迷宮レストラン
「なあ、何だかおかしなものが見えるんだが……?」
と、革鎧に身を包み長剣を持った冒険者の青年アランは隣にいる仲間達に言いました。
「…ああ、俺にも見える」
戦槌と大盾を装備した戦士ダンはアランの問いに答えましたが、どこか自信なさ気な様子です。
「魔力の感じからすると幻覚の類ではなさそうだけど……」
パーティー内で最も魔力の知覚と操作に長けた、魔法使いの女性エリザはなんらかの罠を疑って感知の魔法を発動させたが異常はありませんでした。つまり目の前のソレは夢でも幻覚でもなく実体をもってその場所に存在するということで。
「ここで眺めててもしょうがないですし~、とりあえず入ってみませんか~?」
独特の間延びしたような喋り方で話すのは、小柄な少女は回復術士のメイ。他の仲間たちと比べると緊張感がないように見えますが、こう見えてなかなかの実力者です。
彼らが何を見て困惑しているのか?
ソレは一軒のレストランでした。
どこの街中にも何軒かはあるであろう建物で、入り口の横には料理屋であることを示す食器の絵が描かれた看板がかかっています。なんの変哲もないごく普通のレストランでした。
ただし、”街中であれば”という注釈がつきますが。
たとえば今彼らがいるような魔物が数多く生息する迷宮ダンジョンの地下二十階。たった今彼らが到達するまで未踏だったその最深部にそんな建物があれば、それは何の変哲もないどころか実に異常極まる存在です。
通常であれば迷宮の最深部にあるのは、金銀財宝だったり、強力な魔法のアイテムだったり様々ですが、いずれも高い価値のあるお宝ばかり。
アラン達はそんな迷宮を攻略して一攫千金を狙う冒険者。
これまでにもいくつかの迷宮を攻略してきた実績もありました。
今回はたまたま滞在していたとある街の近くに、突如として出現した謎の迷宮の調査を目的として来たのです。
迷宮というのは洞窟だったり塔だったり山や森だったりとその形は様々ですが、ある日突然その場に生まれる、とされています。その明確な出現条件はいまだ解明されていませんが、迷宮の共通点として内部に宝物や魔物、罠が自然発生するようになる、という事象が挙げられるでしょうか。
特にその最深部には値打ち物が高確率で出現するため、迷宮を攻略できるだけの実力を持った冒険者は当然最深部を目指すことが多い(実力が足りない者は浅い階層で比較的弱い魔物を相手に実力をつけてから、より深い階層を目指すのがセオリーです)。
けれど、それなりの経験と知識を持つアラン達も、最深部に眠る”お宝”がレストランだったなんて事は当然見たこともウワサとして聞いたこともありませんでした。
「………入ってみるか?」
とりあえず、このまま考えていても埒が明かないということは分かったので、アランは仲間たちに問いかけてみました。アラン個人としては興味や好奇心はあるのだけれど、何らかの罠という可能性も否定できません。反対意見が多いようならパーティリーダーとして”お宝”を前にこのまま引き返す決断を下すつもりです。
「そうだな、入ってみるか。腹も減ったし」
けれど、ダンは豪快な、悪く言えば大雑把な性格ということもあり、あっさり賛成。
「そうね、まあ何かあっても逃げられるよう準備しておけば大丈夫でしょ」
エリザも賛成する、どうやら警戒心より好奇心が上回っている様子。
「わたし、おなかがすきました~、早く入りませんか~」
メイは……もしかしたら何も考えていないのかもしれません。単に空腹な時にちょうどレストランがあったのでラッキー、くらいにしか思ってないように見えました。
結果、全員が賛成。
そもそも冒険者というのは腕っ節以上に好奇心が強くなければ勤まりません。
なので、この結果はある意味必然。アランは仲間たちの意見を確認すると、片手に剣を構えたままレストランのドアをそっと開けました。
すると、来客を知らせるドアベルがチリンチリンと鳴り、その音に一瞬ビクッと驚いたものの、すぐに音の正体に気付いて平静を取り戻したまではよかったものの……、
続いて店内から聞こえてきた「いらっしゃいませ!」という可愛らしい声に対しては、もはや驚きを隠せずしばし呆けてしまいました。
もし声の主に敵意があればそれは致命的な隙となっていましたが、幸いその人物、給仕服を着た小柄な少女は敵意どころか笑顔で「四名様ですね? お席までご案内します!」と言うと四人に背を向けて歩き出しています。
パーティメンバーの中でも比較的思慮深く慎重なアランとエリザはその姿を見てどうするか考え、そのまま立ちすくんでしまいましたが、ダンとメイは普通の街中にあるレストランのような対応にむしろ安心したようです。二人がスタスタと先に店内に入ってしまったので、アランとエリザもついて行かないわけにいかず、慌てて後を追いました。
「こちらのお席へどうぞ」
店内は迷宮の中だというのに清潔に保たれていて、木製のテーブルは顔が映るほどピカピカに磨き抜かれていました。案内された席に座り、店内を観察するとごく普通のレストラン、いや普通ではなくかなりの高級店のように思えます。
窓には曇りも歪みもない一枚板のガラスが惜しげもなく使われているし、店内のところどころに珍しくもセンスの良い調度品、絵画や彫刻、ビンに入った帆船の模型などが置かれ客を飽きさせないための工夫が伺えました。
「お冷とおしぼりをお持ちしました」
給仕の少女は席に座りあちこちをキョロキョロ見回す四人の前に冷たい水の入ったグラスと、たっぷりと氷水の入ったボトル、それに清潔な布を置くと「ご注文が決まりましたらお呼びください」と言い店の奥に引っ込んでしまいました。
「……どうやら毒ではないみたいよ」
出された水に毒が入っている可能性を考えて魔法で鑑定したエリザがそう言ったのを聞いてから、アランたちはグラスに口をつけます。すっかり混乱して忘れていたけれど、喉がカラカラに渇いていたこともあってたちまち飲み干してしまいました。
そもそも迷宮内では飲用に適した清潔な水は貴重なので、こんな風に惜しげもなく振舞われるなど通常ならありえません。そもそもアランの知るレストランでは水は金を払って注文するものです。まして氷入りの水などアランの感覚では贅沢品に分類されます。
ますます謎は深まるばかりだけれども、害が無いと分かれば遠慮する理由も特になし。
二杯三杯と水を飲み、ついでに手持ちの水筒にも水を満たしていきました。
あとで法外な料金を請求されるのではないか?
そんな詐欺の可能性が一瞬頭をよぎったものの、詐欺ならばこんな迷宮の奥ではやらないでしょう。
喉の渇きがなくなると警戒心もやや薄れ、空腹が強く感じられてきました。
そういえば迷宮に入ってからもう三日。保存が利くよう硬く焼きしめた黒パンや干し肉、干した果物くらいしか口にしていません。
まともな料理が食べられるものなら食べたい。
空腹に突き動かされテーブルに置かれたメニューを開くと、一同はそこでまた驚くことになりました。
普通、レストランの品書きというのは煮るか焼くかした肉か魚、あとは野菜とパンとエールやワインなんかの酒類まで含めて全部で十種類もあれば多いほうです。が、このメニューにある品数は十や二十ではありませんでした。
見覚えのあるステーキやシチューなどの料理もあるけれど、見たことも聞いたこともない料理、見たことはないがウワサで聞いたことはある珍味、何十種類もの酒、高価な砂糖を使った菓子の類まで全部で百以上はあったのです。しかも、どれもこれもが異常なまでに安い値段で。
その上、料理名の横にはどれほどの腕の画家によるものか実物をそのまま紙に封じ込めたかのような精緻な絵が描かれていて、名を知らない料理でもどんなものか分かるようになっています。まさに至れり尽くせりです。
ますます謎は深まるばかりだけれども、料理の絵を眺めていたら更に腹が減ってきました。
四人はいよいよ意を決して注文することに。幸い冒険者は実力さえあれば金回りの良い職業なので支払いに困ることはありません。
店の奥に声をかけると先程の給仕の少女がすぐに現れ「ご注文はお決まりですか?」と聞いてきたので、それぞれ選んだ料理の名前を告げていきます。
「ご用意いたしますので、少々お待ちください」
そう言って少女が再び店の奥に引っ込むと、程なくして包丁で食材を刻むリズミカルな音や、何かを炒めるような音が聞こえてきて、なにやら美味そうな匂いも漂ってきました。匂いが空腹を刺激し、警戒はいつの間にか料理への期待へと変わっていきます。
そして、いよいよ……。
「お待たせいたしました」
料理が運ばれてくる頃には一同の空腹は頂点に達していました。
毒が入っているかどうかの確認も忘れ、それぞれが注文した料理を口に運びます。
すると全員が驚きのあまり硬直。更に数瞬の沈黙の後……。
「「美味い」」
「「美味しい」」
と、想像を遥かに超える美味に思わず叫び声を上げたのです。
アランは鶏肉と野菜の入ったホワイトシチューを頼みました。
シチューならば普段からよく食べるし、具は食材としてありふれた鶏肉や野菜なのでなんとなく味の想像はつきます。見たことも聞いた事もないような料理にも興味はあったのだけれども、まるで味の方向性が分からないことに幾ばくかの不安があったのです。
とりあえず、これならば食えないほど不味いものは出てこないだろうと思ってのことでしたが、その想像は良い意味で裏切られました。
「(これは、すごいぞ…!)」
程よい歯ごたえを残しつつも柔らかく煮込まれた鶏肉は全く臭みがなく、かみ締めるほどに旨味が溢れてくるようだし、ニンジンやタマネギのような野菜は苦味やえぐみが無く優しい甘さを感じさせます。なによりそれらの具材の味が溶け込んだ白い汁、牛の乳を使ったそれはえも言われぬ素晴らしい味になっていました。
シチューに添えられていた白パンをちぎって汁をつけて食べるとこれがまたたまらない。
このパンだけでも柔らかく上質な小麦の甘味が感じられるご馳走なのだけれど、それが絶品のシチューの味と合わさるとお互いがお互いを引き立てあい空前絶後の高みへと至っていました。
ダンが頼んだのはブタの肉を生姜を使った味付けで焼いた料理。
「(うめぇ!)」
暴力的に食欲をかきたてる匂いのそれを一切れ口の中に放り込むと、その後は言葉を発する間すらもったいないと言わんばかりにがっついています。
肉の香ばしさ、脂の甘さ、ピリッとした生姜の風味。
そのどれもが食欲を刺激し食べれば食べるほど腹が空いていく錯覚に襲われます。
それに美味いのは肉だけではありません。
普段、ダンは野菜があまり好きではなく肉ばかり食べるので、仲間から偏食を注意されることもしばしば。が、この肉と一緒に炒めたのだと思われるタマネギや、横に添えられたタレの染みた千切りのキャベツならばいくらでも食べられる自信があります。
肉を食べ、野菜で口内の脂っこさを取り除き、また肉を食べ、野菜を食べて……。
この作業じみた繰り返しがいつ終わるのかは、もはやダン本人にも分かりませんでした。
エリザが頼んだのは卵を使ったオムレツによく似た料理。
オムレツと違うのは中に赤みがかった小さい粒、何らかの穀物を調理したと思われる物が入っている点でしょうか。加えて、その粒に混ざって細かく刻んだ野菜や鶏肉などが惜しげもなく入っています。
「(この料理、すごい……!)」
だが、その料理の真価は具材の豊富さなどではありません。
料理の表面を覆う卵と中の具材、そして卵にかけられた赤いソース、それら三つの要素を一度に食した時にこそこの料理はその真価を発揮するのです。
トロリとした卵の食感。
中の具材の豊富な旨味。
全体を引き締める酸味のある赤いソース。
これらが渾然一体となり至高の味わいを生んでいます。
エリザははしたないとは思いつつも、料理にがっつく己を抑えることができなくなっていました。
そして残りの一人、メイが頼んだのは甘い物。
背の高いグラスに果物やふわふわした白い物が盛り付けられた菓子を注文していました。
メイは元々ちゃんとした料理よりも甘い果物や蜂蜜を使った菓子を好んでいたのですが、迷宮の中ではせいぜい干した果物くらいしか食べられない上に、荷物として持てる量を考えるとほんの少量ずつしか口にできません。ゆえに迷宮に入って以来甘味に餓えていたということもあったのですが、それを考慮してなお異常とも言える勢いでガツガツと食べていました。
「これ、すっごく美味しいです~!」
見たこともない白いふわふわを酸味のある赤い果物と一緒に食べると、甘味や果物の風味が一層引き立ち美味しい。白いふわふわの下にあった冷たくて甘いカタマリをサクサクした焼き菓子と一緒に食べると、これもまた美味しい。食べるうちに口の周りや手がベタベタになるのもお構いなしに、グラスが空になるまで夢中で食べ進むのでありました。
結局、彼らは最初に警戒していたことなどまるで忘れたかのように皿が空になるまで食べ、量が足りなかったのでおかわりをして、しまいには酒を頼んでツマミも注文し、ボトルが何本も空になるまで飲んで酔っ払い、オマケにお土産まで購入し、ここが迷宮の最下層であることなどすっかり忘れて勘定を済ませて店を出たのでありました。
「……う、ここは?」
目を覚ましたアランは自分がどこにいるのか理解できず、疑問を口にしました。
自分達はたしか迷宮の最下層まで到達して、そこで奇妙な店を見つけて食事をしてそれから……それから先は何も覚えていません。
すっかり麻痺していた警戒心が頭をもたげるものの、その緊張もすぐに霧散します。
なぜなら彼が寝ていたのは知っている場所、その迷宮の入り口のすぐ脇だったのです。
魔物は基本的に迷宮の外に出てくることはないので、一応ここは安全地帯であると言えるでしょう。
よくよく見れば仲間達もすぐ周りでぐっすり寝ていました。
はて、自分達は酔っ払って意識が朦朧とした状態で、迷宮の最深部からここまで上ってきたのだろうか?
否、流石にそれはないだろう。
普通に攻略して三日かかった迷宮の最深部から、いくら道順が分かっているとはいえ酒の酔いが醒めるより早く帰還するなどありえない。
ならば、いったい何があったんだろう?
そもそもあの店はなんだったんだろう?
あの給仕の少女の正体は?
疑問は尽きないけれど、ようやく仲間達が起き出したので一旦思考を中断。
先程までの自分と同じく困惑する仲間に、とりあえず安全であることを伝えて落ち着かせました。
モヤモヤした気持ちは残っているものの、流石に今からもう一度最深部を目指す気にはなれません。一応は当初の目的である迷宮の攻略も完了していることですし、このまま活動の拠点としている最寄りの街へと向かう流れになりました。
その道中。
「いったい何だったんだろう、あの店?」
アランが何度目か分からない疑問を口にします。
「皆そろって同じ夢を見てたとか?」
ダンが自分でも信じていないだろう推論を返しました。
「でも、ほらコレ」
エリザが手荷物の中に入っている紙箱を、うっすら購入した記憶があるお土産、持ち帰り用の料理の入った箱を皆に見せました。こうして物証があるのだから夢という線はないでしょう。
「よく分からないですけど、また食べたいですね~」
と、メイがズレた答えを返します。
結局、何もかも意味不明で正体不明。
「まあ、分からなければもう一度行って確かめればいいか」
けれど、どこか気楽な調子で彼らは言います。
何故なら彼らは冒険者。
未知への好奇心ならば誰にも負けない。
いずれあの”お宝”の謎だって解き明かしてやると決意して街への帰路を進むのでした。