ガールズトーク【夏の少女たち】(後編)
「そもそも、貴方は食事をしにきたのでしょう?」
「あ、そうだった!」
ローキックのダメージが回復した頃にアリスが声をかけ、フレイヤはすっかり忘れていた本来の目的を思い出したようです。
「朝ご飯まだだったの! カツカレー食べたい! 大盛りで!」
「朝からカツカレーですか?」
「カレーはいつ食べても美味しいよ?」
体質によってはお腹を壊しそうですが、フレイヤは朝からガッツリ食べられる頑丈な胃腸を有しているようです。食べたいというのであれば特に断る理由もないので、アリスが厨房の魔王に注文を伝えにいきました。
フロアに残ったリサにフレイヤが話しかけます。
「カツカレー美味しいよね!」
「そうですね。でも考えてみれば最近食べてないかも……」
「え、なんで?」
「ええと、おもにカロリー的な問題で……太っちゃいますし……」
「そっかー、大変だね」
苦々しい口調で呟くリサに、フレイヤは他人事のように言いました。まあ、実際他人事なのですが。
リサの周囲の女性陣は、いくら食べても太らないという非常識な体質の持ち主ばかりなので、食べれば食べた分だけお肉が付いてしまう常識的な体質のリサは、常々うらやましく思っているのです。
「食べても太らない人がこれだけいると、おかしいのはわたしの方なんじゃないかって気になってきますね、あはは……」
リサの乾いた笑いには、世界の理不尽に対するやるせない気持ちが込められていました。
反対に、いくら食べても肉が付かない体質のアリスは、成長期のリサを密かに羨んでいるのですが、なんとも世の中ままならないものです。
◆◆◆
「はい、どうぞ、カツカレーですよ」
「うん、いただきます!」
辛いだけではなくフルーツや野菜由来の酸味や甘み、塩気、様々な香辛料の香り、脂肪分のコク等々の要素がバランスよくまとまったカレールーは、それだけでゴクゴクと飲めるほどに美味しいのですが、それが白いご飯にたっぷりと絡まり、ダメ押しとばかりにジューシーなトンカツが乗っているのですから、もうたまりません。
『カレーは飲み物』という格言もありますが、当然ながらルーだけ飲むより料理として食べた方が美味しいのです。
「やっぱり魔王さまのカレーは美味しいね! おかわり!」
アリスの運んできたカツカレーを、フレイヤはたちまちペロリと平らげてしまいました。体格はアリスと大差ないほどに小柄なのですが、なかなかの健啖家のようです。
「この食べっぷり、なんだか神子さんを思い出しますね」
「いえ、アレは規格外です。私の知る限りではあそこまでではなかったハズです」
まあ、健啖家とはいっても常識の範囲内のようです。
早食いにしろ大食いにしろ、遥かに上回る知り合いが身近にいるので、大盛りカツカレーの五杯や十杯程度ではもはや驚くに値しません。むしろ相対的には少食と言っても過言ではないでしょう。
「美味しそうに食べますねぇ」
「うん、美味しいよ!」
「お昼のまかないはカツカレーにしましょうか?」
カラリと揚がったトンカツと、スパイシーかつまろやかなルーの組み合わせはまさに絶妙。それをこれ以上ないほどに美味しそうに食べるものですから、見ているだけのリサとアリスも食べたくなってきました。
「でも、カロリーが……うぅ、美味しそう」
「じゃあ、別の物にしますか?」
味は最高でも、なにせカツカレーというのは炭水化物&脂質の塊、ダイエットの大敵です。カレーという料理は見た目の印象以上に油を使うのです。自分でも料理をするリサはその辺りの知識もちゃんと分かっているのですが、
「……一食くらいなら大丈夫」
今回“も”リサは誘惑に屈してしまったようです。
この頃、食べ歩きやらアルバイト中のまかないでつい食べ過ぎてしまい、お腹回りのサイズがちょっぴり気になってきてはいるのですが、誘惑に打ち勝てる率はだいたい四割といったところ。総合的には若干負け越しており、それに伴い身体の各所のサイズも微増してきています。
◆◆◆
「ごちそうさまでした!」
結局、フレイヤはカツカレーを三杯食べたところで満足したようです。
「そうだ! 魔王さまに頼みたいことがあったんだ!」
「頼みたいことですか?」
幸い、と言うべきかどうかはともかく、店内に他のお客さんの姿は未だにありません。魔王が厨房を離れても問題はなさそうなのでアリスが呼びに行きました。
「あ、魔王さま、さっきはカツカレーごちそうさま!」
「お粗末さまでした。それで、僕に頼みがあるんだって?」
「うん、今度この上の街でお祭りやるって言ってたでしょ?」
一呼吸置いてから、フレイヤは魔王への頼み事を口にしました。
「アタシ、そのお祭りで歌わせてもらってもいいかな?」
「うん、いいよ」
魔王は迷うことなく即答で返しました。
「やったー! ねえねえ、じゃあ新しい衣装作ってもいい? 公費で!」
「うん、まあいいんじゃないかな」
またもや即答です。
「それと、どうせなら大きい舞台でやりたいな!」
「じゃあ、街の外れにでも劇場を建てようか」
魔王が断らないのをいいことに、次から次へと要求がエスカレートしていきます。予算の心配は要らないと財政を管理しているヘンドリックから言質を取ってあるとはいえ、寸毫の迷いもありません。ぶっちゃけ魔王は何も考えていないだけなのですが。
「あの、アリスちゃん、歌とか舞台とかなんの話です?」
と、この場でただ一人、事情を飲み込めていないリサがアリスに尋ねました。
「ああ、彼女はしばらく前から歌を仕事にしているのですよ」
それが、フレイヤが紆余曲折あった末、魔王軍を休職して始めた新しい仕事でした。
「私も聴いたことがありますが、言うだけのことはありますよ」
「いやぁ、それほどでもあるよ!」
「へえ、わたしも聴いてみたいですね」
歌を聴いたことのあるアリスは随分と高評価しているようです。リサもそれを聞いて興味を惹かれたようです。
「リサちゃんは歌は好き?」
「ええ、嫌いじゃないですよ。実は昨日も歌ってきました」
リサも高校生らしく友人たちとカラオケに行くこともあります。実は昨日、学校の終業式が終わった後に仲の良い同級生たちと打ち上げと称して行ってきたばかりです。
「じゃあさ、今度一緒に歌わない? アリスさまたちも一緒に!」
「いいですね」
リサは、一緒にカラオケに行こうかという程度の気楽さで、深く考えることなく返事をしてしまいました。
しかし、そもそも魔界にも人間界にもカラオケ店などありません。
いつ、どこで、一緒に歌うつもりなのかを疑問に思い、しっかりと確認していれば後の悲劇は避けられたことでしょう。
「それでね、魔界の街をあちこち回って、広場とか酒場で歌ったり踊ったりしてるの!」
「踊りもやるんですか? なんだかアイドルみたいですね」
リサの言う聞き慣れない単語が気になったのか、フレイヤが質問しました。
「ねえ、リサちゃん、『あいどる』ってなあに?」
「わたしの世界の……一言で説明するのは難しいんですけど、歌手兼ダンサーみたいなお仕事をする人ですかね、大雑把に言うと」
「へえ! じゃあアタシもアイドルだね!」
どうやらフレイヤは『アイドル』という言葉の語感が気に入ったようです。
この異世界の地には所謂アイドル文化そのものは無いのですが、それでも歌手や踊り子などは職業として普通に存在します。それらを生業にするフレイヤがアイドルを名乗っても特に間違ってはいないでしょう。
◆◆◆
「じゃあ魔王さま、また近い内に打ち合わせに来るからね!」
この後すぐに別件の仕事があるということで、フレイヤは嵐のように去って行きました。魔王も厨房に戻り、フロアに残ったのはリサとアリスだけです。
「なんだか変な……じゃなくて面白い人ですね」
「ええ、ちょっと頭がわる……ではなく、少々思慮に欠ける面はありますが、私も良い子だとは思いますよ」
二人は言葉を選び苦笑しながらフレイヤを評します。
思ったままを言うと悪口になりかねないのですが、旧知のアリスも初対面だったリサもそれなりに好感を抱いているようです。
「お祭りの本番は舞台を観に行かないといけませんね」
「ええ、そうですね。私も楽しみです」
と、静かな店内で彼女たちは他人事のように呑気に話していました。
この数日後には他人事ではなくなってしまうのですが、残念ながら今の彼女たちにそれを知る術はありません。この時点で気付いていればまだ引き返せた可能性はありましたが、その機はもはや失われました。
彼女たちは結局のところ、フレイヤの行動力と暴走力を大幅に甘く見ていたのです。