笑えなかった劇場主-[5]
三日後。《笑う仮面亭》。
大劇場が超満員だった。メルカトーレ中の話題を集めたらしく、立ち見客まで出ている。市の名物劇場vs無名の旅の一座。市民にとっては、最高の見世物だ。
先攻は《風刺劇》の劇団。
彼らの演目は——『芸術家の妄想』。
暗殺を〝芸術〟と呼び、手帳に感想を書き、周囲の人間を〝劇団員〟として扱う頭のおかしい男の物語。
——俺だ。
俺を、風刺している。
客席が爆笑した。リゼットが「あ」と声を漏らし、フィーネが「お、お師匠様が笑われてる……」と泣きそうな顔をした。
演技は上手い。脚本も巧みだ。俺の特徴を誇張し、滑稽に仕立て上げている。「暗殺は芸術だ」と叫ぶ主人公が、実は何も計算できていない無能な男——という描写。
「……くっ」
「レヴィアン様……?」
「…………く、くく」
「え……?」
「いや……面白い。客観的に見ると、俺は……こう見えるのか」
「ちょっ、えっ、あの――笑っている場合ですか!?」
リゼットが突っ込んできたが、俺は本当に笑いが止まらなかった。
こいつの風刺は上手い。認める。だが——〝怒り〟が混じっている。純粋な風刺ではなく、俺を貶めたいという感情が滲んでいる。
観客はそこまで読み取れないだろうが……俺には分かる。
さて――後攻は俺たちだ。
舞台転換の間に、俺は団員たちを集めた。
「脚本を、変える」
「え!?」
「予定していた演目は使わない。——即興でいく」
全員の顔が石像みたいに固まった。
相変わらず、演技派な団員たちだな。
「お、お師匠様!? 三日間かけて練習した脚本を、捨てるんですか!?」
「あっちが俺を風刺してきた。なら、こっちも——あの演目への〝返し〟を即興でやる。その方が、面白い」
「むっ……むちゃくちゃですよ!」
リゼットの悲鳴も至極当然だった。
「リゼット。お前はさっきの舞台で、俺を演じた役者を見ただろう。あいつの演技の〝癖〟を掴んだか」
「え? いや、それは……掴みました、けど。右肩が上がる癖があります、感情が昂ぶると特に」
「それを使え。あいつの〝俺の物真似〟を、さらに物真似しろ。物真似の物真似だ。向こうが俺を笑いものにしたなら、こっちは向こうの〝笑い方〟を笑い返す」
「…………つまり、メタ風刺ですか」
「そうだ」
「……やります。やるしかないですね」
「フィーネ。お前は〝旅の芸人〟をもう一度演じろ。ただし今回は——客席に降りろ」
「客席に!?」
「客席の中で、芝居をするんだ。観客を巻き込め。観客が〝見る側〟ではなく〝参加する側〟になった時、【舞台の力学】が変わる」
「で、できるかな……でも、やります!」
「セレスティーヌ」
「はっ、はい!」
「今回のBGMは——〝真実〟だ」
「真実……?」
「あの劇場主が何をしてきたか。風刺のふりをして人を恐喝し、暗殺してきたこと。その事実を——歌にしろ。ただし、直接的には言うな。寓話にしろ。聞いた者が〝自分で気づく〟ように」
「……聖堂の時と、同じですね」
「同じだ。お前なら、できる」
セレスティーヌが竪琴を握り直した。もう手は震えていなかった。
「ニーカ」
「はい」
「安全管理を頼む。今回は特に——《風刺劇》が〝演劇〟で決着をつけるのを放棄して、直接的な手段に出た場合の備えを」
「……つまり、あの男が暗殺者の顔を見せた場合、ですね」
「ああ。それが【最終幕】だ」
◇◇◇
後攻。俺たちの番。
幕が上がった。
——いや、幕は上がらなかった。
代わりに、客席の中からフィーネが立ち上がった。
「ねえ。さっきのお芝居、面白かったね!」
フィーネが、隣の観客に話しかけた。普通の少女が普通に感想を言っているように見える。
「あの芸術家の人、おかしかったよね。暗殺を芸術って言うの。……でもさ」
フィーネが客席を歩き始める。
「この劇場の人も、ちょっと似てない? 芝居で人を笑わせるのが得意で、すっごく人気で。……でも、笑えなかった人は、どうなるんだろう」
フィーネの言葉に、《心奏曲》が乗っている——いや、違う。セレスティーヌの歌がフィーネの言葉に寄り添うように、そっと、優しく響いている。竪琴の音色が、客席に〝疑問〟の念を広げていく。
舞台上では、リゼットが演じ始めていた。
「劇場主の物真似をする旅芸人」の物真似。つまり——さっきの演目で「レヴィアンの物真似」をした役者の、物真似。
客席から笑いが起きた。だが今度は——さっきとは違う笑いだ。「あ、あの役者の癖が完璧に再現されてる!」という技術への笑い。
リゼットはそこから、するりと役を変えた。
劇場主の物真似になった。
《風刺劇》そっくりの姿で、こう言った。
「さあ笑いましょう。——他人の不幸で」
さっき《風刺劇》の演目の中で使われた台詞だ。だがリゼットの口から出ると——皮肉の意味が反転する。
客席が、ざわめいた。
セレスティーヌの歌が、徐々に劇場に広がっていく。
ある商人が笑えなかった夜の話。ある職人が劇場に行った後、仕事を失った話。ある男が、劇場主に呼び出された後、姿を消した話。
直接的には何も言っていない。全て「歌の中の物語」だ。だが——メルカトーレの市民なら、心当たりがある。
客席の空気が、変わった。
笑いが消え、静寂が広がり、そして——〝疑念〟が生まれた。
二階の貴賓席から、《風刺劇》が俺たちの舞台を見下ろしていた。
俺は《万象観劇》で彼を視た。
因果の糸が——震えている。
表層の金色が、剥がれ始めている。その下の赤——怒りが、表面に滲み出している。
まだだ……もう少し。
フィーネが客席で語り続ける。セレスティーヌが歌い続ける。リゼットが舞台で演じ続ける。
三つの芸術が、同時に一つの真実を指し示す。
そして——
「——やめろ!!」
二階から、声が降ってきた。
《風刺劇》が立ち上がっていた。笑顔は消え、銀縁の眼鏡の奥の目が——剥き出しの怒りを宿していた。
「やめろ。この茶番を。——お前たちの芸術は、三流だ」
客席が、シンと静まりかえった。
劇場主が——〝笑えなかった〟。
自分を風刺されて、笑い飛ばすことができず、怒った。
つまり——昨夜の芝居の通りになった。風刺された者が怒りを露わにし、自ら仮面を脱いだ。
「お師匠様……」
フィーネが、客席から俺を見た。
俺は、不敵に微笑んだ。今度は——本当に計算通りだ。
「セレスティーヌ。最後の一曲を」
「——はい」
セレスティーヌが弾き始めた。
最後の歌。
それは風刺ではなかった。皮肉でもなかった。
ただ——この劇場で笑えなかった人たちのための、優しい歌だ。
「笑わなくてもいい」という歌だった。
客席で、泣いている人がいた。
二階の《風刺劇》は——何も言えなくなっていた。
怒りのまま叫んだ自分の醜態が、満員の観客の前に曝されている。〝笑わせる側〟しかいられなかった男が、〝笑われる側〟に——いや、それ以上に残酷なことに、〝哀れまれる側〟に回った。
風刺劇の使い手にとって、哀れみは——笑いよりも、怒りよりも、致命的な毒だ。
◇◇◇
公演後。
投票は——俺たちの負けだった。予想通り、観客の大半が《笑う仮面亭》に投票した。常連客が多い以上、当然の結果だ。
「お師匠様……負けちゃいました……」
フィーネが泣きそうな顔をしている。
「いや……フィーネ。投票というのは、芸術の価値を測る指標としては最も低俗なものだ」
「え?」
「あの舞台で、泣いている客がいただろう。怒っている客がいただろう。客席の空気が変わっただろう。——それが全てだ。投票用紙の数なんぞに、芸術の勝敗は決められない」
「お師匠様……! かっこいいです!」
「だろう?」
負け惜しみではない、断じて。芸術家としての正当な美学的評価だ。
……負け惜しみではないぞ、本当に。くそぅ……。
「レヴィアン様。ですが、このままでは——」
「ニーカ、安心しろ。俺の舞台は、あの劇場の中だけで終わっていない」
「はい……?」
「あの公演は〝表の舞台〟だ。実は今、裏では——」
と、格好つけて言おうとした瞬間。
ドンドンドン、宿の扉が叩かれた。
開けると、見覚えのない男が立っていた。メルカトーレ市の一般市民らしい身なりだが、目が赤い。ずっと泣いていたのだろう。
「あの……昨夜の公演を観た者です。あなたが、あの芝居を作った方ですか」
「ああ……俺が、その演出家だが」
「あの芝居の内容は——本当のことですよね。あの劇場で、笑えなかった人間がどうなるか。私は……私は、三年前に」
男が声を詰まらせた。
「三年前に、《笑う仮面亭》の公演で笑えなかった。翌週、私の商店のスキャンダルが街中にばら撒かれた。事実無根の噂です。でも、誰も信じてくれなくて……店を畳むしかなかったんです」
「…………」
「昨夜の芝居を観て……ようやく分かりました。あれは、あの劇場主が仕組んだことだったんですね。私だけじゃなかった……他にも、被害者がいる」
男はぎゅっと拳を握り締めていた。
「王都から来ている司法官に、証言します。私の他にも、名乗り出たいという人が何人もいます。……あの芝居が、背中を押してくれました」
男が深々と頭を下げ、去っていった。
……なんだ、これ。
「お師匠様……! あの人、お師匠様のお芝居で——!」
いや待て、これは……そうか!
俺の作品が結果的に、観客の心を動かした……ってコト!?
「ふっ——そうだ、フィーネ。これが芸術だ。投票なんかより、よっぽど正当な評価だろう?」
「はい! さすが――さすが、お師匠様です!」
うむ、実にいい話だ。俺の芸術が、被害者の心に届いた。芸術家として、これ以上の勲章はない。
——と思っていたのだが。
その後、ニーカがそっと耳打ちしてきた。
「レヴィアン様。実は、先ほどの男性より前に——司法官への通報が入っています」
「ん? ああ、俺が送った【裏帳簿】の件だろう?」
「いえ、それとは別口です。——《笑う仮面亭》の一般役者たちからの、内部通報です」
「……なに?」
「リゼットが潜入中に親しくなった役者たちです。彼らは裏の活動を知りませんでしたが、昨夜の対抗公演を観て——リゼットの演技があまりにリアルだったことで、〝あの芝居は創作ではなく告発だ〟と確信したようです」
「リゼットの演技が、リアルすぎた……?」
「はい。リゼットは潜入中に劇場の裏側を見ています。その経験が演技に反映されていたのでしょう。一般役者たちは〝内部の人間でなければ知り得ない描写がある〟と気づき、自分たちも不審に思っていたことを合わせて、司法官に通報しました。——レヴィアン様が裏帳簿を送るより、二日早く」
「…………」
えっと。
待て待て……待てよ、おい。つまり――だな。
俺が「保険」として送った裏帳簿は、実は保険にすらなっていなくて、リゼットの演技力が勝手に内部告発を誘発していて、それが司法官を動かした主因だった——と?
「レヴィアン様」
ニーカの目が、キラキラしていた。
あー……あの目だ。「全てはレヴィアン様の計算通り」だと思い込んでいる目。
「リゼットを劇場に潜入させたのは……最初から、こうなることを見越してのことだったのですね。一般役者たちとの信頼関係を築かせ、対抗公演でその信頼を起爆剤にする。裏帳簿は〝保険〟ではなく〝陽動〟。本当の包囲網は——リゼットの演技そのものだった」
……いやいやいや。
全然違うぞニーカ。俺はリゼットを潜入させた時、「劇場の内部構造を調べてこい」としか言っていない。一般役者と仲良くなったのはリゼットの判断だし、演技がリアルすぎたのはリゼットの実力だし、内部告発を誘発したのは完全に想定外だ。
だが。
結果だけ見ると、確かにニーカの言う通りに見える。潜入→信頼構築→対抗公演→内部告発→司法介入。見事に、一本の線で繋がっている。
「レヴィアン、様?」
……もしかして俺、天才なのでは?
いやいや、毎回同じこと思ってるぞ、俺。
だが——ここで動揺するのは、芸術家として正しくない。
「いいか、ニーカ……優れた衣装は、観る者の認識を変える。それが、衣装の真髄だ」
「…………! やはり——!」
ニーカの目がさらに輝いた。
後ろでリゼットが「え、わたし何かしました?」と困惑し、フィーネが「リゼットさんすごい! お師匠様の計算通り!」と拍手し、セレスティーヌが「レヴィアン様って、本当にそこまで考えてるんですか……?」と半信半疑の目をしていた。
セレスティーヌだけ妙に冷静だな。……まあいい。
よく分からないが、またなんだか上手くいったらしい。




