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#011 四月二十三日(土曜日)

 次の日の朝。

 先生が校門が閉じ始める。今日に限っては、俺はただ校門に突っ立って選挙運動をしていたわけではない。

校門を通る全ての生徒をチェックしていた。

(……まだ登校していない)

 事前に先輩のクラスメートから情報を得ていたので間違いない。あの人は早朝のバイトのせいで必ずといっていいほど遅刻ギリギリに登校してくるらしい。

「さつき、悪いけど先に教室に戻っててくれ。ちょっと寄るところがあるんだ」

「え、そうなの? 急がないともう始まっちゃうけど」

 後片付けの終わったさつきをおいて、俺はまっすぐ特別棟の裏に向かった。始業のチャイムがなるまで、もう二・三分もないだろう。だけど、まだ来ていないはずなんだ。ギリギリ校門から滑り込むということも考えられるけど、あの抜け道を知っているなら、手っ取り早く、あそこを通るはずだ。

 そうして特別棟の裏に辿り着いた俺は、例の穴の開いたフェンスの前でゆっくりと待っていた。慌てる必要なんてない。ただ待てばいいんだ。

 ほら……。フェンスの向こうの茂みから足音が聞こえてきた。

「待っていましたよ。熊取先輩」

 フェンスをくぐり抜けて出てきた熊取先輩は、そこに俺がいることに気づいた。だけど、今度はさほど驚いた様子もない。

「……しつこい男は嫌われるわよ」

「なるほど……。やはり、あの時ここから外に抜け出したって訳ですね」

「……なんのこと?」

 熊取先輩が惚けた様子で返答する。しかし、今ここで逃がす訳にはいかない。握った拳に汗が滲む。

(さて、どうする?)

 二人の間に緊張が走る。その時。

「おい、おまえ達、そこでなにをしている!」

「!」

 その声は教頭先生。まったくタイミングが悪すぎる。

「ん? 熊取! またここから入ってきたのか! ここから入っちゃいかんと何度も言ってるだろう‼」

「すみません。……急ぎますので」

「しまった!」

 一瞬の隙を突いて、駆けだしていく先輩。それを追いかけようとした俺の前に教頭先生が立ちはだかる。

「くぉら! 大坂! ワシが昨日言ったことがわからんかったのか?」

「あう……」

 くそう、またしても逃がしてしまった……。やっと捕まえたと思ったのに。

「す、……すみません……」

「まったく! なにかは知らんが……、おまえはそういうところも母親譲りだな」

「え……、母さんが?」

「ああ……、何かいつも色々な問題に首を突っ込んでおったよ……。お前を見てたら、また昔のことを思い出してしまったではないか。……ほら、早く教室に戻れ」

「え?いいんですか?」

「ワシの気分が変わらないうちにさっさと行け!」

「は、はい。すみません……」

 俺は教室に向かおうとした矢先、すぐ近くの校舎の影にさつきが立っているのがわかった。

「さつき! 教室に先に戻れって言ったろ!」

「ごめん……。でも、なにか気になって。それに、……もしかして、……さっきの人が……」

「……わからない。だけど……、限りなく黒に近い……と考えてる」

「誰?」

「二年五組、熊取陽子」

「……そう」

さつきはそう言って、少し考え込み始めた。だけど、今はそれどころでじゃない。

「おい、早く行こう。完全に遅刻だ!」

「わ、わかった!」

 俺とさつきは慌てて教室に向かった。少し遅刻してしまったけど、さつきが後片付けに時間がかかったことを説明すると、先生も納得してくれたのでお咎めを受けることはなかった。


◆◆◆


 放課後。

 教室に残った俺はさつきに問われる形で、これまでの熊取先輩とのやりとりについて全て話した。アーチェリー部の先輩達から聞き出した情報と、廊下での一件、そして校舎裏の隠し通路のことについても。

 ただ俺は、矢を射掛けた犯人が誰か。これだけははっきりさせておきたかった。どれほどの腕前か知らないが、一歩間違えば大惨事に繋がっていた。俺はそれがどうしても許せない。

「なるほどね。大体の話はわかったわ」

「でも、何の証拠もない。問い詰めたところでまた逃げられるだけだし……。正直手詰まりなんだ……」

 なんとかして証拠を掴むことはできないんだろうか?

「でも、その話だと熊取先輩は何らかの事情があって休部してる訳よね。その理由は知っているの?」

「え? いや……」

「う〜ん……、だとすると」

 少し思案した後、さつきはおもむろに鞄から携帯を取り出すと、誰かと通話し始めた。

「……それでね、……大至急調べて欲しいの。……うん。そう。……おねがい」

 内容はよく聞き取れないけど、矢継ぎ早に指示を出すその様子を見ていると、相手は高槻さんだろう。しばらくして用件が済むと、さつきは口元に手を当てて少し考えるような仕草をした。

「私は修一の勘を信じる。すぐに結果が出せるかはわからないけど……。そうね。なんとか月曜ぐらいまでには……」

「いったい何を頼んだんだ?」

「ここまで相手が絞れているのなら、先輩の人間関係と身の周りの調査を行う必要があると思ったの。おそらく今まで見えてなかったものがきっと見えてくるはず……。とにかく、熊取先輩の件はしばらく私に任せてくれる?」

 身辺調査か……。確かに俺にはない発想だった。それに、さつきにはなにか思うところがあるらしい。

「わ……わかった」

 とりあえずこの件は一端、さつきに任せることにした。

「今日はもう帰ろうよ。それに打ち合わせがあるから、後でまた家に来てくれる?」

「……ああ、そうだな」

 随分と横道に逸れてしまっているけど、この休みの間にやらなけらばならないことがたくさんあった。来週の二回目の公開討論ではマニフェストを公開する予定だ。これは小森に対抗する最後の切り札でもある。その為の準備と検証。この前は実行力について指摘されたから、その点だけはぬかりなく行いたい。言われた以上は絶対にやってみせないと!

 窓の外に目を向けると雨がしとしと降り始めていた。そういえば週末の天気は崩れるって言っていたな……。


◆◆◆


 日が暮れて、辺りがすっかり暗くなってしまった頃。やっと今日の打ち合わせが終わった俺は、降りしきる雨の中家路についていた。すると、いつもの交差点に、傘も持たずに信号を待っている、制服姿の千里丘先輩を見つけた。

「あれ? 先輩……。って、ずぶ濡れじゃないですか」

 慌てて駆け寄って声を掛けてみたものの、先輩は雨を滴らせながら、俯いたままだ。

「……何か用?」

「いえ、用ってほどじゃないですけど。よかったら、これ、使ってください」

 俺は持っていた自分の傘をそっと差し出した。それが余程意外なことだったのか、先輩はきょとんとした表情で顔を上げた。雨粒が前髪を伝ってしたたり落ちる。

「……大丈夫。……もう近くだから」

 一瞬思案するような素振りの後、先輩は首を横に振った。でも、それは先輩なりに気を遣った言葉なのだと感じた俺は、少しお節介だとわかりつつも、もう一度手を差し伸ばすことにした。

「その格好を見たら、とても大丈夫とは思えませんけど……」

「……私は別にいい。……それよりも君が濡れてしまう」

 少し顔を背けるようにしたのは、照れ隠しだったのだろうか? 先輩は、雨音で消え去りそうなほどの小さな声で呟くようにそう言った。

「俺の家もここからなら走ってすぐですから」

「でも……、本当にすぐ近くだから」

 先輩は交差点の先に見える高層マンションを指差した。普段余り気にすることがなかったけれど、この辺りでは結構目立つ建物だった。信号が赤から青に変わると同時に、雨も次第に激しくなってくる。

「ヤバいな……。先輩、急ぎましょう!」

 俺は否応なく先輩の手に傘を握らせる。 

「帰ったら、すぐに着替えて暖かくしてください。じゃないと風邪引いちゃいますよ」

「……。随分と、私にかまうのね。どうして?」

「どうしてって、言われても……」

 正直、なんて返答するべきか迷った。けど、こういうのは損得の問題じゃないし。俺はただ、この前のお返しがしたかっただけで……。

「え〜と……。上手く言えませんけど、俺がそうしたいからっていうのでは駄目でしょうか?」

「……。わからないわ」

「それじゃあ、俺が先輩を気に入っているからです。その……、先輩はなんて言うか、とても可愛い人だから。つい……」

 って⁉ ま、また何を口走っているんだ! 気がつけば耳まで真っ赤になっていた。千里丘先輩も思いがけない言葉に顔を赤らめている。

「お、おかしなことを言うな……」

「は……はは……、すみません……」

 恥ずかしさの余り、どうして謝っているのかわからない……。すごく気が滅入ってきた……。

「……でも。……ありがとう」

 そんな俺の様子を見て、先輩はおかしそうにクスリと笑うと、伏せ目がちにそう言った。頬がまだ赤く染まっている。

「いや……、これはその……、なんて言うか。先輩はさつきと似ていて放っておけない感じで……」

「⁉」

 一瞬、訝しむような視線を感じて、俺は思わず言葉に詰まった。

「……私が?」

「あ、いや……。全然似てないですよね……。何言ってるんだろ、俺」

「……」

「それじゃあ、先輩。また」

「……また」

 雨がさらに激しさを増していく中、俺は駆け足でその場を離れた。

 投票日まで、あと五日……。


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