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(26)心配される私

 身長差がある私たちなので、上から覆いかぶさるようにキスされると、思いきり首を反らす羽目になる。

 おまけに強引に塞がれた唇は深く激しい上に、いつの間にか舌まで忍び込んでいて、段々と私の呼吸が妖しくなっていた。

「や……、あっ、ふ……」

 身を捩って逃れようにも、一義さんは腕の拘束を緩めることもしないし、唇を開放することもない。

 それどころか、身じろぐ私の様子にますますキスを深めてきた。


――あ、あの!私、喘いでいるんじゃなくて、呻いているんでけど!


 唇の隙間から零れた声に一義さんがやたらと興奮したようで、ますますがっちりと私に覆いかぶさってくる。すると、上から体重をかけられた私の背骨が鈍く軋んだ。


――やめて!痛い!苦しい!無理、無理、無理―――――!


 ガクガクと全身を震わせる私の様子に気が付いた一義さんが、静かに唇を離す。

 だけど、完全にキスを止めてくれたわけではなくて、私の上唇を舐めたり、下唇を軽く吸ったり、かと思えば唇同士を擦り合わせるようにしてみたりと、とにかく、変わらずに触れ合いを続けていたのだ。

 息がなかなか整わない私は、腰に回されている彼の腕を視点に仰け反ったような体勢で、浅い呼吸を繰り返している。

 足どころか全身から力が抜けている状態なので、これ以上崩れ落ちないようにするために、私は震える指先を伸ばして彼のスーツにしがみついていた。

 最後にペロリと私の唇を舐めた一義さんは、腕の位置を徐々に移動させて肩甲骨の辺りまで引き上げると、キュッと私を胸に抱き込む。

 どうすることも出来ない私は、彼にされるまま、その逞しい胸の中に収まった。一義さんの肩口に弱々しく額を押し当て、彼の温もりに包まれる。

 勤務中の一義さんは大抵穏やかな表情をしていて、こんな風に強引な仕草を見せることは、まずないことだ。

 それがどうしたことだろう。私の前では、まるで人が変わった様になる。

 確かに困ることではあるけれど、そう言った一面を見せてもらえるのは嬉しいことでもある。何より、一義さんの腕の中は、本当に居心地がいいから。

 私は長く息を吐いて、体をクタリと一義さんに預けた。

 すると私の髪に彼が頬ずりしながら、クスクスと笑みを零す。

「こうして俺に体を任せてくる雅美が可愛すぎて、情けないくらいに顔が緩みまくりだな」

 普段甘えることが出来ない私でも、こういう時くらいは素直に彼を頼ってもいいだろう。足に力が入らないため、まともに立てないというだけなのだが。

 逃げるそぶりを一切見せない大人しい私に、彼の機嫌がぐんと良くなる。私を閉じ込めるように長い腕に力が籠り、更に二人の体が密着した。

 布越しに伝わってくる彼の体温も、抱き締めてくる腕の強さも、髪に擦り寄る感触も、彼が与えてくれるものは何もかもが幸せだ。

 私はもっと一義さんを感じられるように、額を強く押し付けてしがみつく。

「どうした?」 

 柔らかい声が頭の上から降ってくる。

 私だけが聞けるその声が嬉しくて、私も小さな笑みを零した。


 その時、向こうからこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。

 そうだ、ここは社内だった。

 我に返った私はガバリと身を起こし、一義さんの腕から脱出した。そして、すかさず数歩離れる。

「あ、あの、やはり社内でこういったことをするのは良くないかと!ましてや、課長がそのような態度では、部下に示しがつきません!」

 今まで散々抱き締められて、心地よくてウットリしていたくせに、どの口がそう言うんだ!……と、心の中で己に突っ込む。

 それでも、つい先ほどまでとはガラリと態度を変え、私はピシリと指摘した。

 あっという間に部下の顔に戻った私を見て、一義さんは短く苦笑する。

「毅然とした態度の雅美も可愛いな」

 と、優しく蕩けた表情に。

「ま、また、そんな事を!」

 恥ずかしさでカッと顔を染めた私は、狼狽えつつも彼を睨み付けた。

「だから、さっきも言っただろう。どんな雅美でも可愛いって。ま、いいか。帰るぞ」

 そう言った一義さんはすかさず私の手首を掴むと、クルリと方向を変えて歩き出す。

「は?」

 足取りはゆったりしているのに、手首を掴む力は強引。私は引きずられる様にして一義さんについていく羽目に。

「え?あの、どちらへ?」

 社員通用口からどんどん遠ざかりながら尋ねれば、顔だけで振り返る一義さん。

「帰るんだよ」

「は?いえ、通用口はあちらですけど」

 ほんのすぐ目の前まで来ていたのだ。手を伸ばせば、扉に手がかかる位置にいたのだ。

それが今、廊下を逆戻りしている最中。

「か、課長?」

「あっちから出たら、駐車場に行けないだろう」

 彼の言う駐車場は、例の地下駐車場だ。今朝は車で出勤したのだから、もちろん、一義さんの車はそこにある。

「ですが、私は電車で帰りますし」

 出勤した時は家まで送ってくれた彼と一緒にという流れというか、仕方ないという感じであったけれど、さすがに帰宅までは共にするとは思わなかった。

 だって、一義さんは忙しい人だから。ただの事務員である私と同じ時間に退社できるはずないだろうし。

 いや、別に、彼の仕事が遅いと言っているのではない。私などとは仕事量も、その責任も違うと言いたいのだ。

 だから、てっきり私は一人で帰るものだと思っていたのだが。

「ちゃんと家まで送るよ。さすがに二晩続けての外泊はマズいだろうしな。俺としては全くかまわないが」

 チラリと向けてくる視線に艶が滲む。顔がいい人というのは、視線一つで色気が醸し出せるらしい。

男性特有の色香にドキリと胸を弾ませ、またしても顔が赤く染まる。

「こら、そんな可愛い顔をやたらとふりまくな」

 笑いながら窘めてくる彼。

 そんな一義さんに、やっぱり一度は眼科を受診させようと真剣に考える私だった。




 結局、彼の車で家まで送ってもらうことになった。

 助手席にチョコンと収まりながら、私は頭を下げる。

「すみません、よろしくお願いします」

「別に気にするな。俺が強引に乗せたようなものだし」

 確かにそうなのだが、あまり背が高くない私としては、帰宅ラッシュ時間帯の電車に乗ることは出来る限り避けたいと思っていたので、何はともあれ助かることには違いない。

 狭い電車内に押し込められ、身動きの取れないあの時間は、極端に背が低くない私でも苦行そのもの。それを味合わなくて済むのだから、本当に助かる。

 事情を説明すれば、一義さんは目を細めた。

「それならば、この先は俺と一緒に帰ればいい」

「い、いえ、そんな!大丈夫ですよ。今までも電車を使っていたんですし」

「だが、それは『今まで』の話だろ?恋人同士になったんだから、これからは一緒に帰ってもいいじゃないか。なんだったら、出勤も一緒にするか。朝一の会議が入らない限りは、雅美の家に迎えに行くよ」

 優しく微笑まれるが、素直に頷くことは出来なかった。私は彼の負担になりたくない。

「それこそ申し訳ないですって!どうぞお気遣いなく!」

「気遣いじゃなくて、俺が雅美と一緒にいたいんだよ。それに、そんなに混む電車だったら心配にもなるしな」

 そう言った彼の顔が、これまでの穏やかな表情とは違って真剣なものとなる。

「心配ですか?」

 周りの乗客に押しつぶされて窒息するとか、貧血を起こすとかだろうか。

 首を傾げていると、一義さんの眉間にグッとしわが刻まれた。

「雅美、痴漢に遭ったことはないのか?」

 低い声での問いに、私は言葉に詰まった。数はそう多くはないが、混雑した車内で身体を触られた事があったからだ。

 私の沈黙に、彼の眉間は更に険しい皺を刻む。

「だったら、なおさら送り迎えをさせろ」

「ええと、ですが、私の勘違いかも知れんませんよ?たまたま手が当たってしまっただけとか」

 ほら、そういうことってあるでしょ。ずり落ちそうになったバッグを掴もうと手を動かしたら、周りの人に当たってしまったとか。痴漢じゃなくて、そういったことは誰にでも起こることだ。

 なのに、一義さんの表情は厳しいまま。

「たまたまだろうと何だろうと、俺以外の人間が雅美の体に触れるのは気に食わない。……よし、雅美。通勤定期を解約しろ」

 そして、そんな事を言い出されて目が丸くなる。

「はい?」

 キョトンとしていると、さらに彼が話を進めた。

「これからはずっと俺が送り迎えしてやる。車が出せない時は、タクシーを使え。料金は俺が払うから。いいか、分かったな」

 厳しい顔の一義さんが運転席から身を乗り出し、私に顔を近づける。整った顔立ちなので、いっそう迫力が増して少し怖い。

 ビクリと仰け反るものの、助手席に深く腰をかけている上にシートベルトまで嵌めているので、どうにもならない。

「あの、その……、そこまで心配なさらなくても」

「何を言ってるんだ!心配して当然だろうが!そんな呑気な事を言っていると、無理やり俺の家に住まわせて、嫌でも行き帰りを一緒にさせるぞ!」

 形の良い瞳でギッと睨み付けられ、私はコクコクと頷くしかなかった。


 


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