第二章 ~薔薇水晶の騎士団~
ワインガルドとの戦いで傷ついた少年はベットの上で目を覚ました。
霞んだ視界が徐々に鮮明になっていく。見えるのは木製の天井だった。
意識が覚醒しようとしている中、ここはどこなのだろうと考える。
しばらくぼんやりと天井を眺めていたが、何かを思い出したように少年は勢いよく起き上がった。
「お?やっとお目覚めか」
横を見ると茶髪の髪を後ろで束ねた男が椅子に座ってこちらを見ていた。陽気な表情が似合う男だった。
何やら楽しげな顔でこちらを見ているが悪意は感じられない。
「ここはどこだ?」
少年は周囲を見渡した。見たことのない部屋の中だ。
自分が寝ているベットの他には古めかしい机と椅子があるだけだった。
「パレス村の宿舎だよ。いやー大したもんだよ。ワインガルドと戦りあって生きてるんだからな。おっと自己紹介がまだだったな。俺はレスター。レスター・オリオール。薔薇水晶の騎士団の弓兵だ。よろしくな」
「村はどうなった?敵は?」
少年はレスターと名乗った男の自己紹介を無視した。あの後どうなったかが気になる。
「まあ落ち着けって」
レスターは少年をなだめると、これまでの経緯を話した。
「そうか。よかった」
レスターの話によると村人達は無事逃げることができたそうだ。自分が気を失ってから敵軍は撤退したらしい。
そして少年は騎士団のシビアスに助けられたということも聞いた。
「俺は負けたのか・・・・・・」
少年はワインガルドに敗れたという事実を認識し、肩を落とした。
同時に安堵の気持ちが沸いてくる。自分が助かったから安堵しているのか、それとも村人が助かったからなのか。
恐らく素直な気持ちは両方だろう。ワインガルドに剣を抜いたとき少年は死を覚悟した。
なのに命が助かって安堵しているとは、あのときの覚悟は威勢だけだったのか。
そう思うと戦いに敗れた以上の悔しさが込み上げてきた。
「命が助かっただけでも儲けものだろ?それにお前は村人達を助けたんだ。もっと誇りに思えよ」
レスターの言葉に哀れみや同情はなかった。素直に少年の活躍を称えているようだった。
その言葉に少年は少し救われた気持ちになった。
2人が会話していると部屋のドアが開き、1人の女性が入って来た。
年の頃は20歳くらいだろうか。長い金色の髪をした美しい女性だった。
「目が覚めたんですね。具合はいかがでしょう?」
女性は優しげな口調で言った。
「ああ」
「無事で何よりです。申し送れましたが私はセルフィアと言います。セルフィア・シャルエティ。騎士団の治癒魔法士をしております」
治癒魔法士ということは少年を治癒したのはセルフィアということか。
少年は自分の体をもう一度確認した。各部に痛みは残るが目立った外傷は塞がっている。そこまで深手を負ったわけではないが、骨の数本は折れていたはずだ。それをここまで治癒したのだからセルフィアという治癒魔法士は相当な実力者だ。
「あんたが治癒してくれたのか?」
「ええ。あなたが気を失ってからすぐに治癒したので、大方の傷は癒せたと思います。どこか痛むところでも?」
セルフィアは柔らかな表情で言った。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「お礼には及びません。ところでお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
思い出したようにセルフィアは質問した。
「俺は・・・・・・」
少年は自分の名前を言おうとしたが、記憶を失っているため名乗ることができない。
「セツナだろ?剣の鞘に書いてあったぜ」
レスターはベットの脇に立てかけてあった剣を指差して言った。
「セツナ・・・・・・それが俺の名前」
「ん?どうした?」
「い、いやなんでもない」
小さい声で呟いたのでレスター達には聞こえていなかったようだ。
セツナはベット脇の剣を手に取った。確かに鞘にセツナと名前が彫ってある。
だが名前がわかってもそこから記憶を呼び覚ますことはできなかった。
「セツナさんはどこからいらしたのですか?見たところパレス村の人ではないようですが?」
「そういえばそうだな。どこの出身なんだ?」
セツナは返答に困ってしまった。自分がどこ出身なのかはセツナが一番知りたかった。
「俺は・・・・・・」
「あ、言いにくいことでしたら無理をなさらずに。セツナさんが敵だなんて誰も疑いませんから」
口ごもったセツナを見てセルフィアは言い辛いことだと思ったらしい。
「そういうわけじゃないんだ。ただ」
セツナが言いかけたところで再び部屋のドアが開いた。
見るとまだ幼さの残る少女が立っていた。
青い髪をしたセミロングヘアーの女の子だった。
年はセツナよりも下だろう。だが服装からこの子も騎士団の1人だということが伺える。
「団長が呼んでるわ。1階に集合して」
そういい残すと彼女はそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「あいつはアイリス。騎士団の1人だ。可愛い顔してんだけど性格がちょっときついんだよね」
レスターが苦笑混じりで言った。
「そんなこというと嫌われますよ?アイリスさんは16歳という若さで槍の名手なんです。セイントレイムで槍を使わせたらアイリスさんの右に出るものはいないそうです」
セルフィアが説明してくれた。レスターの言うとおり可愛らしい顔をした女の子だったがランスの使い手だとは思わなかった。
「それじゃ行くか。セツナはもう少し休んでな。後で団長を連れてくるから」
レスターとセルフィアは立ち上がり部屋を出ようとする。
「待ってくれ。俺も行く」
セツナは2人の後に続いて下の階へ向かった。
1階のロビーに薔薇水晶の騎士団全員が集合した。
総勢5人。レスター、セルフィア、アイリスの既に知っている人物意外にもう2人いる。
片方はがっちりした肉体を持つ初老の男性。恐らくこの人が団長だろう。
もう1人は長身の男性。年齢は20代中盤くらいに見える。黒い髪を腰まで伸ばし、鋭い目付きをした男だ。雰囲気で只者ではないことが分かる。
服装や武器はそれぞれ違うが、共通するものがあった。それは全員の背中に青い薔薇の紋章が大きく縫われていることだった。
ローブやマントの色や形式は違うが全員の背中に薔薇の紋章がある。恐らくこの紋章が騎士団の証なのだろう。
団長のガートヴァルは全員が揃ったことを確認し話しを始めた。セツナのことも目に入っているようだが、今後の予定を先に話した。
「揃ったようだな。ではこれからの行動を説明する。我々はこれから王都へ戻り陛下に今回の件について報告する。出発は明朝の8時。それまで自由行動とする」
全員が無言で頷いた。
「敵軍は撤退したが、再び攻めてくるかもしれん。気は抜くな」
話し終えるとガートヴァルはセツナの方を向いた。
「まずは礼を言うべきだな少年。 君のお陰で罪の無い村人を助けることができた。恩に着る。名前を聞いてもいいか?」
セツナは短く名前を名乗った。苗字はわからないので名前だけを。
「私は騎士団の団長をしているガートヴァル・チェイサーだ」
今回の件で決して少なくない数の村人が死んだ。セツナはその人達を助けることができなかったが、セツナの行ったことは賞賛に値する。それはガートヴァルだけでなく騎士団の全員が認めていた。
「それにしても見慣れぬ格好だな。セイントレイムの国民か?」
ガートヴァルはセツナの素性について質問した。問いただすような口調ではなく自然に浮かんだ疑問を投げかけたという言い方だった。
セツナの着るローブは主に魔術師が着るもので、そこに長剣が帯剣してあると違和感があった。更に余り見かけない形式のローブでもあった。
(どうする?正直に記憶がないことを話すべきか)
少し迷った後セツナは正直に話しておくべきだと判断した。
「・・・・・・わからないんだ」
セツナはここで漸く自分のことについて話すことができた。
「記憶が無いんだ。気付いたら村の外れにある丘の上にいた」
先ほどはタイミングを取り逃がして記憶を失っていることを話せなかった。
セツナは自分のことについて分かる限りのことを話した。持っていたのは剣だけだということ。剣技に関しての記憶は無いがある程度は剣を扱えること。
「そうだったのか。しかし何故記憶を持たない君が村人を助けたのか話してくれるか?」
「わからない。ただ・・・・・・無抵抗の村人を兵士が殺しているのを見て、じっとしてられなかったんだ。気が付いたら剣を抜いていた。偽善と言われるかもしれないが、苦しんでる人を助けたかった。そんな感じだ」
セツナは言い切ると澄んだ瞳でガートヴァルを見た。
ガートヴァルは心を打たれたような顔をした。
いつだっただろうか。セツナと同じ目をした男をガートヴァルは遠い昔に見たことがあった。
その男は今はいない。だがセツナと全く同じ目をしていたことをはっきりと覚えている。
目つきは少し悪く、良い印象は受けないがその奥にあるブルーの瞳は澄んだ空のような輝きを放っている。
まさか----
「不躾なことを聞いてしまったな。ところでこれから先、何か当てはあるのか?」
ガートヴァルは話を変えた。現状ではまだ判断できない。もう少し様子を見たかった。
「何もない。ここがどこなのかすら知らないからな」
ガートヴァルに聞かれてセツナは初めて今後のことを考えた。
自分の名前すら知らなかったセツナに今後の当てなどあるはずがなかった。
記憶喪失なら時間が経てば記憶が戻る可能性がある。記憶が戻れば帰る場所もわかるだろう。それまでどうするかが問題だ。
「そうか。ところでよかったら君の剣を見せてもらえるか?」
ガートヴァルは数秒考える表情を取った後、セツナに剣を見せてくれと頼んだ。
セツナは持っていた自分の剣を差し出した。
「ふむ。見たことの無い剣だな。珍しい長剣だ」
ガートヴァルは鞘から剣を抜き、すらりと伸びた刀身をじっと見た。
「悪くない。相当なものだ」
ガートヴァルはぼそっと呟く。剣のことを言っているのだろうか
「この剣は業物なのか?」
「いや、剣だけではない。確かにこれはかなりの名剣だろう。剣についての知識は余りないが、それくらいはわかる。だが私が言っているのは剣ではなく君の腕のことだ」
「俺の腕?」
セツナにはガートヴァルが何を言っているのかよくわからなかった。
「剣についた傷や削れ具合を見れば使い手がどの程度の腕なのかが分かる。俺の見たところ君は良い腕を持っている。まだ荒削りかもしれないが筋は良い」
ガートヴァルは一気にまくし立てると息をついた。
「どうだ?騎士団に入る気はないか?腕に自身が無いというなら心配ない。私が保証しよう」
ガートヴァルは真剣な目つきで言った。
それを聞いたセツナは面食らった。
薔薇水晶の騎士団が並の戦士の集まりでないことはセツナにも分かる。ガートヴァルやシビアスは歴戦の勇士と言った言葉が似合いそうな威厳を持っている。セツナより年下であろうアイリスも雰囲気から只の少女とは呼べない存在に見える。
その中に自分のような者が入っていいのか。剣士としての腕は決して悪くはない。ガートヴァルが言った通りセツナも剣の腕には自信があった。
だがセツナには記憶が無い。もし自分が敵国ベルセリアの兵士だったら。セイントレイムに仇名す組織の一員だったら。
そうではないと断言できれば話しは早いが、その可能性を否定できない。今の状況では入団を素直に受け入れることはできない。なぜなら自分が敵だった場合、命の恩人である騎士団を裏切ることになりかねないからだった。
「少し考えさせてくれ」
「いいだろう。出発は明日の朝だ。それまでに考えてくれればいい」
セツナは考える時間を貰い、部屋に戻った。
「団長。よろしいのですか?あの様な素性の知れぬ男を騎士団に迎えて」
セツナが部屋に戻った後、騎士団で最年少の槍兵アイリスはガートヴァルに尋ねた。
まだセツナの入団が決まったわけではないが、ガートヴァルは前向きな考えを示している。その意図をアイリスは知りたかった。
この剣に関してレスターとセルフィアは異議を唱えないだろう。あの二人のことだ。新たな仲間が増えると喜びさえするかもしれない。
シビアスについてもガートヴァルの判断に反論したりはしない。そもそも誰が騎士団に入ろうとシビアスに興味はないだろう。
だがアイリスはセツナの入団に賛成できなかった。断固拒否するつもりはないが、こんな安易に入団を許してしまっていいのかというのがアイリスの意見だった。
確かに剣の腕は認める。アイリスは実際にセツナが戦っているところを見てはいないが、ガートヴァルが認めたのだ。剣技に関してアイリスは口を挟むつもりはない。
しかし薔薇水晶の騎士団はセイントレイム王国の中で唯一女王陛下直属の誇り高き騎士団だ。剣の腕が立つからと言って容易に入れる程敷居は低くない。
レスターもセルフィアもそれぞれの分野でなら誰にも負けない実力を持っている。シビアスは大陸最高峰の剣士と謳われている。
アイリスだって皆に劣らない実力を持っている。
それに何よりここに来るまでに多大な苦労をしてきた。その苦労と剣の腕が信頼に繋がり今ここにアイリスはいるのだ。
それをどこの馬の骨ともわからない男が簡単に入団するとなっては異議も唱えたくなる。
「私は今まで多くの戦士を見てきた。死んだもの、歴史に名を刻んだ者。しかし私はあの少年ほどの戦士を見たことがない」
剣技のことだけではない。アイリスが言いたかったのはあの男が信用できるかどうかだ。
「剣技に関してですか?それは私も認めます。しかしもしあの男がベルセリアのスパイだったら」
「私が言いたいのは剣技だけではない。あの少年は真っ直ぐな目をしていた。あんなに澄んだ瞳をした者を見たのは何十年か振りだ」
ガートヴァルは言い終えると遠い目をした。どこか遠い場所か、遠い昔を見るような目だった。
「それに私も信じてみたくなったのだよ」
ガートヴァルは付け加えた。
「何をですか?」
「預言というものを」
アイリスにはガートヴァルが何を言っているのか分からなかった。
だがガートヴァルには思うところがあるようだ。
それを聞いても答えてくれそうにないし、わからないだろう。
ただ一つ言えるのはガートヴァルとて馬鹿ではない。この騎士団の団長を務めているのだ。セツナを信用するのではなくガートヴァルを信用しよう。
アイリスはそう思ってこれ以上の言及はしなかった。
夜になるとパレス村は月と星の光がよく届く美しい夜空になった。
ガートヴァルは宿舎の外に出て、村の状況を確認した。
ベルセリア軍が再び攻めてくることも考えられたからだ。
ワインガルドは必ず騎士団を狙ってくるだろう。可能性は低いが増援を連れて総攻撃をしかけてくるかもしれない。
念のためパレス村の住民は近隣の村に一時的に避難させた。
騎士団も本日中に村から引き上げる予定だったが、住民の移動が終わるまでは止まらなければならない。
よってパレス村にいるのは騎士団のメンバーとセツナだけだった。
ガートヴァルは人のいなくなった村を見渡した。
静かな夜だ。人の気配は感じられない。
音を起てるものがない村には、遠くの音もよく届く。敵の軍勢が近くにいる気配はない。
なぜこのような村にベルセリアは侵攻してきたのだろう。
国境が近いというだけでは理由にならない。何か侵略以外の別の目的があったのだろうか。
--バサッ
何かが傍に降り立つ音が聞こえた。静かに音を起てずに。聞こえたのは衣服が擦れた音だけだった。
しかし殺気は感じられないためガートヴァルは動じなかった。恐らく気配からシビアスだろう。
「静かだな」
振り向くとやはりシビアスだった。
「何か考えてるなガートヴァル。あの少年のことか?」
「お前も何か思うか?」
ガートヴァルはシビアスにも尋ねた。ガートヴァルはシビアスに絶対の信頼を持っている。それは剣技に関しても、知恵に関してもだ。
シビアスは剣士としてガートヴァルよりも遥かに強い。その強さは大陸最高峰と謳われ、月影の双剣士という二つ名で呼ばれている。
ゆえにセツナのことをシビアスも思うところがあるとシビアスは思った。
「確証があるわけではないが」
シビアスは少し間を置いた。やはり何か知っているようだ。
「・・・・・・恐らく生き残りか転生だろう」
互いに沈黙を保った。夜風が二人の間を音を響かせて通り過ぎていく。
「やはりそうか」
ガートヴァルはシビアスが言った生き残りと転生という言葉だけで何を言いたいかわかったようだった。
ここでセツナと会ったのは運命なのだろうか。もしそうだとすれば、世界は自分達に何をさせようとしているのか。
ガートヴァルにその答えはわからなかったが、ただ一つ思うのはセツナが必ず我らに必要な存在になる。それだけは確かだった。