衣装係と悲劇の幕開けー[3]
仮面舞踏会の準備が整った。
俺の計画はこうだ。
一、リゼットがグランシェール伯爵の招待客に変装し、舞踏会に潜入。
二、舞踏会の開始後、リゼットは隙を見て伯爵の書斎に侵入し、帳簿を回収。
三、帳簿の内容を元に、セレスティーヌが「即興の歌」として伯爵の罪を舞踏会で披露。
四、歌に込められた感情操作で、招待客の心理が変化し、伯爵への疑惑と義憤が会場に満ちる。
五、最終幕——伯爵の仮面が剥がれ、衆人環視の中で破滅する。
フィーネには「会場の照明チェック」を、ニーカには「舞台裏の安全管理」を任せてある。
「レヴィアン様、一つ確認ですが」
「何だ、ニーカ」
「もし伯爵が歌の途中で、異変に気づいた場合は」
「そうならないように演出を組んでいる。だが、万が一の場合——」
「私が処理します」
「……お前には、安全管理を頼んだはずだが」
「はい。これも、安全管理の一環です」
ニーカの「安全管理」の範囲が最近どんどん広がっている気がするが、有能な助手なので気にしないことにする。
「お師匠様! 会場の照明チェック、終わりました! 東側の窓から月光が差し込むので、午後十時以降は照明を落とした方が、よりドラマチックになります!」
「よし、その演出を採用しよう!!」
フィーネの照明チェック——つまり会場の構造調査の結果、警備の配置、死角の位置、逃走経路まで全て把握できている。この子は本当に優秀な照明係だ。
◇◇◇
仮面舞踏会の夜。
グランシェール伯爵邸。煌びやかなシャンデリアの下、仮面をつけた紳士淑女が踊っている。弦楽四重奏が流れ、給仕が銀の盆にワインを載せて行き交う。
俺は会場の二階テラスから全体を見下ろしていた。仮面はつけている。白い狐の面だ。ちなみにニーカの分は黒猫の面を用意したのだが、五分前から姿が見えない。《無音行進》を発動しているのだろう。安全管理業務中だ。
フィーネは「照明係の実地研修」として会場内に配置してある。赤い髪を隠すために帽子を被らせたが、興奮して目をきらきらさせているので目立つ。まあいい。子供の給仕係として紛れ込ませたので、不自然ではないだろう。
そして——
リゼットは、既に会場に潜入していた。
《千の衣装部屋》で完全に別人に変装した彼女は、ある隣国の伯爵夫人になりすましている。招待状はニーカが「安全管理の事前調査」と称して入手した本物だ。経緯は聞いていない。聞かない方がいい気がした、怖いし。
舞踏会が進行する中、リゼットが伯爵に挨拶している。完璧な貴族の所作。微笑み方、言葉の使い方、会話の間合い——元貴族令嬢の教養が、ここで活きている。いいぞ、うんうん。
俺は手帳にメモした。『リゼットの演技力——天性の女優。伯爵との社交シーンの完成度は満点。特に、敵を前にして笑みを崩さない胆力が素晴らしい』。
三十分後、リゼットが社交の合間を縫って姿を消した。書斎に向かったのだ。
そこからの十五分間は、俺の脚本で最も緊張感のある場面だった——が、リゼットはあっさり帰ってきた。帳簿を回収し、何食わぬ顔で再び舞踏会に溶け込んでいる。
手際が良すぎる。有能な衣装係を得た幸運に感謝するばかりだ。
さて。第二幕の開始だ。
俺はテラスからセレスティーヌに合図を送った。彼女は会場の一角——弦楽四重奏の隣に「舞踏会の歌い手」として配置してある。これもニーカが手配した。いつの間に手配したのかは知らない。
そして、セレスティーヌが歌い始めた。
最初は軽やかな旋律。舞踏会に相応しい、華やかな曲だ。招待客たちは踊りながら聴いている。
だが——歌の中に、物語が紛れ込んでいく。
ある貴族の家が、謀略で没落した話。ある商人が、脅迫されて全てを失った話。ある領民が、不当な税で困窮した話。
セレスティーヌは帳簿の内容を直接歌っているわけではない。俺が「この街の人々の物語を歌にしてくれ」と頼んだ内容を、彼女なりに脚色したものだ。
だが彼女の固有スキル《心奏曲》が、歌に〝感情の色〟を添えている。
招待客たちの表情が、少しずつ変わっていく。
最初は「美しい歌だ」という感嘆。次に「この物語は……聞き覚えがある」という既視感。そして「これは……まさか」という疑念。
俺は《万象観劇》で会場全体を観察していた。因果の糸が伸びている。招待客たちの「疑惑の糸」が、一本、また一本と、グランシェール伯爵に向かって伸びていく。
素晴らしい……。
これが音響効果の力だ。
伯爵はまだ気づいていない。歌を余興として聞き流している。招待客の表情の変化にも、気づいていない。
だが、一人だけ——伯爵の側近の一人が、顔色を変えていた。帳簿の管理を任されていた男だ。歌の内容と帳簿の内容が一致していることに気づいたのだろう。男は青い顔で席を立ち、書斎の方へ走った。帳簿がなくなっていることを確認しに行ったのだ。
——おや?
これは、俺の脚本にない展開だ。側近が動くのは、もう少し後のはずだった。
だが、問題ない。俺は学んだのだ。前回の作品で。
芸術には、即興を許容する懐の深さが必要だ。
側近が書斎で帳簿の消失を発見し、血相を変えて伯爵の元へ走る。伯爵に耳打ちする。伯爵の顔が、仮面の下で歪む——
この瞬間、セレスティーヌの歌が転調した。
軽やかな旋律が、荘厳な——いや、告発の響きを帯びた曲調に変わる。
歌はもはや、作られた話の出来事ではない。具体的な名前は出さないが、この街の全員が「誰のことか」を理解できる内容だ。
……会場が、静まり返った。
招待客たちの視線が、一斉にグランシェール伯爵に向けられる。
伯爵は仮面の下で目を泳がせていた。言い訳をしようとして口を開き——しかし言葉が出ない。会場に満ちた「義憤」の空気が、彼の喉を塞いでいるかのように。
セレスティーヌの《心奏曲》。
歌に乗せた「義憤」の感情が、会場全体を支配していた。
——完璧なBGMだ。
「あなたは――自らの手で没落させた貴族の名前を、覚えていらっしゃいますか」
会場に、とある少女の声が響いた。
リゼットだった。
——ん?
いやいや、ちょっと待て。
リゼットは仮面を外していた。変装も解いている。金髪碧眼の素顔を、伯爵の前に晒している。
こんなこと……俺の脚本にないぞ!?
「貴様……まさか、あのメルヴェイユ子爵家の——」
伯爵が目を見開いた。三年前に没落させた家の令嬢。死んだと思っていた相手が、目の前に立っている。
「なぜ……どうして、生きて……」
「ええ。生きています。あなたが奪ったもの、全てを覚えて生きています」
リゼットの声は穏やかだった。怒りに震えているのに、声音は淡泊だった。
これは——
予定外だ。完全に予定外だ。
だが。
俺は手帳にペンを走らせた。
『最終幕——脚本変更。リゼット・メルヴェイユ、予定外の〝独白シーン〟を挿入。感情の抑制が効いた名演技。採用。これにより、最終幕のテーマが〝虚飾の崩壊〟から〝喪失と対峙〟に昇華。結果的に、より深い物語性を獲得』
セレスティーヌの歌が、リゼットの言葉を包み込むように鳴っている。会場の空気は完全に変わっていた。
「グランシェール伯爵……少し、よろしいでしょうか」
ある男が、懐から王国の紋章のバッジを取り出したが――まさか、あれは。
招待客の中に……王都からの【監察官】がいた。
どうにも周辺の動きが怪しいと、伯爵は前々から目を付けられていたのだろう。
監察官は立ち上がった。扉を押し開けて入ってきた護衛を伴い、伯爵の元へ歩み寄る。
伯爵は崩れ落ちた。仮面が床に落ちて、陶器のような音を立てた。
——仮面の崩落。
俺の脚本通り……いや、見栄を張るのはよそう。この展開は、俺の脚本の何倍も良い。さらに……
フィーネが言っていた通り、午後十時を過ぎて東側の窓から月光が差し込んでいた。シャンデリアの灯りが落とされたわけではないが、窓から差す月の光が、崩れ落ちた伯爵の姿を鮮明にさせている。
照明効果としても、満点だった。




