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(6)見合い話と私

 夕食をご馳走になって以来、阿川部長は一層気さくに話しかけてくれるようになった。

 部長が社へ来訪された際にお茶を出した後、今までは他愛のない世間話をしていた程度なのだが、最近もっぱらの話題は部長のご家族についてである。

 奥様のことはもちろん、三人の息子さんもよく話題に登った。特に私が先日お会いした長男の滋さんの話は度々耳にする。阿川部長は滋さんの多忙を極める仕事ぶりと体調を心配しているようで、彼の話をしない日はないほどだ。

 今日も部長が座るソファの横に立ち、楠瀬課長が来るまでのお相手をしていた。


「あまりうるさく言いたくないが、あいつはとにかく仕事に没頭していてね。このままでは近いうちに体を壊してしまうんじゃないかって言うほどに、仕事中心の生活なんだよ」

 お茶をすすりながらしみじみ呟く口調は、般若であることを一切窺わせない、一人の父親のものだった。

 そんな部長の様子を好ましく思いながら、差し出がましくも私は口を開く。

「この前聞いたお話からすると、今は責任あるポジションを任されていてお忙しいとか。人任せにせず、自分から率先してお仕事なさるお姿はとても頼もしいと思います。ですが、父親として心配されるお気持ちも分かります」

 詳しい事情は分からないが、息子さんの勤める会社で大きな人事異動があり、それによって、社内の業務体系に変動があったとか。

 滋さんは面倒見がよく、また仕事に関してはっきりと物を言う性格もあってか、課の中においてリーダー的存在であったようだ。そして今回の異動で主任に抜擢され、それもあって非常に忙しいらしい。

 もう一口お茶をすすった部長が、短くため息をついた。

「私も若い頃には我武者羅に仕事をした時期があったから、滋にそう強くは言えないがな。だが、その経験があるからこそ、あいつの体が心配でもあるんだよ」

 私は部長の言葉に小さく頷く。

「体力的にも精神的にも、大変そうだとお見受けしました。責任を負うというのは、とても厳しいことなのですね」

 大した仕事を任されたことのない私には、部長の息子さんが現在抱える苦労は、想像することも難しい。だが、先日会った時にはだるそうで、顔色もあまり良くなかったところを見れば、相当大変なのだろうということは容易に見て取れた。

「まぁ、社内の体制が落ち着けば勤務時間も仕事量も減るようだから、大丈夫だろうと思っているがね」

 やれやれと軽く首を振った部長は、少しだけ目元を和らげた。

「こんな時、滋が結婚していたらって思うよ。一人暮らしだから、家の事は自分でしないといけないからな。今の様子では仕事で疲れて帰っても家事なんてロクに出来ないし、食事もまともに取れないだろう。いや、奥さんを家政婦のように考えているわけじゃなくて、家で待っている人がいれば、アイツも少しは自分の体を気遣うんじゃないかと思ってね」

 苦笑しながらそう呟く部長が、ふと、気が付いたように顔を上げた。

「そうだ、今からでも遅くない。石野くん」

 湯飲みをテーブルに置いた部長が、真っ直ぐに私を見つめてくる。その視線に緊張感を覚え、私は背筋を伸ばした。

「はい、なんでしょうか?」

 真剣な様子の部長に訊きかえすと、予想だにしていなかった言葉が耳に届く。

「滋と見合いしないか?」

「……は?」

 思わずポカンとしてしまう私。


―――今、“お見合い”って言ったのよね?


 どうして私なのだろうか。滋さんに合うような女性はたくさんいるだろうに。

 少し話をしただけではあるが、彼の優しい物腰や、話し上手なところ、時折見せる情熱的な性格は、女性にとってすごく好ましいものだと思った。人柄はもちろん、結婚するに当たって経済面でも問題はなさそうだ。 

 確かに年齢的な部分だけ見れば、私も滋さんの結婚相手の範疇に入る。だが、こんな私が部長の息子さんの嫁に相応しいとは考えられない。

 大事な息子さんの結婚を、なぜ私で済まそうとしているのか全く分からなかった。いくら結婚を急いでいるとはいえ、女性ならば誰でもいいというはずなどないのに。

 戸惑いと驚愕の表情で何も言えない私に、部長はズズッと身を乗り出して更に話を進めてくる。

「既に顔合わせはしたが、あれは単なる偶然で、お互いにそんな意識などなかっただろう。だから見合いということで会えば、もっと親密になれるだろうしな」

「し、親密って?!」

 頭の中が整理できないうちに、部長は嬉々として話し続ける。

「結婚を視野に入れて、改めて滋と会ってもらえないかい?君が嫁になってくれたら、こんなに嬉しいことはないよ」

 ニッコリと微笑む部長は、私の反応を待っている。

 

―――本当にお見合いさせるつもりなの?部長の息子さんと?……この私が!?

 

 我に返った私は、ありえない話にブンブンと首を横に振った。 

「い、いえ、そんなっ。私にはもったいないお話でっ」

 お世辞や謙遜ではなく、本当にもったいないと思う。滋さんは、私みたいなつまらない女を嫁にしなければならないほど、人望がないとは考えられない。むしろ、彼と結婚したい女性が山ほどいるのではないだろうか。

「あの、他の女性はいかがですか?それこそ、部長の会社には素晴らしい女性もたくさんいることでしょうし」

 私の言葉に、困り顔で笑う部長。

「まぁ、我社にも年頃の女性はいるんだが、滋に合うような感じではないんだよ。何て言うか、まぁ、非常に快活な女性達ばかりでね。ああ見えて滋は奥手な部分があるもんだから、あまり元気の良過ぎる女性とはやっていけないように思うんだ」

 部長の話には少し頷けるものがある。だからといって、地味でしかない私では、やはり嫁には向かないと思う。

「申し訳ございませんが、私にはこのお話しは分不相応ではないかと。私は自分でもつまらない人間だと分かっておりますし……」

「つまらないだなんて、とんでもない。滋が君と楽しそうに話しているのを見て、私とカミさんは喜んでいたんだよ。二人とも気が合っていたように思えたぞ」

 そう言われれば、部長と奥様抜きで滋さんと話をする場面も何度かあって、それなりに会話は弾んでいた。滋さんが時々見せた笑顔には愛想笑いのような印象はなく、本当に楽しそうだったようにも思える。

 あの時の滋さんの顔を思い浮かべていると、次に両親の顔が浮かんできた。

 私はもうすぐ三十歳で、真剣に結婚を考える時期だろう。私自身としては自分が結婚に向かないと分かっているし、こんな私と結婚したい男性が現れるなんて考えたこともないから、一生独身でいるつもりでいた。

 だが、両親は違う。

 何かにつけて、『恋人は出来たのか?』、『そろそろ結婚を考えたらどうだ?』という決まり文句が飛び出すのだ。時折、両親の親戚や友人から、お見合い写真や相手の釣り書きが届く。私にはもったいない相手だと言って逃げているが、それもいつまで通用するか。

 両親を安心させるためにも、一度くらいはお見合いしてみてもいいかもしれない。私が結婚の意志をまるっきり見せないから、両親は必要以上に私を心配しているのではないだろうか。部長の息子さんと結婚するつもりなどさらさらないが(心配しなくても、相手が断ってくれるだろうし)、“お見合いをした”という事実があれば、両親も今ほどうるさくは言ってこないように思う。

 逆にここぞとばかりに見合い話を持ってくる可能性も考えられなくはないが、その時は『しばらくそっとしておいてほしい』とでも言っておけば、多少はあの両親も大人しくはなるだろう。


―――ちょっと考えてみようかな。


「あの、少しだけお時間いただけますか?お返事はきちんとしますから」

 話を切り出された時と違って幾分表情を和らげた私の言葉に、部長はホッとしたように息を吐いた。 

「まぁ、堅苦しく考えなくていい。軽く食事するだけでもいいんだよ。二人で会って、やっぱり結婚は無理だと思えば、それはそれで構わない。君や滋の将来にも、もちろん仕事での付き合いにも、なんら影響は出さないから」

「はい、前向きに考えますので」

 私がしっかり頷けば、部長は名詞を一枚取り出し、その裏に連絡先としてプライベートの携帯番号をサラサラと書き込んだ。差し出されたそれを、丁重に受け取る。

「大いに前向きになってくれ。私はお世辞ではなく、石野君が娘になってくれたら嬉しいからな」

 そう言って美味しそうにお茶を飲み干す部長を見て、私はそっと微笑んでいた。

 



 それから程なくして楠瀬課長がミーティングルームに入ってきた。

「度々お待たせして申し訳ございません」

 課長が声をかけると、部長はチラリと私を見遣る。

「いや、石野君と楽しく過ごさせてもらったからな。かえって、もっと遅くなってもかまわんくらいだ」

 声を上げて笑う阿川部長に、私も少しだけ笑う。

 そんな私たちの様子を見た課長が、わざとらしく肩をすくめた。

「おや、随分と楽しそうですね。もしかして、私をいじめる算段でもしていましたか?」

「ははっ、それはどうかな?」

 悪戯っぽく笑う部長が私を見る。私も部長を見て、再び口元を和らげる。 

 すると課長は軽く眉を寄せた。

「石野とは随分と仲がよろしいんですね」

「まぁな。私は彼女の事がとても気に入っているんだよ。何しろ、一緒に夕食を食べた仲だしな」

 ニコリと笑う部長に、課長の眉はますます寄ってゆく。

「それはどういうことでしょうか?部長の個人的な都合ということで?」

 課長の声がわずかに硬い。その表情も、いつもの穏やかさが消えている。


―――どうしたのかしら?あ、……もしかして、不倫だと思われてる?


 そうであれば部長に大変申し訳ない。私は慌てて弁明しようとしたが、それよりも先に阿川部長が口を開いた。

「楠瀬君、そう深読みするな。二人きりではなく、私の家族も一緒だったのだから。なぁ、石野くん」

 名前を呼ばれて、私は大きくコクンと頷いた。しかし、課長の様子はますます硬くなってゆく一方だ。

「部長のご家族もご一緒に?」

「ああ。カミさんも息子も、とても楽しそうだった。もちろん、私もだがね」

 その言葉で、課長の目が驚いたように大きく開いた。

「部長の息子さん?それは一体……」

 そう言ったきり、楠瀬課長が固まってしまう。

 どうしたのだろうか。やはり立場が上の取引先と気軽に夕食を食べたことは、失礼に当たるのだろうか。

 いくら誘われたとはいえ、ただの事務員にしてはあの行動は軽率だったのかもしれない。やはり、夕食は辞退するべきだったのだ。

 私は姿勢を正し、阿川部長と課長に対して頭を下げた。

「私の浅はかな行動でご迷惑をお掛けいたしました。ですが、部長のご厚意で誘ってくださったことですので、悪いのは私一人です。以後、気をつけます」

 深く頭を下げれば、部長が慌てて立ち上がる。

「石野君、何を言ってるんだ。迷惑だなんて、そんなことあるはずもない」

 私の肩を掴んで、頭を上げさせる。

「楠瀬君、彼女はカミさんのプレゼントを買いに行こうとして道に迷っていた私を、親切にも助けてくれたんだよ。そのお礼として、食事に招いただけなんだ」

 部長の話を聞いて、課長の表情が少し緩んだ。

「そういうことでしたか。……私はてっきり、顔合わせでもしたのかと」

 最後のほうはとても小さな声だったので、部長にも私にも聞こえなかった。

「楠瀬君、何か言ったかな?」

「いえ、私の独り言ですので、お気になさらずに」

 ニッコリと微笑む課長の顔は、すっかりいつも通りだった。


 


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