(2)家族とは違う私
私の家族は総じて言えば“派手”である。いや、派手というよりも華やかと言うべきか。とにかく、そこに立っているだけなのに、隠し切れない存在感があるのだ。
人目を惹く魅力が彼らには溢れている。……私とは違って。
父は有名大学の中でも、かなり名の通った教授だ。
固い講義内容でも、時折ユーモアや図解を交えての説明はとても分かりやすく、父の講義はいつも学生が押し寄せているらしい。聞いたところでは、聴講生として、他の大学からの学生も講義に出席しているとか。
母は料理好きが高じて教室を開いており、その評判のよさに生徒は惹きも切らない。学生の頃、母のお弁当は友人からも大好評で、時にはあまり親しくないクラスメートからもおかずの交換の申し出があったほど。今ではレシピ本を出版したり、料理番組にも出演しているようだ。
二つ上の姉はまさに健康美人で、日本でも有数の体育大学に推薦で入学した。
明るく快活な性格の姉は、大学を卒業すると、数年のキャリアを積んだ後にプロスポーツ選手のフィットネスインストラクターとなっている。
来年の春に大学を卒業する弟は、バイトと称して続けていたモデル業を、今後は本格的な活動にするとか。だいぶ早い時期に、所属事務所から『モデルに専念してほしい』というかなり熱心な話があったようだが、弟は大学中退を頑として頷かなかった。それほどまでに、弟は事務所に、モデル界に期待されているのだろう。
時々、弟が特集されている雑誌や、大きく表紙に載っているのを見ると、まるで遠い存在に思える。血の繋がった家族というのが、とても信じられない。
そんな彼らの中で、私だけが違っていた。
可もなく不可もない人間である私が華々しい家族に囲まれれば、その存在など無いに等しい。なので、例え自分の家にいても常に居場所がないと感じていた。
だからといって、家族から疎外されているわけではない。これまでにたった一度だって意地悪されたこともないし、無視されたことも無い。両親からは、姉や弟と同じ愛情を向けられてはいると思う。
ただ、“自分は彼らとは違うのだ”という認識が、幼い頃から私の中に深く根付いているだけ。
土曜日の朝。
いつもよりほんの少しだけ遅く起きてキッチンに顔を出せば、結婚して家を出た姉が母と談笑していた。
「おはよ、雅美」
ニコッと笑う姉の笑顔は、まさしく今朝の太陽のように綺麗で眩しい。
「おはよう……。珍しいね、こんな早い時間に」
「出張する旦那を駅まで送ってきた帰りなんだ。焼きたてのクロワッサンを買ってきたから、一緒に食べよ」
そう言って、姉は大き目の紙袋をユサユサと揺らす。姉夫婦が住むマンションの最寄り駅には、美味しいと評判のパン屋があり、姉は実家に来るときの手土産としてよく買ってきてくれる。数あるパンの中でも、クロワッサンは我が家で大好評。私も好きだ。
「スープが出来てるから、早く顔を洗ってらっしゃい」
母は鍋を手早く掻き混ぜながら、私に優しく話しかけた。
「うん。あれ、お父さんは?」
「そろそろジョセフの散歩から帰ってくる頃よ」
ちなみにジョセフとは、知り合いのブリーダーから譲り受けたコリーで、それはそれは由緒正しい血統の犬である。人間にすれば、どこかの王子様か貴族といってもおかしくないほど、利口で上品な性格だ。
「雅美、支度が済んだら隆志を起こしてきて。一緒に食べてくれないと、台所が片付かないわ」
少し困ったように、母が休日の朝の定番セリフを口にする。それに対して、私も軽く苦笑を返す。
「分かった」
返事をした私は顔を洗い、適当な部屋着に着替えてから弟を起こしに行った。
私の部屋の隣にある弟の部屋を開けると、ベッドの上で枕に抱きつくように眠っている弟の姿がある。
そっと近付いて見下ろせば、そこにいたのは眠りの森の美女ならぬ、美青年だ。
―――同じ親の血が流れているはずなのに、どうしてこうも隆志と自分は違うのだろう。
緩くパーマがかかっているフワフワの髪はミルクティー色で、男性にしては色白の隆志に似合っている。
長い睫毛に縁取られた瞳はくっきりとしたアーモンド型の二重で、いつでもキラキラと輝いていた。
嫌みじゃない程度に高い鼻、口角の上がった形の良い唇。
首も腕も足もスラリと長く、そんな弟にはまさにモデルがうってつけだ。ステージでも、写真でも、その姿は見惚れるほどに映えるだろう。
弟が生まれてから星の数ほど繰り返してきたため息が、今も静かに零れる。
―――そんなこと、今更気にしたってどうにもならないのにね。
苦く笑った私は少し上体をかがませ、弟の肩を揺すった。
「隆志、起きなさい。みんなリビングに揃ってるわよ」
「ん……、あ?雅美ちゃん?」
大きな背伸びの後にボンヤリと目を開け、弟が私の名前を呼ぶ。
弟はいつの頃からか、私のことを“雅美ちゃん”と呼んでいた。もしかしたら、お姉ちゃんと呼ばれた事が無いかもしれない。
それは、弟にとって私は“姉”という存在に足らない人間ということなのだろうか。まぁ、それも今更のことだ。
だから私は弟から“雅美ちゃん”と呼ばれることに、特に反発も覚えない。自分でも、この出来すぎた弟の姉としてふさわしい人間であるとは思えないから。
「おはよう。詩織姉さんがクロワッサン買ってきてくれたわよ」
「ホント?起きる、起きるっ」
さっきまでの寝ぼけた様子は何処へやら、弟はピョンとベッドから飛び降りた。
「あ、その前に朝の挨拶ね」
そう言って弟は正面からギュッと抱きついてきて、私の額にチュッと口づける。
「おはよ、雅美ちゃん」
これは隆志が中学2年の時、半年のアメリカ留学から帰ってきてからの習慣となった朝の挨拶。
日本の生活習慣しか知らない私にすれば、いくら家族とはいえ、当初はかなり恥ずかしかった。
だが、愛らしい弟のスキンシップは嬉しくもあったし、反抗期がくれば自然と止めるだろうと考え、さしあたっては隆志の好きなようにさせていた。
ところが彼は反抗期を迎えて両親と多少の衝突はしたものの、この朝の挨拶はけして止めなかったのである。
思春期を迎えた隆志の方が恥ずかしさを感じると思っていたが、弟は一向にその気配を見せることはなく、次第に私の方が恥ずかしくなってきた。
なので、隆志の高校入学と同時に、『この朝の挨拶は、もうやめてはどうだろうか』と申し出たのだ。
高校生ともなれば、彼女が出来ることもあるだろう。万が一にもこのシスコン振りが彼女に知られ、弟の恋愛がダメになっては可哀想ではないか。
そして、億が一にもこの挨拶が友人達に知られ、周囲から疎外される要因になっては可哀想ではないか。
そう心配した私は、そのことを真剣に隆志に話した。
ところが、弟は
『俺に彼女は必要ない!それに、アピールする為にも周囲に知られたほうが万々歳だ!』
と、私以上に真剣な顔で言い返してきた。
誰にどうアピールするのか全く分からないが、あまりに必死な隆志の様子に、私は結局この朝の挨拶を続行することに了承してしまったのだった。
初めてこのアメリカ式挨拶をされた時は私と隆志は同じくらいの身長だったのに、今では頭一個半違う。
大きくなったものだとしみじみ見上げていれば、目の前の美しい弟がニッコリと笑った。
「さ、雅美ちゃんも行くよっ。早く早く!」
「ちょ、ちょっと、引っ張らないでよ」
起こしに来た私が逆に弟に引っ張られて、二人で騒がしくリビングへと向かった。
それから繰り広げられたのは、よくある一家団欒の食事風景。
だけど、私にしてみれば居心地が悪いだけの時間と空間だ。
父も母も姉も弟もなにかと私に構いたがるが、それではまるで自分が何も出来ないみたいで、苦痛に感じる。
―――そっとしておいてくれたらいいのに……。
湯気の立ち上る温かいスープを、寒々とした気分で飲み干した。