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(15)愛される私

 課長の形のいい瞳が真っ直ぐに私を見下ろしている。そんな瞳を、私は言葉もなく見つめていた。

 寝室の薄明かりを受けて影の出来た課長の顔は普段の凛々しさに加えて艶があり、まるで恋を覚えたばかりの少女のように、ドキドキと私の心臓が早鐘を打つ。

 間近で見ても見惚れるほどの整った顔立ちに、そして仕事中とは全く違うプライベートな彼の表情に胸がときめくほど、私は自分の中にある自信の無さが浮き彫りになってくるのを感じた。


―――こんなにカッコいい人が、本当に私を好きなの?


 どうしてもその考えから抜け出せない。課長のことが好きなのに、自分に自信がないから“恋人”という関係を上手く受け入れられない。

 そんな心の揺れを感じ取ったのか、課長が見つめたままフッと笑った。

「俺が部下を弄ぶような、遊び人に見えるか?」

 綺麗な微笑を浮かべ、目を細める。

「そういう不真面目な態度は、一切取ってこなかったはずだが」

 少しばかりこちらを咎めるような口調で言われ、私は静かに首を振った。

「そのように軽い人に見えないから、余計に分からないんです」

 素直にそう言えば、課長がより一層瞳に真剣な光を漂わせる。

「それなら、いっそのこと籍を入れれば俺の本気を分かってくれるか?」

 目を逸らすことなく、これ以上ないほど真剣な声音で告げられ、私はコクリと息を呑んだ。

「……本気で仰ってますか?」

 おずおずと問い返せば、心外だという顔をされた。

「そんな顔をされても……。だって、私たち、ついさっきお互いの気持ちを知ったばかりなんですよ?まともにお付き合いもしていないのに、それが入籍だなんて。信じられないのも無理がないと思います」

「俺は始めから雅美を嫁にするつもりだったから、交際期間の長さは関係ない」

 私の言葉へ間髪入れずに返してくる課長。

「お前が恋人という関係では現実味がないと感じているなら、あとはもう結婚するしかないだろうが。役所で作られた正式な書類を目にすれば、さすがに納得出来るだろう?」

 視線で『明日にでも籍を入れよう』と物語ってくる課長に、私の戸惑いは更に増幅する。

「で、でも、そう簡単には……」

 付き合いが始まった当日に結婚の話が出るなんて、そんな状況、あんなにモテる姉ですらなかったことなのに。

 それに、恋人と夫婦では関係の重さが違う。別れた時の周囲の反応は格段に違うはずだ。『恋人と別れた』というのと、『離婚した』というのとでは、まったく意味合いが変わってくる。

 私は自然と伏せ目がちとなり、それでも、自分の考えをとつとつと口にした。

「お付き合いの期間は、多少でも設けるべきです。結婚して一緒に生活していく中で私の人となりが理解できて、その時にやはり合わないから離婚としようとしても、いくばくかの面倒は発生するはずですよ」

 仕事もできて、人間的にも立派で、見た目も素晴らしい課長ならば、女性を選べる立場といっても過言ではない。そんな人が、いつまでもこんな私と一緒にいたいと思うはずはないのだ。

 今は私のことをそれなりに評価してくれてはいるが、同じ屋根の下で生活してそばにいる時間が増えれば、いかに私が面白みのない女性だと実感するはず。課長が私とこの先一緒にいられないと感じても、それを責めるつもりは一切ない。だって、実際に私は課長の奥さんとして相応しくないのだから。

 だからこそ、まずはお付き合いをしてみて、私という人間を改めて見てもらいたい。課長のことを思うからこそ、彼の人生にほんの少しでも汚点を残してほしくないのだ。

 短く息を吸い込んで、私はさらに言葉を続ける。

「いざ離婚となっても私はごねたりしませんので、その点は問題ありません。離婚は私の不甲斐なさが原因だと誰もが察するので、課長に不利益な噂は立たないでしょう。ですが、結婚してすぐに離婚したとなれば、やはり課長にはいくらかでも悪影響が……っ」

 最後まで言い切る前に、課長が自身の唇で私の口を塞いできた。突然のことに私は唇を薄く開いていた状態であったため、その隙間から課長の舌がスルリと忍び込んでくる。

 ビックリして見開いた視界の先には、少し怒った瞳があった。まるで睨みつけるように真っ直ぐ見つめられながら、私は課長のキスに翻弄される。

 唇が強く押し付けられ、私のものより少し肉厚の舌が私の舌に絡みついてきた。我が物顔で動き回る課長の舌が口内を丹念に舐り、時折クチュッという水音が耳に届く。

 その音にたまらない羞恥を感じ、そして課長の強い視線に居たたまれなさを感じ、思わずギュッと目を閉じてしまった。

 それでも課長のキスは止まることなく、私が苦しくない程度に体重をかけ、こちらの動きを奪ってきた。いつの間にか両頬が課長の手で包まれ、顔を横に振ることすら出来ない。

 私を押さえ付けた課長は、上から覆いかぶさってこちらの舌を吸い上げる。強引に自分の口内に引き込んだ私の舌先を甘く噛み、何ともいえない甘美な刺激を与えてきた。やんわりと舌を食まれ、うなじの辺りにゾクリとした何かが走る。 

「あ、ふ……」

 心臓が壊れそうなほど早鐘を打ち、そして執拗に繰り返されるキスに胸も息も苦しくなり、私は僅かに喘いだ。尚も課長は深くて熱いキスを繰り返し、私の体から完全に力が抜け去ったのを見計らって、ようやく唇を離す。

 浅い呼吸を繰り返して薄く開かれた私の唇をペロリと舐め、瞳を覗き込んできた課長。そこにはまだ強い光がある。

 何を怒っているのか、ボンヤリした頭では分からずに、私はただ課長を見上げていた。すると課長が静かに目を閉じ、短く息を吐いてからゆっくりと瞼を上げた。

「営業をやっていると、嫌でも人を見る目が養われるんだ。そうじゃないと、大会社の営業部で課長なんて勤まらないからな。仕事柄、数え切れないほどたくさんの人と接してきたよ。表面上は良い人に見えても、腹の中は真っ黒な奴もいる。可愛らしいお嬢様に見えても、狡賢い奴もいる。そんな人間、五万と見てきたんだ。そういう俺が長い間、部下として、女性として、雅美のことを見てきた。そして雅美とは今すぐにでも結婚したいと言っているんだよ。離婚の可能性なんか、これっぽっちもない!」

 強い口調で言い切った課長が、スッと目元を和らげる。

「思慮深いのはいいことだが、雅美はあれこれ余計なことを考えすぎだ。だから今は、何も考えずに俺に愛されろ」

 課長は片頬を上げて、優雅に口角を上げたのだった。




 さっきのキスで体の力も思考も奪われ、私は課長にされるがまま。

 弱々しい指先で課長のYシャツを握り締めながら、震える声で何度か『やめて』と告げてみるが、ブラウスのボタンはとっくに外され、あまり色気のない下着が顔を覗かせている。

 結婚前の女性ならば、もっと色味が綺麗でデザインも凝った下着を日常的に身に着けるだろう。俗に言う“勝負下着”ではなくとも、お洒落で可愛い普段使いの下着は簡単に手に入る。

 流石に私もベージュ一色といったような下着は持っていないが、それでも、綺麗なレースもなく、凝った柄も描かれていない薄紫色の味気ないブラジャーが私の胸を覆っていた。

 かろうじてカップの合間に小さなリボンがあしらわれているが、大した演出効果を醸し出しているとは思えない。

 そして、そんな下着が課長の眼前に晒されている。

「見ないでください……」

 真っ赤な顔で何とか手を動かしてブラウスを掻き合わせようするが、その手を課長に取られてベッドに押さえつけられた。

「放してください……。私は、こんなつまらない下着を着けるような、つまらない女なんです」

 恥かしさと情けなさで喉が詰まりそうになりながらお願いするが、課長は私の手首を解放しようとはしない。

「つまらないってことあるか。俺からすれば、清楚にしか見えないぞ」

 課長の目は本当に正常に機能しているのだろうか。

 さっきから私のことを可愛いとか上品とか、さも当たり前のように口にするし。オマケに今は、この下着を清楚だと言ったのだ。

 思わず黙り込んでしまうと、課長が私の胸もとに唇を寄せてくる。

「雅美は自分のことを低く見すぎだ。もっと自分に自信を持て。……いや」

 今度は課長が黙り込む。不思議に思ってチラリと課長を窺えば、

「ヘタに自信を持って、周りの人間にこれ以上雅美の魅力を気付かれたらマズいな。ただでさえ、あの阿川部長の眼鏡に適ったんだ。おしとやかで家庭的な上に明るく社交的になってしまっては、俺のライバルは後を絶たない」

 と、呟き出す。

 そしておもむろに顔を上げ、更にこう続けた。

「お前は必要以上に自信を持つことはない。今の雅美も、十分魅力的なんだから」

 優しい微笑みを添えて穏やかなキスと共に伝えられるセリフに、私はますます顔が赤くなる。身の置き所がなくなって、課長に縋りついた。

 とても視線を合わせられる状態ではなく、課長の肩口に顔を埋めてジッと身を竦めていると、そんな私を課長は力強く抱きしめる。

「それに、俺の腕の中で自信なさそうに困った顔をする雅美の顔、ものすごく可愛いしな」

 甘い声でそう囁かれて、私の顔は限界まで赤くなった。




 それからは、課長にひたすら愛される時間が続いた。

 初めての交為で戸惑う私に課長は艶やかに微笑みかけ、甘く囁き、優しく触れ、そして、力強く体を重ねてくる。

 課長の口から零れる些細な言葉も、温かな指先で紡がれるどんな僅かな仕草も、全てに深い愛情が篭められていて、幸せすぎて途中から泣いてしまった。

 こんなにも誰かに愛される日が来るなんて、夢にも思わなかった。

 自分はあの華やかな家族の日陰で生きて、誰からも相手にされない人生を送るのだと思っていた。誰からも愛されることなどないのだと思っていた。ずっと、この先ずっと、淋しさの中で生きるのだと思っていた。

 それなのに……。

「雅美、愛してる」

 私のことを胸に抱きこむ課長が、殊更熱心に囁いてくるのだ。

「一生、俺のそばにいてくれ。愛してるよ」

 骨が折れそうなほどに強く抱きしめ、何度も何度も課長が囁いてくるのだ。

 おかげで涙が止まらず、その間私は何も考えることが出来ず、ひたすら課長の熱を感じ続ける。

 呼吸すらもうまく出来なくなるほど激しい情交に、私は意識を飛ばしかけた。

 気を失う寸前、課長の綺麗で幸せそうな微笑を目にすることが出来て、心の奥がフワッと温かくなったのを感じたのだった。




 ふと目を覚ますと、私は後ろから課長に抱きこまれている形だった。布団が掛けられてはいるが、明らかに二人とも裸のまま。いや、まぁ、たとえ意識のない状態でも課長に着替えさせてもらうのは恥かしいので、これでよかったと言えばよかったのだが。

 私が起きたことに気付いた課長が、うなじにチュッとキスをしてくる。

「雅美がすごく可愛くて綺麗だったから、抑えが利かなかった」

 つまらなかったとか、がっかりしたと言われるよりはありがたいものの、それはそれで居たたまれない。

 課長は繰り返しキスをしながら、更には手を前に回してきて胸の辺りを弄り始めた。私はオロオロと視線を彷徨わせ、私は焦ったように口を開く。

「あ、あの、家に連絡を入れてきます!私は実家暮らしですから、いつもの時間に帰らないと家族がきっと心配します!」

 逃出す言い訳としてそう切り出したが、課長の手は止まらない。

「小学生でもあるまいし、電話など後ですればいいだろう」

「あ、後でって!?」

「俺が満足するまで抱きつぶした後ってこと。言っただろ?」

「ええっ!?その話、冗談じゃなかったんですか!?」

 ハッとして背後の課長を振り返れば、ニヤリと意地の悪そうな笑顔が。

「はい、時間切れ」

「や、そ、そんなっ、んんっ」 

 課長の唇で口を塞がれ、それ以上の抗議は言わせてもらえなかった。




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