沈黙の山に、照明を灯すー[1]
世の中には、静かすぎる敵がいる。
いやまあ、当たり前のことを言っている自覚はある。だが今回ばかりは、この一文に万感の思いを込めさせてほしい。
なぜならば。
「《黙劇》。一切の言葉を発さず、音もなく標的を殺す。目撃者すら〝何が起きたか分からない〟まま、標的だけが死んでいる。東部山岳地帯に潜伏。推定危険度——S」
ニーカが淡々と読み上げた資料を聞きながら、俺は頭を抱えていた。
音がない。
声がない。
痕跡がない。
「……セレスティーヌ」
「は、はい!」
「率直に聞くが、音を出さない相手に、お前の《心奏曲》は効くのか」
「…………えっと」
セレスティーヌが竪琴を抱きしめながら、申し訳なさそうに言った。
「《心奏曲》は、歌を〝聴いた〟相手の感情に作用します。ですから、相手が聴いてくれれば、効くんですけど……」
「聴いてくれれば、な」
「はい。でも……音を消す能力を持つ相手だと、わたしの歌がそもそも届かない可能性が……」
「だろうな……」
つまり、音響係が使えない。
俺の劇団の四本柱——照明、衣装、大道具、音響のうち、一本が封じられた。三本柱で戦わなければならない。
だから今回は——音響なしの舞台を設計する。いや、音響なしでも勝てるようにする。
……と、前向きに考えることにした。後ろ向きに考えると「勝てる気がしない」になるので。
「お師匠様! 遂に、わたしの出番ですね!」
フィーネが目を輝かせている。
「……何を根拠にそう思ったんだ」
「だって! 音がない敵ですよね? 音がないなら、目で見つけるしかないじゃないですか! それって照明の仕事です!」
「…………」
この子、たまにとんでもなく鋭いことを言う。
そう。音を出さない相手を追うなら、〝見る〟しかない。視覚で捉える。照明の領域だ。
「フィーネ。お前の言う通りだ。今回の主役は——照明係だ」
「やったー!!」
フィーネが拳を突き上げた。リゼットが「こんなに嬉しそうに暗殺の主役をやりたがる子供、初めて見ました」と呆れている。
俺もそう思う。だが、師匠としては頼もしい限りだ。
◇◇◇
東部山岳地帯。ホルスト連峰。
メルカトーレから馬車で四日。切り立った岩山が連なる険しい地形で、人里は点在する山村のみ。冬になれば雪に閉ざされる過酷な環境だ。
「さ、寒いです……」
セレスティーヌが竪琴を抱えて震えている。南部の港町育ちには、厳しい気候だろう。
「フィーネ、大丈夫か」
「平気です! 寒いのは慣れてます! 孤児院、冬は暖房なかったので!」
元気な返事だが、内容が悲しい。……今度、暖かいコートを買ってやろう。師匠の義務として。
「リゼット。この地域の情報は」
「ホルスト連峰の山村で、ここ数年〝山の幽霊〟の噂があるそうです。夜、山道を歩いていると——誰もいないはずの場所で、足跡だけが雪に残っている。追いかけると消える。見た者は、翌日には〝気のせいだった〟と言い始める」
「記憶の書き換え……いや、違うな。《即興劇》は認識操作スキルだったが、《黙劇》は——」
「存在の消去です」
ニーカが補足した。
「《黙劇》の固有スキルは、おそらく《無言の帳》。自分の存在——音、気配、痕跡の全てを消す能力です。ニーカの《無音行進》の……上位互換と言えます」
ニーカの声が、わずかに硬くなった。
「ニーカの上位互換……」
「はい。わたしの《無音行進》は〝音と気配〟を消しますが、視覚的な存在は消せません。見れば、わたしがそこにいることは分かります。ですが《無言の帳》は——視覚すら消す。目の前にいても、見えない」
「目の前にいても見えない……?」
「正確には、〝認識できない〟。網膜には映っているはずですが、脳が〝そこには何もない〟と判断してしまう」
「…………」
音響が効かない。
視覚でも捉えられない。
気配もない。
……どうやって見つけるんだ、これ。
「お師匠様? なんか、難しい顔してますけど……大丈夫ですか?」
「大丈夫……演出プランを練っているだけだ」
嘘だ。正直、手詰まり感がすごい。
だが——演出家が「無理です」と言ったら終わりだ。終わりだが、言いたい。言いたいが、言わない。言わないのが芸術家だ。
まったく、格好つけるのも楽じゃない。
「レヴィアン様。一つ、確認したいことがあります」
「何だ?」
「《黙劇》の標的は、この山岳地帯にいるのでしょうか」
「《終幕庁》の特別指令書には〝東部山岳地帯に潜伏中〟とだけある。この辺りの山村で暗殺活動を続けている可能性が高い」
「でしたら——まず、〝被害〟を探すべきでは。《黙劇》がこの地域で何をしているのか。誰を殺しているのか。それが分かれば、次の標的を予測し、待ち伏せができます」
「……なるほどな。敵を探すのではなく、敵の〝作品〟を探す、か」
「はい。……作品という言い方は、あの相手に使いたくはないですが」
ニーカの提案は合理的だ。見えない相手を直接探すのは不可能に近い。だが、暗殺者は暗殺をする。その痕跡——つまり「被害者」は必ず存在する。
「よし。全員、山村を回って情報を集めろ」
いつもの指示だが、今回はいつもと一つ違う点がある。
「セレスティーヌ」
「はい!」
「今回、お前の歌は——封印だ」
「えっ……!?」
「音を消す相手がいる場所で、目立つ音響を使うのは危険だ。こちらの存在を知らせることになる。……すまないが、今回は歌わずに情報を集めてくれ」
セレスティーヌの顔が曇った。歌えないということは、彼女にとって最大の武器を封じられたに等しい。
「……分かりました。歌わなくても、できることはあるはずです。わたし、耳はいいので」
「耳?」
「吟遊詩人ですから。音を出す側は、音を聴く側でもあるんです。——わたしが歌えないなら、代わりに〝この山の音〟を聴きます。普通じゃない音、普通じゃない沈黙を見つけます」
「……普通じゃない、沈黙」
「はい。《黙劇》が音を消しているなら、その人がいる場所は〝不自然に静か〟なはずです。鳥の声がない、風の音が途切れる、虫が鳴かない——そういう〝穴〟を、わたしなら聴き取れると思います」
…………。
この子、成長したな。
自分の武器が使えない時に、その武器の〝裏面〟を使おうとしている。音を出す能力の裏は、音を聴く能力。攻撃ができないなら、索敵に回る。
「……採用だ。セレスティーヌ、お前は〝沈黙の探知機〟になれ」
「はいっ!」
「あ、セレスティーヌさん、なんか嬉しそう」
フィーネが指摘した。確かに、さっきまでの沈んだ表情が嘘のように、セレスティーヌの目が輝いていた。
……音響係は、歌えなくても音響係だ。道具が変わっても、本質は変わらない。
俺は手帳にメモした。
『セレスティーヌの成長——音を出す者は、音の不在にも敏感である。今後の演出に活かすべし。というか俺も見習いたい。脚本が書けない時に、脚本の〝裏面〟で戦う方法を考えるべきだ。……何だそれは。ぜんっぜん分からん』
分からないことを手帳に書くのは、芸術家の特権だ。




