第二十三夜★紅き針が示すのは、愚者が集う道化の舞台
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「土に帰りなさいこの木偶の坊!」
「ハッハッハッ、そんなものでアルかお主の力は。片腹痛いで――イタァ!!」
……なんでこんなことになってしまったのだろう。
私と京は悠夜くんの知り合いと名乗る長身の中国人――ウォン・チャンさんを悠夜くんの教室に案内した。
けれど悠夜くんは教室に残っていなく、悠夜くんのクラスメイトと冬空さんしかいなかった。
ウォンさんを案内してしばらくして悠夜くんも教室に入って来たのだけれど、悠夜くんとウォンさんが顔を合わせてからはこうした軽い(?)殴りあいが数回起きている。
ウォンさんは涼しい顔で、悠夜くんは怒りを隠しもせずに取っ組み合って、必ずウォンさんがノックアウトしては早い段階で復活しまた拳を交える。その繰り返し。
私達はそれを眺めるか、止めに入るかしない。できない。
悠夜くんとウォンさん。
この二人が揃った瞬間、不思議な空間がこの教室を支配したのは言うまででもない。
私は何回目かになる殴りあいを見ながら、ウォンさんを連れて来た直後のことを思いだした。
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「えーと、その人誰ッスか?」
私と京がウォンさんを教室に入れると、教室にいたみんなが一斉にウォンさんを見た。
ウォンさんは身長がとても高いし、鮮やかな紅のチャイナ服を着ているので目立つ。
放課後の学校にいるというのも、珍しさの理由かもしれない。
ウォンさんの見た目は若いけれど、私達と同年代ではないと思う。多分22歳ぐらいだろうか。
刈柴くんの疑問に京が答えた。
「この人悠夜の知り合いらしいから連れて来たんや。ウチらは部室に行く途中やったし、ついでに悠夜を回収しよう思ってな」
「へぇー、そうなんスか」
「そうなのでアルよ。我はこの大理石のような美しい少女らに助けられ、無事に悠夜の学び部屋までやってこられたのである。二人には本当に感謝しているでアル」
そう言うとウォンさんは、私と京に両手を胸の前で合わせてペコペコとお辞儀した。
「そんな、頭を上げてくださいよ。別に私達は当然のことをしたまでです」
「そうやで。困った時はお互い様や」
「おお、なんという暖かい言葉! これが大和撫子というものなのでアルな。ユウヤも良き友に巡り会えて果報者アルな」
ウォンさんは私達を見る(糸目で見えているのかよくわからないけど)ため首を巡らせ、しまったと言いたげに額をペチンと叩いた。
「これは失敬。まだ名乗っていなかったでアルな。我の名は――」
「――ウォォォォォォォォォン!!!」
ウォンさんの言葉を遮るように悠夜くんの声が聞こえたと思ったら、教室のドアを荒々しく上げて本当にが登場した。
「おぉ。ユウヤ」
「何しに――」
悠夜くんを見つけて嬉しそうにするウォンさんとは対称的に、悠夜くんはウォンさんの姿を確認するや否や彼の眼前まで跳躍した。
「――来たんですか!!!」
悠夜くんは右手を力いっぱい握りしめ、渾身のパワーでウォンさんを殴りつけた。
「うごぅ!」
ウォンさんは拳をもろに受け、そのままピクリとも動かなくなってしまった。
それでも悠夜くんは満足しなかったのか、動かないウォンさんの胸ぐらを掴み再び拳を握りしめ、
「って、ストップストップ! いきなりどうした悠夜。俺らまだこの人の名前すら知らんぞっ。とりあえずグーパンはまずいって」
いきなりの展開にポカンとしていた私達だけど、これはさすがにいけないと思ったのか神薙くんが代表してツッコミを入れ、ついでに悠夜くんを羽交い締めにして動きを制限した。
「グーがダメならパーは問題ないですよね?」
「平手もダメ!」
「それならチョキならどうですか?」
「今度は目を潰す気かっ」
ウォンさんが起きるまで、そんなドタバタがしばらく続いた。
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「それでは改めて。我の名はウォン。ウォン・チャンでアル。まあ、わかると思うがこの度中国から、日本圏にある学園都市に足を運んで来たしだいでアル。いくばかりかお主らと歳は離れているが、何卒よろしくお願いするでアル」
悠夜くんの拳を受けてからしばらく、覚醒したウォンさんは名乗っていなかった神薙くん達にも自己紹介をし、両手を胸の前で合して綺麗にお辞儀した。
「フン、もう用は済んだのでしょう? さっさと帰ったらどうですか」
口々に挨拶を返すみんなとは違い、悠夜くんは顔見知りにも関わらず何故かひどいことを言う。
対するウォンさんはその顔の笑みを曇らすことなく、
「はっはっはっ、ユウヤはやはりツンデレでアルな~」
「誰がツンデレですか!! 僕は情緒不安定じゃないですよっ」
「そう言えばこの前、悠夜はツンデレヒロインが好かないみたいなこと言ってたニャ」
怒る(?)悠夜くんに、天宮くんがいるのかいらないのかよくわからない捕捉説明を加えた。
「で、では、幼馴染はどうですの?」
「別に僕は偏った嗜好等を持ち合わせていないのですが」
「それなら、料理を頑張る家庭的な女の子ってどうかな?」
「アキラは家庭的というより、包丁好きって言った方がいいと思うよ」
「どういうことかな? 胸ばかりに栄養がいってしまったキモウトのリリスちゃん♪」
「言葉通りの意味だよ? カルシウムが足りなくてすぐに包丁(手)を出しちゃうメンヘラのアキラちゃん♪」
月弦さんとペンドラゴンさんはお互いに笑顔だけど、二人を包む雰囲気はとても威圧的で『ゴゴゴ……』という効果音が聞こえてきそうだ。
「……どちらかと言えば、おしとやかな方が好みです」
悠夜くんがそう言った途端、それまでのオーラをあっさりと引っ込め、二人揃ってニコニコし始めた。
……先ほどのこともあってちょっと怖い。
「悠夜、私はおしとやかだぞ」
「そうですか……」
冬空さんも胸を張って自己主張をしだした。でも悠夜くんの反応は『自分で言うの?』というのに近いかもしれない。
「ウチかて、結構おしとやかな方や」
「…………」
「せめてツッコミぐらい入れてくれへん!?」
あ、ツッコミ待ちだったのか。
どうやら悠夜くんは京のあからさまなボケ(?)にスルーを決め込んだようだ。
京はかわいいけどおしとやかって表すより、元気いっぱいな感じだしね。
「ハッハッハ、ユウヤの周りはいつでも愉快アルな~」
「なんですか、それ。まるで僕がおかしなヒトを集める、変な引力を持っているように聞こえるのですが」
「だってそうではないでアルか。何を今更言っているのやら」
……『おかしな人』に私も入っているのだろうか。
「けれどお主は本当に罪な男でアルな。こんなに美女ばかり周りに集めて。ここでも(・・・・)ユウヤハーレムを作るとはな」
「だから余計なお世話――(ビクッ!?)」
文句を言おうとしたところで、何かの気配を感じとったのか恐る恐る悠夜くんは振り向いた。
「ネェ、ゆうやクン……。イマノッテドウイウコト、カナ……?」
カタカナ怖いよ!!
「私も気になりますわね。そりゃあ、悠夜さんが最終的に私のところに返っくるのは決定事項ですけれど、うるさい蟲が私達の周りを飛びかうのは我慢できませんし、一応聞いておこうかしら」
「まあ、モテ期は人生で三回はあるっていうし、お兄ちゃんの過去がどうとかリリス詮索しないもん。リリス寛大だから。だから教えて、大丈夫怒らないから」
「あまり他人の人間関係とやかく口出しするのは良くないと思うが、ここは聞いておかないとな。仮にお前がふしだらな過去を持っていた場合、生徒会長として悠夜の先輩としてお前を粛正せねばならんかもしれないからな。もちろん他意は無いぞ」
「え、えっと……」
女性陣にじりじりと追い詰められてゆく悠夜くん。少し離れたところでは――
「どうしたの、京? 強く握りすぎて持ってるジュースのカン、潰れてるよ。空で良かったね」
「そう言う雲雀先輩かて、持ってるハンカチを口で引き千切ってるやないか。そんなに顎の力があるなんて知らんかったわ~」
「……こっちもこっちでシャレになってないニャ」
京も天宮くんも何を言っているのかな? 私は至って冷静なのに。あ、口の中がちょっと血の味がしてきた。
「ハッハッハ。いやー、やっぱりユウヤは真正のピエロでアルな~。いやはや、愉快愉快。ユウヤを見るのは飽きないでアルな」
「何が飽きない、ですかっ。この元凶が!」
悠夜くんは徐々に距離を縮めながら接近してきた冬空さん達の包囲網から脱出しつつ、額に怒りマークを浮かべウォンさんに跳び蹴りを放った。もちろん顔面めがけて。
けれど読まれていたのか悠夜くんの動きをヒラリとかわすと、ウォンさんは足首を掴みそのまま床へ叩きつけた。
うわっ、痛そう……。
「調子に乗らないでください!」
悠夜くんはウォンさんの脛を殴りつけ、
「イタッ」
とウォンさんが怯んで手を離した瞬間に、両手を床につけて逆立ちの要領で長身なウォンさんの顎を蹴り上げた。
強烈な一撃をくらったウォンさんはそのまま床に仰向けに倒れ動かなくなってしまった。
「さあ、早く遺体を隠しますよ」
「死んじまったの!? てか隠すなよ。お前ら本当に知り合い!? なんだかめっちゃ仲が悪いように見えるんだけど」
「いいから手伝ってくださいよ。そっちを持ってください」
神薙くんのツッコミをまたも無視して、屍(?)となったウォンさんを運ぼうとする悠夜くん。
「あまいでアル!」
「ぐぁっ」
どうやらウォンさんはやられたふりをしていただけのようで、悠夜くんが近付いた瞬間彼のお腹に頭突きを放った。
お腹を抑え、苦しむ悠夜くん。だけど表情を伺えば痛みよりも怒りの方が勝っている気がする。
「本当にあなたは僕をイラつかせますね……!」
「おやおや、ユウヤは相変わらずイライラが止まらないでアルな。カルシウムは足りているでアルか? あ、だから身長が前回会った時から伸びていないのでアルのか」
ブチッ!!!
そんな音が悠夜くんの頭から聞こえた気がした。
「あなたが言うなあぁぁぁ! このノッポがぁぁぁ!」
悠夜くんがブチギレた!
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それからは悠夜くんとウォンさんの乱闘が起こり、男子達が止めようとしたり止めれなかったりが続いた。
一旦落ち着いたと思いゆっくりしていても、ウォンさんがいらない一言を定期的に発して悠夜くんをイラつかせる。
悠夜くんも悠夜くんで受け流すかと思いきや、ウォンさんが言うこと一つ一つに反応し、その度に殴りかかっている。
意外と短期なのだろうか? それともウォンさんとはこのやり取りがお約束だとか。
悠夜くんとウォンさん。
二人の関係性はいったいなんなのだろう。
本気の殴り会いをしているし険悪そうにも見えるけど、お互いに話している時はとても楽しそうなように見える。
もしかしたら、私達にはそう見えないだけで、二人とも手加減をしているのかもしれない。
「滅びなさい!」
「望むところでアル!」
……私達にはやっぱり手加減しているようには見えないけど。
拳を交えるのももう何度目かわからなくなると、みんな止めようとはせずひたすら傍観するようになった。悠夜くんもウォンさんもすごいアクロバットな動きをしたり、華麗な対術を披露するので参考になるのだとか。……何の? 特に天宮くんは一番熱心に二人を観察していた。
「ハァ、ハァ、ハァ…………チッ」
「フゥ、さすがでアルなユウヤ。我が認めた男でアル。我をここまで追い詰めるとは」
「なに勇者一行に倒されかけている魔王みたいなこと言っているんですかあなたは」
それから30分ぐらい後のこと、お互い疲れたのか争うことをピタリとやめるのと同時に悠夜くんは近くの椅子に腰をかけ、ウォンさんは教卓の上にあぐらをかいた。息を乱し、言葉を一言も発しない。
ちなみに私達はしばらくして観戦することに飽きたため、トランプをやってました。ババ抜き。
「それで、決着は着きましたの?」
「決着がつくようなものではありませんからね、これは」
「そうでアル、黒いの乙女よ。これは無意味な過程、自分を安心させるような儀式みたいなものでアル」
「はぁ、そうですの。……ところで黒いいうのはどのような意味でしょうか? ぜひあなたには理由を言っていただきたいのですけれど」
やや呆れ気味に聞いてきた霧坏さんだけどウォンさんの一言が癪に触ったのか、笑顔を作っているものの唇の先がひくひく動いていてちょっと怖い。
でも霧坏さんの『黒さ』は正直付き合いの短い私ですらわかってしまうほどだし……
「気にしては駄目ですよ恋華さん。ウォンは他人をイラつかせることにかけては天下一品ですから」
「別に我は本当のことを言っているだけアルけどな~」
「………………チッ」
また切れそうになったけど、悠夜くんはすんでのところで耐えたようだ。でも悠夜くんって結構舌打ちするんだな。
霧坏さんの方も冷静で怒っても仕方ないと思ったのだろう、小さくため息をつくと近くの椅子に腰をかけた。
「ユウヤ、我は喉が渇いたでアル」
「僕もです」
そう言い合うと二人は、腰を持ち上げて再び向かいあった。
「「じゃんけん、ぽんっ」」
悠夜くんがグー。
ウォンさんがパー。
ウォンさんの勝ちだ。
でもなんでじゃんけんを?
「フンッ」
「ぐおっ」
負けた方の悠夜くんはグーにしたままの手でウォンさんをまた殴る。顎に直撃した一撃が、ウォンさんを床に沈めた。
悠夜くんつまらなそうに床で伸びるウォンさんを一瞥すると、何も言わず教室から出て行った。
悠夜くんが欠けた教室に沈黙が訪れる。
「…………なんやったん、あれ?」
沈黙を我慢できなかったのか、それとも頭の中の疑問を解決して欲しかったのか。
京が誰とは言わず、質問を投げかける。
「一つのルールでアル」
答えたのは伸びていたウォンさんだった。
本当に復活が早い。
「我らの中で喉が渇いた者が複数いた場合、じゃんけんで負けた者が飲料を人数分調達する。それが、我らがあった時からあるルールでアル」
ムクリと起き上がりながら、パンパンと服に着いた埃を払うウォンさん。
「さて。うるさい癇癪持ちもいなくなったことアルし、暫しトークタイムといこうかのう」
ウォンさんはそう言ってまた教卓の上であぐらをかき、懐から煙管を取り出しマッチで火をつけた。
吐き出された煙が空気中で泳いで、霞んで消えた。
「お主らに質問したいことがあるアル」
「質問、スか?」
「そうでアル。まず第一に、お主らはユウヤのことをどう思っているアルか。あやつに持つ印象でも構わん」
え!?
悠夜くんのことをどう思ってるなかなんて、それは……
「悠夜くんは私の大切な人だよ」
「私の幼馴染みであり、将来の伴侶ですわ」
「ま、おもしろいやつだぜ。悠夜は」
「魔法のこととか教えてもらってるし、感謝してるニャ」
「なかなか気の合う友人って、そうそう巡り会えないものッスし、仲良くはしていきたいッス」
「あいつはよき後輩だが、同時に尊敬できる武芸者でもある。私が目標にしている者の一人だよ」
「悠夜はウチの大切な友達で部員や。それに、恩人でもある」
みんながそれぞれ、ウォンさんの問に答えを出す。
「して、お主はユウヤのことをどう思っているアルか?」
「私は、悠夜くんのこと――」
いつか。
いつかこの言葉を。
「――好きだよ」
言える日が来るのだろうか。
「そうでアルかそうでアルか。なるほどなるほど、フムフム」
返答した私達を前にして、ウォンさんは両手を組んで何度も頷く。
「我としての考察を述べさせてもらうアル。
お主らはユウヤとの縁を切れ」
…………え?
悠夜くんと縁切れって、絶交するってこと?
「ま、そういうことになるでアルな」
「どういうことだよ、おい!」
「言うに事かいてなんですのいきなり!」
「そうや。急に言われてもこっちは納得いかへんわ!」
神薙くんに霧坏さん、京も声を荒げて憤慨する。
「まあまあ、落ち着くでアル。別に我はお主等にイジワルを言ってるわけではないでアル。むしろお主等のため、ひいてはユウヤのため思って言っているアル」
「どういうことだ? ユウヤを一人にさせることが私達のため、悠夜のためにとってプラスになるとでも言うのか」
「そうは言ってないアル。ただ、お主等では『役不足』なのでアルよ」
「……どういうことッスか? アンタ、言ってる意味よくわかんないッスよ」
「そうでアルな、一つ例え話しをするアル。
共存関係にある一頭の象と一匹の鼠がいるとするアル。この二体の獣は友情を育み、お互いを信頼しあっている存在でアル。
では問う。
この二体はじゃれ会うことができるアルか?
答えは否でアル。じゃれ会って万が一のことがあって、鼠が象に潰されてしまっては構わんからな。お互いに辛いだけでアル」
「なんスかそれ。まるで俺達と悠夜とじゃ住む世界が違うように聞こえるんスけど」
「その通りでアル。
お主等はどうやら勘違いをしているようアルが、ユウヤと同じ区画ですごし、同じ学舎で学んでいるからといってユウヤと同じ場所に立てるとは思わん方がいいアル」
「あの、それって悠夜くんがすごすぎるから、傍にいちゃいけないってことですか?」
「おやおや、それはまるでユウヤの『スゴさ』を知っているような口振りでアルな。どこかでユウヤの『強さ』を見たことがあるのでアルか?」
「それは」
私の体を、暗い衝撃が貫いた。
ウォンさんの言う通り、私は悠夜くんの『強さ』を見たことがある。それも間近で。
でもアレと私のせいで悠夜くんと京、そして多くの人を危険にさらしてしまった。
あの時悠夜くん達が止めてくれなかったら私は――
「そんなの別にええやん。それよりも早く雲雀先輩の質問に答えてくれへん」
陰鬱な過去を思い出す私を、京が背中で庇ってくれた。小さな背中だけど、とても力強くて暖かい背中。
ごめんね。
心の中で呟いた。
「おお、そうでアルな。いやはや、これは失敬アル。
お主――ヒバリ嬢と言ったか。
ヒバリ嬢の問いかけは半分正解、半分はずれアル」
「どういうことや」
「さっき言った通りアルよ。お主ら人間がユウヤの隣に在るには、あまりにも非力なのでアルよ」
「なんだよ、さっきから俺らが弱いみたい、悠夜がまるで化物みたいな言い方しやがって!」
「だってそうでアル」
怒ったように言う神薙くんに、ウォンさんはにこやかに笑う。
「お主等は脆弱でアル。例えどんだけユウヤに戦闘の手解きを受けていようと、ユウヤに近付くことなどかなわん。
ユウヤと同じ場所に立とうとするな。
あやつはイカロスが目指した太陽の如く、お主等を地に落とすぞ」
「勝手なことばかり言うな! あんたが何を知ってるか知らねえが、悠夜がそんなことするわけないだろっ」
「そこでアル」
「っ?」
「さっきもユウヤの印象を聞いたが、どれもいいもの(・・・・)ばかりでアルな。
お主等はまだユウヤの裏を知らないようアルな」
「裏ってどういうことだよ」
「ユウヤは確かに優しく、思慮深く、何物よりも輝いているような男アル。だが同時にあやつは残酷で、傲慢で、何者よりも暗い虚無のような存在でアル。
お主等はユウヤのまだいい所だけを見ているにすぎん。そんな所ばかりしか見ていないなら、お主等はユウヤの『闇』を見た時傷付くことになるだろう。そしてお主等を傷付けたユウヤはさらに苦悩するアル。
そしたら両方とも痛い目をみるだけでアル。それを阻止するため、我はこうして助言しているアル。
どうでアルか? これでわかったであろう」
「……わかんねえよ。そりゃあ、アンタの言いたいことはまあ理解できたぜ。でもな、俺達がまだ悠夜の全部を知らないから悠夜と縁切れっていうのは、納得いくわけないだろっ」
「なあ、ウォンさん。あんた、そこまで言うなら俺らよりも見てるわけだよニャ。悠夜の『闇』ってやつ。それなのになんであんた自身は、こんな学園都市にまで悠夜に会いに来たんだ? 俺としては何か理由があると思うんだけどニャ」
「なあに、簡単なことでアルよ」
ウォンさんはそう言うと両手を頬添え、首を持ち上げた。
いや、首を外した。
比喩表現等ではなく、ウォンさんの胴と頭部が見事に分離していた。
『…………ギャアァァァ!!!』
一緒何がどうなったかわからなかったけど、脳がウォンさんの頭部分離現象を認識した途端みんなが一斉に悲鳴を上げた。
悲鳴を上げなかったのは興味深そうに見ているペンドラゴンさんと、あんな光景を見ても表情をピクリとも変えない月弦さんの二人だけだった。
こういうのに耐性があるのだろうか。私は無い。
「ハッハッハッ。イヤ~、お主等いい反応するアルな~」
「ふ、ふ、ふざけんニャ! い、いきなり、頭外すなんてっ。お前どうにかしてるニャ、普通じゃねぇニャ!」
「左様。我は普通ではない。それどころか、人間でもないでアル」
ウォンさんは頭を元の位置に戻すと、口に手をつっこみ何かを引っ張りだした。
それは細長い短冊のような紙で、漢字に似ているけど読めない文字が書かれていた。
私を含めみんなは手品の類いを見たように驚いただけだが、一人だけ刈柴くんだけが口から出た紙を見て顔が青ざめた。
「その札、蘇生術の――」
「ほう。お主はなかなか博識でアルな。遥か昔、古き良き呪いが栄えた時代に使われたこの術式を見破るとは。相当な知識を持っているであろうな」
愉快そうに言うウォンさんとは違い、誉められた刈柴くんはちっとも嬉しくなさそう。
むしろ、警戒する目でウォンさんのことを見ている。
「なあ、大地。あれはなんなんだ?」
「…………死体蘇生術。あれは死んだ人間をこの世に蘇らせ、自由に操るために作られた魔術、呪いの類いッス。ゾンビにミイラ、キョンシーとかは聞いたことあるッスよね? あの札はそれらを生み出すためのものッスよ」
再度教室に居るみんなが驚いた。けれど今までとは違う形の驚愕。
皆信じられないと言いたげな表情でウォンさんを見る。
ウォンさんは札を口にしまうと、ニッコリと笑った。
「そうでアル。我は――キョンシーなのでアルよ」
微笑むウォンさんの表情。開かれた糸目から覗いている瞳、その瞳孔は不自然なほど開いていた。
死人のように。
「なんで、なんでキョンシーのあんたがこんなとこにいるんスかっ。誰かに送られて来たんスか?」
「おっと、勘違いしないで欲しいアル。我は確かにキョンシーだが、そこらにいるにわか術師に操られているわけではないアル。我は己の意思で活動できる、世界で一体の死人でアル」
「そんな……!」
「驚くのも無理ないでアルな。かく言う我も『目覚めた』当初は何もわからず、呆然としていたアル。もっとも、その頃は自我を抑えられていたから、自己主張こそできなかったアルけど」
「確かキョンシー自身には術式を解除できなかったはずッス。どうやってあんたは自分の意思で動けるようになったんスか?」
「お主等も予想がついているであろう。他ならぬユウヤでアルよ」
ウォンさんの言うとおり、この流れで悠夜くんの名前が出ることは私にもみんなにもわかっていた。
でも、だとしたら、悠夜くんは本当に何者なのだろうか。
『科学』という私には扱えない力をあって、普通とは違う右目を持っている。
それだけでも特異なのに、この長身のキョンシーは更なる悠夜くんの過去を私達にあかす。
「“本当”の我は大昔に死んだ。いつかはわからん。キョンシーとなった時、昔の記憶も生前培ってきた常識もすべてパーになってしまったからな。
蘇った時に見た景色は今も覚えているアル。
子供が一人いない寂れた村。直立で立ち主の指示が出るのをひたすら待つキョンシー(同胞)の群れ。そして我を見ながら愉快そうに笑う術師の男。
普通なら他のと同様我もただ術師に操られるだけの存在だったが、術師が未熟だったのかそれともミスがあったのか、はたまた我だけ特別だったのかわからぬが、我は一つだけキョンシー(同胞)とは違う点があったのでアル。
制御が甘かったのでアルよ。要するに我は術師の行動を無視して行動できたわけアル。だが同時にキョンシーとしての本能も未完全ながらあったのでアル。
つまりは破壊衝動。
札に込められた《虐殺》の命令を実行に移そうとしたのでアル。
我は我に近付いてきた術師の腕をへし折り、内臓を潰し、頭蓋骨を砕いた。あっけなかったでアルよ。どんなに強大なキョンシーを従えさせているとはいえ、自身を鍛えていないただの人間。絶命させるのに時間はいらなかったアル。
術師が死んでも、我はできそこないのキョンシーのまま。疲れを知らぬ我の体はキョンシー(同胞)達を粉々にした。
やがて立っているのが我だけになると、今度は自分の足で壊せる物をあてもなく探した。
さ迷い、我は衝動のままにたくさんの物を破壊した。時には小さな集落を襲撃しヒトを殺めたこともあるでアル。
やがて世に我の存在が知られ、魔祓師が我を討伐するその時までただただ暴れ果てる――はずであった。
その影は我の前に突然現れた。
日が沈み始めた荒野を歩く我は、一人の子供に遭遇した。子供だろうと関係ない。札に動かされるまま、我はその子供に向かって走りだした。
だが子供は我を見ても臆することなく、ニッコリと笑った。その手には子供にはあまりにも不釣り合いな大鎌を持って。
いつの間にか我は意識を失っていた。目を覚ませば先ほどの子供――その時はっきりとわかったが少年であった――が我の傍で眠っていた。
不思議なことに生身の人間を前にしても破壊衝動はわいてこなかった。
イッタイドウシテ。
そう思わず呟いてまたも驚いた。我は札の効力で喋れなかったからでアル。
唖然としていると、傍らで寝ていた少年が起き我におはようございますと言った。
その少年によれば暴れるキョンシーの情報を知り合いから入手し、興味本意で我に会いにきたそうだ。戦闘することを前提で。
少年は我を手にした鎌で捩じ伏せ、動けないように両手両足を封じた。そして中途半端に施された術を半ば無効にするような形で、我に別の術を使った。
それは我の自我が保たれたまま、自由に行動できるというものだった。キョンシーであるという制約はあるが、それでも我には神より与えられた救いに思えた。
少年と会う前は自我を表に出せなかったとはいえ、手をかけたくないものまで壊してしまうことに、我は封じられた自我の奥底で嘆いていた。
束縛から解放された我は今後どうしようかと考えた。
自由に動けるようになったとはいえ、我はキョンシー。死体だ。どんなに楽観視しても、普通に暮らせるとは思わなかった。
そこでまたしても少年が口を開いた。
一緒に来ないかと。
なんでもその少年はある目的のために『仲間』を募っていたそうだ。
その目的のためには並みの人間ではなく我のような――世界から拒絶されるような以上を持つ者を探していたとか。 その目的のために並みの人間ではなく我のような――世界から拒絶されるような以上を持つ者を探していたとか。
我はその少年に救われた。
生前の時代とは常識が異なっていたとしても、我の中にはこの者に救われた借りを返したいという忠義心に似た物が宿っていた。
我は差し出されたユウヤの手を握り返し、その日からウォン・チャンと名乗ったのでアル」
長い長い悠夜くんとウォンさんの馴れ初め。
その語られたストーリーは私には想像することすらできないものだった。
「我はユウヤが正常だろうと異常だろうと関係ないでアル。いや、むしろ異常の方が良かったアルな。我の始まりはあまりにもおかしかたったから、バランスがとれていたのでアルな。
だが、お主等は違う。
日常から産まれたお主等は異常を知らない。
ユウヤが持つ異常を目の前にした時、お主等が持つ常識は音もなく崩れ去り、お主等もユウヤも傷付くであろう。
だから我はユウヤと縁を切れと言ったのでアル。お主等がユウヤを大事に思っているのならな」
ウォンさんはおちゃらけた様子もなく、教卓の上で胡座をかきながら私達を見下ろす。
その姿は全てを知り、私達を試している仙人のようなすごみを出している。
悠夜くんは異常、か……。
「確かにそうなのかもしれない」
「雲雀先輩?」
「悠夜くんは異常だと思います。でも、悠夜くんが異常だったから私は彼に救われました。ウォンさん、あなたのように。
だから。
だから、私は悠夜くんの力になりたい、助けになりたい!
その為にも私は悠夜くんの傍にいます!!」
「恩返しか。それもまた理由でアルな。だが、お主は一時の感情だけで荊の道に進むつもりアルか」
「荊の道だからッス」
「ん?」
「刈柴くん……」
「友達が荊の道にいるっていうのなら、迷わず自分も進むのが友情ってもんスよ。少なくとも、俺はそう思ってるッス」
「大地の言う通りだぜ。悠夜が何か背負ってんなら、俺はあいつごとおんぶしてやるだけだ。こっちはそれぐらいの心構えあるんだよ」
「悠夜くんが遠い存在って、そんなのわかりきってる。でもたった一つや二つの壁があるからって、悠夜くんを諦めるほどぬるい感情を抱いてなんかないよ」
「お兄ちゃんはリリスのマスター(お兄ちゃん)だもん。どんな時でも、お兄ちゃんのためなら例え火の中水の中、お兄ちゃんの胸へダイブだよ」
「さっきも悠夜は私にとって目標にしている者だ。その悠夜へ近付けるのなら、私はどんな苦難でさえ耐えて見せるさ」
「私は一度あやまちをおかしました。許してくれたかどうかわかりませんけど、悠夜さんは再び私に微笑みかけてくれた。それだけで私が悠夜さんの隣に居ようとするのは至極当然ですわ」
「こっちもいろいろ相談にのってくれたり、助けてもらってんだニャ。だったらあいつを守るのも俺らの役割だぜ。そのために魔法を教わってるようなものだからニャ」
「ウチらは確かに普通や。悠夜とアンタらとは違う。でもお互いが違うからこそ助け合うことができると思うねん。ウチら演劇部の結束力なめたらアカンで」
「ほぉ、我の言うことを無視するということでアルな。
ならば、我がお主等の前に立ち塞がり、ユウヤとお主等の仲を引き裂こうとしたら、どうするのでアルか?」
「そんなの関係ないよ。あなたが私と悠夜くんとの間にできた壁だって言うなら、こ…………ねじ伏せるまでだよ」
挑発的に笑うウォンさんに対し、強気な態度の崩さない月弦さん。その姿は頼もしいけど、さっきはなんと言いかけたのだろうか。
「ハッハッハッ、我と相対すると?
……やめておいた方がいいアル」
ウォンさんは笑いながら、膝に置いていた手の平を私達に見せつけるように広げた。
「さもなくばお主等、尖端恐怖症になるぞ?」
「――ッ!?」
瞬間、私達を襲ったのは、強力な“闘気”と言うべきもの。
まるで全身に巨大な針を突き付けられたような恐怖心。
突然向けられた暴力的な威圧感に、私達は声をあげることも微動だにすることもできなかった。
得体の知れないものが出す重圧が私の体を蝕む。
逃げ出したい。
本能がそう告げる。
こんな恐怖を以前にも体感したことがある。
新学期が始まってしばらくたった頃。私の前に現れた、あの怪異と似た存在感をウォンさんから感じた。
でも、それならなおさら私は引くことはできなくなった。
だって悠夜くんは間違った私を救ってくれたから。彼はこんな恐怖の中で私を助けるためにあの時来てくれたから!
悠夜くんのように前へ進むことはできなくても、私は後ろに歩んでしまいそうになる足をしっかり固定し、ウォンさんと対峙した。
自分でもよくわからないけど、ここで逃げ出したら悠夜くんの前で笑顔でいられないような気がした。
睨む、わけではないけど、私はウォンさんの瞳孔が開いた目を見る。
拳を強く握りしめ、折れそうになる心を支えた。
私はここにいる。
悠夜くんの傍に居たいという気持ちをウォンさんに伝えるために。
「…………やれやれ、若さというのは時にめんどうでアルな」
ウォンさんが出していた剣呑な雰囲気がいつの間にか消えていた。
加算されていた重力から解放されるように、私達の緊張感が途絶える。気付けばたいして暑くもないのに、額には汗が流れていた。
「しかしそれも統合すれば一つの真意。世界は動かせずとも、一人の心は暖めることもできるのかもしれないでアルな」
「な、なんですか、急に」
「別にお主等をどうこうする気はないでアル。ユウヤのお気に入りを勝手に壊せばこっちがお咎めをくらう。
ま、我が少し“脅した”ぐらいでは退かぬのなら、もうしばらくはユウヤとも交流を深められるであろう」
ウォンさんは教卓から降りると、グラウンド側の窓へ向かった。
「おい、どうしたんだよ」
「帰るでアル」
神薙くんの問に短い答えが返ってきた。
ウォンさんは窓の手間まで来ると、こちらを向いて名乗った時同様一礼した。
「では、さらばでアル。次に会う時まで、ユウヤの持つ『破壊者』に怯えながら暮らすがよい」
ニッコリと私達に笑顔を向けると、驚く間もなく頭から窓の外へと出ていた。水泳で見るような綺麗なフォームで。
「……チッ、なにしに来たんや、あの人」
舌打ちしながら呟く京は、どこか憔悴したように見える。
京だけでなく他のみんなも、疲労感を感じていたりどこか脱力していた。
みんなぐったりとしていたけど、ちゃんとみんないることにどこかほっとしていた。
「どうやらあのアル中は帰ったようですね」
扉を開けながら、悠夜くんが教室に入ってきた。狙いすましたようなタイミングに、私達は悪いことをしたわけでもないのに慌てしまった。
「えっと、ウォンさんってはついさっき窓から出ていっちゃった……。ウォンさんってアルコール中毒なの?」
「いえ、アルアル中国人の略です」
「そ、そうなんだ。引き留めた方が良かった?」
「別に構いませんよ。あれは元々気分屋ですから。途中退場などしょっちゅうです。
それよりもみなさんどうかしました?」
私はギクリとした。
ウォンさんの言葉が頭の中で再生される。
「まあ、どうせウォンに何か言われたんでしょうが、深く考えないことをお薦めします。ウォンはヒトをイライラさせるような言動が呼吸するようにできますから」
悠夜くんは手に一つだけ(・・・・)持っていたお茶のペットボトルを開けて飲む。
「ふぅ。さて、遅くなりましたがそろそろぶか――」
「――悠夜!」
悠夜くんが何かを言おうとして、冬空さんにさえぎられた。
「はっ、はい!」
「今から特訓するぞ。お前には師として付き合ってもらう」
「え?」
「そうですわ」
「俺も賛成だニャ」
「あの、みなさん……?」
「善は急げと言うッスし」
「鉄は熱いうちに叩けとも言うぞ」
「加法は寝て待てだよ」
「いや、それはいろいろ違いますからみなさん。今日は悪いですが、予定が」
「嫌なの?」
「はい、わかりました、行かせていただきます」
月弦さんがカッターをちらつかせながら言うと、観念したように頷いて悠夜くんは学生鞄を手に取った。
「それではすみませんが、雲雀先輩、京さん。今日は部活はお休みさせていただきます。失礼します、また明日」
「う、うん。じゃあね」
「ほな、さいならや」
「さようなら」
悠夜くんとみんなは私と京にさよならを言って、ぞろぞろと教室を出て行った。
残ったのは私と京だけ。……特訓ってなんなのだろう。
帰る悠夜くんの背中を見送って私は、どこか晴れやかな気分になっていた。
きっと悠夜くんが『また明日』って言ってくれたからだと思う。
「雲雀先輩、めっちゃにやけてるで」
「えっ? いや、これは別に」
「で、どうされます? ウチらは」
「私達は……、部活に行こうか。悠夜くんがお休みするのを努とキララに言わなくちゃいけないし」
「了解です。さ、あの二人がキスでもする前にとっとと部活に行きましょう」
「そうだね」
そんな流れで私達は演劇部の部室に向かった。
この日は結局悠夜くんを外した四人で部活動を行った。
しばらく四人でやっていたのに、悠夜くんがいないだけでちょっと寂しかった。悠夜くんは出席率もいいから休むこともあまりないし。
――明日は悠夜くんを入れた五人で部活をやりたいな。
部活終わりの帰り道。
そんなことを私は考えていた。
私達が暮らす、緩やかな平凡の中で。
長く間を開けてしまいましたが、次話の執筆も遅れるか本編から少しそれた短いものを届けるかと思います。
今回は地味な伏線とウォンの紹介がメインでした。
ああいう学園都市に来る前から悠夜と親しかったキャラは徐々に出していくつもりです。
次話もどうかお待ちしていただければ幸いです。
それでは失礼します。
感想、質問、レビュー等お待ちしています。
伝助でした。