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#010 四月二十二日 金曜日

 ホームルームが終わり、放課後になるとすぐに、俺はちょっと用事があるからといって、さつきをおいて教室から出て行った。向かう先は二年の教室のある三階だ。

 熊取陽子くまとりようこ。現在は休部しているらしいけど、アーチェリー部所属の二年生。昨日の件で、どうしても確かめておきたいことがあった。

 階段を駆け登っている途中、階上に誰かがいるのに気がついた。見上げるとそこには……、赤い眼鏡をかけたショートカットの……。千里丘千紗先輩だった。

「どうかしたの?」

「あ、いえ、ちょっと人を捜しに……」

「そう……」

 ホームルームの終わった二年生達も帰り始めたので、周囲はあっというまに生徒で溢れかえった。

「すみません、今は急いでいるので……」

 そう言うと、俺はすぐさま駆け出した。

「あ、そうだ! 先輩、この間はその……、ありがとうございました!」

 振り返ると、小さく頷く千里丘先輩の横顔が見えた。

 今は行こう! この機会を逃すわけにはいかない。俺は二年五組の教室の前まで来ると、教室から出てきた先輩の一人に尋ねた。

「すみません。熊取先輩はいらっしゃいますか?」

「熊取なら、ほら、あそこにいるよ」

 指差されたのは窓際の席にいたおさげ髪の女生徒。ちょうど鞄を持って帰り支度を済ませたところだった。

(……あれが、熊取先輩か。よし、一か八か賭けてみる)

 俺は無言のまま廊下で待ち構えた。それに気づいたのか先輩がこちらを見た。その時を待って、俺はあの矢を鞄から取り出して見せた。

「!」

 見逃しはしない。今、確かに驚いた顔をしたな!

「な……、なに? 私に用?」

「熊取先輩、少しお話があります」

「ごめん。……急いでるから」

「時間はとらせません」

 ここで簡単に逃がす訳にはいかない。

「バイトで急いでいるの。そこをどいて!」

「昨日のことでどうしても聞きたいことがあるんです!」

「……なんのことか知らないわ」

「!」

 何の根拠もなければ証拠もない。そんなのはわかってる! だけど、だけど何か知っているはずだ! そうでなければさっきの驚いた表情は何だ?

「悪いけど、急いでるの!」

 熊取先輩は俺の横をすり抜けると一気に駆け出した。

「しまった!」

 まだなにも聞いちゃいない! 俺もすぐさま追いかける。しかし、階段を下りてロッカーに向かう途中、さつきの姿が目に入った。

 「!」

 もし、昨日みたいなことがまたあったら……。そう思うと、放っておく訳にはいかなかった。

 そこで仕方なく、俺は追いかけるのをやめた……。

「廊下は走っちゃ駄目でしょ!」

「うるさいな。それどころじゃなかったんだよ」

 まったく、こいつといったら何を呑気なことを。こっちはせっかくのチャンスを逃したってのに……。

「生徒会役員が規則を破ったら、他の生徒に示しがつかないじゃない。それに女の子を追いかけ回すなんて随分余裕あるのね!」

「……そっちかよ」

 でもまぁ、何にせよ、ひとつだけわかったことがある。全力でなかったにせよ、あの脚では俺を振り切るなんて無理だ。角度、方向から察するに、あの茂みの位置から射掛けたのはほぼ間違いない。だとすれば犯人はやはり、裏口の逃走ルートを使うことを前提に、あの場所を選んだと見える。となれば……。

「ねぇ、ちょっと! ちゃんと聞いてる?」

「うるさいな。……人の気も知らずに。まぁ、……いいか。とりあえず帰ろう」

「ちょ、ちょっと……」


◆◆◆


 さつきを送ったあと、俺はなにもないことは承知の上でもう一度学校に戻った。熊取先輩を取り逃がした以上、もうここにいても仕方ないのはわかってる。それでもじっとしていられなかった。

 本校舎の廊下を歩いていて、ちょうど俺達のクラスの前を通った時に、柏原が教室の中にいるのが目にとまった。

(あれ……? あいつ、こんな時間に教室でなにやってんだ? 忘れ物でも取りに来たのか?)

 ドアの隙間から様子を伺うと、なにやら手に持った白い布をじっと見つめていた。

 何を……見ているんだ?

「!」

 おい、柏原の奴、いきなりその白い布きれに顔を埋めたぞ! そしてその姿勢のまま、しばらくピクリとも動かない……。一体どうしたんだ? 具合でも悪いのか? い、いや違う! なにかおかしい! 微かに動いている!

 こ……、これは!

 ……嘗め、……ているだと⁉

 いったい、何が? 何が起こっているんだ⁉ まったく理解できない‼

 ま、待て、布に何か書いてあるぞ。

 そうだ。漢字だ……。漢字が書いてある……。

 ……両……?

 ……院……?

 俺は思いきり教室のドアをぶち開けた!

「そこで何をしている!」

「な! 大坂、どうしてそこに‼」

「うるさい! そこで何をしているのかと聞いているんだ!」

 そう問いかけると同時に、柏原はもう一つの扉から廊下に飛び出した。

「くそっ、絶対に逃がすか!」

 だが、柏原の奴はとてつもなく速かった。二階の廊下から渡り廊下へ、そこから階段の降りて中庭へ。

(こいつ……、どうなっているんだ⁉ 一向に差が縮まらない)

 しかし、中庭を通り抜けてグラウンドの傍を通り抜け、体育館の裏まで達した時、ついにそこで追い詰めた。

「はぁはぁ……。くそっ、大坂、おまえなんでそんなに速いんだよ」

 二人の勝敗を分けたのは持久力の差だった。俺は元陸上部の長距離担当だ。なめてもらっちゃ困る。

「お、おまえこそな……。だけどもう逃げられると……、思うなよ!」

 そこで柏原の手の中の体操服に目を向ける。間違いない。盗難にあった、さつきの体操服だ。

「おまえ……。おまえだけは信じていたのに!」

 裏切られたという気持ちが、怒りを通り越して悔しさを滲ませる。

「そいつを渡してもらうぞ!」

 追い詰められて観念したのか、柏原にもう逃げるような素振りはなかった。

「……ったく、しょうがねぇな。こんなものを本人に見せるわけにはいかないと思ってたんだが……」

「え……? 何を言ってるんだ⁉」

 柏原は手にしていたものを目の前に差し出した。

「ほらよ」

「‼ こ……これ……は」

 それは間違いなく両備院さつきの体操服だった。いや、正確には過去に体操服だったものだ。肩口から鋭利な刃物でバッサリと斜めに袈裟斬りにされたそれは、最早今となっては、ただの布きれだ。

「なにもなかったことにしたほうがいい。盗まれたことに違いはないけど、これはなくしたままでいいと思う。真実が何もかも正しいという訳じゃない……」

「柏原……、おまえがやったんじゃないのか?」

「俺は忘れ物を取りに戻っただけだ。そしたら、これが両備院さんの机の上に置いてあったんだよ。さすがに……、そのままにしておく訳にはいかないだろ」

「そ、そうだな……。そうだ、他に誰もいなかったか?怪しい奴は見なかったか?」

「いや……、残念だが……」

「そう……か」

 ホッと安心したと同時に、悔しさがこみ上げてくる。

 しかしその時、俺はあることに気付いた。

 どうしてこんなに体操服がねとついているんだ? これは一体……?

 先程の映像が脳裏に蘇る!

「やっぱり……、おまえは許さない!」

「え? なんで?.」

 理由がわからない。といった表情で目を丸くする柏原。

「何正論ぶったことを言ってやがる! 俺はさっき見たんだぞ! さつきの体操服になにしてしやがった‼」

「なにって? なにかおかしなことをしていたか?」

「おかしい……、だと?」

「確か……、あまりにもいい匂いがするから思わずクンカクンカして……。それから……、そうだ。この体操服がいったいどういう味がするんだろうと……」

 ふっと、一息つくと、柏原はさわやかに髪をかき上げた。

「お前も同じ男ならわかるだろ?」

「俺に同意を求めてくるな! 馬鹿野郎‼」

「ま、待て。話せばわかる」

「うるさい! 話したってわかるもんか! こぉの、くたばれ! 変態野郎‼」

「うぁあああああああああああああああ‼」

 体育館の裏側に柏原の絶叫がこだました……。



◆◆◆


 まったく……、余計なことに時間を食ってしまった。体操服は柏原の言ったとおり、さつきには見せない方がいい。そう思って、そのまま近くにあった焼却炉の中に入れて処分した。あれは……、警告なのだろうか?

 悔しい……。わかっていてもなにもできやしない。俺はただ本校舎と特別棟をぐるぐると回るだけ……。

まるで自分の頭の中と同じだ。

 ……気がつくとあの場所にいた。特別棟南階段 四階の倉庫前の踊り場。

「もしかして、ここに住んでいるのか?」

「し、失礼ね!」

 そこにはいつものように小森芽依が座っていた。

「ほら」

 俺は黙って珈琲牛乳を差し出した。こんなこともあろうかと今日は先に買っておいたんだ。

「なるほど、場所代ってわけね」

「うるさいな」

「で、今日もまた見回りしてるの?」

「……」

 話すべきかどうか悩んだ。でも、やっぱり小森をこれ以上、俺達の問題に巻き込むわけにはいかない……。

「……別に話してくれる気になったときでいいよ」

「……悪い」

 ……まったく良くできた奴だ。

「お前こそ」

「なに?」

「……ここにまだいるって事はその……。まだ解決していないんだろ?」

「……うん。そうね」

 悩み事はそれぞれ違うのに、俺達はこうしてけっこうな時間を一緒に過ごしている。ここから一歩離れれば、元通り、生徒会役員の椅子を争うライバルだというのに。なんだか不思議な関係だ。

「小森はさ……、その…、高石先輩のことが……、好き…、だったのか?」

「ぶはっ!」

 あ〜……、やっちまった。不用意に踏み込んでしまった……。おかげで珈琲牛乳を吹き出すという、美少女にあるまじき姿を、またしても目撃してしまった訳だが。

「ごめん……。聞いちゃいけないことだった……、よな」

「……ううん。もういいよ。もう済んじゃったことだし……」

 もう済んだことか……。まずいことを聞いてしまったと思ったけど、そうやって口に出来るってことは、ある程度整理がついたっていうことなのか……。

「……憧れだったのよ」

 小森は遠い眼差しで、ちょっと寂しそうにそうつぶやいた。

「……そう、……か」

「うん。もういいの。だからもう大丈夫。急に聞くからびっくりしたじゃない」

「わ、悪い……。ごめん」

「まったく……。まぁ、いいんだけどね」

「なんだ、いいのか」

「うるさい!」

「怒ってるじゃないか」

「普通は怒るわよ!」

「わ、悪かった。俺が悪かった。すみませんごめんなさい!」

「もう……」

 小森はすっかり呆れかえった様子で、でも、返って落ち着いたのか、それからはいろんなことを思い起こすように話し始めた。

「中学の時ね、私は生徒会の副会長で高石先輩が生徒会長だったの。きっとその時から先輩は私の憧れだったんだと思う。だから、高校に入ってもまた一緒に生徒会ができるのをずっと楽しみにしてたの。でもね……、入学してみると……、あの人がいたんだ」

「……生駒先輩か」

「うん。私は先輩がどんな人なのか知りたくて、すぐに足を運んだわ。先輩はとっても優しい人だから、すぐに仲良くしてくれた。でも、一緒にいればいるほど気がついたの……。この人には敵わないって。

……悔しかった。

そう……、悔しかった。

私はあの人と競うどころか、隣に立つことさえできないって……、そう思ったから」

 俺は改めて、生駒晴美という先輩が、とてつもなく大きな存在だということを知った。

「私ね……、誰かにそんなふうに負けちゃうのって、初めてだったの。だから、それが認められなくって……。だから……、認められたかった。見返してやりたかった……。ごめんね……。わかってたのにね。子供の理屈だっていうのはわかってたのに……」

 その瞳が揺れていた。それが……、小森芽依が生徒会長になりたかった理由……。

「……それでいいんじゃないか」

「え……?」

「小森ははなにも間違ってないじゃないか」

 俯いていた小森は驚いたように顔を上げた。

「何もおかしいことなんてない。動機も理由もそれでいい。自分で決めたんだろ。それに真っ正面から立ち向かっていく方がすごいよ。やっぱりおまえはすごいやつだな……。

 俺は……、ずっと逃げてばっかりだったから……。

 ……そうだ。後悔しないやつなんていない。

 躓いて、挫けて、泣いても……。

 それでも自分で決めたことだったら、納得できるから。だから、また頑張ろうって思えるんだ。

 そうだろ?

 ……諦めるなよ。見返してやれよ」

「大坂……くん」

「生駒先輩はふたつ年上だろ? だったら、まだあと二年あるじゃないか。小森だったら……、必ず追いつける」

 それまで涙で潤んでいた小森の瞳に光が差した。

「……うん。それなら、私は絶対に生徒会長にならないとね」

 目が眩むほど眩しい笑顔の花が咲いた。もう完全に吹っ切れたようだ。そこにはいつもの小森芽依がいた。

「悪いな。その席はもう予約済みなんだ」

「そう? なら、力ずくでも奪ってみせるわ」

 落ち込んでいる姿なんて似合わない。そうだ。それでこそ俺達の最強のライバルだ!

 普通に出会ってたらきっと……。絶対好きになって……、って⁉

「⁉」

 しまった!

 変に気付いてしまった!

 自分の気持ちに‼

「どうしたの? 顔真っ赤だけど……」

「うわぁあああああ‼」

 ま、まずい……。は、話を変えないと……。

「え、えっと……なんだろ。い、いや、しかし、この前の公開討論では随分やってくれたな。あれを取り返すのはちょっと大変なんだぞ」

 我ながら悲しくなるくらい強引すぎる話の持って行き方だけど、仕方ない。なんて格好悪いんだ……。

 すると、小森は不思議そうに首をかしげて、おかしなことを言った。

「? 何言ってるのよ? 事前に放送部からいろいろと聞いていたでしょう?」

「え⁉」

 ……何、……だって?

「両備院さんの返答があまりにもアドリブすぎたので、逆に気になってたんだけど……」

 そんな……。どういうことなんだそれは?

 偶然か?

 それとも……。

 また一つ、俺の知らない事実が浮かび上がった……。


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