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(31)週末と電話と私

 私と一義さんのお付き合いは、静かにゆったりと続いている。

 始まりこそ急転直下な展開ではあったが、それ以降は特別目立った展開はなかった。

 平日は、互いの都合がつく限り一緒に夕飯を食べ。週末は出かけたり、一義さんの部屋で過ごしたり。

 それでも、これまで恋愛ごとには一線引いていた私にとっては大きな変化ではあったけれど。

 自分が誰かに愛される日が来るなんて、夢にも思わなかった。胸の奥がくすぐったくてたまらない。

 土曜日の朝。一義さんの腕の中で目を覚ました私は、クスッと小さな笑みを漏らす。

「ん、どうした?」

 寝起き特有のセクシーな掠れ声で、一義さんが訊いてきた。

 私のことを抱き寄せ、頬ずりをしてくる彼の様子は、なんだか甘えん坊のようで可愛い。

 普段はあんなにも冷静で穏やかな楠瀬課長が無防備な姿を見せてくれることも幸せで、またしても胸の奥でくすぐったさを感じる。

「いえ、あの、こうしていられることが幸せだなと思いまして」

 そう答えた私に、一義さんは苦笑する。

「二人で横になっているだけで幸せだなんて、雅美は欲がないな」

「でも、私は今までこういったことを味わったことがありませんから」

 考えたこともなかった今の状況は、私にしてみれば奇跡と呼んでもおかしくないものだ。恋人の腕の中で目を覚ますことなど、それこそ夢見たこともない。

 恥ずかしさはあるものの、それでも自分が嬉しいと感じていることを分かってもらいたくて、私は彼に擦り寄って肩口に顔を埋めた。

 一義さんは私の腰に回していた手を上へと移動させ、背中をポンポンと叩いてくる。

「だったら、これから先は嫌ってほど味あわせてやるよ」

 その声と彼の仕草、そして伝わってくる温もりが本当に幸せで、思わず目頭が熱くなってしまった。

 涙を誤魔化そうと、彼のパジャマに顔をギュッと押し付ける。

 すると一義さんは両腕を私の背に回し、

「雅美、愛してる」

 と、囁いてきたのだった。




 それから少しだけ二人で微睡んだ後、身支度を整えるために起き上がる。

 今日はのんびりしていられない。なにしろ、彼のご両親がここに来るのだ。

 一義さんの場合は流れで私の両親と顔を合わせることになってしまったが、私自身は彼の両親との対面はまだまだ先のことだと思っていた。

 付き合ってまだ二週間ほどだ。ご両親に会う心構えなど、まったくできていない。


 それなのに、昨晩、一義さんから切り出された。


「雅美。明日、俺の親がこのマンションに来る」

 夕食後に掛かってきた電話を受け、リビングでしばらくやり取りをしていた彼は、食器を洗っている私のところに来てそう言ったのだ。

「はい?」

 手早く泡を洗い流し、タオルで手を拭いながら振り返ると、一義さんはちょっと困ったような顔をしている。

「雅美といる時、俺は基本的には電話に出ないだろ?それを親が訝しんで、最近はやたらめったら電話をかけてきていたんだよ。仕事中もおかまいなしで、一日三十件の着信ってなんだよ。ったく、嫌がらせか?」

 彼は携帯電話の着信履歴を開き、私に見せてきた。そこには、『実家』もしくは『母』という文字がびっしり並んでいる。

 件数の多さにちょっと驚いたが、それをなんとか隠して微笑み返した。

「心配されているんじゃないですか?」

 私の言葉に、一義さんは肩をヒョイっと竦める。

「まぁな。これまでかかってきた電話に出ないってことはほとんどなかったし。それで、あまりにしつこいからさっき電話に出たんだけど、『何度もかけているのに電話に出ないなんて、絶対におかしい。恋人が出来て、そっちにばかりかまけていたんだろう?』って言われてさ。思わず、そうだって答えた」

「え?」

 ハッと目を見開く私に、一義さんは眉間にうっすらと皺を刻む。

「何でそこで驚くんだよ。雅美は俺の恋人だろうが。知られて困ることなんかないだろ」

「あ……、は、はい。そうなんですけど……」

 何となく、彼のご両親に自分の存在を知られることが気恥ずかしかったのだ。別に嫌だと思ったわけではない。

 嫌ではないが、会うとなると事情が変わる。こんなに早いうちに相手の親に会うことになるとは、戸惑いが隠せない。

 これが数か月経ってからの対面であれば、気持ちにいくらか余裕が出ていることだろう。

 しかし、まだたった二週間なのだ。 

「一回雅美に会えば、親も落ちつくと思うんだ。会ってくれるか?」

 私が気負わないように、何気ない調子で告げる一義さん。だけど、不安そうに窺っているのは分かった。

 親と会うということがどういう意味なのか、鈍い私でも分からないわけではない。つまりそれは結婚について前向きに考え、場合によっては後戻りできない状況に身を置くということ。

 まして一義さんの年齢からすれば、付き合っている相手との結婚を当然のように視野に入れていると、ご両親が判断してもおかしくない。

 結婚することについて否定的なつもりではなかった。ただ、私が結婚について戸惑ってしまい、あまりに困惑を深めてしまったから。

 そんな私の様子に、一義さんは

『俺が雅美と結婚したい気持ちは、これからもずっと変わらない。だから、もう少し時間をおこうか』

 と言ってくれたのだ。

 何かの拍子で「どんな式にしたいか?」や、「洋装と和装、どちらにしようか?」といった具合に話のタネになることはあっても、付き合うことになった日に入籍という話が出て以来、その後は本格的な話し合いにはなっていなかった。

 だからこそ、今、彼は私の出方を見定めようとしているのだろう。

 どこか強引なところがある一義さんではあるけれど、無理を押し通せば、私が委縮してしまうことは彼もよく知っている。

「ええと……」

 私はエプロンの裾を握り締め、床を見つめた。

 お互いに結婚を意識しているのであれば問題ないだろうが、その意識がないままに顔合わせとなれば、非常に気まずい。そして、相手のご両親に申し訳が立たない。

 二の句が継げないでいる私に、一義さんは右腕を伸ばして抱きしめてきた。

「雅美が俺の親にまだ会いたくないのであれば、無理をしないでほしい。絶対に明日じゃないと駄目だってことではないんだ。それに強引に引き合わせた結果、雅美が俺から逃げ出してしまうのは困るしな」 

 彼が私を気遣う心が伝わってくる。

 出来ることなら、お会いするのはもう少し先にしてもらいたい。それが正直な本音。

 だけど私のことばかり考えてくれる一義さんの想いに、例え僅かでも応えたいと考える自分がいる。

 私は短く息を吸い、グッと顔を上げて口を開いた。

「いえ、お会いします」 

 きっぱり告げた私に、一義さんが驚いて顔を覗きこんでくる。

「え?雅美?今、何て言った?」

「お会いしますと言ったんです。今度は聞こえましたか?」

「き、聞こえた。だが……」

 自分の耳を信じられないでいる一義さんの戸惑いに、ちょっとおかしくなってしまった。フッと小さく笑えば、肩に入っていた余計な力が抜けてゆくのが分かる。

「お会いしたからと言って、『じゃあ、週明けにでも籍を入れろ』とはならないでしょ?もちろん『すぐにでも結婚だ』となれば、今後のお付き合いは少し考えさせて頂きますけど」

 クスクスと笑っていた私は、彼の肩にコツンと額を乗せた。自分の気持ちが伝わるように、一義さんを抱き締める。

「私だって、結婚のことはちょっと考えているんですよ。ただ、すぐには行動に移せないだけで」

 気持ちの整理がつけば、結婚に対してもっと前向きなれるはず。

 そう、今はその時期ではないだけ。恋愛経験のない私が戸惑っているのは、お付き合いすることで手いっぱいだから。一義さんと同じ未来を歩きたくないということではない。

「本当にいいのか、雅美。俺としてはすごく嬉しいけど……」

 いつもとは立場が逆転し、彼の方がおっかなびっくりの態度。

 おかげで、さっきから私は口元が緩んで仕方がない。こんな彼の姿を見られるのは私だけの特権なのだ。

「お会いするのはいいんですけど、私、相当緊張するでしょうから、フォローをお願いしますね」

 私の言葉に、一義さんは痛いほど抱き締め返してくる。

「ああ、もちろんだ。雅美なりに俺との将来を考えていてくれて、すごく嬉しい。やっぱり、雅美は最高の恋人だよ」


 私の不安も悩みも全部受けとめたうえで私のことを愛してくれる一義さんこそ、最高の恋人だと思う。

 だけど照れくさくて言えないから、私は彼の背中に回した手に少しだけ力を篭めた。


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