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劇中劇——あるいは、打ち切られた即興劇の再演ー[2]


 ヴェルティア市。南部の港町。


 潮の匂いが強い。港には商船が並び、荷揚げの作業員たちが怒声を飛ばしている。市場には海産物が山積みで、異国の商人たちが値段交渉をしている。活気のある街だ。


 俺たちは市の中心部に宿を取り、まず街の全体像を把握することから始めた。



「フィーネ。照明チェックだ。この街の〝空気〟を読め」

「はいっ!」


 フィーネが街に飛び出していった。

 俺は宿の窓から《万象観劇(パノラマ・シアター)》を起動した。


 ヴェルティア市全体を俯瞰する。因果の糸が無数に交差している。港町特有の、流動的で複雑な人間関係。旅人、商人、船乗り、役人——糸が絶えず動いている。


 その中で、市長——ガブリエル・デルマーレの糸を探す。


 ……見つけた。市庁舎の中に、一本の太い糸。清廉な白——ではなく、灰色だ。かつて《黒幕連(カーテンコール)》の資金洗浄に関わっていた汚れが残っている。だが、最近その灰色が薄れつつある。市長が〝足を洗おうとしている〟ことが、因果の糸にも表れている。


 そして——

 市長の糸に、()()()が纏わりついていた。

 見える。だが、形が定まらない。纏わりつく影が一瞬ごとに形を変え、位置を変え、まるで——



「……()のようだな」



 通常の因果の糸は、相手が人間なら人型の輪郭を示す。だがこの影は人型にならない。常に揺れ動き、変形し続けている。

 これが《即興劇(インプロヴィーゾ)》の因果の糸か。

 形が定まらない——つまり、この人物は常に自分の〝形〟を変え続けている。行動パターン、思考パターン、存在そのものが流動的。だから因果の糸が固定されない。


 脚本が通じない、という意味がようやく分かった。

 普通の人間は因果の糸が安定しているから、未来の行動を予測できる。だがこの男は、糸そのものが不定形だ。次の瞬間に何をするか、本人すら決めていないのかもしれない。




「……厄介だな」

 芸術家としては面白い。だが演出家としては最悪の相手だ。




 ◇◇◇




 まず、市長の護衛体制を確認した。

 リゼットが市庁舎の職員に変装して潜入し、市長の日常スケジュールと警護の配置を調べてきた。


「市長は毎朝九時に市庁舎に出勤し、夕方六時に帰宅。護衛は市の警備兵が四名。自宅は港の丘の上にある屋敷で、夜間の警備は二名」

「手薄だな」

「ええ……《即興劇(インプロヴィーゾ)》が本気で狙えば、いつでも殺せる状態です。……つまり」

「まだ殺していないのは、タイミングを計っている——あるいは、〝最も面白い方法〟を即興で考えている最中、か」

「暗殺者が〝面白い方法〟を考えるんですか……」

「俺がそうだろう」

「……それもそうですね」



 フィーネの「照明チェック」の報告。



「お師匠様! この街、面白いです! 港の方の人たちは明るいんですけど、市庁舎の周りの人たちは暗い顔してます。特に市長の屋敷の近くの住人が、すごく怯えてる感じです」

「怯えている?」

「うん。何かを見ちゃった、みたいな……でも何を見たのか、本人も分かってない感じ?」


 セレスティーヌの「不自然な死」の報告と一致する。目撃者の記憶が曖昧になる現象。《即興劇(インプロヴィーゾ)》が市長の周辺で既に動いている証拠だ。


 セレスティーヌは街の酒場で歌いながら情報を集めた。



「港の船乗りたちの間で、最近〝幽霊〟の噂が広まっています。夜の港に、誰もいないはずの場所で人影を見た、という話が複数。でも翌朝になると、見た本人が〝気のせいだった〟と言い始めるそうです」


「記憶の書き換え。また同じパターンだ」


 ニーカが最後に報告した。


「《即興劇(インプロヴィーゾ)》は——おそらく固有スキルを持っています。名称は不明ですが、効果は〝周囲の認識を即座に書き換える〟こと。自分の存在を忘れさせる、目撃証言を改変する、相手の判断を一瞬だけ狂わせる。……戦闘においては、相手の攻撃のタイミングをずらすことも可能かと」


「認識の書き換え。つまり——現実を即興で〝編集〟するスキルか」

「はい。わたしが組織にいた頃、《即興劇(インプロヴィーゾ)》の能力について聞いたことがあります。〝あの人の前では、自分が見ているものが現実かどうか分からなくなる〟と」



 …………。

 俺の《万象観劇(パノラマ・シアター)》は因果の糸を〝視る〟スキルだ。

即興劇(インプロヴィーゾ)》のスキルは認識を〝書き換える〟スキルだ。


 俺が視たものが本物かどうか、分からなくなる可能性がある。

 演出家にとって、舞台の上で何が起きているか分からなくなることほど致命的な状況はない。



「レヴィアン様。この相手に、正面から挑むのは——」

「ニーカ。一つ確認するが、《即興劇(インプロヴィーゾ)》のスキルは〝全員〟に同時に効くのか?」

「…………いいえ。わたしが知る限り、効果範囲は一度に一人か二人です。大人数には同時に作用しない」

「……そうか」



 俺の口元が、自然と緩んだ。



「レヴィアン様?」

「ニーカ。俺たちは——()()()()

「……!」

「一人の認識を書き換えても、残り四人の認識は正常だ。つまり、全員がバラバラに動いていれば、《即興劇(インプロヴィーゾ)》は全員の認識を同時には操れない。——これは〝劇団〟の強みだ。一人の演出家では勝てなくても、五人の舞台スタッフがいれば、舞台は回る」



 格好いいことを言った。

 だが実は、五人いるから大丈夫、という話ではない。相手が本気で俺を狙ったら、俺の認識を書き換えて終わりだ。


 つまり——俺が最前線に出てはいけない。



 演出家は舞台袖にいるべきであって、舞台の上に立ってはいけない。

 あれ……これ、いつもの構図じゃないか。

 俺が後方で「脚本」を書き、団員たちが現場で動く。結果がどうなるかは分からないが、団員たちの即興力を信じる。


 今までと同じだ。

 違うのは、今回は「偶然うまくいく」ことを期待できない、という点だけ。


 ……いや。待てよ。

 「偶然うまくいく」のは、本当に偶然だったのか?


 三作品とも、脚本通りにはいかなかった。だが、全て成功した。俺の「演出」が直接成功させたのではなく、俺が作った「舞台」の上で、団員たちが——そして標的の周囲の人間が——自発的に動いた結果、最善の結末が訪れた。


 つまり俺の芸術は、「完璧な脚本を書くこと」ではなく、「最善の結末が自然に生まれる舞台を作ること」なのではないか。



「…………」


 手帳に、書いた。


『第四作・演出方針。脚本は書かない。だが〝舞台〟は作る。市長を守る配置、《即興劇(インプロヴィーゾ)》を炙り出す仕掛け、そして最終幕に至る環境。全てを整えた上で——後は、劇団を信じる。即興を恐れるな。計算外を愛せ。俺は芸術家だ』



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