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#014 四月二十七日 水曜日(第二回公開討論)

 今日が最後の一日。

 そして、決戦の第二回公開討論。ついにこの日がやってきた。交差点に着くと気合いの十分入った出で立ちでさつきが俺を待っていた。

「行こう! 大丈夫。ちゃんと出来るよ」

 昨日、遅くまで行ったミーティングの中で、俺は今日の対策について事細かに説明した。いくつかの分岐と選択肢を踏まえながら、何度も反復して小森の出方に対する備えを授けたつもりだ。

「……そうか」

 もちろん、予想できない展開になることもあるだろう。だけど、一度こちらが主導権を握ることができれば、おそらくその後は俺が予想した通りになるはず……。

……そう、小森にとっては最悪の結末に。


◆◆◆


「それでは、みなさまお待ちかね‼ 第二回公開討論がはじまりますよ〜★」

 お昼休みがやってきた。生徒会選挙における最後のイベントとして、今、学校全体が盛り上がっていた。拍手の鳴り響く中、ついに幕を開ける。

「本日は特別ゲストとして、この人もお招きしております! 前副会長を務めました、生駒晴美先輩です〜★」

「生駒です。よろしくお願いします」

 美しい旋律を奏でるような美声と共に、校内にざわめきが生じた。

 生駒先輩は単に前生徒会長という肩書きだけではない、選挙管理委員長という重要な役割を担っている。その委員長が自らが臨んで立ち会うということは、それはつまり、この公開討論に一切の不正を許さない。それを意味する。

 俺が昨日先輩に頼んだのはこれだった。名目上は公開討論の公平性の為の立ち会い。

 ……だけど、本当の目的はそれだけじゃない。

「突然のゲストに、校内も驚いている様子ですね〜★ もちろん、私だって直前まで知らなかったわけですが……」

 ジロリ、と俺とさつきが岸和田先輩を睨みつける。

「ひ、ひぃ……★」

 怯える岸和田先輩。すでにその顔は青ざめていた。

「何か今日の岸和田先輩、様子がおかしくない?」

 和泉さんがその様子を見て小首をかしげた。前回と同様、この場には俺とさつき、小森と和泉さん、そして岸和田先輩と放送部のスタッフ。

 そして生駒先輩がそこに加わった形になっている。

「そう……、みたいね」

 小森は少し思い当たる節があるので、控えめな発言だったが、予想していなかったゲストの登場に、若干の不安を抱いている様子だった。相手が生駒先輩となれば尚更だろう。

「さ……さて、コホン★ 前回は小森さんが一方的に押す展開でしたが、今日は両備院さんがどこまで巻き返せるかがみなさんの注目するところです。それでは、第二回公開討論。いってみましょう〜★★★」

 カーンとゴングが鳴らされた。

 始まった!

 さつきの様子は……。俺の視線に気がついたさつきは、自信に満ちた表情で頷く。

 よし、落ち着いている。これなら大丈夫だ。さて、やってみるか……。

「おっと、今日はお互い、相手の出方を伺う様子ですね★」

 開始早々、どちらも発言しなかった。前回激しくやり合った結果、小森も慎重になっているようだ。

 よし! それなら、こちらから仕掛けよう。さつきもそれを察して目で合図を送ってきた。打ち合わせ通りだ。

「案の定、前回張り切りすぎたせいで、ネタ切れってやつみたいね」

 さつきはいきなり懐に潜り込んでの接近戦だ。

「そもそも、手品じゃないですから。そんな必要もないと思いますけど」

それに対して、どっしりと構えて迎撃の姿勢をとる小森。

「ふ〜ん……。それじゃあ、わたしが一方的に話すことになるけど、いいのかな?」

「それは無理な事。私を論破しようなんて不可能だっていうことを、もう一度思い知るだけ」

「その必要なんてない。これからみんなが知ることになるのは、わたしの生徒会の魅力だけよ!」

 挑発から、上手い流れで先手を取った。前振りは十分だ。

「よ〜し、じゃあまず。ここでみんなが楽しみにしていた、わたしのマニュフェストを公開よ!

 まずひとつ。食堂のメニューを1品増やす! 特に足りないと思われていたパスタで決まり‼」

「……はあ?」

 ざわっ。

 校内がざわついた。

 あまりの意表を突いた内容に、一瞬呆気にとられている小森。


「……なにバカなこと言ってるのよ。そんなことで生徒を釣るつもり?」

 真っ向勝負で来ると見て、それを待ち構えていた小森は完全に肩を透かされた。

「第一、生徒会長の一存だけで決められることじゃ……」

 途中まで言いかけて、気付いたのだろう。ある重要な事に。

 さつきは普通の生徒とは違う。地元でも一際大きな影響力を持つ、両備院家の一人娘だ。それがどういうことを意味するのか。

 つまり、両備院さつきが生徒会長の権力を手にするということは、それまでとは違う絶大な発言力を持つということだ。

 さすがに小森もこれほど露骨に振りかざしてくるとは思わなかったに違いない。正直、俺もこれを武器にするかどうかを最後まで悩んでいた。

 だけど、俺達は負けられない。勝つためならなんだってやる。どんな汚い手でも使う。後の責任は全て俺が背負う。だから、今は立ち止まるな!

「それから、来年から学園祭は二日間にするわ!」

「く……」

「それと、林間学校と臨海学校での宿泊先、及びその内容についても再検討する」

 惜しむことなく、立て続けにマニフェストを披露するさつき。校内がその度にどよめいた。

「お寺で研修だとか、浜辺の大掃除とか、どうせやることは同じだったら、楽しいほうがいいでしょ」

「……」

 狡いとでも言いたいのだろう。小森は唇を噛み締めて耐えていた。

 一度掴んだ流れは離さない。予定通り、すかさず次の手を打つ。生徒の関心は、さつきの出したマニフェストに集中しているはず。ならば今こそ切り札を出す時!

「生駒先輩、今のわたしの話は実現可能ですか?」

そこで、さつきは突然生駒先輩に話を振った。

「あら、今日の私はただのお飾りよ」

 それまで二人のやりとりを、楽しそうに眺めていた生駒先輩は、ニッコリと微笑んでそう言った。

「でも、せっかくゲストで来て頂いているのですから、可能か不可能かだけでも答えて貰えませんか?」

「……そうね。出来るか、出来ないかという答えであれば、両備院さんの公約は十分に可能性があるでしょうね」

「え⁉ そ、そんな……」

 生駒先輩からの擁護。

 それは、さつきの公約を論破するために思考を巡らせていた小森にとって、大きな痛手となった。もちろん、そうなることをわかっていた。そして次に先輩は、当然のことながら、両者が不公平にならないように自分の発言を補うだろう。

「でもそれは小森さんにとっても同じ事。何をするにしても、二人とも同じだけの可能性があるのよ。それを忘れないで」

 それは予想できた言葉であり、小森にとってあまりにも不公平な回答だった。

 二人が示した方向性が違う以上、たとえ可能性は同じだとしてもその意味合いは全く違う。小森が行うはずのない事を、やれば出来ると言われたところで、それは何のフォローにもならないからだ。

 小森の顔色からして明らかに動揺の色が見て取れた。おそらく混乱の真っ直中にいることだろう。

 全ては台本通りに事が運んでいる。

 生駒先輩のことは小森の話から何度も聞いていた。だからこそ二人のやりとりは手に取るように読めた。

先輩はちょっとおせっかいが過ぎるというか、つい余計な一言を言ってしまうところがある。そしてそれがいつも小森にとって気に触る結果になっていたことも。

 でもそれは先輩の優しさ故の言葉。傍で聞いていた俺にはそのことがよくわかっていた……。

 だから、俺は……それすらも利用する!

「……小森さん。あなたが私達の生徒会を引き継ぎたいという気持ちはよくわかるわ。そして、それがとても素晴らしいことであることも。でも、そればかりに縛られる必要もないの。もっと自由にしてくれてもいいのよ。あなた達にはもっと大きな可能性があるのだから」


 生駒先輩の、小森を労る気持ちが完全に徒となった。

「……先輩」

 予想以上の結果が出た。絶望的なまでのとどめを刺してしまったといってもいい。

 表面上は何も問題もない。疑いようもない。一般の生徒にはごく普通のやりとりに聞こえたはずだ。

 だけど、真実はそうじゃない。

 小森にとって、生駒晴美先輩という存在は特別だ。その敬愛する先輩に、全てを否定されたとなれば、それは想像を絶するほどの衝撃だったはず。二人の関係を知った上で、その言葉にどれほどの重みがあるかということも知った上で、その優しさも信頼も……、俺は全て踏みにじった。

 そう、勝つために……。

 これで、少なくともしばらくは立ち直ることが出来ないだろう……。

 自分の言葉が与えた衝撃に戸惑っていた生駒先輩は気付いたのだろう。

 驚きの表情で俺を見た。だけど、今頃気付いてももう遅い。小森は立ち直れないほどの精神的損傷を受けたはず。短時間で立て直すことはもう不可能だ。

 後は、さつきの独壇場だ。俺の役目はこれで終わり。あとは全てまかせればいい。

 小森は……、俺を怨むだろうな……。

 ……憎まれても、軽蔑されても仕方のないことだ。

 ……何もかも全て受け入れよう。

 ……その覚悟はもう出来ている。





「やめるわ」





 その声は放送室に漂っていた静寂を一瞬にして打ち消した。

「え?」

 何のことだかわからなかった。小森も生駒先輩も、学校内にいる誰もが次の言葉を疑った。

「やっぱり、さっき言ったマニフェストは全部取り消す!」

 ば、馬鹿な! そんなことありえない‼

「ちょっ、ちょっと待て! 何のために俺がここまで……」

 思わず立ち上がりそうになった俺を、さつきが片手を上げて制する。

「馬鹿なのはわたしの方だった……。修一はこうなるのをちゃんとわかってたんだ。でも……、やっぱりこういうのフェアじゃないよね。誰かを犠牲にして生徒会長になったんじゃ何の意味もないから。それに、そういうのはわたしのやりたい生徒会じゃない!」

「さつ……き……」

「わたしは真っ正面から挑んで勝ちたいの!」

 目の前が真っ白になった気がした。

 絶対に勝たなければ……いけないんだ。俺はおまえを守るために……、そのために……。

「わたしはみんなに楽しんでもらいたいし、喜んでもらいたい。何より、わたし自身が高校生活を目一杯楽しみたいから。

 その気持ちは最初から今もずっと変わってない。だからその為に自分の大切な何かを犠牲にするのは嫌。

わたしは欲張りだもん。全部手に入れなきゃ気が済まないわ!」

 まるで、俺の心の中を見透かすかのように、さつきは優しく微笑んだ。視界を覆っていたものが一瞬にして晴れ渡った。

 俺は……。また見失っていた……。大切なことを……。

 そうなんだ……、さつきの気持ちを。

「全部一人で背負う必要なんてない。今、わたしはやっと小森さんと同じ土俵に立ったところなんだから!  

ここからは小細工は一切なし、真っ向勝負よ!」

「両備院さん……」

「もちろん受けて立ってくれるわよね」

 言葉を失っていた小森の瞳に、再びが光が灯る。

「……当然よ!」

 この後、二人の論戦は昼休みの間ずっと繰り広げられ、学校中が笑いと高揚に包まれた。

「大切なことを忘れてたわ。自分の本質をうっかり見落としていたの。普通に考えても、おもしろい生徒会長のほうが楽しいじゃない。だから、わたしの方が絶対楽しいに決まってるわ」

「はぁ? 楽しいとか? 馬鹿なこと言わないで頂戴。そんなデタラメな生徒会長なんて誰が認めるものですか」

「わたしはいつだって本気よ!」

 さつきの言葉が全てを救ってくれた。

 小森も、生駒先輩も。

 そして俺も……。

 こうして、第二回公開討論は終了した。

 それでも俺に残ったのは、後悔と罪悪感だけだった。

「生駒先輩……、すみませんでした……」

「大坂くん、やってくれたわね。どこまでがあなたの策略かわからないけど」

「先輩のことは……、その……、小森からよく聞いてましたから……」

「でも、そのおかげで今日は本当に素晴らしい公開討論になったと思うわ。それもあなたのおかげだと思う」

「え……⁉」

 それがどういう意味なのか、直ぐには理解できなかった。

 放送室の前では、さつきが岸和田先輩となにか話をしていた。ここからではよく聞こえなかったけれど、岸和田先輩は何度も何度も頭を下げていて、さつきは照れくさそうに、笑顔で受け答えしていた。そして、何事もなかったように、いつもの様子で戻ってきて、いつものようにそう言った。

「行こう! 早くしないとお弁当食べる時間がなくなっちゃう!」

「あ……ああ」


◆◆◆


 放課後。

 チャイムが鳴ると同時に、さつきは駆け足で廊下に出て行った。鞄も置きっぱなしでどこに行ったんだろう?

 しばらく教室で待っていると、上機嫌のさつきが戻ってきた。

「どこ行ってたんだよ?」

「ん? 熊取先輩の所だけど?」

「え……? おまえ、先輩にまだ何か用でもあったのか?」

「違うよ。仲直りだよ」

「……仲直り?」

「熊取先輩はすぐに帰宅しちゃうから、急いで行かないと捕まえられないからね。ようし、じゃあ次行ってみよう!」

「? 次ってどこへ?」

「千里丘先輩のところ」

「な……⁉ 昨日の今日だというのに、いったい、何を考えているんだ!」

 制止しようとした俺の横をするりと抜けて、さつきは図書室に向かって歩き出した。

「お、おい。勝手に……」

「大丈夫だって。あの人は約束はきちんと守る人だよ」

「信じられるのか⁉」

「わたしの勘だけど。でも、まあ大丈夫だよ。だから待ってて」

 本当に大丈夫なのか?

 いやいや、待ってなんかいられない!

「俺も一緒に行くから」

「じゃあ、図書室の外で待っててよ」

「外で待つのか?」

「私一人じゃないと、たぶん意味がないと思うんだ……。探せば他にもっといい方法があるかもしれない。でも、残された時間は余りないから。だから、後悔しないように、真っ正面からぶつかっていきたい。それがきっと一番、わたしらしいって思うんだ」

「……わかった」

 図書室の前に辿り着くと、中では相変わらず、高く積み上げられた本の山の奥で、千里丘先輩が静かに本を読んでいた。

 さつきは、上機嫌のまま、何食わぬ顔で先輩の下へ向かって行ったのだが、俺は内心、不安で一杯だった。

 どうなってもしらないからな……。

「……随分と早いじゃない。ここに来たってことはもう諦めたってこと?」

 扉の隙間から、微かにその話し声を聞いて取れた。

 ほら、やっぱりそうきたじゃないか……。

「ううん。ちがう」

「じゃあ何の用? 約束とはいえ、目の前をうろちょろされると目障りなんだけど」

「ごめんなさい。でも……、先輩に聞いて欲しいことがあったから」

「?」

 千里丘先輩は眉をしかめた。

「……もっと知って欲しいんだ。わたしのこと。昨日、あれからいろいろ考えたんだけど、先輩はわたしのこと何も知らないでしょ。それって不公平だよね。だから、わたしのことを、もっと知ってもらおうと思って……。」

「……何を馬鹿なことを」

「ただ聞いてもらうだけでいいから」

「……」

「聞いて欲しいの。わたしのこと。わたしの目標……」

 それからは、先輩は本から顔を上げることもなく、ただ黙って、さつきの話を聞いていた。

「わたしはね、先月この町に帰ってきたばっかりだったから、友達が誰もいなくって、正直、色々不安だったんだ。ただ、幼馴染みだった修一がいてくれたおかげで、色々と助かったんだけれど。それでもやっぱり、すぐには馴染めなくて……。だから、生徒会長になったら、みんなともっと仲良くなれるかなって。そう思ったんだ」

「……そんなくだらない理由で?」

「あははっ。やっぱりそうかな。

 でも、……本当はね。

 自分を変えたかったんだ。

 わたしは、小さい頃から、泣き虫で弱虫だったから……。

 そんな自分が大嫌いだったから。だから、強くなりたかったんだ。

 周りの誰かにそう言われたからじゃなくって、自分からそうなりたいって思った。本当に変わりたかったから。

 ……だから、ずっと一生懸命頑張ってきた。

 ……頑張っていたつもりだった。

 でも……、いつのまにか。

 わたしは……、強がってばかりの自分になってた。

 本当は何も変われてなかった……。

 強がりで、意地っ張りで、負けず嫌いのわたし。

 それが、変わったはずのわたしの、本当の姿だった。

 ……最初はそんなことにも気がつかないで、ただ、自分のためだけにやってた。周りのみんなを巻き込んで、いっぱい迷惑をかけて……。一人で勝手なことばかりしてた……。

 でも、そんなわたしに、修一が言ってくれたんだ。

 おまえのおかげで自分が変われたって。

 ありがとうって……。

 おかしいでしょ。

 わたしは自分のためにやってたのに、それなのにお礼を言われるなんて。

 気がつけば、クラスのみんなや、先生、先輩達まで、みんながわたしを応援してくれていた。わたしを見ていると、自分も頑張ろうっていう気持ちになるんだって。みんなが、そう言ってくれた。

 わたしは自分を変えられなかったけれど、みんなの力になれたことがすごくうれしかった。

 その時に、やっと……。

 無駄じゃなかった。今までのことが、全部無駄じゃなかったんだって……、そう思えた。

 生徒会長に立候補して、本当によかったって思う。

 最初はただ生徒会長になりたいだけだった。でも今は、生徒会長になったら、わたしはみんなのために、どんなことが出来るのかなって。わたしには何が出来るのかなって。そう思うようになったの。

 だから、みんなにも、そして先輩にも、わたしがどんなことが出来るのか見せたい。見てもらいたい。

 両備院さつきの生徒会長を。

 ……わたしは、今までずっと、お母さん達の後ろ姿を追いかけてた。いつも憧れてた。あの二人みたいになりたいって、そう思ってた。でも、わかったんだ。わたしは、あの二人にならなくていい。なる必要もなかったんだって。

 わたしはわたしのままでいい。

 両備院さつきは、両備院弥生、茨木美由紀。この二人を追い越すのが目標なんだから!」

 その言葉を聞いた千里丘先輩は、驚いた表情で初めて顔を上げた。それまで、不快感を露わにしていたはずの先輩の瞳が、不思議な色を湛えている。いったいそれがどういう意味を持っていたのかはわからない。だけど、その言葉によって、先輩の中で何かが変わったに違いない。

 二人の会話は、もうそれ以上は聞き取れなかったけど、先輩がさつきに危害を加えるような素振りはなかったので、俺はおとなしく廊下で待つことにした……。

 ここから様子を眺めていると、昨日の出来事がまるで嘘のように思えた。だって、二人の雰囲気はとても和やかに見えたから……。

 やっぱりわからない……。

 どうして先輩は、そこまでさつきを忌み嫌うのか?

 さつきが生徒会長に立候補したことが、全ての原因だとは思えない。絶対にそれだけじゃないはずなんだ。でも、それ以外の理由って……、一体何なんだろう? 

 先輩は四年前に、この町に引っ越して来たって言っていた。帰り道の、交差点の近くにある高級マンションに一人で住んでいて、家族はいないって……。そう言っていた。

 俺が知っていることはそれぐらいだ。他のことは何も知らない……。

 いや、それが真実かすらもわからない……。

 今の俺に何ができるっていうのだろう?

 硝子越しに、二人の姿を眺めた。

 ……やっぱり。

 あの二人は性格こそ全然違うけれど、どこか似ているように思える……。確かあの時、俺は同じ事を言ったよな。あれは、その場の思いつきで言った言葉なんかじゃなかったんだ。無意識の内に二人の姿を重ねていたのかもしれない……。

 そんな時、とある疑問が浮かんだ。

 もちろん最初は、ただの思い過ごしだろうと思った。だけど、その疑問は時間と共に、どんどん大きく膨れあがっていく……。

 そんな……、まさか⁉

 落ち着いてよく考えるんだ……。

 色々とおかしな点があるのに、どうして今まで気付かなかった? 調べてもらっても、何一つわからないなんて、おかしいと思わなかったのか? 戸籍や住民登録を調べるだけで、先輩の言ったことの裏付けぐらいはできるはずだろう?

 ありえない事なのかもしれない。だけど、もしそうなのだとしたら……。

 俺は急いで携帯を取り出すと、震える手で、メモしていた番号を押した。呼び出し音が鳴ると、相手はすぐに出た。

「どうした? 急用か?」

「はい……。例の千里丘先輩の件なのですが……」

「そのことか。それなら嬢ちゃんには説明しておいたはずなんだが」

「そうですが……」

「? 何かあったのか?」

「……少し、気になったことがあるんです」

「何だ? 言ってみろ」

「さつきは先輩の住んでいるところ意外、なにもわからなかったと言っていました」

「そうだが。……それがどうした?」

「……本当に何もわからなかったのですか?」

「何だと?」

「本当は……、教えられない理由があるんじゃないですか?」

 暫しの沈黙。

「……どういうつもりか知らないが。もう一度、経緯をよく話してみろ」

 その返答は予想がついていた。

 やはり……、何かある。

「……いえ、そういうことならもうかまいません」

「おい、ちょっと待て!」

「……これは俺達の問題ですから」

 俺は通話を着ると、そのまま電源も落として、鞄に投げ入れた……。

 まさか、こんなことが……。

 この件について、もう高槻さんの力は当てに出来ない……。



◆◆◆


 先に図書館から姿を現したのは千里丘先輩だった。

 自分がやったこととはいえ、額に貼られた大きな絆創膏が痛々しかった。

「なんだ。そんなところに隠れていたのか?」

「な⁉ 別に隠れてたわけじゃ……」

「これじゃ、ゆっくり読書も出来ないからな……」

 いかにもうんざりとした表情で、そう言ってはいるものの、昨日のような威圧感は感じられなかった。

「あの……、昨日はすみませんでした……。俺も……、ちょっとやり過ぎたかなと……」

「この恨みは一生忘れない!」

「は……、はは……」

 睨みつけられて、思わず一歩後ずさる。……怒っているのは当然だな。でも、いきなり昨日のように斬りつけられる心配はなさそうだ。

「まったく、おかしな奴だ。理解できない。おまえ達の頭はどうかしているんじゃないのか?」

 そんな風に話す先輩を見て、思わず苦笑してしまった。だって、少し前の俺も同じ事を思っていたから。

「そんなにおかしいですか? でも実は俺も、最初はさつきのことをそう思ってたんですけどね」

 そうだ。何を迷う必要があったんだ?

 俺は自分が何をしたいのかとっくに答えは出ているはずなのに。さつきは小細工なしで真っ正面から挑んでいった。俺も、今この機会を逃したら、もう後がないかもしれない。

 迷いを振り払うように何度も首を振った。そして、先輩と正面から向き合った。

「何か言いたそうだな?」

「やっぱり……、きっちりと話をしておこうと思って……」

「何のことだ?」

「先輩に、俺達の知らない何らかの理由があるのはわかっています。高槻さんがそのことを隠していることも……」

 先輩の目つきが鋭くなる。話が核心に触れたことにより、辺りの空気が緊張感に包まれる。

「おそらくそれが……」

「……場所を変えよう。ここでは誰が聞いているかわからないからな」

 千里丘先輩は、俺の言葉を途中で遮ると、顎でついてくるように指図した。

 やはり、間違いない……。

 人気のない廊下を、二人の靴音だけが響き渡る。

 どこへ向かうのか? 無言のまま歩き続ける先輩の後に続いて、俺は特別棟の中央階段を上り、四階の踊り場から扉をくぐった。

 屋上に出た途端、差し込む太陽の光に一瞬目が眩んだ。その僅かな隙を突いて先輩は、開いていた扉を強引に蹴った!

「!」

 轟音と共に扉が閉まり、それに気を取られた俺は先輩の姿を見失ってしまう!

 咄嗟に身構えたが、それよりも速く、先輩は低い姿勢から懐に潜り込んできた!

 隠し持っていたナイフが下方より鋭い光を放つ……。

「‼」

 切っ先を喉元に突きつけられたまま、俺は一歩も動けないでいた。

「千里丘先輩……」

「何を知っている?」

 一滴の汗が首下を伝う。

「話してもらおうか?」

「千里丘先輩……、そんなことより、俺と一つ勝負をしませんか?」

「自分の置かれた状況をよく見てからものを言え」

「……わかってますよ。だから、俺の知っている情報を懸けて勝負しようと言っているんです」

「……⁉」

「もちろん、生徒会役員選挙で!」

「おまえ達はまだ、当選する気でいるのか? 公開討論では上手く立ち回ったつもりだろうが、劣勢であることには変わりない。両備院に勝ち目なんてありはしない!」

「そんなの、わかりません!

 さつきが落選したら、俺の知っていることを全て話します。それから、俺のことも、下僕にするなり自由にしてくれてかまいません!」

「ほほう。面白いことを言う。ならば、おまえ達が勝った場合、私を一体どうしようと言うのだ?」

「……俺達と一緒に生徒会をやってください!」

「な……⁉」

「それが、俺の望みです」

「馬鹿な事を! そんなこと出来るものか!」

「俺は不器用だから、こんな方法しか思いつかなかった。だけど、どんな理由があろうと、俺は絶対に譲らない!」 

 先輩のナイフを持つ右手を、そっと包み込むように握りしめる。

「⁉」

「これは、もう必要ありません」

 先輩の瞳を真っ正面から見つめた。一陣の風が舞い、先輩の短い髪を揺らす。

「勝敗は選挙で!」

「……いいだろう」


◆◆◆


 屋上を離れた後、下駄箱の前でグラウンドを眺めながら佇んでいる、さつきの姿を見つけた。

「どこに行ってたのよ」

「なんだ、先に帰ったんじゃなかったのか。ちょっと千里丘先輩と話してただけだよ」

「ふーん……」

 勘繰るように俺をしげしげと見る。

「べ、別になにもなかったぞ」

「そう言い訳するところが返って怪しいんだけど……、まぁいいわ。わたしさ、しばらく空いた時間は図書室に通ってみようと思うんだ。少し時間はかかるかもしれないけれど……。でも、きっと、わかってもらえると思うんだ」

「……うん。いい考えだと思う」

 俺はそんなさつきだからこそ、ここまで付いてきたんだ。本当に全部手に入れるつもりらしい……。

「もうひとつ、行きたいところがあるんじゃないの?」

「え⁉」

「顔に書いてあるわよ」

「な⁉}

 思わず、顔に手を当ててしまう。参ったな……。お見通しって感じだ。さつきはそれ以上は何も言わなかったけれど、今はその言葉に甘えることにしよう。

「それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「うん」

 俺は下駄箱を後にすると、もちろんあの場所に向かった。

 全速力で四階まで駆け上がると、さすがに息が切れてきた。みっともないかもしれない。でも、今すぐに行きたかった。今すぐに伝えないといけないことがあったから……。

 特別棟四階、南端の階段の一番上。倉庫の前には小さな踊り場がある。

 姿は見えない、でも雰囲気でわかる。

「いるんだろ、そこに……」

「……」

「今日の事だけど……」

「何言ってるのよ。最初の不正のことを考えたら、生駒先輩の立ち会いは当然のことだと思うわ。それに、私は自分の弱点ぐらいとっくの昔に気付いていたわよ。ただ……、ちょっと動揺しただけ。ほんっとに、あの人おせっかいなんだから……」

「小森……」

「でもね、本当は少しうれしかったんだ」

 小森が照れくさそうに顔を出した。

「え……」

「わたしのこと、ちゃんと見ててくれたんだなって」

 小森は頬を赤らめながら微笑んだ。

「なによ! そんなに気にするんだったら、ほら、いつもの出しなさいよ!」

「あ、ああ……」

 俺は鞄から買っておいた珈琲牛乳を取り出した。

「よろしい。これで今回の事はチャラにしてあげる」

 とびっきりの笑顔を向けられると、視界があっという間に滲んでなにも見えなくなった……。

「……ごめん、本当に……。俺は……。ごめん……」

「え……。ちょ、ちょっと。何泣いてるのよ……」


◆◆◆


「なんだよ。待っててくれるんだったら、そう言ってくれよ」

「なんとなく……ね」

 先に帰ったと思っていたさつきは、校門の外で俺を待ってくれていた。堤防の傍の公園を歩きながら、俺達は今日までにあったことを話していた。

「明日が最後だね」

「最後じゃない。始まりだろう?」

「……そうだったね」

 いろいろあった。慌ただしい毎日だった。今ではそれが懐かしく思える。公園から見える西の空は鮮やかなオレンジで染め上げられていて、焼けたように朱い太陽が、その光で川面もビルの外壁もオレンジ色に照らし出している。

「明日、がんばろうな」

「……うん」

 不安を拭いきれないのか、さつきは少しだけ視線を落とした。

「心配するなよ、俺も一緒だ」

「うん」

「約束だろ」

「そうだったね」

「あ、そうだ! やっぱり、俺はお前の為ならなんでもしてやるなんて一言も言ってないぞ!」

「言ったよ!」

「言ってない!」

 オレンジ色の世界の中でさつきは微笑んだ。



「……おんなじことだよ」


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