頼りに生きてきた彼女にとって、他者から憐れみを受けるという生まれて始めての経験は、かつてない侮辱のように感じられたのです。灼熱の憤怒は一瞬で絶対零度の殺意と化し、高密度に凝縮された無数の魔力球が勇者に向けて放たれました。



 魔族の操る魔法の中では特に珍しいものではありません。

 しかし、単なる魔力の球を飛ばすだけの魔法でも、魔王の繰り出すそれは並の魔族とは別次元。ただ一撃で巨竜を屠り、鋼鉄の城砦を消し飛ばす必殺の魔弾が、音よりも速い速度で勇者を名乗る青年へと殺到しました。


 

 相手が本当に勇者であれば、この程度で倒すのは難しい。

 しかし、避けるにしろ防ぐにしろ一瞬の隙は生じるはず。

 その隙を見逃すことなく追撃を仕掛け押し切るというのが、怒りに染まった中でアリスが組み立てた戦略でした。生憎と、成功することはありませんでしたが。


 幾多の戦闘経験を有するアリスにも、まるで予想できませんでした。

 勇者は、それらの攻撃を避けるでも防御するでもなく、なんと無防備に喰らって見せたのです。


 避けられなかったのではありません。

 見切った上であえて喰らったのです。

 しかも苦悶の表情を浮かべるどころか、涼やかな笑みを浮かべたままで。


 それは彼にとって敵意が無いことを証明する為の選択でした。


 しかし渾身の魔弾を雨あられと浴びて、致命傷を受けるどころか一切の苦痛を感じた様子を見せないその姿は、更なる憤怒をアリスの内に呼び起こしたのです。


 舐められている。

 己の攻撃など避けるまでもないと思われている。

 その思い上がりを死をもって償わせるべく、アリスは更なる殺意を勇者へと叩きつけました。


 その殺意は炎の大蛇に、氷の大樹に、風の断頭台に、土の攻城槌に、魔剣に、魔槍に、戦槌に、鎖に、大鎌に、砲に、矢に、猛毒に、雷光に、真空に、灼熱に、極寒に、暗黒に、重力に、爆発に、ありとあらゆる形に姿を変えて、まるで豪雨のように勇者の身体に降り注ぎます。


 しかし、結果は先程と変わらず。それらの攻撃の全てが、それらの殺意の悉くが、勇者の身体に当たっているにも関わらず、まるで効果を及ぼさないのです。



 強力な幻術により幻影を相手に踊らされているのでは、と疑いそれらの術を打ち破る対抗魔術を行使しましたが反応はなし。つまり、この男は何か特別な手段でアリスの攻撃を無力化しているのではなく、ただ異常に頑丈なだけ。単純な肉体の強度に物を言わせて、素の耐久力のみで天変地異に等しい殺意の奔流を軽々と耐え切って見せたのです。



 事ここに至って、アリスの頭を支配する感情は再び憤怒から困惑へと移ります。

 勇者とは確かに魔王すら打倒し得る超越者だが、いくらなんでもここまで強い筈がない。

 少なくとも先代の“赤の魔王”と彼を打倒した勇者との決戦は、戦いが戦いとして成立する程度には、勝敗を競う余地がある程度には両者の実力が伯仲していたはず。



 ふと、アリスは疑問に思いました。

 この勇者を名乗る男は本当に勇者なのだろうか、と。


 もしかすると、もっと得体の知れない、恐ろしい、おぞましい、ナニカなのでは?


 頭の片隅にそんな疑念が生じると、もう考えることを止められません。

 疑いは病魔のように心を侵食していき、憤怒は焦燥へ、焦燥は恐怖へと形を変えていきます。


 別段、男が何かをしたわけではありません。 

 最初から何も変わらず、今もなお吹き荒れている殺意と破壊の暴風雨の中で、それらがまるで心地よいそよ風であるかのように微笑みながら佇んでいるだけ。


 それが、その姿が恐ろしい。


 アリスは元より戦って死ぬ覚悟はできています。

 仮に生きたまま捕えられ虜囚の辱めを受けようとも心が折れない自信はある。

 しかし、それらは所詮理解の範疇でしかありません。理解ができないモノを前にした時、人はそれを排斥しようと攻撃するか見えない所に逃れようとする。しかし、その根底にあるものはいずれも理解できないモノへの恐怖に他ならない。


 理解不能。

 正体不明。

 それが何より恐ろしい。

 

 アリスはいよいよ魔王としての誇りもかなぐり捨てて、配下の軍勢にこの男を殺せと命じました。


 十万もの魔族の軍勢が一人の男に襲い掛かります。


 牙が、爪が、剛剣が、鉄拳が、魔術が、秘術が、奥義が、絶技が、ただ一人の男を殺すためだけに殺到しました。一秒の間隙もない死の嵐がどれほどに長く吹き荒れたことでしょう。


 けれども、結果はアリスと同じ。

 いえ、一応今度は自称勇者も自らの手と足を動かしました。

 しかし、それは回避や防御のためではなく、ましてや攻撃のためでもありません。

 魔族同士の同士討ちを防ぐため、味方の刃が当たりそうになった者の前にすかさず割り込み、思わぬ方向に飛んだ流れ矢があれば掴み取り、自らの身体を張って魔族達を守っていたのです。


 結局、かすり傷一つつけることもできずに、十万の軍勢全員の体力と魔力が底を尽き、それ以上にアリスと同じく理解不能の光景を前に心が折れてしまったのでしょう。魔族達は一人残らず疲れ果てて動けなくなってしまいました。


 最早、目の前の男を打破したところで人間界への侵攻は不可能です。


 ならば、魔王の矜持にかけてせめて一矢を報いてやろうと、アリスは己の命と引き換えに莫大な破壊を引き起こす禁術の使用を決意しました。発動すれば大陸の一つや二つは消し飛ばす大魔法です。


 残り少ない魔力を練り上げ、禁術の詠唱を開始します。

 術の反動がもたらす全身の神経がヤスリで削られるような激痛に耐えながら、残った全ての魔力を破壊力へと変換していきました。すると次第に術者であるアリスの全身が光に包まれ、大地が術に共鳴するかのように揺れ出します。



「それは、ちょっと危ないね」



 しかし、詠唱の最後の一言を唱え終えようとした刹那。

 音速を遥か凌駕する神速で接近した男がアリスの額に軽く手を触れると、どういう術理によるものか発動しかかっていた禁術が破棄キャンセルされ、集まっていた魔力が霧散してしまったのです。これでもう指一本動かす力も残っていません。


 全ての力を使い果たし、意識を手放す直前にアリスは声を聞いたような気がしました。



「もう一度言うよ。僕はキミを助けに来たんだ」



 最初に聞いたのと同じ台詞でしたが、今度は怒りは湧いてきませんでした。

 単純に、もう何かを考える気力すら残っていなかったせいもあるのでしょうが。


 地面に倒れこもうとする己の身体を抱きしめるように支える誰かの体温を感じながら、アリスは不思議と穏やかな心地のまま微睡まどろみの中へと落ちていきました。













 以上が、“金の魔王”による人間界への侵攻計画の顛末。

 結果を見れば、人間界へ一歩も足を踏み入れることすら無く失敗に終わった形です。


 しかし、本題はそこではありません。

 魔王と魔族にとっては、ここが始まり。

 滅びに向かうしか無かった筈の魔界の運命は、この時大きく変わったのです。


 勇者を名乗る謎の青年が魔界を滅びの運命から救い、やがて“黒の魔王”と呼ばれるようになるのは、あとほんの少しだけ先のお話です。




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