笑えなかった劇場主-[1]
脚本通り率を上げたい。
切実な願いだ。
四作品を終えて、暗殺成功率は100%。だが、脚本通り率は推定15%。芸術家としてこれは恥ずかしい数字だ。即興が上手くいっているのは認めるが、それは結果論であって、演出家の技量を示す指標ではない。
次こそは、脚本通りに——せめて五割は——やりたい。
「レヴィアン様。《即興劇》から提供された情報の分析が終わりました」
ニーカが報告書を持ってきた。出頭した元幹部が《終幕庁》に提供した、《黒幕連》の内部情報。
「残る幹部六名のうち、現在居場所が判明しているのは二名です」
「二名?」
「一人は《風刺劇》。商業都市メルカトーレを拠点に活動中。表の顔は劇場経営者で、風刺劇を上演する劇場を運営しながら、裏で暗殺と情報売買を行っています」
「【劇場経営者】……」
「もう一人は《黙劇》。東部の山岳地帯に潜伏中とされていますが、詳細な位置は不明。この人物は一切の言葉を発さず、音もなく標的を殺すことで知られています」
「黙劇、か。……音響係の天敵だな」
「はい。セレスティーヌの《心奏曲》が効かない可能性があります」
「ふむ……」
二人のうち、先に手をつけるべきはどちらか。
《黙劇》は居場所が不明確。対して《風刺劇》は拠点が判明している上に、「劇場経営者」という表の顔がある。固定拠点を持つ相手は調査がしやすい。
だが、俺が《風刺劇》を選んだ理由は、そういう実務的な判断ではない。
「ニーカ。《風刺劇》の劇場では、どんな演目を上演しているんだ」
「……風刺劇です。政治や社会を皮肉る喜劇。かなり人気があるようで、メルカトーレ市の名物になっています」
「風刺劇……」
暗殺者が、風刺劇の劇場を経営している。
暗殺を〝演劇〟と捉える組織の幹部が、実際に演劇を上演している。
これは——劇場対劇場の対決だ。
「お師匠様、劇場ですか! まさか……本物の劇場!?」
フィーネが食いついてきた。この子は「照明」の修行を積んでいるだけあって、本物の舞台に興味津々だ。
「ああ。今回の舞台は——本物の劇場だ」
「わたしも行きたいです!」
「当然だ。照明係抜きで、舞台は成立しない」
「やった!」
「……あの、わたしも確認したいんですが」
リゼットが手を挙げた。
「今回の標的は、劇場を経営する暗殺者。……で、わたしたちはその劇場に乗り込むんですか?」
「そうだ」
「どうやって? 客として?」
「いいや」
俺は手帳を開き、新しいページの最初の一行を書いた。
「——対抗公演を打つ」
「…………は?」
全員が固まった。
◇◇◇
商業都市メルカトーレ。
大陸有数の交易都市で、市場、商会、そして娯楽施設が立ち並ぶ活気ある街だ。中でも演劇文化が盛んで、市内には大小合わせて二十以上の劇場がある。
その頂点に立つのが——《笑う仮面亭》。《風刺劇》が経営する、メルカトーレ最大の劇場。
俺たちは市の中心部に宿を取り、まず劇場を下見した。
「……でかいな」
石造りの立派な建物だ。正面には巨大な「笑う仮面」の彫刻が掲げられている。入口には本日の演目を告げる看板。
『本日の公演:「王様の新しい嘘」——あなたの隣人は、本当に隣人ですか?』
「風刺劇らしいタイトルだ。……悪くない」
「褒めてる場合ですか。敵の劇場ですよ」
リゼットに窘められた。くっ……芸術家として、不覚だ。
「敵の劇場だからこそ、まず作品を観なければ対抗策は立てられない。——全員、今夜の公演を観に行くぞ」
「はいっ! お師匠様と一緒に、お芝居を!」
フィーネが跳び跳ねている。修学旅行の子供か。
「……わたし、劇場に入るの初めてです」
セレスティーヌが緊張した顔をしている。吟遊詩人として路上では歌っていても、劇場は未経験か。
「安心しろ。今日は観劇だ、歌う必要はない」
「は、はい……」
ニーカだけが、無言で俺の二歩後ろに立っている。
うん、今日も怖い。
◇◇◇
夜。《笑う仮面亭》の客席。
満員だった。メルカトーレの市民たちが、笑い声を上げながら舞台を楽しんでいる。
演目「王様の新しい嘘」は——予想以上に面白かった。
権力者の欺瞞を笑い飛ばす風刺喜劇。役者たちの演技は達者で、脚本の皮肉は効いていて、それでいて観客を楽しませることを忘れていない。
だが、俺は笑えなかった。
《万象観劇》を起動していたからだ。
舞台上の役者たちの因果の糸を視る。通常の役者なら、「演技」と「本心」の二重構造が見える。だがこの劇場の役者たちは——三重構造だった。
表層:舞台上の役柄。
中間層:役者としての本心。
最深層:——暗殺者としての顔。
この劇場の役者たちは、全員が《黒幕連》の構成員だ。
「……なるほど」
俺は小声で手帳にメモした。
『《風刺劇》の手法——劇場そのものが、暗殺組織のフロント。役者=暗殺者。公演=情報収集と標的の選定。風刺劇の内容で権力者を刺激し、反応を見て標的を絞り込む。劇場に見に来た権力者の反応を観察し〝笑えなかった者〟を特定する。それを《黒幕連》に売る。——つまり、この劇場は巨大な〝罠〟だ』
観客の中に、明らかに風刺の内容に動揺している人間がいた。それが《風刺劇》の「獲物」だ。劇場で笑えない者は、笑えない理由がある。その理由こそが、弱みになる。
風刺で人を笑わせながら、笑えない者を狩る。
「……芸術としての完成度は、高い」
「レヴィアン様。褒めている場合では——」
「褒めてはいない。分析だ。敵の作品を正当に評価できなければ、対抗作品は作れない」
「……」
ちょっと……ニーカくん? 何か言ってくれないと、怖いんだけど。
それは尊敬している目なのか、それとも何か企んでいる目なのか。
……あっ、目が光った。よく分からないけど、視線を合わせないようにしよう。怖いし。
「さて……本日の劇場はここまでか。なかなか見物だった、と言いたいところだが……」
ほどなくして、公演が終わった。観客がスタンディングオベーションで拍手を送っている。
舞台上に、一人の人物が現れた。痩せた長身の男。銀縁の眼鏡。薄い笑みを浮かべ、優雅に一礼する。
劇場主——《風刺劇》本人だ。
「本日もご来場ありがとうございます。……皆様、笑えましたか? 笑えなかった方は——少し、ご自身の胸に手を当ててみてください」
客席に笑いが起きた。だが数名の客が、顔を引きつらせている。
「次回公演は、五日後。演目は——まだ秘密です。即興的に決めますので」
即興。
《即興劇》と同じ言葉を使うが、ニュアンスが違う。《即興劇》は、本当に何も決めていなかった。こいつは「即興に見せかけて計算している」タイプだ。
因果の糸が物語っている。この男の糸は不定形ではない。むしろ——異常なほど精密に制御されている。全ての行動が計算され、全ての言葉が計算され、全ての笑顔が計算されている。
即興のふりをした、完璧な脚本家。
「……《即興劇》の逆だな」
「え?」
「前回の敵は、本当に即興の男だった。しかし……今回は違う。こいつは〝即興に見せかけた計算〟の男だ。全てを計算した上で、〝自然に見せる〟技術を持っている」
「……それは、レヴィアン様と同じでは」
ニーカがぼそりと言った。
「……何か言ったか」
「いいえ。何も」
ニーカからすると、俺の言動は全て計算通りらしい。
願ったり叶ったりだったので、あえて何も言わなかった。
◇◇◇
翌日から、本格的な調査を開始した。
「フィーネ。劇場に通って、公演を〝照明の観点から〟分析しろ。特に舞台裏の構造、役者の動線、楽屋の配置を把握してくれ」
「はいっ! 毎日お芝居が観られるんですか! 最高の修行です!」
「リゼット。劇場の関係者に接触してくれ。新人の役者志望として劇場に潜り込めるか」
「役者志望……ですか。《千の衣装部屋》があれば、オーディションは通れると思いますが……」
「頼む。劇場の内部に人を入れたい」
「分かりました。——今回の衣装は〝役者〟ですね」
「そうだ。今までで最も難しい衣装かもしれない。劇場の役者に化けるということは、暗殺者に化けるということだからな」
リゼットの表情が引き締まった。
「セレスティーヌ。メルカトーレの市民から、《笑う仮面亭》の評判を集めてくれ。特に——この劇場に関わった後に〝不自然な目に遭った〟人間がいないか」
「不自然な、目?」
「風刺劇で動揺した客が、後日どうなったか。事業が急に傾いた、スキャンダルが発覚した、行方不明になった——そういう話がないか探ってくれ」
「……分かりました」
「ニーカ」
「はい」
「《風刺劇》の暗殺実績を洗え。《即興劇》が提供した情報に、こいつの過去の仕事が含まれているはずだ」
「承知しました。ですが、あの……レヴィアン様」
「何だ?」
「今回の〝対抗公演〟というのは、具体的にどういう意味ですか。まさか本当に劇場で芝居を打つわけでは——」
「打つぞ」
「…………」
「《風刺劇》は〝劇場〟を武器にしている。観客を集め、風刺で権力者の弱みを炙り出し、暗殺の標的を選定する。——この仕組みを壊すには、同じ土俵で戦うしかない」
「同じ土俵……つまり、演劇で?」
「ああ。こいつの風刺劇に対抗する作品を上演する。それも——《風刺劇》自身を風刺する作品を」
全員が押し黙った。
「……風刺劇の劇場主を、風刺で笑いものにする、と」
リゼットが確認するように言った。
「そうだ。こいつは〝笑わせる側〟に立つことで権力を握っている。だが、〝笑われる側〟に回った瞬間、その権力は崩壊する。——風刺の刃を、風刺の使い手自身に向ける。これが――今回の【演出】だ」
「レヴィアン様。一つ重大な問題があります」
「何だ?」
「わたしたちの中に、風刺劇の脚本を書ける人間がいません」
「…………」
それは、そうだ。
俺が書くしかない。
「……任せろ。芸術家の筆に、不可能はない」
「レヴィアン様ご自身が……本当に、大丈夫ですか……?」
「大丈夫だ。たぶん」
たぶん、は余計だった。




