閑話・魔王城にて
「それじゃあ、よろしく」
「はい、かしこまりました、魔王さま」
ここは迷宮都市……ではなく、魔界の魔王城。その中でも、最重要の施設とも噂される、四天王ヘンドリックの執務室に魔王が訪ねてきていました。
先日、魔王の思い付きで迷宮都市でお祭りをやることが決まりましたが、その予算の捻出を頼むべく魔王直々に足を運んだというわけです。
魔界の内政だけではなく、最近では人間界の各国との交渉や迷宮都市の統治までを、魔王からほぼ丸投げされているヘンドリック。彼の執務室は、ちょっとした体育館ほどの広さがあります。個人で使っているとは思えないほどの広さの部屋は常時開け放たれ、裁可を待つ書類の山が次々と持ち込まれますが、
「ちょうど手の空いたところですし、魔王さま、よろしければ久しぶりに茶飲み話にでも付き合っていただけませんか?」
などと、余裕まで見せています。
大量に持ち込まれる書類の山よりも、ヘンドリックの作業速度の方が圧倒的に速いため仕事が溜まることもありません。残業はしない主義の彼は、毎日定時上がりを心がけているのです。
その余裕の源は執務室の中に何十体もいる、のっぺらぼうのような顔のない人形にありました。『人形使い』であるヘンドリックは自身の意識を分割し、精神を同期した人形を最大で数万体まで操ることができるのです。
数の増加に反比例して各端末の思考力が落ちるという弱点もあるので、判断力を要する書類仕事に使用している現在は三十体程度にまで数を絞っていますが。
かつての魔界の戦乱期においては単独で軍勢を操る能力として酷く恐れられたものですが、現在ではすっかりこういう平和利用が板についてしまいました。
◆◆◆
二人は場所を魔王城内の食堂に移しました。
魔王城で働く職員が食事を摂るための、いわゆる社員食堂のような施設で、ピークタイムともなれば毎日混雑を見せています。ちなみに一番人気はカツ丼で安くて美味しいと評判です。
現在は夕方前の中途半端な時間のため他にほとんど人の姿はなく、厨房内で四本腕の料理長が洗い物をしているくらいです。他のスタッフは休憩にでも出ているのでしょう。
「そういえば、僕がここで働きたいって言った時に皆に止められたから、人間界に店を出すことにしたんだっけ」
「ははは、そういえばそんなこともありましたね」
国のトップが食堂で働いていたら、魔王本人は楽しくとも食事休憩に来た職員たちの気が休まりません。もしもその話が通っていたら、現在のような人間界との交流はなかったでしょうし、何気に歴史の大きな転換点でした。
「料理長、ご無沙汰してます」
「あらぁ、魔王さま、お久しぶり。相変わらずイイ男ねぇ」
「お茶と、あと何かお茶請けになる物もらえます?」
「そうねぇ、じゃあガルちゃんの奥さんに貰った美味しいぬか漬けがあるから切ってあげるわね。持って行くから席に座って待っててちょうだい」
魔王とヘンドリックは料理長に注文をして、近くの席に腰掛けました。ちなみに魔王が料理長と呼んだオネェ言葉の“彼”はれっきとした男性です。
かつてアリスが率いた旧魔王軍では、四天王ガルガリオン(当時の役職名は軍団長でしたが)の副官を務める魔剣士として名を馳せていましたが、それから色々あって料理に目覚め、ついでに他の『何か』にも目覚め、現在では剣を包丁に持ち替えて日々腕を振るっています。
「はい、どうぞ。ゆっくりしていってねぇ」
「ありがとう」
料理長が運んできたお茶とぬか漬けを前に、ヘンドリックが話を切り出しました。
「正直なところ、今回のお話は助かりましたよ。最近は輸出で儲かりすぎていたので、ある程度儲けを吐き出しておきたかったのです」
現在の魔界は人間界との交易によってかなり儲かっている状態なのですが、儲けが多いことは一概に良いとばかりは言えません。
近年では消費しきれない程に生産されていた食料や使い切れない鉱石など、魔界内部で持て余していた物を中心に輸出しているのですが、そんな余り物でも高値を付けてでも買いたがる人間界の商人はいくらでもいます。
そういう状況のせいで、現状だと交易が輸出に偏りすぎており、使い道のない外貨が貯まる一方なのです。その場限りの取り引きならばともかく、長期的な取り引きにおいては、一方だけが儲けすぎては相手に良くない心象を与えかねません。
「そういうワケで予算の心配は要りませんから、なるべく盛大にやってください」
「うん、わかったよ」
迷宮都市で盛大な催し物をやるなら、自然と人間界側での消費や雇用も発生するでしょう。貯まりに貯まった儲けを吐き出すチャンスです。
実質的に魔界の全てを取り仕切っているヘンドリックとしては、魔王に好き勝手やらせることに一抹の不安はありながらも、それでもなおこの機を逃す手はありませんでした。
◆◆◆
「このぬか漬け、いい漬かり具合ですね」
「お茶に合うねぇ。流石はガルさんの奥さん」
魔王とヘンドリックは男二人で世間話に花を咲かせながら、キュウリやナスの漬物をポリポリとかじっていました。
「白いご飯が欲しくなるね」
「私はどちらかというとお酒ですかね。この味なら葡萄酒よりも米酒に合いそうです」
漬物名人として知られるガルガリオンの奥さん謹製のぬか漬けは、塩気や酸味のバランスがなんとも丁度良く、ご飯のお供としてもお酒のツマミとしても具合が良さそうです。
そのまましばらく、最近の出来事やら何やらをのんびりと話していたのですが、そこへ一人の少女がやってきました。アリスと同じくらいに小柄で、見るからに活発そうな顔立ちの、燃えるような赤髪をツインテールに結った少女です。
「料理長、カツ丼大盛りね!」
「ちゃんと野菜も食べないとお肌に悪いわよ。サービスでサラダ付けてあげるから、ちゃんと食べるのよ」
「うん、ありがとう! あっ、魔王さまだ! 久しぶり! 二年ぶりくらい?」
少女は食堂に入るや否や料理長に大声で注文し、そのまま魔王たちの席までやってきました。
「やあ、久しぶり、フレイヤ。元気そうだね」
「うん、アタシは元気だよ!」
フレイヤという名の少女に魔王は親しげに話しかけました。どうやらお互いをよく知る間柄のようです。
「ところで、新しい仕事はどう?」
「うん、いい感じだよ! ガルさんとかサブちゃんもたまに見に来てくれるんだ! 魔王さまは今は人間界でレストランやってるんだっけ? 今度行っていい?」
「うん、いつでもどうぞ。あ、でも通行許可証とか要るんだっけ?」
「許可証なら私の方で手配しておきましょう。フレイヤ、あとで私の部屋に取りにきなさい」
「うん、ありがと、リック!」
お茶を飲みながら互いの近況報告などをして、それから次の話題に移りました。
「そういえば、なんで魔王さまとリックが二人でお茶してるの? もしかしてデート?」
「そんなわけがないでしょう……」
フレイヤの質問に対し、ヘンドリックは心底イヤそうな顔で答えました。ちなみに魔王は特に気にした様子もなく、厨房で調理中の料理長は人知れず目を輝かせています。
「実は、今度人間界の街でお祭りをやろうってことになってね」
魔王がお祭りのことを話すと、フレイヤという常時テンション高めの少女は、更にテンションを上げて言いました。
「へえ、楽しそう! ねえ、魔王さま、アタシも一緒にやりたい!」
「うん、いいよ」
“元”魔王軍四天王のフレイヤ。
ワケあって魔王軍を休職中の彼女が加わったことにより、開催予定のお祭りは更に混迷を深めることになるのですが、それはまだもう少し先のお話です。





