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(3)優秀な同期と私

●「女帝」のあの人が登場します。…が、「女帝」をご存じなくとも、話は通じるかと。

 今日は諸々の書類を提出する為に、総務部へと来ている。

 書類受付カウンターの担当者が前に並ぶ社員の相手をしているので大人しく順番を待っていると、私に気付いて一人の女性がやってきた。

「いつもの書類でしょ。私が受け取るわ」

 そう言って手を差し出してきたのは、同期であり、そして総務部のチーフである佐々木みさ子だった。

 彼女は私と同じく、いや、私よりも地味な格好をしている。

 一切染めていない黒髪は肩の辺りで切り揃えられただけで、巻いてもいないし、ヘアアクセの1つもなかった。

 メイクはおそらくファンデーションとうっすらと色づいた口紅くらいだろうか。アイライナーもマスカラも施されていない。

 シルバーフレームの眼鏡を常に掛けているので、かなり硬質な印象を与えている。服装はグレーや黒のパンツスーツに白いブラウス。差し色の1つもない。

 そんな彼女は見るだに地味そのものだが、その存在感は圧巻だ。

 佐々木さんはほとんどヒールのないフラットな靴を履いているにも関わらず、その身長は170センチ近い。パンプスを履いてやっと160センチに届く私からすれば、とても大きく見える。

 だが、その存在感は身長だけによるものではなかった。

 三十歳前に総務部チーフという役職を得て、その肩書きに恥じないどころか、それ以上の働きを見せる彼女には、上層部から絶大な信頼が寄せられている。

 表情を変えずに仕事をこなし、そして書類の些細なミスも見逃さない彼女は、一部の社員からは『鉄壁の女帝』と言われて恐れられている。だが、それすらも彼女の存在感がなせる業だ。後輩からも馬鹿にされて存在感のない私からすれば、例えいい意味ではない彼女の二つ名がうらやましく思える。

 その女帝が無言で鋭い視線を書類に走らせ、ややあってから最後にやんわりと口元を緩ませた。

 この何気ない仕草が、私は好きだった。彼女が時折見せる小さな微笑にはウソがなく、品があって綺麗なのだ。

 意図的なのか無意識なのか、普段は女性らしさを纏わない佐々木さん。だからこそ、めったに観る事が出来ない彼女の微笑みは威力がある。

 しかし、彼女をよく思っていない大半の社員達は佐々木さんの魅力に気付こうともしない。

 本当は可愛くて綺麗で優しい人なのに。

 

―――もったいないよね。


 佐々木みさ子という魅力的な同期を前にそんなことをボンヤリと考えていたら、「どうしたの?」と、顔を覗きこまれた。

「え?あ、ううん、なんでもないの。えっと、その書類、大丈夫?」

 慌てて我に返った私にちょっとだけ不思議そうな顔をした佐々木さんは、ゆっくりと頷く。

「相変わらず、石野さんの書類は完璧ね」

 彼女にOKを出されて、私はホッと息を吐いた。

 佐々木さんはほんの一箇所でも不備があれば本人に書き直させ、完璧に仕上がるまで受け取らない。それは意地悪ではなく、その社員が書類の不備により社内査定が下がるのを防ぐためなのだ。

 だが、その事実は広く知られておらず、私と、彼女と仲がいい営業部の永瀬君と、彼女の伯母であり経理部のチーフである奥井さんくらいしか知らなかった。

 厳しい書類チェックにより、例え周囲から誤解による侮蔑を受けても、彼女の態度は一切変わらない。

 そんな彼女が可哀想に思えて、以前、

『みんなに本当のことを言ってみたら?書類のやり直しは優しさからのものだと分かってくれたら、あなたのことをあからさまに悪く言う人はいなくなると思うけど』

 と、告げた事がある。

 だが彼女は静かに首を横に振り、

『いいのよ、言わなくて。厳しくした方が、次こそはきちんと書こうという気になるでしょ』

と、ほんの少し苦笑するだけ。

 それからも、彼女に対する間違った評価はけして減る事がなかった。

 そのことに納得がいかなくて永瀬君に相談すれば、

『俺も散々言ったんだけどな。でも見ての通り、アイツは変わらない。佐々木自身が変わる必要性を感じていないんだから、いくら言ったところで無駄だろ。ホント頑固な奴だよ、昔から』

 と、彼は肩をすくめるばかり。

『そうなんだけど……。でも、本当にこのままでいいのかな?私、なんだか悔しくって』

 はぁ、とやるせないため息が零れる。

 そんな私を見て、永瀬君はソッと目を細めた。

『今は社のほとんどの人間が佐々木を誤解している。でもな、アイツが意地悪でやっていない以上、必ずアイツの優しさを見抜いてくれる人間が沢山出てくるさ。だから、大丈夫だ』

 そう言って、永瀬君は話を終えたのだった。

 

 真っ直ぐに、自分の信念を変えず、だけどその心の奥には優しさを携えている佐々木さんは、援護してくれる味方は少ないが、その分、彼女の味方となる人物はかなり強力だったりする。 

 彼女の直属の上司である立川部長を筆頭に、KOBAYASHIの幹部は佐々木さんの仕事を信頼しているし、同じ部の後輩である沢田さんは、彼女に心酔しているかと思えるほどよく懐いている。

 営業部所属で毎月成績の上位争いをしている永瀬君は大学時代からの付き合いで今でも仲がよく、二人で飲みに行くこともあるという。

 姉御肌の奥井チーフは自分の身内として彼女を贔屓して可愛がることも無く、一社会人として存在を認め、彼女の伯母である事を誇らしげに語る。

 こんな風に上司からも後輩からも同期からも好かれている佐々木さん。そういうところが私とは違うのだ。

 私は誰からも好かれることなく、さして誰からも必要とされない存在の私。与えられた仕事をミスのないように淡々とこなす日々。


―――私がこの会社で働く意味って、あるのかなぁ。


 誰もがうらやむほどの大企業であるKOBAYASHIで働いているのに、私は毎日自分の居場所のなさを感じている。

 単なる事務員の私が突然いなくなったところで、誰も困らないに違いない。困るどころか、清々したと周囲は喜ぶかもしれない。

 だからといって、せっかく入った会社を確固とした理由もなく辞めるほど愚か者ではないつもりだ。

 だけど、優秀な同期と自分との差に心の奥では引け目を感じている小心者ではあった。自分と同じ年齢で、自分と同じ性別の人間と対峙すると、自分の情けなさを痛感して落ち込んでしまう。


―――私も、佐々木さんみたいに堂々とできたらいいのに。


 こんなことを彼女と比べること事態が馬鹿馬鹿しいと分かっている。私はどう頑張っても私でしかないのだ。他の誰にもなれない。

 今日も取り留めのない思いを抱えながら総務部を後にする。

「誰か1人でいいから、私のことを必要としてくれないかな……」

 総務部からの帰り道、誰もいない廊下でポツリと呟きが洩れた。


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