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#008 四月二十日日 水曜日

「あ〜あ……、やっぱり昨日の公開討論はまずかったね……」

「ああ……」

「小森さんがあんなに積極的に出てくると思ってなかったもん」

「そうだな……」

 朝からこんな調子だ。一夜明けて、冷静に昨日のことを振り返ってみたけど。やはり、この公開討論についてちゃんと把握していなかったのが敗因だと思われた。でも、小森はしっかり準備していたので、単に俺達の考えが甘かっただけかもしれない……。それは否定できない。

 しかしあいつ……、敵に回すと恐ろしいな。過小評価していたつもりはなかったけど、予想以上だった。容姿端麗、頭脳明晰、スタイル抜群……だと? 無双すぎる!

 それに比べてさつきといえば……。

「おい、今こっち見たろ!」

 ドキッ‼

「な……!」

「今、ちっこいとかつるぺただとか考えていたでしょ!」

「か……、か、考えてない、ない!」

「本当に?」

「ほ、本当だ! 誓って本当だ!」

 鋭い! こんな時だけは勘が良いのか? ちっこいのはともかく、つるぺたとまで考えてなかったけど……。いや、確かにつるぺただ……。

「あれ……?」

「ん⁉」

 そして、最初の事件が起こった……。

 毎朝、俺達は選挙活動のため、一般の生徒達より早く登校しているわけなんだけど、下駄箱の前まで来て唖然とした……。さつきの下駄箱の扉がぐしゃぐしゃに壊れていた。そして、赤のスプレーで。

【ヤメロ】

 そう書かれていた。

「はは……。だ……、誰だろね。こんなことするの……」

 明らかにさつきは動揺していた。昨日の放課後までは何もなかったはずだけど……。誰がいったいこんな仕業を。付近にはもちろん誰もいない。グラウンドでは朝練に出てきている部員がそれぞれ練習を行っているけど……。

 指で触れると、塗料が十分に乾いている。つまり、やったのはおそらく俺達が帰った後ということか……。

 いや、それより今はこれをなんとかすることだ。

「おい、さつき、お前は先に校門に行っててくれ。これは俺がなんとかする」

「え……、でも……」

「いいから、早く行け」

「わ、わかった」

 さつきを向かわせた後、俺は自分の下駄箱の扉を外してさつきの壊れた扉と入れ替えた。そして、それを抱えたまま、急いで用務員室に向かった。

 とりあえず、こいつを消す。用務員室に行けば、なにかあるだろう。それから、こいつは後で俺のところにでも付けておけばいい。扉なんて、なくても別に困らないからな……。

 とにかく、これを他の生徒に見られたくなかった。

 遅れること二十分。随分時間がかかってしまった……。字は消せたけれど、へこんでいるのまではさすがに無理だった。やっと校門に辿り着いた時、俺は思わず自分の目を疑ってしまった。

 二組のクラスメイト達がさつきの周りで応援してくれている。

「よぉ大坂、遅かったじゃねーか」

「お前が遅刻してるっていうから、俺達が代わりに手伝ってるぜ」

「お前ら……」

 少し目頭が熱くなってきた……。

 俺としたことが……。忘れていた……。さつきを応援しているのは俺だけじゃない。みんなもいるんだ。昨日の敗北感からすっかり自信をなくしていたけど、少しだけそれを取り戻せた。さつきも俺に気づいたのかこちらに向かって片目を瞑ってみせた。

 そうだよな。まだ終わってないってそう行ったばかりだもんな……。

 まだまだ出来るはずだ。俺は校門の反対側に陣取っている小森達を見据えた。向こうもそれに気づいたのか、かかってこい! と言わんばかりの目線で返してくる。

 なんて手強い相手だ。だけど、このシチュエーションで燃えてこない奴はいないよな。やってやる。勝負はまだ……、ついていない‼


◆◆◆


 だけど、起こった出来事は……、これだけじゃなかった。

 各校舎の掲示板に張り出していた、さつきのポスターが全部破られていた……。それもかなり乱暴にやったように見せつけるため、中央部分からむしり取るように。ロッカーのことといい、誰がこんな子供じみた嫌がらせを……。

 畜生……。こんなことで……。

 どうする。犯人を捜すべきなのか? それとも、何事もなかったように無視して普段通りに振る舞うべきなのか? だけど、これじゃあとても選挙活動に集中なんてできない。でもそれこそ相手の思う壺だ……。

 次から次へと押し寄せる難問に……、俺は迷ってばっかりで……。まだ一つも答えを出せていないというのに……。

 放課後。

 今朝の事件以来、二人とも会話が少なくなっていた……。ポスターについては高槻さんにもう一度プリントアウトしてもらうことにした。帰り際に電話で伝えておいたので、屋敷の前に着く頃には、すでに用意されていて、門前で待ってくれていた。

「これから学校に戻るの……」

「うん。もう一度貼り直してくるよ」

「私も戻る……」

「いや、さつきは休んでいてくれて大丈夫。……顔色も悪いし、無理するなよ」

「でも……」

「これぐらいのことはまかせてくれよ。じゃないと本当に役立たずになってしまう」

 そう言うと、俺はすぐにその場を離れて、来た道を駆け足で戻っていった。

「……うん。じゃあなにかあったらすぐ連絡して」

「わかった」

 さつきはしばらく心配そうに見ていたが、交差点まで来ると、さすがにもう姿が見えなくなっていた。

さて……、戻って一仕事するか……。そう思って背伸びをした時、後ろから何かがどんっと勢いよくぶつかった。

「うわっっとと!」

 勢いで思わず道路に飛び出しそうになった。だけど咄嗟の判断で上手くその場に両手をついてしゃがみ込んで、転倒するのを防いだ。するとその瞬間、目の前を大型トラックが通り過ぎていく。

「な‼」

 あ……、危なかった。いや……、危なかったなんてものじゃない……。もし飛び出していたら、大怪我どころではすまなかった。

 背筋が一瞬で凍り付いた……。

 まさか⁉ まさか……俺を狙って?

 そ、そんな……。いったい誰が? 誰が俺を……?

 その時。

「大丈夫?」

「え……⁉」

 どこからか幽かな声が聞こえた気がした。声の主を求めて振り返ると、そこには……、天保山高校の制服を着た生徒の姿があった。短く切りそろえられた髪とやや縁の太い赤い眼鏡。確か、朝礼台の横で生駒先輩の隣に立っていた……。

 そうだ、千里丘千紗せんりおかちさ先輩だ。

 今回も会計に立候補しているはずなんだけど、そういえばあの時以来見たことがなかった……。

「立てる?」

「あ……、はい」

 そう言って差し伸べられた手は雪のように白く、でも触れるとほんのり暖かかった。

「す、すみません……。大丈夫です」

 変に意識したせいなのか、恥ずかしくなった俺は、慌てて立ち上がると、両手とズボンについた砂埃を払った。

「そう……、よかった」

 顔を上げると、少し微笑んだ先輩の横顔が目に映った。

「あ、あの……、その、ありがとうございました……」

 お礼も言い終わらないうちに、先輩はするりと俺の横を通り過ぎ、横断歩道を渡ると、さつきの屋敷とは逆の方向に歩き出した。

「あ……、待ってください。……えっと、千里丘先輩ですよね」

 名前を呼ばれた先輩がゆっくりと振り向いた。

「何? 大坂修一くん」

「え? どうして俺の名前を?」

「まぁ……、同じ候補者だしね」

 そういえばそうだった。むしろ、自分が今まで気にかけていなかったことの方が疑問に思えた。

「先程は……、その。どうもありがとうございました」

「別に……、気にするほどのことでもないと思うけど」

 そうポツリと呟くと、先輩は再びて歩き始める。

「ああ、えっと……、先輩の家もこの辺りですか?」

「ええ……」

「じゃあ、地元の人なんですね。 俺もここから十分ぐらい先の隣町に住んでて……」

「……引っ越してきたのは四年前。だからあまり詳しくないの」

「え⁉ あ……、そうなんですか……。俺は引っ越しとか経験ないのでよくわからないですけど、お父さんの転勤とかですか?」

「……家族なんていないわ。私一人」

「え⁉」 

 予想できなかった返答に言葉が詰まって、俺は結局そのまま先輩の後ろ姿を見送ってしまった。そして余計なことを聞いてしまったという自分の配慮のなさに気が沈んだ。

 と、とにかく今は学校に戻ろう。ここにいてもなにも始まらない。そう考えると俺は足早にその場を後にした。

 歩く速度がどんどん増していく。学校に向かうにつれて、不安な気持ちだけがどんどん膨れあがってくる……。さっきのあれは……いったい何だ?

 どんなに考えても答えは出なかった……。いつのまにか俺は闇雲に走り出していた。


◆◆◆


 これで全部終了。最後のポスターを張り直して、ようやく一息ついた。だけど、不安はずっと拭い去れないままだった。なので、俺は手がかりなんてあるはずもない校舎の中をあてもなく彷徨っていた。

 不安と焦燥。そして何より、そのまま帰ってしまっては自分に納得がいかなかった。

 人通りの少なくなった本校舎をくまなく歩いてみた。音楽室の方から微かに吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。なにもなければ、こんなに平和でのどかな学校だ。

(それなのに俺は……、犯人捜し……か)

 今度は特別棟を下から順に周り、そして四階まで上がってみた。思った通りなにもない。けれど、せっかくここまで北のだから屋上まで上がってみよう。空でも見たら少しは気分も落ち着くかもしれない。そう思うと、さらに階段を上った。屋上のドアを開こうとすると、外から声がするのに気がついた。

「先輩は……、先輩は本当にそれでいいんですか?」

 すぐにわかった。……声の主は小森芽依だ。それと、もう一人……、誰かいるような。

「私はね。あいつと同じところを見ていたかったの。同じ夢を見ているのが楽しかったの」

 この声は、生駒……、晴美先輩か……。

「あいつにはね夢があるのよ。とびっきり大きな夢がね。それに向かって今までずっと突っ走ってきたのよ。

そして、今、その夢に少し手が届いた……。これは望んだ結果でもあるのよ」

「そんな言い方……」

「ふふっ、なら今すぐ追いかけて行けって言うの?」

「そ、それは……」

「もちろん、そんなこととっくに本人の口から聞いたわ。卒業したら来てくれだとか、生徒会のことはおまえに全部まかすとか、ね。だから、言ってやったの。うるさい! だまれ‼ ってね」

 そこには俺の知らない小森芽依と生駒晴美先輩の姿があった。

「私にだって夢があるもの。今は違う方向を進んでいたとしてもそれでいいじゃない。行き着く先が同じだったら、いつかまた必ず巡り会えるんじゃない。そのほうがロマンチックだし。そう考えたら、すっごく楽しみになるじゃない」

 そんな無邪気に笑う生駒先輩の声を初めて聞いた。

(だめだ……。ここには立ち入っちゃいけない……)

 そして、それ以上会話を聞いてはいけないと思った。だから、俺は気付かれないようにそっと静かに階段を降りた。

 南側の階段の四階にある例の倉庫の前の踊り場にはもちろん誰もいなくて、俺はそこに座り込んでみた。

なるほど、考え事をするにはいい場所だな。悪いけど少しの間、借りておこう。今日はいろいろなことがありすぎた……。俺は踊り場に寝転んで頭の中を整理していた。

 どうやら少し眠ってしまったみたいだ……。

 ふと、人の気配を感じて目を開けると、そこには小森芽依が立っていた。頬を伝う涙を隠そうともせずに……。

「なんで……あんたがそんこにいるのよ……」

「悪い……。ちょっと借りてた」

「……勝手に、……使わないで……、頂戴」

「お前、ハンカチぐらい持ってないのか?」

「……うるさい! こんなところにあなたがいるから悪いんでしょ」

「……ごめん。俺もちょっと考え事があって……」

 小森は無言で俺の横に座り込んだ。さっきの話を聞いてしまったことは黙っておくことにしよう。

 まずいな……。とにかくこの雰囲気をなんとかしないと……。そうだ! 

 いいことを思いついた。

「ちょっと待っててくれるかな」

 俯いたまま返事のない小森を後に、俺は急いで階段を降りた。行き先は一階の食堂前にある自販機。実はそこにはお気に入りの珈琲牛乳があるんだ。それを二つ買った後、少し時間を掛けてゆっくりと戻った。

 小森はまだ俯いたまま座り込んでいた。

「これ、美味しいんだぜ」

 俺は先程買った珈琲牛乳を目の前に差し出した。

「……知ってる」

「この場所って、考え事するには結構いいな。俺も気に入ったよ」

「……こんな時間までなにしてたのよ……」

「ああ……それは……」

 言うべきかどうか……。どうしようか迷った。けれど、小森を信頼できると判断した俺は、朝の出来事を隠さず全て話すことにした。

「え⁉ そんなことが……」

 全て話し終わった後、小森は明らかに動揺していた。驚くのは無理もない。だけど、すぐに別のことに気づいてなにか言おうとしたので、俺は首を振った。

「心配するな。お前はこんなことをする奴じゃない」

「……」

 小森は買ってきた珈琲牛乳にストローをさして少し口に含んだ。

「……意外と信用されてるのね」

「まあ……、な。お前を見てたらそれぐらいわかるよ。でも、正直……けっこう堪えるんだよな、こういうの……」

「うん……。でも、許せないよね」

「そうだな……」

 問題はこれからどうするかであって、犯人捜しをしているような場合じゃない。それはわかってる。しばらくの間、二人ともなにも話さなかった。先に沈黙を破ったのは小森の方だった。

「ねぇ……、その……。変なこと聞くけど」

「何の話だ?」

「その……、いつもこんなところに座っててさ……、変だと思ってない?」

「? ああ……。そういうことか。まぁ、誰だって悩み事ぐらいあるだろ」

「うん……、そうだけど……」

 本当は少し知っていた。さっきの会話を聞いてしまったから……。でも、それを口にするのは反則だ。だからなにも聞かなかったことにしておくのが正解だと思った。

「……さっきね」

「いや……、無理して言わなくていいって」

「……え⁉」

「俺なんかが聞いちゃいけない話だろ」

「……ううん。そんなことない……。今は誰かに話したいから。誰かに聞いて欲しいから……」

「そう……か」

 誰だって誰かに話したい時がある。聞いて欲しい時がある。この前の俺がそうだったように……。だから今度は俺が話を聞いてやる番だと思った。それで、少しでも役に立てるならそれでいい。きっと今、それが俺にできることから。

「……また、喧嘩しちゃったんだ。生駒先輩と」

「……そう、か」

「……私、何にも知らなかったんだ……。高石先輩が生徒会長なのは知ってた。でも、あの人が……、生駒先輩がいるのは……、知らなかったんだ……。なんでも高石先輩の方から猛アピールして、無理矢理副会長になってもらったんだって。その時の話を聞くとね、それが凄い熱心に、一ヶ月くらい毎日通い詰めて説得したんだって。それでさすがの生駒先輩も折れたって。二人の間には私の知らないことがたくさんあって、

そんなことも知らずに私は……、二人の間に割って入ろうなんて……。今更だけど凄く恥ずかしい……。それなのに、留学が決まっても平然としているあの先輩が許せなくて……。

 あんなに好きなくせに……。

 生駒先輩に聞いたの……。そしたら……、先輩は……。もっと……。私なんかよりもっと……、ずっと先を見てて……。心配する必要なんて……なにもなかった……。

 こんな人がいるんだって、こんな考えができる人がいるんだって……思い知らされた。

 敵わない……。それどころか……、私はあの人の足下にも及ばない……。

 ……それが、とても悔しくって……」

 一粒の涙が小森の頬を伝った……。

「だってね……、あの人笑うんだよ。それもとびきりの笑顔で……」

「すごいひと……なんだな」

「うん……。わたしの……、完敗」

 静かな校舎の中をフォークギターの演奏が響いてくる。微かな歌声と共に。

 その声は……。聞き間違えるはずもない。生駒先輩だった。


追いかけよう

君と僕の夢


伸ばした指先はあと少しで

届きそうなのに


追いかけて 追いかけて

躓いて転んだ

でも大丈夫


咲き零れる

君に咲いた笑顔の花


見上げた空はとても青く広がっていて

いつも満たしてくれる


つないだ手には

私からあなたへ


受け取って

いつか届けるんだ


「こんなにも差があるなんて……、完璧すぎるわよ」

 小森はもう気付いているはず。それが先輩から送られたメッセージだということに。でも俺はそのことには触れずに、今はただじっとその歌に耳を傾けていた。

「……この珈琲牛乳美味しいね」

 そう言った時にはもう笑顔が戻っていた。


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