劇中劇——あるいは、打ち切られた即興劇の再演ー[3]
市長への接触は、直接行った。
ニーカの反対を押し切って——というか、反対されたが「演出上必要だ」で押し通した。
市庁舎の市長室。ガブリエル・デルマーレ市長は、五十代の痩せた男だった。穏やかそうな顔立ちだが、目の下のクマが深い。最近、眠れていないのだろう。
「……《終幕庁》の《一番手》が、私に何の用ですか」
「あなたの命が狙われている。知っていますか」
市長の顔が強張った。
「……ええ。薄々は。《黒幕連》との関係を切ろうとした時から、覚悟はしていました」
「覚悟? 死ぬ覚悟ですか」
「いいえ……贖罪の覚悟です。私は過去に彼らの金を受け入れた。その罪を認め、全てを明るみに出すつもりでした。だが——その前に殺されるかもしれない、と」
俺は《万象観劇》で市長を視た。灰色の糸。だがその灰色の中に、白い光が芽生えている。後悔と、贖罪の意志。
……この男の物語は、まだ終わっていない。
「市長。俺はあなたを〝守る〟ために来たわけではない」
「では……いったい、何のために……」
「あなたを狙っている暗殺者を、排除するために来た。だが、そのためにはあなたの協力が必要だ」
「協力?」
「あなたの〝贖罪〟を、舞台に上げてほしい」
「…………舞台?」
「公開の場で、《黒幕連》との関係を告白し、全ての不正を明るみに出す。——そうすれば、《黒幕連》にとってあなたを殺す意味がなくなる。秘密を守る口封じが目的なら、秘密が公開された時点で暗殺の理由が消える」
「しかし、そうなれば私は——」
「罪に問われるだろう。だが、死ぬよりはマシだ」
市長は長い沈黙の後、ゆっくり頷いた。
「……分かりました。どのみち、いずれそうするつもりでした。——いつですか」
「三日後。市の広場で、公開演説という形で」
「三日……」
「それまでに準備を整える。——俺たちが、あなたの【舞台】を守ります」
市長が俺の目を見た。
「あなたは……不思議な人だ。暗殺者なのに、人を守ると言う」
「守るんじゃない。舞台を整えるんだ。あなたの〝贖罪〟という物語に、相応しい最終幕を用意する。——それが俺の仕事だ」
市長が、わずかに笑った。
「芸術家、ですか」
「っ! ええ、まあ……よく言われます……ふふっ」
やった! 初めて人に、芸術家と認められたぞ!
「あの……どうしたのですか?」
「いえ……何でもありません、別に」
流石にはしゃぎすぎただろうか。
俺は何でもない風を装うため、いつもより大げさにコートを翻して市長の前から立ち去った。
◇◇◇
三日後。市の中央広場。
市長の公開演説。市民が広場を埋め尽くしている。
俺は広場に面した建物の屋上から全体を見下ろしていた。《万象観劇》を最大範囲で起動している。
配置は以下の通り。
ニーカ——市長の最も近くに、姿を消して待機。《万象観劇》が直接手を下しに来た場合の最終防衛線。
フィーネ——広場の群衆に紛れている。「照明係」として群衆の中に不自然な動きがないか監視。彼女の観察眼なら、一般市民に紛れた暗殺者を見分けられる。
リゼット——市庁舎の警備兵に変装して、市長の公式護衛に混じっている。万が一の際に市長を直接守る位置。
セレスティーヌ——広場の片隅で、吟遊詩人として歌を歌っている。表向きは演説前の余興だが、実際は《心奏曲》で広場全体の感情を「安定」させている。パニックを防ぐBGM。
そして俺——屋上から、全体の因果の糸を俯瞰する。
市長が壇上に立った。
「市民の皆さん。今日は、私自身の罪について、お話ししなければなりません——」
演説が始まった。
市長は《黒幕連》の過去の関係、資金洗浄への加担、そして近年それを断ち切ろうとしたことを、淡々と語り始めた。
群衆がざわめく。驚きと怒りと困惑が交錯する。
俺は《万象観劇》で広場全体の因果の糸を監視していた。
市長の白い糸が、演説によって太く、明るくなっていく。贖罪の意志が形になっている。
そして——
来た。
広場の因果の糸に、あの黒い煙が混じった。
形が定まらない影。一瞬ごとに位置が変わる。群衆の中に紛れ込んでいる——が、どこにいるのか特定できない。因果の糸が固定されないから、位置が「揺れる」。
「フィーネ」
俺は小型の通信魔具で指示を飛ばした。
「広場の西側、噴水の近く。不自然な動きをしている人間はいないか」
「えっと……西側……あ、いま噴水の横を通った男の人が、ちょっと変です! 歩き方が、周りの人と〝リズム〟が違う!」
「リズム?」
「うん! みんなは市長の演説を聞いてるから、足が止まってるか、ゆっくり歩いてるんです。でもあの人だけ、演説と全然関係ないペースで動いてる。しかも——さっきから三回、進む方向を変えてます。目的地がないみたいに」
目的地がない歩き方。行動パターンが固定されていない。
——《即興劇》だ。
「フィーネ、その男の特徴を教えろ」
「えっと、中肉中背で、灰色のフードを——あれ?」
「どうした」
「……いない。今そこにいたのに。一瞬目を離したら、消えました」
認識の書き換え。フィーネの目からも消えた。
だが——
「ニーカ。西側噴水付近。気配はあるか」
「…………あります。フードの男。今、壇上に向かって移動しています」
ニーカの《無音行進》は自分の存在感を消すスキルだ。つまり、ニーカは
「気配」の専門家。他者の気配を消す能力を持つ者は、他者の気配を察知する能力にも長けている。
認識の書き換えは通じても、気配そのものは消せない。
「ニーカ。追えるか」
「はい。……ですが、わたしが動くと市長の護衛が空きます」
「リゼットがいる。市長の護衛はリゼットに任せろ。お前は——あの男を追え」
「承知しました」
ニーカが動いた。気配が消える。姿も消える。
広場の上空から、俺は二つの「見えない存在」を追いかけている。《即興劇》の不定形な黒い煙と、ニーカの完全に消えた存在。
《万象観劇》で辛うじて二人の因果の糸が視える。黒い煙が壇上に近づき、ニーカの糸がその後を追っている。
と——
黒い煙が、急に方向を変えた。
壇上ではなく——俺のいる建物に向かってきた。
「……っ」
読まれている。
いや、違う。「読まれた」のではない。《即興劇》は最初から市長を狙っていなかった。市長の演説は——囮だ。
市長が公開演説をすれば、俺たちは市長の周囲に戦力を配置する。そうすれば、演出家が手薄になる。
「劇団を潰すなら、役者ではなく演出家を殺す——か」
正しい判断だ。嫌になるほど正しい。
屋上の扉が開いた。
灰色のフードを被った男が、そこに立っていた。中肉中背。特徴のない体格。フードの下の顔は——見えるのに、記憶できない。目を逸らした瞬間に、どんな顔だったか分からなくなる。
「やあ。《破滅の芸術家》」
声も同じだ。聞こえるのに、一秒後には声色を思い出せない。
「お前が《即興劇》か」
「その名で呼ばれることもあるね。——君、面白いことをするね。市長に演説させて、僕をおびき出すつもりだったんだろう?」
「……ああ。そのつもりだった」
「残念。僕は、君に用があって来たんだ。市長はどうでもいい。最初からね」
《即興劇》が一歩近づいた。殺気はない。だが——それが逆に怖い。殺気がないということは、この男にとって殺しは「特別なこと」ではないということだ。
「《黒幕連》は君を気に入ってるよ。暗殺を〝芸術〟と呼ぶ男。面白いじゃないか。でも——面白すぎるのは困るんだ。うちの商売の邪魔になるからね」
「それを言いに来たのか」
「言いに来たし、殺しに来た。どっちも即興だけどね」
《即興劇》の手に、いつの間にか短剣が握られていた。いつ取り出したのか分からない。というか——「取り出す」という動作を、俺の認識から消したのだろう。
この距離。この状況。俺に戦闘力はない。
詰みだ——普通なら。
「《即興劇》。一つ聞いていいか」
「なに?」
「お前は、暗殺を即興でやるんだな。脚本なし、計画なし、その場の判断で全てを決める」
「そうだよ。それが僕のスタイル」
「なら——今この瞬間も、即興なんだな」
「もちろん。この会話も即興。君を殺す方法も即興。全部、今この瞬間に決めてる」
「そうか。なら——お前は、〝脚本がない舞台〟の上にいる」
「……だから?」
「脚本がない舞台では、何が起きるか分からない。お前自身にも。——それは、お前の強みであると同時に弱みだ」
「弱み? この僕に、弱みがあると?」
「ある。脚本がないということは、〝他人の即興〟も予測できない、ということだ」
その瞬間。
《即興劇》の背後で、空気が裂けた。
ニーカだった。
《無音行進》で完全に気配を消し、屋上の裏手から回り込んでいた。《即興劇》の認識操作は「目の前の相手」に集中していた——俺に。だからニーカの接近に気づかなかった。
ニーカの手刀が、《即興劇》の首筋に叩き込まれた。
——が。
《即興劇》は首をわずかにずらした。手刀が空を切る。完全に不意打ちだったはずなのに——身体が勝手に反応している。
「おっと。これは即興だね」
《即興劇》が振り向きざまに短剣を振るう。ニーカが後退する。
二人の攻防が始まった。だが——《即興劇》は異常だった。ニーカの攻撃パターンを、一撃ごとに「読んでいる」のではなく「反応している」。思考ではなく反射。計算ではなく直感。
これが〝即興〟か。
「ニーカ。さがれ」
「——しかし」
「さがれ。今のお前一人では、勝てない」
ニーカが歯を食いしばったが、俺の指示に従って距離を取った。
《即興劇》が短剣を下ろした。
「……君の助手、優秀だね。元うちの子だろう? 動きに見覚えがある」
「…………」
ニーカの拳が震えていた。
「でも、残念。僕はここで、君を——」
「セレスティーヌ」
俺は通信魔具に向かって、一言だけ言った。
「——歌え」
次の瞬間。
広場の方から、歌声が聞こえてきた。遠い。だが——《心奏曲》の力が乗っている。
恐怖を打ち消す歌。
《即興劇》の認識操作は、相手の「恐怖」や「動揺」に付け込んで効果を増幅させる。だが、セレスティーヌの歌が恐怖を中和すれば——
俺の視界が、急にクリアになった。
《即興劇》の顔が——見えた。初めて、ちゃんと見えた。
若い男だった。二十代半ば。黒い目。薄い笑み。だが——その目の奥に、何もない。空洞だ。
「……へえ。BGMで僕のスキルを薄めるのか。面白い即興だ」
「お前の即興は〝一人〟の即興だ。俺の即興には五人いる。——勝てると思うか?」
「思うよ。だって、僕は【即興の天才】だから」
《即興劇》が再び短剣を構えた。
と——
屋上の反対側から、フィーネが飛び出してきた。
「お師匠様!!」
フィーネの固有スキル《陽だまりの残像》。彼女の残像が屋上の四方に出現する。《即興劇》の視界に複数のフィーネが映る。
残像は攻撃力を持たない。だが——「どれが本物か」を判断する一瞬のロスが生まれる。
その一瞬で、ニーカが動いた。
今度は正面からではなく、真下から。屋上の床を蹴り、低い姿勢で《即興劇》の懐に潜り込む。
《即興劇》の身体が反応する。短剣で迎撃しようとする——が、ニーカは攻撃しなかった。代わりに、《即興劇》の足元を払った。
バランスを崩した《即興劇》の背中に、リゼットが——いつの間にか屋上に上がってきていた——タックルを叩き込んだ。
《即興劇》が屋上の端まで吹き飛ぶ。柵に背中がぶつかる。
「ぐっ——」
初めて、《即興劇》が苦悶の声を上げた。
「レヴィアン様! 今です!」
ニーカが叫んだ。
俺はコートの内ポケットから、一つの物を取り出した。
《幕引きの栞》。
ニーカの呪印を解除したアーティファクト。「物語の区切りをつける」道具。
俺は《即興劇》に向かって歩いた。
「何をする気だ」
「お前の〝即興〟に、幕を引く」
《幕引きの栞》を《即興劇》の額に押し当てた。
何が起きるか、正直分からなかった。この栞の効果は「物語を強制終了させる術式を解除する」ことだ。《即興劇》の認識操作スキルがそれに該当するかどうか、確証はなかった。
だが——
《即興劇》の目が見開かれた。
「——っ、なん、だ。これ……」
彼の身体から、黒い靄が立ち昇った。因果の糸の色が変わっていく。不定形だった黒い煙が、初めて——人の形になった。
「う、あ……っ」
《即興劇》が頭を抱えた。
「何だ、これは……俺は……俺、の名前、は……」
ニーカが息を呑んだ。
「レヴィアン様……あれは」
「ああ。《幕引きの栞》が、こいつの〝上書き〟を剥がした」
《即興劇》の認識操作スキル。それは他人の認識だけでなく、自分自身の認識も書き換えていた。
自分が何者であるか。自分の名前。自分の過去。全てを「即興」で上書きし続けることで、固定された〝自分〟を持たないようにしていた。
だからこそ、因果の糸が不定形だった。——こいつは自分の物語すら、打ち切っていたのだ。
「お前は——自分の物語を、自分で打ち切っていたのか」
「…………っ」
《即興劇》——いや、もはやその名で呼ぶべきではないかもしれない——が、膝をついた。
「思い出、す……俺は……《黒幕連》に、拾われて……名前を、消されて……」
ニーカが一歩前に出た。
「あなたも……わたしと、同じだったのですね」
「…………」
使い捨ての兵器。名前を消され、過去を消され、「即興」だけで生きる道具にされた男。
ニーカの〝先輩〟だ。
俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
——これは、俺の脚本にない展開だ。
手帳を開いた。だが、何を書けばいいか分からなかった。




