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第十九夜★例えどこで胡蝶が羽たばこうとも、嵐はすぐ目の前に(前編)


 長い間を開けてしまった……



 再び戻ってきた悠夜くん達の日常(?)編です。それではどうぞ~





  0


「あー、あの太陽が果てしなく鬱陶しい。今すぐ曇りになって雨がザーザー降ってくれませんかね」


 ささやかな願いを口にするも、それは叶うはずもない。そりゃあ、降水確率は10%をきってましたけど、望みくらい持ったっていいはずです。

 せめて窓の景色だけでも、自分の好きなものであって欲しい。

 だって……


「ウフフ。悠夜くん待っててネ……」

「さーて、再びあの頃に戻りましょうか。悠夜さんと私が二人だけで遊んでいたあの頃に」

「ふむ、森羅(もりあみ)は私生活が堕落しているからな。ここは私が修正してやらねば。私が、な」

「お兄ちゃんにはリリスのメイドになってくれるのもいいかもね」

「演劇部の本気、見せたるでー」

「ね、ねぇ、キララ。本当にそれをやるの……?」

「あったり前っ。狙うは必勝なんだから~」

「おー、なんか盛り上がって来たー!」

「いったい栄光は誰が手にすのかニャ」

「見ものッスね~」


 かってにテンションの上がっていくみんなの気配を感じながら、僕はそっちの方を見ないように窓へ視線を向ける。


「台風でも来ないですかね」


 不幸(嵐)はすぐ目の前まで来ているとゆうのに。あー、退院したい。



  1


 リリスさんの陰謀というか策略というかイタズラにより、三日ほどですんだはずの入院生活はゴールデンウィーク最終日まで伸び、いろいろ予定したことが全ておじゃんになってしまった。

 伸びた入院期間の中、僕の弟子や演劇部メンバー、リリスさんを始めとするクラスメイトも誰も見舞いに来ませんでした。

 ライトノベルの世界では僕みたいな境遇のヒトはただの寂しいやつですが、むしろこの環境を僕は楽しんでいました。

 だって、一人でいるから厄介ごとが起きないんですもん。

 身をもって『羽を伸ばす』という言葉を理解した僕は、多少の不便はあっても、このプチ一人暮らしを満喫していました。


 でも、多少楽観的になっていた僕はあることに気付いていなかった。

 この平穏が俗に言われる『嵐の前の静けさ』ということに。


 退院を明日に控え、僕は最後の入院生活をどうしようかなと考えた朝、その来訪者達(・・・・)は突然現れた。


「み、みなさん、なぜここに!?」


 ぞろぞろと扉を開けて入室して来たのは、(つとむ)先輩を除く、あの日屋上で僕が理不尽な目にあった時と同じメンバーでした。


「いやー、せっかくの入院生活だからなんかパーっとしようと思ってさ。何しようかみんなで考えてたんだけど、なんとか最終日までに思いついたぜ!」

「入院に来ないと思ったら、そんなことしてたんですかっ。入りませんからね、サプライズは。というか病院内で騒ぐ気ですか!」

「照れんなって。俺も練習中に骨折って入院した時は、部員のみんなが見舞いに来てくれだぞ。あん時はおもしろかったな~」

「あなた達が揃うとおもしろいとか冗談ではすまないんですよ。被害が全面にくるんですからね、僕に」

「にしてもラッキーだったな、入院期間が長くて。おかげでいいものが考えられたぜ」

「あなた達のせいですからねっ」


 なぜ?

 なぜこんなにも僕の『日常』は平穏に遠いのでしょうか?

 みなさんが用意したと言う『企画』、なぜだかものすごく嫌な予感がする。いや、天宮(あまみや)くん曰く『フラグは建った』ように思えます。

 ここは経験上、みんなの話しと流れに乗りつつ突破口を見出だすしかない。できなくてもやるしかない。でないと、また入院生活が長くなる可能性があります。それだけは阻止しなくては。


「一様聞いておきますが、あなた方は何を企画されたんですか?」

「よくぞ聞いてくれた!」


 キラキラと輝く目を見て、僕の不安は一気に加速した。


「その名も『第一回 誰が悠夜の傷だらけのハートを癒せるか? 乙女同士のガチンコバトル! ~悠夜の内臓ポロリもあるよ~』だっ」

「予感的中! 名前からして至極どうでもよさそうかつ、やっぱり僕が痛い目を見るんですねっ。しかも内臓ポロリ!? してたまりますか!」

「大丈夫、ここは幸いにも病院だ。内臓ポロリ(サービスシーン)になってもすぐにドクターが駆けつけて、治療してくれる」

「これ以上ドクターの世話になんかなりませんよ」


 なってたまるものか。

 けれどこれはまずいですね。

 このままではまた僕が酷い思いをするのは火を見るよりも明らか。

 ここは一人ずつ味方を増やすしか……。


雲雀(ひばり)先輩、あなたは誰もが認める立派な常識人です。病院内で騒ぐなどいけないのは承知のはず。どうかこの催しを中止してください」

「うん。確かに病院の中でうるさくしちゃいけないのはわかるよ? でもね、みんなは悠夜くんの為思って、このゴールデンウィークを使っていろいろ用意してきたの。教えなかったのは悠夜くんを驚かせたかったらだし、少しでも楽しんで欲しいな。……だめ?」


 いや、そういうわけではないですけど、なぜそう不安そうに僕を見る。なぜそんな悲しそうな目で僕を見るんですか。


「……わかりました。何をするのか検討がつきませんが、お願いします」

「ありがとう、悠夜くん」

「よーし、悠夜のお許しも出たことだし、ちゃっちゃと準備するぞー」

『おー!』


 神薙(かんなぎ)くんの掛け声に、みんなが天井へ握り拳を向ける。

 ちなみに僕はこの時点で入院生活延長を覚悟していました。



  2


『さーて、とうとう始まったニャ。第一回 誰が悠夜のハートを癒せるか? 乙女の以下略!』

「第一回ということは第二回、三回も予定に入っているということですか?」

『司会進行は私、天宮響(ひびき)と――』

「司会が無視ですか。いい度胸ですね」

『――解説はこの俺、神薙亮(りょう)と』

刈柴(かりしば)大地(だいち)でお送りするッス』

「で、具体的にはいったい何をするんですか?」

『説明しよう。参加者は悠夜の傷ついた心をそれぞれの手法で癒すのニャ。悠夜にはどちらがより癒されたかを審査していってもらうのニャ』

「そんなことしなくとも、僕の心は自然治癒しますのでどうかほっといてください。それに何度も言いますが、僕の身心に傷を負わせたのはあなた方ですからね」

『それじゃあ、さっそく始めるのニャ。ちなみに、順番はあらかじめくじによって決まってるニャ』

「早く終わってください」

『一番手はこの人。大舞台を夢見る女優の卵、篤兎(とくと)(みやこ)だニャー』

「おおきに~」

「お手柔らかにお願いしますね」

「ま、悠夜もそんなに肩に力入れんで楽にしいや」

『さてさて、篤兎選手はいったい何を持って来たのかニャ?』

「これやー!」


 京さんが大きめの鞄から取り出したのは、保温のためか布にくるまれた土鍋。

 ……そんなもん、よく持ってこれましたね。


『土鍋ということは、つまり食べ物系ッスね』

『いやー、俺は食い物という着眼点はいいと思うぜ。入院の時に出る飯ってなんか味薄くてまずいんだよなー』


 食事を作ってくださる調理師と栄養師さんに謝りなさい。

 にしても、京さんが料理ですか……。別に京さんの実力を疑っているのではありませんが趣味嗜好が……。


『で、どんなものを用意したのかニャ?』

「いろいろ迷ったんやけど、シンプルにお粥にしたんや。お粥言うても、ちゃんと手の込んだ物やで?」

『おー、これは期待できそうだニャ』

「そんじゃ、オ~プンや~♪」


 地獄の釜茹で。

 京さんがご機嫌な様子で蓋を開け中身を見た瞬間、その言葉が真っ先に思い浮かんだ。

 きっと僕だけでなく天宮くん達や他の人も絶句しながら土鍋の中の『お粥』を凝視している。

 赤。

 それ意外の色が見当たらず見ているだけでも辛そうなのに、スパイシーとはとても言い難い匂いまでしてくる。

 篤兎京。

 その片寄った味覚と嗜好から、食事に関してなんでも辛味な物を求める。彼女が作る料理は大抵このように赤く辛くなってしまう。他者に強要することはないのですが、まさかこんな形でくるとは……。

 ちなみに僕の味覚は至って普通。辛い物は嫌いではありませんが、ここまでの物は正直口にしたくない。味蕾が崩壊してしまう恐れもありますし。


「あのー、京さん。ちゃんと味見しました?」

「何言うとるん。ちゃんとしたで。味もばっちりや」


 ああ、聞きたくなかった情報。

 京さんにとってばっちりとは、僕にとって致死量という意味になりますし。

 ……どうしましょうか。冗談抜きで、あのお粥もどきを食べればいろいろ終わってしまう気がする。


『じゃ、じゃあ、篤兎選手は、お粥を悠夜に食べさせてもらうニャ』

「ちょっと天宮くん! そんなことしたら、僕無事では要られない気がするんですけど」

『うるせえニャ。物が食材なんだから、食べないと公平なジャッチにならないだろうが』

「そもそもなんですか、公平なジャッチって?」

「なんや、食べさせてもらうのに照れてるん? 悠夜は子供やな~」


 僕の動揺を勘違いしたのか、ニヤニヤと愉快そうにれんげを鞄から取り出す。

 いや、僕は別にそういうの気にしな――って、えっ、お米まで真っ赤!? いったいどんな調理法をしたらあんなに色が着くんですか。むしろ教わりたい気もしてきた。


「ほら悠夜。あ~ん」


 れんげ一杯のお粥をすくい、雛鳥に餌を与えるように京さんが『あ~ん』をする。

 ……そう言えば入学当時に数回、『あ~ん』をしたりさせていただきましたが、あれからもう一ヶ月ですか。時がたつというのは本当に早いですね、この前なんて――


「悠夜、早く食べないと冷めるで」


 …………現実逃避の真っ最中でしたのに。

 やはりここは潔く食べるしかないのでしょうか?


「悠夜、まさかウチが作った料理を食べたくないとは言わんよね?」


 正直言って食べたくない。絶対ただでは済まない。

 でも京さんが放つ肉食獣並みの眼力は『早く食べろ』と訴えている。

 よし。決意は固めました。

 僕のために作ってくれた物ですし、変なのは入っていないはずです。量は問題かもしれませんが……。

 僕は雛鳥のように口を大きく開ける。

 そんな僕を見て満足そうに京さんはお粥の入ったれんげを僕の口に近づける。うわっ、食べてもいないのにすごい刺激匂。これが少しでも薄ければ、食欲を誘う香りになると思うのに。

 ものすごい緊張の中、れんげが僕の口に入りお粥を咀嚼する。


「…………どうや?」


 僕のことを不安げに見る京さん。

 味は確かに辛いけど……、あれ、結構いけますね。お米もいい具合に水分を含んでいますし、これなら土鍋一杯分はいけ――


「っ!? ゴホッ、ゲハッ、ウ、ハッハッ……」


 京さんに感想を述べようとした時、最初に感じたものよりも十倍強い辛さをしたが感知した。それはもはや味ではなく『痛み』と呼べる凶器でした。口内がとてつもなくヒリヒリし、体がまるで燃えているかのように暑い。部位を問わず流れる汗は、僕の体がこれ以上ないほど水分を欲しているのを表しています。


「み、水を……」

『ほら、悠夜。これを飲むんだっ』

「ありがとう、ございます」


 神薙くんに手渡されたペットボトルのキャップを開け、中身を一気に飲み干す。


「ゴホッ、グッ、アッ……」


 けれどまたしても僕は咳き込んだ。

 理由は単純明解。

 神薙くんの渡してくれた物が炭酸水だったからです。

 伝わりにくいかもしれませんが、辛いお粥でダメージを受けた僕の口に、シュワシュワの炭酸水が侵入することで新たな強烈な刺激が僕を蝕んだのです。


『すまん、悠夜。まさかそこまでおもしろく悶絶するとは……。まあ、狙い通りだけど』

「こっ、この愉快犯め……!」

「なんや、だらしないなー。こんくらいの辛さでヒーヒー言うて」


 そう言うと京さんはお粥を自分の口へと運ぶ。そしてそのまま咀嚼し、飲み込むとすぐさま二杯目へ。

 し、信じられない。辛党と言うのは知っていましたが、まさかこんなに強靭な味覚(?)の持ち主だったとは……。なんだか、京さんの食生活がすごく心配になってきましたね。

 唖然とする僕をよそに、数回お粥を食べた京さんは再び僕にれんげを差し出す。

 え?


「なに、ボーッとしてるん? ちゃんと完食せんと許さへんで」

「あの、これはどういう意味で?」

「せっかく悠夜のために作ったんやから、きちんと食うてえな」

「でもこれ以上食べたら僕結構危ない気がするのですが」

『いやいや、ここは審査を公平にするため悠夜には全部食べてもらうニャ』

「なんですか、他人事みたいに! なんでしたら、あなた方も食べますかっ?」

「ごちゃごちゃ言わんと食べんかい!」

「ちょっ、わかりました。わかりましたから、土鍋ごと押し付けないで、熱っ!」



  3


『さーて、初っぱなから波乱のスタートだけど、解説の二人はどうみるかニャ?』

『うーん、まあ、インパクトは強かっただろうな』

『インパクトはあったスよね~』

「ありまくりですよ! 見た目も辛い上に、拍車をかけて辛いんですもん。よくできましたね、完食。自分で自分を誉めたいですよ。それよりも大丈夫ですよね僕の味蕾? まさか全部崩壊してたりとかしませんよねっ?」

『さーて、悠夜の味蕾も未来も危険地帯に突入したところで、さくさく次に行ってみるニャ』

「うまいこと言ったつもりですかっ。ちっとも笑えませんよ! だいたい危険地帯に入ったのならフォローしてくれてもいいのではっ」

『悠夜がなんか言ってるけど、無視してさっさと進めるニャ』

「この企画ってちゃんと僕を癒すために考えてくれたんですよね!?」

『二番手はこの方。その包丁は台所だけでなく修羅場でも大活躍、月弦(つきづる)(あきら)だニャ』

「やるからベストを尽くすわ」

「前口上と人物に早くも不安を隠しきれないんですが……」


 さすがに病室で刃傷沙汰を起こすとは――いや、玲さんが刃物を取り出すのに少しでも躊躇するような方でしたら、僕は日常的に危険な目にあっていないはずですが。


「入院はあと何日伸びるのでしょうかね」

「私が何かする前から悠夜くんがどこか諦めたような表情してる!」

『んで、月弦はいったい何を用意した来たんだニャ?』

「篤兎さんと少しかぶるかもしれないけど、私も食事系で勝負するよ」


 玲さんはそう言って、紙袋の中から赤くて大きめの果物――林檎を取り出した。


『なるほど。お粥が看病の王道なら、こちらはお見舞いの定番といったところッスかね』

『確かに入院した時ってフルーツとかテーブルに置いてあると、なんかその人とても心配されてるって気するもんな』

『これは高ポイントが期待できるニャ』

「何なんですかポイントって? いつからそんなの導入されたんですか、どうやって僕は割り振ればいいんですか?」

「それじゃあ、皮を剥くね」


 僕は皮があったり丸かじりでも構わないですが、ここは玲さんにお任せしましょう。

 そう楽観的に眺めていましたが――


「♪~ ♪~ ♪~」


 玲さんはやっぱりと言いますか、ポケットから包丁を取り出し、なんとそれで林檎の皮を剥きはじめました。

 ……大根の桂剥きならわかりますけど、球体に近い林檎、しかもそれに対して大きな包丁で皮を剥くなんてすごい技術ですね。普通は果物ナイフを使用するのに。よくもまあ、曲芸師のようなことを平気でやられる。

 大きめにカットされた林檎を簡易テーブルに置いてあった紙皿へ盛り付けていく。

 とても美味しそうですね。早く僕の味蕾が無事かどうか調べたいので、林檎へと手を伸ばす。


 ――ザクッ!


 けれど僕が触れようとした林檎は、まるでつまようじを使うかのように玲さんが自身の包丁で浅く突き刺した。……あ、危ないっ。


「私が食べさせてあげる」


 包丁の先に刺さったままの林檎を玲さんは僕へと向ける。


「あ、あーん……///」


 えっ? これってもしかして……


『おおっと、これは月弦選手もあーんをして来たぜっ。これはおもしろくなってきた!』

『お見舞い→林檎とくればこの流れも必然ッスしね。天然か狙ってるかはわからないッスけど、恥ずかしげに頬を染めるのもポイントが高いと思われるッス』

『篤兎選手、同じ戦法をとってきたけど、どう思うニャ』

「なんかずるない? これパクりの気がするんやけど」


 やっぱりこれも『あーん』でしたか。先ほどのゆうにれんげ、フォークやスプーンならわかりますけど、包丁を使った場合でも同じと言えるのかすごい疑問なのですが。というかなぜ誰もつっこまないのでしょうか?


「ね、ねぇ、悠夜くん。早く食べてくれないかな? 私も恥ずかしいよ……」


 僕だって怖いですよ。林檎が先に刺さっているとはいえ、包丁に口を近付けるのは少し、いや、かなりの抵抗が。


『おや、悠夜は全く動かないニャ』

『恥ずかしがってるんスかね~』

『悠夜ってけっこうウブなところあるもんな』


 人事のように言ってくれますね……!

 あなた方にはわからないと思いますけど、この一ヶ月弱でどれほど包丁に恐怖心を抱いたことか。自分の家の包丁を握るのさえ躊躇した時があったんですから。

 ……やっぱりこれも食べなきゃ駄目ですよね? まあ、あくまで用があるのは林檎ですし、包丁に触れなければいいのですから。触れたら大惨事ですけど。京さんのお粥のようにすればきっと大丈夫ですし、ここは慎重に行けば――


 そっと林檎に顔を近付ける。

 文字にすればたったそれだけのことなのに、異様な緊張感が僕の中で生まれる。いや、だって包丁で切りつけられたことはあっても、自分から(林檎が刺さった)刃先に顔を伸ばすなんて自傷行為に近い。できれば体験したくありませんでしたよ。

 少しずつ僕の顔を動かし、とうとう林檎をぱくりといける距離にまでなってきました。

 けれどぱくりとはいかず、舌を奥まで引っ込め歯が林檎だけに触れるように噛むと、ゆっくりと林檎を包丁から取り去る。……これってなんて名前のゲームなのでしょうか?


「どう、悠夜くん。林檎美味しいかな?」

「お、美味しいですよ」


 確かに美味しいのですが、この林檎を食べるのに消費した体力や緊張感、披露度を考えると割りに会わない気がします。

 料理って奥が深い。食べ方一つでこんなにも恐怖心が植え付けられるんですね。


「良かったあ。じゃあ、いっぱいあるからたくさん食べてね♪」

「えっ……?」


 そうでした。

 玲さんは丸々一個の林檎を持って来ていて、今僕が食べたのはその林檎を一口サイズに切った物の中の一つにすぎない。

 つまり――


「あーん///」


 わー、まだたくさんありました。


「……あの、ちなみに」

『これも出された以上、ちゃんと完食してもらうニャ』


 司会の無慈悲な言葉に、心が折れそうになった僕でした。



  4


『さーて、早くも二人のアピールタイムが終了したニャ』


 彼女達はいったい何を僕にアピールしたかったのでしょうか?


『ここで悠夜にはどちらかから、暫定一位を選んでもらうニャ』

「暫定一位?」

『そうニャ。そして、最後の時に一位だった物には、なんと賞品が与えられるのニャ』

「これって本当に僕のため企画された物かどうかすごく怪しくなって来ましたね。 まあ、それはもうどうでもいいと言うか諦めるとして、賞品ってなんですか?」

『…………ところで悠夜。月弦選手と篤兎選手、どっちが暫定一位なんだニャ?』

「えっ、またスルーッ? 今度のは本当に嫌な予感がしてならないのですが」

『いいから、早く決めるニャ』

「また強引ですね。えーと……」


 殺人激辛お粥の京さんか。

 恐怖の林檎包丁の玲さんか。

 ……なんで選択肢がこれしかないのでしょうか?仕方ないとは言え、どちらも選びたくないのが本音なのですが。


 玲さんも京さんも真剣な目でこちらを見てくる。まるで、自分を選ばないならどうなっても知らんぞと言わんばかりに。この場合選択肢があると言えるのでしょうか。


「……両者共に負けということでは駄目ですか?」

「「どういう意味(なの、なんや)!」」


 僕の心境としては両者に負けてるんですけどね。だからと言って、どちらが勝っていると比べることはできない。この深いダメージは数値化・加減不能な物として僕の心に刻まれましたから。


『……あんま長引かすのもめんどうだし、暫定一位は二人ってことで落ち着かすニャ。悠夜もこう言ってることだし』

「わかったよ」

「ま、ウチは別にええけど」

『じゃ、二人には一位席に座ってもらうニャ』


 壁際に置いてあったパイプ椅子をもう一つ追加して、玲さんと京さんが並んで座る。

 なるほど、あそこに暫定一位とやらが待機するわけですか。二人いますけど。


 にしても、早く終わりませんかね。こういうのが後数人続くのは、いくら僕でも無事で要られるかすごい不安なんですよね。


『それじゃあ、気を取り直して次行ってみるニャ。三番手はこの方――最近は徐々にブラック化、最大の武器は懐かしい思い出だ。霧坏(きりつき)恋華(れんか)だニャ』

「よろしくお願いいたします」

「恋華さん、今の前口上はスルーしていいのですか?」

「特に問題はありませんわ」

「そうですか」


 僕にとっては、幼馴染が腹黒くなってしまうのはなんとも止めたいところなのですが。


『霧坏選手、前の二人が暫定一位という予想外の展開だけど、自信のほどはどうかニャ?』

「無論あるに決まっていますわ。そもそも悠夜さんに最初から両方負けと言われた時点で、私の勝利は約束されたようなもの。あの二人に負けるはずがありません」

「へぇー……」

「言ってくれるやん、あのお嬢様」


 挑発的に微笑む恋華さんと睨みをきかせる京さん。その京さんの横では怒りかはたまた別のものかわかりませんが、何か黒いオーラを漂わせる玲さんが。

 何ですか、このものすごく重い冷戦状態は。近くにいるだけで、胃に穴が空きそうです。本当に空いたらどうしましょう。美味しい物が食べられなくなります。


『プチ修羅場はそれぐらいにして、そろそろ始めてもらうニャ。霧坏選手はどんなことを用意してきたニャ?』

「これですわ」


 恋華さんが取り出したのは、竹でできた細い棒状の先端に綿毛のようなふさふさが付いている道具。

 これは……


『耳掻きッスね』

『耳掻きだな』

『おお、これはもしかしなくともっ、悠夜を筆頭に数々の思春期男子が一度は夢見る“女子に耳掻きをしてもらう”だニャ!』

『前者二人の“あーん”よりも実現する可能性が低いッスから、これは高印象かもしれないスね』

『おー、良くわからないけどすごそうだな』


 天宮くんの説明に若干の悪意を感じます。そして神薙くんは解説をやる気はあるのですか?


「悠夜さん、ちょっとどいてくださるかしら?」

「わかりました」


 ベッドから一旦降りると恋華さんは『失礼します』と言って掛け布団を畳んでスペースをつくり正座しました。そしてポンポンと自分の膝を軽く叩きました。


「ささ、どうぞどうぞ」

「は、はい」


 恋華さんの指示に従って頭を彼女の膝の上に乗せる。

 リリスさんに何回かしてもらってことはありますが、恋華さんにしてもらったことはないので緊張します。リリスさんにして頂いた時は、半強制的にされたことが多々ですが。

 恋華さんの下肢はやはり柔らかく人肌の熱も感じられ、手のひらから汗が出て落ち着かない。


「それでは、始めますわね」


 僕の耳に指が触れ、耳掻きが動かされていく。

 あ、これいいかも。


『悠夜のやつ気持ち良さそうだな』

『霧坏も耳掻きがうまいッスね。練習でもしてたんスかね? 見るからに好印象のようッスよ』

『だそうだけど、二人としてはどうかニャ?』

「フフ、恋華もまだまだね」

「あんなんなら、ウチの圧勝やな」

「おかしいな、確か篤兎さんは悠夜くんに負け宣言されてたけど」

「それはあんたも同じはずやけど?」

「私の場合は愛情の深さが違うのよ」

「人のパクっといてよくゆうわ」

「なに、()るの?」

「望むところや」

『はいはい。ヒロイン同氏のどろどろバトルは裏でゆっくりやってくれニャ』


 そこは真っ先に止めてくださいよ!


「ねぇ、悠夜さん」


 僕が心の中ツッコミを入れつつも耳掻きの気持ち良さを満喫していると、恋華さんが柔らかい声でとんでもないことを聞いてきました。


「鼓膜が破れた経験ってありますか?」

「えっ。いや、幸いなことに、ありませんが……」

「そうでしたか。これは人から聞いて得た知識なのですけれど、鼓膜が破れるのは相当痛いようですわ。それに聴覚に支障が出ますし、鼓膜は大切にしないといけませんわね」

「………………そうですね」


 なんでしょうか? この意味深な言い方は。

 先ほどまであった陽射しの中でまどろむような感覚から一変し、僕の体に緊張感が再び走る。


「鼓膜ってここかしら?」


 ビクッ!

 恋華さんが耳掻きを使って鼓膜(らしきところ)をトントンと、軽くつつく感触が。


「あら、どうされましたの? 私は誤って悠夜さんの大事な鼓膜を破くわけにはいけないので、場所を確認しているだけですわ」


 …………怖いです。怖すぎます。

 目の前に武器があるのも勿論恐怖ですが、姿形が把握できればまだ対処しようとする意思は生まれる。 けれど恋華さんの凶器は既に僕の耳の中。しかも体制のせいで恋華さんの表情を伺うこともできません。声からしてとても暗い笑顔をしてそうなんですよね、十中八九。


「フフフ、静かになって悠夜さんはいい子ですね。では、私のお話しをちゃんと聞いててくださいね?」


 僕の髪をすきながら、顔をすぐそばまで近付ける恋華さん。他の人から見れば恋華さんが僕に何かを囁いているか、内緒話をしているように見えるかもしれない。

 けど実際は鼓膜を人質に取られ、身動きが取れない僕をこれから恋華さんがねちねちと痛ぶると言った構図の方が正しいと思われる。再会してわかったのですが、恋華さんってSの気があるんですよね。


 何がくるのかと戦々恐々していると、恋華さんは僕だけに聞こえる小さな声でこう言ってきました。


「では、これからいくつかの質問しますので、ちゃんと答えてくださいね?」

「は、はい」

「ではまず始めに、リリスさんとどこまでされてますの?」

「ど、どこまでというのは」

「ですから、リリスさんが度々口にするあなたとの関係についての色々な疑惑のことですわ」


 あー、もしかして、僕と一緒に風呂に入っただの、僕と一緒の布団で寝たとかのあれですか。

 ……100%全てが嘘というわけではないので正直否定しにくいですね。でも風呂の件はあくまで『未遂』ですし、一緒に寝たと言ってもリリスさんが僕を抱き枕変わりにしただけですけど。

 でもそんなことを言ってしまえば経験上、恋華さんが激怒するのは目に見えています。


 ――どうすればいいのでしょうか?

 僕は選択肢のない問を自分自身に投げかけます。

 ここは恋華さんの様子を伺いながら、怒の感情が出ないような言葉選びをしなくては。


「確かに一緒に風呂場に入りましたが、お互いに水着を着ていましたし湯船には入っていません。それに背中を軽く流して頂いただけですし、僕はその時リリスさんには指一本触れていません。

 これと同様に、リリスさんと二人で一緒の布団を使ったことはありますが、それはリリスさんが望んだことで仕方がなかったのです。弱味を握られた僕は、おとなしくリリスさんの要求を受け入れるしかなかったのです。そしてここが一番重要なのですが、同じ布団で夜をすごしたと言ってもリリスさんが僕を抱き枕変わりにしただけでやましいことなんて一つもありませんでした。本当です」


 ふぅ。これで信じてくれましたかね?


「悠夜さん」

「は、はい、なんでしょうか……」

「嘘っぽい」

「なっ!?」


 え、どうして!


「二、三喋ればいいものを、矢継ぎ早にそれこそいっさいの追求を許さないように口を動かすところを見ると、私は悠夜さんが何かしらの嘘をついていると考えますわ。もしかして、さっき悠夜さんが口にしてる以上のことを、リリスさんとしているのではないでしょうね?」


 かえって裏目に出てしまいました。

 あー、上から声が聞こえくる分、威圧感がすさまじいです!


「いや、別に何もありませんって! 僕がそういうことに昔から疎かったり、積極的でなかったのは恋華さんが一番存じてますよね?」

「まあ、確かに。悠夜さんは小学生の頃に『君は枯れているのかい?』と言われていましたものね」


 そう言えばそんなことありましたね。あの時はその意味がよくわかりませんでしたが、今思うとなんだか癪ですね。


「ふむ。まあ、ここは信じましょう。私は子供の頃から一緒に寝たり、風呂に入ったりしましたものね」

「……そうですね」


 さすがに子供の頃はノーカンですよね? 幼い時期は主体性というものが希薄だったので、当時はほとんどの時間を一緒に過ごしていた恋華さんと同じ行動を取ることが多かったんですよね。……あの頃は『腹黒』などという属性は恋華さんにありませんでしたのに。


「それでは、次の質問に参りますわ」

「薄々わかっていましたけど、質問は一つだけではないのですね」

「――リリスさんとは何回、強いて言うならどれくらいの頻度でキスをしていますの?」


 二個目でそれが来ますかっ。というかリリスさんと頻繁にキスしてると思わてる!?

 確かにこれもリリスさんに隙を見せてしまった時はよくやられていましたが、最近はほぼガードできています。断る度にリリスさんが悲しそうな顔をするので割りと苦しいですけど。


「どうしてすぐ答えられないのです? あー、そういうことですの。あまりにもキスをし過ぎて回数を覚えていないと」

「ち、違いますよ。ええっとですね、確か僕の記憶によれば先日の屋上のあれをカウントするなら、8回くらいかと……」

「まあ。そんなに悠夜さんは『義妹(いもうと)』とキスをしてらっしゃるの。筋金入りのシスコンですわね」


 心臓を抉るような一言。

 恋華さんはあくまでも淡々とした調子で、僕の脆い部分を削っていく。義妹と言えどもキスをしてしまう僕は、やっぱりシスコンなのでしょうか?


「要約すると、悠夜さんは思春期男子が夢見るような、義妹との甘酸っぱい生活を送っていると。そうですわね?」

「人の感じ方や考え方には差があるとはいえ、それは否定させていただきます」

「けれど世の人々はどう思うでしょうね」


 うっ。

 確かに僕も客観的にそういうことを聞けば、そう思うに違いないですね。


「なるほど、悠夜さんは銀髪妹萌えでしたのね」

「お願いですから、違うと言わせてください」

「ならどうしてキスしたのです?」

「ぐぁっ」


 恋華さんはいったいどんな理由で僕を精神的に追い込んでいるのでしょうか?

 というよりこの催し、僕を癒すために開催されたはずなのに、恋華さんは見えそうで見えない悪意を感じなりません。


「では、最後の質問です」


 ああ、やっと終わる……。


「私があなたの家に住みたいと言ったら、快くオーケーと言ってくれます?」

「それは……」

「すぐに答えをくれないのですね」

「あっ、えと、ごめんなさい」

「別に迷って当然ですわ。例え私が自分の生活費を払うなりしても、家に住人が一人増えるというのはそれだけで負担ですもの。家事の量が一人分増えますし、プライバシーの問題も出てくるかもしれません。今以上の不便を抱えるかもしれません。

 でもこれだけは覚えていてください。私はいつでもあなたの味方です。私はいつだってあなたの傍にいます。あなたのためなら、私は道化になることも躊躇いませんわ」

「…………どうしてですか?」

「あら。女性がこれだけ尽くすと言っているのですから、理由を尋ねるなんて野暮ってものですわ」

「そうですか」

「ま、強いて申すのであれば、私はまた昔の時のようにすごしたいと思っているだけですわ。もちろんこの『今』も気にいってわいますけどね」

「………………」

「わからないって顔、してますわね」

「はい」

「いくら悠夜さんが利口でも、わかるはずありませんわ。これは私だけの感情。私だけがその全貌を捉えることができる想い。

 ――もしも、悠夜さんが私が持つこの想いを知り受け止めてくれたのなら、その時は私の長年の夢が叶う瞬間ですわ」

「恋華さん……」

「あえてわかりやすく言うのであれば――負ける気がないってことですわ!」

「ヒィッ」


 恋華さんは僕の耳から耳掻きを取り出すと、暖かい舌を耳にねじ込んで掻き回した。


「あ、あの、ちょっと。恋華さんっ。そこは立ち入り禁止。一般人はお断りなわけでして!」

「ちゅぱっ、ちゅる、ちゃく、ねちゃ、ちゅむ。ぷはぁ。さあ、これで悠夜さんの耳は綺麗になりましたわ」


 え、恋華さんはこれが耳掃除とでも言いたいのでしょうか? 中耳炎にでもなったらどうする気です!


「なんなら反対側もやりましょうか?」

「いえ、結構です」


 もし反対側もすれば、いろんな物が壊れてしまう気がしてなりません。


『これは霧坏選手、怒涛の猛攻だったッスね』

『最初は優しく耳掃除しつつ、小声で楽しそうに内緒話しして、最後は舌を豪快に使う。霧坏の本気が見えたな』

『それでは悠夜、誰が暫定一位か決めてもらうニャ』


 あー、そういえばそんなのありましたね。


「じゃあ……恋華さんで」

「やりましたわ!」

「どういうことなん、納得いかへん!」

「悠夜くん、私以外の女を選ぶなんて…………」

『はいはい。そう思うのはわかるけど、決まったことなんだから文句言わないニャ』

「そうですわよ。ささっとどきなさい、この負け犬」

「「ぐぐぐっ」」


 暫定一位席を離れた玲さんと京さんは、部屋の角にいつの間にか敷かれていたござの上に正座です。ござの面積が小さいので肩を寄せあうように。正直言って惨めに見えます。……あれが敗者の末路ですか。


「悠夜、後で覚えときぃ」

「覚悟しててね…………?」


 まさか退院して、すぐさま骨折なり重症を負って入院とか、無いですよね。そう信じたいです。

 二人に対し恋華さんは椅子に優雅に腰かけ余裕の表情。扇子を出して自分を(あお)いでもいます。


『さて、これで前半戦は終了だニャ。30分間の休憩を挟んで、後半戦をスタートするニャ』

「まだやるんですか……」


 僕にできることはただ一つ。

 後半戦とやらが、今まで以上に変な方向へいかないよう祈るだけでした。





 サブタイトルと今話のラストを読んで頂ければわかると思いますが、お見舞い編はまだ続きます。


 次回の更新も遅くなると思いますが、頑張りますのでどうか応援よろしくお願いいたします。


 感想、レビュー、評価等できればよろしくお願いします。



 以上、伝助からでした。さようなら~



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