#005 四月十五日(金曜日)
放課後、俺とさつきは生徒会室に呼び出されることになった。
候補者の受付が終了して、明日から、投票日まで選挙活動を行うことになる。その説明を受けないといけないからだ。
正直なところ、俺は未だに納得できていない。あの日以降、散々さつきに抗議したけれど、結局そのまま強引に押し切られてしまった……。あいつは一度言い出したら絶対曲げない性格らしい。まったくなんて強情な奴なんだろう。それとも俺の意志が弱すぎるせいなのだろうか……。逃げ出したいところだったけれど、さつきに引き摺られるようにして、生徒会室に向かわされていた。
(なんだかこのままで終わりそうにない気がする……)
また嫌な予感がした。
最近、よくないことばかり続くのから、被害妄想が強くなっているのかもしれない。
生徒会室の扉をノックして中に入るとそこには……。小森芽依と、そしてもう一人、さつきと同じぐらいの背の高さの、小柄でツーサイドアップの髪型の女子がいた。
予感は的中した。まさか、こんな形で再会することになるなんて……。
「あ! ド変態!」
「そんな名前で呼ぶな!」
「なに、あんた達知り合い?」
「……まあ、……その」
「ふ〜ん、まさかあなたも候補者だったとはね」
他に立候補者がいるなんて思いもしなかった。
それがまさか、小森芽依だったなんて……。何も考えてなかったというのが正しいけれど、生徒会役員になるなんて想像したことがなかったのだから仕方がない。
(これって、いったいどうなるんだ?)
俺の心配をよそに、生徒会室の奥から高石生徒会長と生駒副会長がやってきた。
「揃ったな。これから生徒会選挙について説明するぞ」
会長から説明が始まった。
今回、生徒会長の立候補者は2名。
一年二組、両備院さつき。
一年四組、小森芽依。
そして、書記の立候補者も2名。
一年二組、大坂修一。
一年四組、和泉麻美。
会計の立候補者は一名。
二年八組、千里丘千紗。
副会長と庶務の立候補は現時点でなし。
生徒会長と書記は選挙戦となり、会計は信任投票ということになる。
(俺にも対抗馬がいるのか……)
和泉麻美と呼ばれた女子は、小森芽依と同じクラスの子みたいだ。二人の仲が良い様子からして友達なんだろう。千里丘千紗という、二年の先輩はここには来ていなかった。確か、前回も会計を務めていた人だ。
知っていることだからといって、今日はこの場には来なかったらしいけど、全校集会の時に生駒先輩の隣ににいた、赤い眼鏡の人がきっとそうなのだろう。
そして、今回の選挙に備えて、臨時に選挙管理委員会を発足することになり、委員長には生駒副会長が務めることになった。
それにしても困った……。選挙のことなんて全く考えてなかった。明日から投票まで2週間か……。いったい何をすればいいんだろう。さつきが勝手にやったこととはいえ、あまりにも現実感に乏しかった……。
◆◆◆
四月十六日土曜日。
次の日の朝、校門に着くと、小森芽依と和泉麻美の二人が生徒達に挨拶しているのが見えた。
(……しまった!)
その時になって初めて気がついた。
「おはようございます。この度、生徒会長に立候補しました、一年四組の小森芽依です」
「同じく、書記に立候補しました、和泉麻美です」
「「よろしくお願いします」」
(そうだ……、そうだよ)
考えが甘すぎた……。当然のことだったのに。土曜とはいえ、すでに選挙は始まっていたんだ。この土日の間に、二人で今後の方針と対策を練ろうとか言っていたけど、そんな悠長なことを言っている場合じゃなかったんだ。
「さつき……、もう遅いかもしれないけど、俺達も始めよう」
「え、なにを?」
「なにをって、俺達も校門で挨拶するんだよ。そうじゃないと……、いきなり差がついてしまうと思う」
俺達は一年生で学校に入ったばっかりだ。先輩達ともまったく面識がない。まずは名前と顔をみんなに覚えてもらうこと。基本的なことから始めないといけないというのに、そんなことにも気がつかないでいた。
「よ〜し、じゃあやろう!」
「ああ」
俺達は、慌てて校門を挟んだところに陣取って、選挙運動を始めたけれど、時すでに遅し。あっというまに登校時間が過ぎてしまい、まったくといって成果が得られなかった。
(初日からこれじゃあ先が思いやられる……)
小森芽依は校内で噂になる程の美少女だ。風になびく長い艶やかなストレートの黒髪。整った顔立ち。すらりとした長身。向かいに立っているだけで思わず見惚れてしまいそうになる。
それに加え……、なんというか……、その……、あれだ! 高校一年とは思えないほどに発育した胸だ!
なにもしていなくても否応なく注目があつまる!
さつきだって、決して見劣りするわけじゃないけど……。この場合、相手が悪すぎる。さらに背が小さいこともあって、尚更目立たない。
(次からは踏み台用のみかん箱でも用意するかな……)
今日の事は仕方がないから、月曜からの対策を考えよう……。頭を切り換えていかないと……。
「ねぇ、修一。なにかもっと変わったことしたほうがいいんじゃないの?」
「……ダメだと思う。あっちは正攻法でやっているから、逆にそんなことをすると、ますます差が広がってしまうんじゃないかな。さつきの言いたいことはわかるけど、こういうことは、地道にやっていくのが最善だと思う」
(その上で、相手を上回る方法を考えないといけない……。あれ? 俺はどうしてこんなに真剣に考えているんだ?)
気がつけば一生懸命に考えている自分がいた。面倒なことだと、ずっと嫌がっていたはずなのに……。選挙運動なんて初めての経験だし、やろうなんて考えたことすらない。そんな素人だけど、周りの雰囲気の飲まれたというか。小森芽依という強力なライバルが現れたからか。いつのまにか頑張ろう、みたいなそういう気持ちが芽生え始めていた。
自分の中で、なにかが少しずつ変わり始めているような……、そんな感じがしていた。
「とりあえず、明日からのことは放課後に話し合おう」
「おっけー」
それにしても、こいつはわかってるのか? なんでこんなに楽しそうなんだよ。
◆◆◆
「じゃあ、後で家に来てくれる? 先に帰って用意しておくから」
放課後。授業が終わると、さつきは急いで帰っていった。俺は朝の件以来、ずっと今後の対策に頭を捻っていて、授業の内容なんてまったく頭に入ってなかった。
(まぁ……いいか)
とにかく毎朝の校門での選挙活動は続けるとして、昼休みの教室周りもやるべきだと思う。おそらく、それぐらいのことはむこうもやってくるはず。月曜の朝礼では候補者の挨拶がある。ここで、できればみんなにいい印象を持たせたい。といっても、小森芽依はなにもしていなくても目を引くから、否応なく注目が集まる。
今更ながらあれは反則だと思う。だから挨拶の順番もできれば先が望ましい。後になるほど明らかに不利だろう。
何にせよ、みんなの関心を引くなにかが必要になってくるわけだけど……。何をするべきか……。
(う〜ん……)
突拍子もないことを言っても、返って印象を悪くするだけだろうし、ここは無難にいくのが一番か……。となると、まずは小森芽依との違いをはっきりとさせるところから始めなければいけない。さつきに投票するか、小森芽依に投票するかによって、なにが変わるのか、自分たちにどう影響するのか。これをみんなに理解してもらうべきだと思う。そうだな、まずはさつきがどんな生徒会長になりたいのか。どういった活動をやりたいのか。これは一番大切なことだ。
(そういえばまだ一度も聞いてなかったな……)
そう考えるとかなり不安になってきた。しかし、それをみんなにわかりやすく説明しないと……。それから、活動内容の違いだけでは物足りないから、別の意味でも、決定的な区別をつけておいたほうがいいに違いない。そうでなければ、同じ事をやっている限り、勝ち目なんてまったくないように思える。
(う〜ん……。でも、別の意味ってなんだ?)
問題は山積みだ。考えることが多すぎて、どこから手を付けていいのやらわからなくなってきた……。辺りを見渡すと、いつのまにか、クラスのみんなはもう帰ってしまったらしく、無人の教室にポツリと座っていることに気がついた。
(おっといけない……、早く行かないと)
慌てて鞄に机の上の物を詰め込みながら、帰り支度をしていると、ふと中庭の向こうの特別棟に目がいった。
(あれ?)
廊下を歩いている一人の女子生徒に目が止まった。
(今のはもしかして……)
特別棟の四階は相変わらず人気がない。土曜日は特に、部活でもないかぎり校舎に残っている生徒などいやしない。
俺は先程の事が気になったので、例の場所まで、一応遠回りして帰ることにした。途中、視聴覚室に連行されていく柏原の姿が見えたような気もしたけど、これは目の錯覚だろう。そういうことにしておく。
さて。華麗にスルーして、渡り廊下を渡ると、まっすぐ廊下を南に歩いて行く。校舎の南角の階段は屋上には上がれない。代わりにそこは倉庫になっていてその手前に小さな踊り場があった。
そしてその扉の前に今日もまた……、小森芽依は俯いたまま座り込んでいた……。
「よいしょっと」
「ひゃっ! あっわわわっ……」
いきなり俺が隣に座ったので、驚いた小森は、普段からは想像できないような突拍子な声を出した。
「そんなに驚くことか?」
「び、びっくりしたじゃない! ってまた現れたわね、ド変態!」
よほど落ち込んでいたのか、俺の気配に全く気づいていなかったらしい。
「ド変態じゃない。俺には大坂修一という名前がある」
「ド変態であることに変わりはないわ」
「仮に百歩譲っても、俺はド変態じゃないと言い切れる!」
「ド変態坂修一郎君」
こいつは、俺がド変態であることを、あくまでも譲るつもりはないらしい。
「わかった……。もうド変態でいい」
悔しい気もするけど、正直、どうでもよくなってきたので降参することにした……。
「それで、ド変態君は、また私になにか用?」
あからさまに仏頂面の小森が尋ねた。
「もう、これ以上は言わないけど、余りめんどくさそうに俺を見ないでくれないか?」
「そっちこそ、私と両備院さんは、お互い生徒会長の椅子を争う間柄でしょ。気安く話しかけないでくれる」
「それはそうだけど……。別に喧嘩してるわけじゃないんだから、話しかけるぐらいいいだろ?」
「まぁ……、それもそうね」
あれ? 以外と物分かりはいいらしい。
ふうっと、大きく息をついた後。俺は思い切って、気にしていたあのことを口にした。
「その、この間のこと……。あの……、謝ろうと思って……」
「あ……」
小森も思い出したらしく、口元を押さえながら、頬を少し赤らめた。
「ごめん。本当にごめん。咄嗟に……、その……、つい……」
「いいわよ。……別に気にしてないし。私の方こそ……」
「そうだ! それだ! あれは凄まじく強烈な一撃だったぞ‼ 真っ昼間に星の瞬きを見るなんて、俺の人生で初めて体験する出来事だった」
「もう!」
今度は、小森の顔が恥ずかしそうに真っ赤になった。
「冗談だって……」
「からかわないでよ!」
そんなやりとりでなんだかお互いに、一気に緊張がほぐれたようだった。こうして話してみると、小森の人柄が少しわかった気がする。もっと気難しいのかと思っていたら、以外に普通だな。
「そんなこと言うためにわざわざここまで来たの?」
「いや、中庭を見てたら特別棟に小森の姿がちらっと見えたから。また、ここにいるのかもってそう思って……」
「べ、別にいいじゃない。私がどこにいようと放っておいてよ」
「それは……そうだけど。どうしても一言謝っておきたかったし」
「へぇ、案外まともなところがあるのね」
「ちょっと、そんなに以外だったか?」
小森の意外そうな顔を見て、これまでどんな目で俺を視られていたのか想像に難くない。
「……それよりもこんなところで油売ってていいの?」
「? なんのことだよ」
「あの子、両備院さんを待たせてるんじゃないの?」
「そうだった! ……すっかり忘れてた。これから今後の対策について話し合わないといけなかったんだった……」
それを思い出した瞬間、全身から疲れが溢れ出てきた。
「邪魔して悪かった……。もう帰る……」
ガックリと肩を落とすと、為息混じりに立ち上がった。
「なんだか悪いこと言ったみたいね。でも、私の方こそ、あなたと話して少し気が晴れたわ。ありがとう」
「あ、ありがとうって……。俺はただ謝りたかっただけで、別に、その……。」
思わぬ感謝の言葉に、返す言葉に詰まった。
「そ、そうだ! 俺はあいつのせいで、入学以来ずっと振り回されっぱなしなんだ!」
「へぇ、そうなの?」
「そうだよ!」
「そんな風には見えないけど」
「今回の選挙のことだってそうなんだ……」
照れ隠しのつもりで余計なことを口走ってしまった結果、俺はまた、自分の用事を忘れて小森と話し込んでいた。
まだ入学してから数日しか経ってないのに、思い描いてた学校生活とは全然違っていたこと。幼馴染みだったさつきと再会してからというもの、何だかおかしな毎日になって、生徒会役員に無理矢理立候補させられて、そして今に至るまでのことを……。
小森には不思議な魅力があるのかもしれない。普段なら人前では絶対に話さないようなことまで、いつのまにか話してしまっていた。
「何の話かと思ったら……」
小森は最初は呆れかえった様子だったけれど、私にする話じゃないでしょう。と、クスリと微笑んだ。その様子から、もう随分と堅さは消えているようだった。
「ああ……、なんか、そのごめん……。ただ、誰かに話を聞いて欲しかっただけだと思う……。あ、あやまってばっかりだな、俺」
「おかしな人」
「そうか? いや、お前はその、なんというか……、話しやすいというか。気がついたら話してしまってるみたいな。そんな感じなんだよ」
「そうなのかな〜。でも、麻美にも以前、同じような事を言われたような……」
「麻美って、和泉麻美さんのことか?」
「うんそう。私達は小学校の頃からの幼馴染みだから」
「……そっか」
まいったな……。小森の前では隠しごとなんて出来ないように思える。あの瞳で真っ直ぐに見つめられたら、舞い上がってしまうのは仕方のないことかもしれないけど……。
それでも、小森の方だって、こんなところに連日座り込んでいるのだから、きっと俺には想像も出来ないような悩みがあるのだろう。信じがたいことだ。
「それにしても、お前みたいな奴でも、悩んだり、落ち込んだりする事ってあるんだな」
「お前みたいってなによ、それ?」
「いや、小森って頭も良いし、滅茶苦茶可愛いし、そんな奴に悩み事なんてあるのか……⁉」
って、俺はまた何をいってるんだ⁉
「な、何言ってるのよ、私はそんなに……」
小森も予想しなかった言葉で、明らかに動揺している。でも、それも束の間、少し淋しそうに目を伏せるとポツリと呟いた。
「ちょっとね、先輩と喧嘩しちゃったのよ……」
「先輩って、高石会長か?」
「ううん……、生駒先輩」
「?」
意外だった名前に驚いた。高石会長と小森が知り合いなのは知っていたから、てっきりそのことだとばかり思っていた。小森と生駒先輩ってあまり接点がなさそうな気がするのに……。
でも、雰囲気を察するに、これ以上は聞いちゃ不味い気がした。
「そうか……。まぁ……、俺が言うのも何だけど、元気だせよ。おっと、元気出してくれない方が俺達には都合がいいんだけどな」
なので、俺はそう言うと、意地悪く笑ってみせた。すると、それを見た小森はこれまでらしい返事を返してきた。
「言ってくれるわね。手加減なんてしてあげないわよ!」
「よし! じゃあ、俺は月曜からの対決に備えて帰るよ」
「そうね。がんばりましょう。……お互いに」
「うん。またな」
俺は階段を駆け下りると、いつかは小森の悩み事を聞いてあげられるようになればいいな。なんて、柄にもないことを考えながら、足早に校舎を後にした。
おっと、急がないと、さつきが待っている。これはまた怒られそうだな……。
◆◆◆
本当は一度帰宅するつもりだったけれど、随分遅れてしまったので、そのまま直接さつきの家に向かうことにした。それはいいんだけれど、玄関の門を前にして、久しぶりに間近で見る両備院のお屋敷は見れば見るほど大きかった。
今まで気にも掛けていなかったけど、よく見るとあっちの端からこっちの端まで、全部敷地じゃないか! いったいどれぐらいの広さがあるのか想像もつかない。大地主だと言うことは知っていたが、まさかこれほどとは……。俺の家がいくつ入るんだろう? などと考えながら門前をうろうろしていると、潜り戸が開いて、燕尾服に蝶ネクタイをした男の人が姿を現した。
執事といえば、すぐに白髪に白髭のお爺さんを想像してしまうけど、まだ40歳ぐらいだろうに見える。その執事と思える男の人がゆっくりとこちらに向かってくる。
(え……? あれ?? 気のせいか? 何か、睨まれてような……、気がする。う、どんどんこっちに近づいて来るぞ……。き、気のせいなんかじゃない。なんだか身の危険を感じる!
目の前に立ったその執事は、俺よりも随分と背が高かった。がっしりとした体つきと筋肉質の太い腕。そして、なによりそのいかつい顔で俺を見下ろすように睨みつけている。
俺はすっかりビビってしまっていた。
「おい、小僧。お前が大阪修一か? 先に言っておくが、嬢ちゃんになにかあったらその場で血祭りだからな。よく覚えておけ」
(あわわわ……。お嬢さんってさつき……、の事だよな)
自分の足が震えているのがわかる。
その時!
俺の真後ろから突如現れた何かがその執事に激突した……、ように見えた。
(⁉ な、なにが起こったんだ?)
よく見るとそれは、何者かが放った見事なまでのハイキックを執事が両腕でがっちりとブロックしている。
量販店によくあるTシャツに紺色のジーンズ。そしてジーンズ越しでもわかる鍛えられた脚に少し癖毛のかかったショートカットの髪……。
(え? あれ? か……母さん⁇)
現れたのは他でもない大坂美由紀。俺の母さんだ。
「おっ久しぶり〜、高槻さん。ウチのバカ息子がなにかやらかしちゃった?」
「これはこれは……美由紀さん。久しぶりって、昨日も来てませんでした?」
「まぁまぁ、細かいことは気にすんなって」
(な、なんだ? なんで母さんが?)
どういうことなんだ? 突然の展開に頭がついていけない。
「しかし、美由紀さん。冗談にせよ、この蹴りはもう常人の域を遙かに超えていますよ」
舌打ち混じりに、両腕を払いながら、高槻さんと呼ばれた執事は困り果てた様子でそう言った。
「そう? 主婦になってからは衰えていく一方なんだけどね〜」
(いや、それは嘘だろう)
そこだけはおもわず突っ込みを入れてしまいたくなる衝動に駆られる。
「普通の主婦はサンドバックを蹴り上げたりなんてできませんよ」
「む……、よく知ってるわね」
最近、またジムに通い始めたのは知っていたけど……。そんなことをしていたのか! 恐ろしい人……、いや、恐ろしい母親だ!
「ちょうどいいから紹介しておくわ。ウチのバカ息子の修一」
そう言って母さんは、ポン、と俺の肩に手を置いた。
(バカは余計だと思うけど……)
「はっはっは、存じていますよ」
と、先程までの様子とはうってかわって、にこやかに執事さんが答えた。
(さっきまで俺をびびらせる為にわざとやっってたのかよ!)
「父親に似ちゃってね〜。どうも頼りないし、鈍くさいし、おまけに優柔不断ときて、困ったものよ」
そう言って、母さんは頬を膨らませながら、俺の肩をグリグリしてくる。
「い、痛い、痛いって。まったく馬鹿力なんだから……」
「そうですか? 美由紀さんにそっくりじゃないですか」
「そう? 全然なってないわよ。なにか武道の一つぐらいは身につけて欲しいと思って、いろいろ仕込んでみようとしたけど……。まったくダメだったわ。根本的に根性が足りないのよ」
「さすがの美由紀さんでも我が子には甘いということですかな」
意地悪く笑う執事さんが笑うと、それに噛み付くように母さんは反論していた。さっきから聞き捨てならない会話が先程から飛び交っているような気がするけど、俺の存在などあってないようなものなんだろう。
要するにふたりは知り合い。それもかなり親しい間柄だということか。まぁ、さつきのお母さんと仲が良いんだから当然と言えば当然なんだろうけど……。
「弥生いる?」
「はい。奥様でしたらお部屋にいらっしゃいます」
「ありがと。ふふ、なんだかすっかりそれっぽくなったじゃん。昔みたいに気さくに話してくれてもいいのにさ」
「またまたご冗談を……。でもまあ、あれからもう二十年近くになりますから、私もすっかり人間が出来たということでして」
「そうかな? まあいいわ。じゃあ、勝手にあがるわよ」
そう言うと、母さんはまるで自分の家のようにさっさと潜り戸から中に入って行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ母さん。俺もさつきに用があるんだよ!」
「修一様も中へどうぞ。お嬢様がお待ちしております」
「は……、はい」
今度は丁重に中に案内された。門をくぐった瞬間驚いた! なんて広い庭だ! 一番奥にあるのがあれが本邸か? あ、母さんがもうあんなところまで……。どれだけこの家に慣れてるんだ? そんな俺の様子を見てとった執事さんが一言。
「美由紀様は、以前からよくこのお屋敷に出入りしておりましたから。それはもうまるで自分の部屋のように自由気ままに……。出くさりやがって、あのくそババア(ボソリ)」
あれ? 今、本音が聞こえたような気が……。
「今なんか言った?」
あんなに遠くにいるのに聞こえていたのか? 母さんは地獄耳だ。
「……い、いえ。滅相も御座いません」
恐ろしい……。ここが我が家なら、今の返事と共に確実にスリッパが飛んできたことだろう。
「ささ、お嬢様はこちらでお待ちしております」
その場から逃げるように、執事さんは俺を本邸ではなく、その隣にある離れに案内してくれた。離れ……、ねえ。平屋ではあるがいったい何坪あるんだろう? 俺の家が有に三件入るほどの広さがあるんじゃないか? 玄関の扉をくぐって中に入るとさつきがリビングで退屈そうに待っていた。
「おそ〜い」
「ごめん、遅くなっちゃって。それよりこれ……、全部おまえの部屋なのか?」
「そうだけど、なにか変?」
「い、いや……」
すでに庶民とは感覚が違うということか。俺なんか中学になってやっと自分の部屋を与えられたというのに! それなのになんだ⁉ なんだこれは! リビングなのか? 家なのか? 二十畳ほどの広さに、寝そべれるほどの大きなソファー。大型テレビにホームシアター・システムを備え、キッチン、冷蔵庫、冷暖房も完備されてて……。
うらやましいにも程がある‼
「まぁ、その辺にでも座ってよ」
一歩踏み出すと、まず、ふかふかのカーペットに驚かされる。さつきはリビングの中央にある、でっかいクッションの上でごろごろと寝そべっている。胸元には首から提げた、いかにも高級そうな白い石がさりげなく揺れている。
女の子の部屋に入るなんて初めてのことだったから、ワクワクしていたというか、凄く緊張していたというのに……。期待していたソレとはまったく次元が違っていた。
ちくしょう……。俺は自分の純情を土足で踏みにじられた気分だった。さつきを挟んでテーブルの向こうに座ったのはいいけれど、違う意味でまったく落ち着けない。挙動不審もいいところ。
「まぁ、いいや……。と、とにかく話を始めよう……」
「おう!」
「返事だけはいいんだな……」
とにかく本題に入ることにした。だけど、予想していた通り、さつきの先程からの態度からして、なにか用意している気配すら感じられない。
「おまえ、なにも考えてないな? 当たりだな! そうなんだな‼」
「まぁまぁ、そんなに熱くならないでよ」
その時、部屋のチャイムが鳴ってティーセットを携えた執事さんが入ってきた。
「悪いわね、高槻さん。わたしはいつものをお願い」
「かしこまりました」
すでに準備が整っているらしく、慣れた手つきでお茶の用意がされていく。花柄をあしらった可愛らしい陶器のティーポットからうす茶色の液体がカップに注がれると、春の草花を思わせるような若々しい爽やかな香りが漂う。
「ダージリン・グランクリュです。ダージリンは三月から四月にかけてがファーストフラッシュのクオリティシーズンでして、本日は初摘みされて出荷されたばかりのものをご用意しました」
「うん。とってもいい香り」
こういうのを見ると、さつきが本当にお嬢様で、いかに俺が場違いの所にいるのかがよくわかる。しかし、それにしても一向に、俺の分を用意してくれる気配はない。
「あ、あれ? えっと……」
「お前は水でいいか?」
高槻さんに冷ややかな視線を向けられて、思わず震え上がる。
「は、はい。けっこうでございます……」
「あははは、修一ってば、おもしろ〜い」
くそう……、またしても、ちょっぴり涙目になってしまった。
◆◆◆
「……というわけで、とりあえず、お前自身がこれから何をしたいかっていうのを、はっきりさせないといけないと思うんだ。」
ただ漠然とやっていて勝てるような相手じゃない。二人の違いをはっきりと見せつけた上で、両備院さつきと小森芽依のどちらを支持するか、みんなによく考えて選んでもらわないといけない。どうすれその違いを、よりわかりやすい形で示せるか。そのことをさっきからずっと説明しているんだけど……。
「だから、私が華やかで愉快な学校生活を送るためなんだって」
ダメだ……、こいつは。まったくわかっちゃいない。
「そんなこと言ったら誰もお前に投票なんてしてくれないぞ!」
なんとなく予想していたことだけど、どうやら本当になにも考えてないらしい。要は全部俺まかせってことか。まったく、当選した後のことしか考えていないなんて、いったいどうなってんだよ!
……また頭が痛くなってきた。
「ん〜、なんとかなるって。要は私に投票したほうが、学校がもっと楽しくなるってみんなにわからせればいいんでしょ」
「それはそうなんだけど……、その方法をさっきからどうするかって聞いているんだろ?」
もう、こいつがなにを考えているのかさっぱりわからない。
「まあまあ。それは追々考えていけばいいじゃない。とりあえずまずは、校内に貼るポスターの制作から始めようよ」
「むう……」
やむを得ない、さつきのいうとおり出来ることからやっていくしかないと思う。
さつきはそう言うとすぐに、部屋の内線でさつきは執事の高槻さんを呼び出した。
「高槻さーん、ちょっとお願ーい」
あああ……。
またあの人が来る……。
どうやら、俺はすっかり苦手意識を植え付けられてしまっているようだ。しばらくすると、ノックの後ににこやかな笑顔を浮かべながら、高槻さんが入ってきた。
「ねぇ、選挙のポスターを作りたいんだけど、なにかいい写真とかないかな?」
「わかりました。おまかせを」
な、なんという頼もしい返事!
「あ、あの……。校内に貼るものなので……、あんまり派手なのはちょっと控えて……、ヒィッ!」
ジロリ、と睨まれて思わず悲鳴を上げてしまった。危ない。余計なことは言わないほうがよさげだな……。でも、本当に大丈夫なのだろうか?
そんな不安の中、出された水をちびちび飲みつつ待っていると、再びノックの音がし、高槻さんが一枚のプリントアウトを手に姿を現した。
「これなどいかがでしょう?」
一瞬目を奪われた。
そこには桜の花びらの舞う樹の下で微笑むさつきの姿があった。
絶妙のアングルと一瞬のタイミングが一致しないと生まれないそれは、まさに見事としか言いようがない。
(さつきってやっぱり可愛い……よな……)
普段の態度のせいでかなり損をしてるというか、まぁ性格のせいなんだろうから仕方ないのだけど、改めてそう思う。
「これ、この前のお花見の時の写真じゃない」
高槻さんが撮ったのか。見かけによらず意外と器用なところがあるんだな。何か、すごい豪華な額縁に入れられた派手な写真を想像してしまっていたので、ごめんなさい。そもそも学生が自分たちで作るポスターなんだから、そんなものは使えない。家庭用プリンターで出来るような簡単なやつでよかったんだ。
しかし、この写真なら生徒達の目も釘付けだろう。初日の遅れを取り戻すには十分だ。むしろ逆に、このポスターで知名度を覆せる可能性すら出てきた。
高槻さんの力を借りたことは少々後ろめたいけど、でも使わない手はない。
「よし、じゃあこれに、チャッチコピーを載せて……、名前を大きく入れてみよう」
俺は自分でイメージしたものをラフで描き始めた。いくつか描いた後、一番気に入った奴をさつきに見せてみた。
「こんなのでどうだろう?」
【両備院さつき】
【未来を変革する力‼】
「うん。いいんじゃない」
少し、中二っぽい気もするけど、これは俺達が掲げるテーマでもあるわけだし、これぐらいでちょうどいいんじゃない……かな?
「じゃあ。そっちの方はよろしく」
「わかった。持って帰ってレイアウトしてくるよ」
ふむ。ひとつ片付いた。
それなら、次に考えることは月曜の朝礼かな。その時に行われる立候補者の挨拶についてだ。それから、まだ詳しくは知らないけど公開討論というのがあるらしい。これは、立候補者が複数になった場合のみ行われるという、天保山高校の古くからある名物行事なんだそうな。要するに、放送室で候補者同士がお互いに言い争って、それをおもしろおかしく放送するってことらしい。
考えれば考えるほど気が重くなる……。
「それにしても……、おまえ、楽しそうだな」
「うん。だって楽しいもん」
「……」
なんだか一気に肩の力が抜けた気がした。
「もういい。次は挨拶の内容を考えるぞ‼」
「はーい」




