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笑えなかった劇場主ー[3]


 メルカトーレ市、下町の小劇場《錆びた幕シパーリオ・ルッジーネ》。

 客席百名程度の、古びた小劇場。《笑う仮面亭(マスケラ・リデンテ)》とは、比べものにならない規模だが——今はこれで十分だ。


 上演までの三日間で、俺たちは準備を整えた。

 配役は以下の通り。



 劇場主(悪役):リゼット。《千の衣装部屋ワードローブ・サウザンド》で、長身細身の男に変装。銀縁の眼鏡をかけた——そう、《風刺劇(サティーラ)》にそっくりの姿だ。

 旅の芸人(主人公):フィーネ。素の明るさを活かしたキャスティング。台詞は少ないが、表情と動きで語る役。

 語り部(ナレーション兼BGM):セレスティーヌ。舞台の横で竪琴を弾きながら、物語を歌で紡ぐ。《心奏曲(ハートストリングス)》で観客の感情を誘導する——ただし、今回は「笑い」の方向に。

 舞台監督兼安全管理:ニーカ。舞台裏の全てを管理する。加えて、公演中に《風刺劇(サティーラ)》側が妨害に来た場合の迎撃。

 演出:俺。客席最後列から、全体を俯瞰する。



「お師匠様! わたし、本当にお芝居するんですか!?」

「照明係だが、今回は舞台にも上がってもらう。二足の草鞋だ」

「わ、わたし、演技なんてしたことないですよ!?」

「フィーネ。お前は毎日、街で人の感情を読んでいるだろう。人の感情を読める人間は、人の感情を〝演じる〟こともできる。——これは、【照明】の応用だ」

「照明の応用! ……なるほど! やってみます!」


 なるほど、ではない。だが、フィーネが納得したのならそれでいい。



「リゼット。今回の衣装は〝悪役〟だ。《風刺劇(サティーラ)》を模した人物を演じてもらう。——いけるか」

「潜入中にあの男の動きは観察し尽くしました。話し方、歩き方、笑い方。……正直、いけるかじゃなくて、これを使える機会が来たことが嬉しいです」


 リゼットの目に、燃えるような闘志が宿っていた。衣装係の本気だ、期待大。


「セレスティーヌ。今回のBGMは〝笑い〟だ。観客を笑わせることに、全力を注いでくれ」

「笑い……ですか。わたし、人を泣かせる歌は得意なんですけど、笑わせるのは……」

「泣かせると笑わせるは、実は同じ技術だ。感情を動かす方向が違うだけだ。——お前にはできる」

「……やってみます」


「ニーカ」

「はい」

()()()()を頼む」

「……はい。いつも通り」


 頼もしい返事だった。




 ◇◇◇




 公演初日。

 小劇場《錆びた幕シパーリオ・ルッジーネ》の前に、思いのほか人が集まっていた。

 理由は、セレスティーヌだ。公演の宣伝として、セレスティーヌに街中で「新しい風刺劇をやります」と歌わせた。《心奏曲(ハートストリングス)》に〝好奇心〟を乗せた歌が、市民を自然と劇場に誘導した。


 百席の劇場が、ほぼ満員。



「……上出来だ」


 俺は客席最後列に座り、《万象観劇(パノラマ・シアター)》を起動した。

 観客の因果の糸を俯瞰する。大半は純粋に芝居を楽しみに来た市民。だが——数本の糸が、異質な色をしている。


 客席の中に、《笑う仮面亭(マスケラ・リデンテ)》の関係者が紛れ込んでいる。《風刺劇(サティーラ)》が偵察を送り込んできたか。


 ——予想通りだ。

 幕が上がった。


 セレスティーヌの竪琴が、劇団的な前奏を奏でている。

 舞台上には、リゼットが立っている。長身痩躯、銀縁の眼鏡、薄い笑み——《風刺劇(サティーラ)》の特徴を完璧に再現した姿。

 観客がざわめいた。メルカトーレの市民なら、あの姿が誰を模しているか一目で分かる。


 リゼットが口を開く。



「さあ、諸君。今宵も笑いましょう。——他人の不幸で」


 客席に、ざわつきと笑いが混在する。

 物語が始まった。


 架空の街の劇場主が、風刺劇で人々を笑わせながら、裏では観客の弱みを握って恐喝している。笑わなかった客は「後ろめたいことがある」とマークされ、やがて破滅する。

 劇場主は自分だけが「笑わせる側」であり続けることに執着し、自分が笑われることを極端に恐れている。


 そこに、旅の芸人——フィーネが登場する。

 フィーネの演技は……素晴らしかった。


 台詞は少ないが、表情と動きだけで観客の心を掴んでいる。天真爛漫な笑顔。劇場主の威圧にも怯まない真っ直ぐさ。「照明の修行」で培った〝人の感情を読む力〟が、そのまま〝人の感情を動かす演技力〟になっていた。


 ——教え子の成長を見るのは、師匠冥利に尽きるな、うん。



 芝居は佳境に入った。

 旅の芸人が、劇場主の秘密を暴く場面。リゼットの〝劇場主〟が動揺し、怒り、取り繕い——最終的に、自分が笑われることに耐えられず激昂する。


 その瞬間、セレスティーヌの歌が転調した。

 荘厳な曲調から——陽気な、踊り出したくなるような旋律に。

心奏曲(ハートストリングス)》が、客席に〝笑い〟を広げた。



 客席が、爆笑した。



 リゼットの演じる劇場主が、滑稽に見えた。権力を振りかざす男が、自分が笑われることに怯える姿が——こっけいで、哀れで、そして痛快だった。


 スタンディングオベーション——とまではいかないが、客席全体が笑いと拍手に包まれた。


 だが……俺は笑っていなかった。



万象観劇(パノラマ・シアター)》で、客席に紛れた《笑う仮面亭(マスケラ・リデンテ)》の偵察員を視ていた。


 彼らの因果の糸が、激しく揺れている。怒り。動揺。そして——恐怖。

 自分たちの〝主人〟が笑われている。それが彼らにとって、どれほど大きな衝撃か。

 偵察員の一人が、席を立って走り出した。報告に行くのだろう。



 さあ、《風刺劇(サティーラ)》。

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