第一話
制服のリボンを首元で結びながら、由利は視線を暗記カードに向けていた。
三度ほど結び直して、諦めて鏡をちらりと見て結ぶ。
階下で鳴る電話を、母、悠子が取ったようだった。
朝早くに電話が鳴るのは珍しい。
学校指定の革鞄に暗記カードを放り込み、階段を下りた由利を、悠子が困った顔で呼び止めた。
「由利。今連絡網が回ってきたんだけど、今日は学校お休みだそうよ」
「ウッソ」
由利はぽかんと口を開けた。
まさか、期末試験の当日に休みになるとは思わない。
休みになればいいなぁと考える生徒がどれほど居ようと、実際に休みになることは稀だろう。
「何で?」
休みなら制服を着替えようと、階段を三段上って、悠子からの返事がないことに振り返る。
悠子は迷うように由利を見て、小さく息を吐いた。
「学校で、警備員の方が亡くなったらしいの」
「え」
由利は大きく目を見開いた。
「尾崎さん……?」
「名前までは聞いてないけど、警察の方が調べるとかで」
言葉を失って、由利はしばし、悠子と見つめあった。
途方に暮れた由利を、悠子がそっと支えて階段の上へ押した。
「とにかく、着替えてらっしゃい」
「……うん」
小さく頷いて、部屋に戻る。
由利が通う私立高校には警備員が一人いた。
夜間のみの警備員で、施錠から開錠までを行い、昼間はいないのだが、部活動や学園祭などで残る際には警備員――尾崎への許可が必要だったため、大抵の生徒は幾度も顔を合わせている。
由利も、秋に行われた学園祭で多々世話になったため、顔と名前が一致して、雑談を交わす程度には親しくなっていた。
由利の祖父母は両親共に健在で、幸いなことに、まだ葬式に出たことはない。
部屋着に着替えたところで、携帯が気分とはまるで違う明るい曲を奏でた。
着信を見ると、一番親しいと言える友人からだった。
「もしもし、綾香?」
『……由利。ざっきー、死んだって』
「……うん」
小さく頷いて、制服をハンガーに掛ける。
綾香はしばらく黙っていた。
由利も、何を言えばいいのかわからない。
寝台に座って小さく息を吐いた由利に、同じような吐息が聞こえた。
『あのさ……、オソウシキとか、あるかな?』
「葬式はするだろうけど、うちらが行けるかどうかはわかんない」
『だよね』
綾香はまたため息をついた。
綾香は由利と同じ部活に所属していて、当然、尾崎とも面識がある。
『なんかさ、信じられないよね。昨日とか、フツーにあいさつしたじゃん』
「……うん」
電話の向こうで、綾香がちんと鼻をかんだ。
涙がこぼれそうになって、由利もティッシュに手を伸ばす。
『警察が調べるとかって聞いたけど……、何かあったのかな?』
「何かって?」
『だから、……事件とか』
「やめてよ。尾崎さんが殺されたとか、……そんなのヤだ」
『……ごめん。だよね』
綾香の声が小さくなって、由利は携帯を耳に押し付けた。
膝を抱える。
「落ちついたら、お花とか、供えようよ」
『うん。……こんな時に試験とか……、イヤだね』
「……うん」
机に置いた鞄に視線を流して、そのまま膝に顔を埋めた。