百の打ち切りに、鎮魂歌を……[2]
聖都カテドラル。
現地入りした俺たちは、まず教会の祝祭に紛れて市内を調査した。リゼットが巡礼者に変装し、フィーネが「照明の実地研修」と称して聖堂の内部構造を調べ、ニーカは姿を消えた(どうせまた安全管理業務という名の暗殺……いや、下調べだろう)。
俺は聖堂の前の広場から《万象観劇》を起動した。
——見えた。
ヴァルトラウト・ヘルツォーゲ。《鉄の審問官》。
聖堂の奥に、巨大な因果の糸の塊が鎮座している。
真っ黒だった。
これまでの標的たち——マルコやグランシェールの糸は、濁ってはいたが色があった。欲望の赤、虚飾の金。人間的な感情が残っていた。
だが、この男の糸は——黒色。
そしてその黒い塊から、無数の糸が伸びている。全て途中で断ち切られた糸。百本以上。
処刑された人々の、痕跡だ。
この男が「異端」として裁いた人々の因果の糸が、全てこの男の手で切られている。
「…………」
俺は手帳を開いた。
いつもなら「舞台設定資料」として冷静にメモを取るのだが——今回は、少し手が止まった。
百人以上の物語を打ち切った男。
効率とか、金のためとかそんなのじゃなく——『神の名』を振りかざして。
……怒りは、芸術の敵だ。感情に流されれば、演出は雑になる。
だが——今回だけは、少しだけ。
手帳に書いた。
『第三作。テーマ:偽りの聖者。ジャンル:叙事詩。演出方針——この男が打ち切った百の物語を、もう一度〝語り直す〟。それを最終幕とする』
百の物語を語り直す。
つまり——犠牲者たちの声を、聖堂に響かせる。
これは、セレスティーヌにしかできない仕事だ。
◇◇◇
調査を進めるうちに、いくつかのことが分かった。
一つ。《鉄の審問官》ヴァルトラウトは、教会上層部にとっても「扱いにくい存在」になりつつある。彼の異端審問があまりに苛烈で、各地の領主から教会への苦情が増えている。だが、ヴァルトラウト本人の武力と信者の狂信的な支持があるため、教会上層部も簡単には手を出せない。
二つ。ヴァルトラウトには『聖典朗読会』という習慣がある。月に一度、聖堂の大広間で信者を集め、自ら聖典を朗読する。次の朗読会は、十二日後。
三つ。朗読会には、教会の上位聖職者たちも列席する。枢機卿クラスが来ることもある。
これらの情報を総合して、俺は脚本を組み上げた。
第一幕「聖者の仮面」——ヴァルトラウトの犯罪の証拠を収集する。犠牲者たちの遺族から証言を集め、教会に横流しされた財産の記録を入手する。
第二幕「百の声」——セレスティーヌが聖都各地で犠牲者たちの物語を歌い広める。市民の間に「あの審問は正しかったのか」という疑念を植え付ける。
最終幕「聖堂の審判」——聖典朗読会の日。聖堂の中で、犠牲者たちの声がヴァルトラウトに突きつけられる。
「レヴィアン様。証拠の収集ですが——教会内部の帳簿に接触する必要があります」
ニーカの報告だ。
「聖堂の地下に記録保管庫があります。異端審問の記録、没収財産の目録、処刑執行書——全てそこに保管されている、とのことです」
「舞台の〝裏設定資料〟が地下にあるわけだ。——リゼット」
「は? いや……はい」
リゼットは突っ込みたそうな顔をしていたが、今だけは自重してくれた。
「聖堂への潜入を頼む。修道女に変装して、記録保管庫から必要な資料を回収してくれ」
「修道女、ですか……」
リゼットが露骨に嫌そうな顔をした。……そんな顔するなよ、泣いちゃうぞ、俺が。
「あの……お言葉ですが、この場合の衣装は、外見だけでは足りません。修道女の所作、祈りの作法、聖典の暗唱……全てが完璧でなければ、聖堂の中では一瞬で見破られます」
「承知の上で聞いている。――できるか、リゼット?」
「……やります。衣装の真髄は〝その人物になること〟でしょう? レヴィアン、あなたがそう教えたんですからね」
おお、良いことを言うな!
……って、それは俺が言ったことだったな。うん。
「フィーネ」
「はいっ、お師匠様!」
「聖堂内部の照明チェックを頼む。大広間の構造、音の反響具合、出入口の数と位置、聖職者たちの動線——全て記録しろ」
「了解です! えっと……音の反響具合って、照明と関係ありますか?」
「ある。光と音は舞台の【両輪】だ。片方を理解せずに、もう片方は語れない」
「なるほどー! さすが、お師匠様!」
なるほど、ではない。聖堂の構造を把握したいだけだ。だが「照明の修行」と言えばフィーネは喜んでやるので、便利な言い回しではある。
「セレスティーヌ」
「は、はい」
「君には、この街で歌ってもらう。ただし、内容は指定する」
「内容……?」
「この街で、ヴァルトラウトに異端として裁かれた人々の話を集めろ。遺族でも、友人でも、隣人でもいい。その人たちの物語を——歌にしてくれ」
セレスティーヌの表情が変わった。不安があって、でも怖いだけじゃない別の感情。
「……犠牲者の物語を、ですか」
「ああ。無実の罪で命を奪われた人たちの声が、この街のどこかに眠っている。それを掘り起こし、歌として蘇らせてくれ。——それが、音響係の仕事だ」
セレスティーヌは竪琴を握りしめた。その手が、少し震えていた。
……今そんなに良いこと言ったかな、俺。
「……わたしに、できるでしょうか」
「できる。君の歌には、人の痛みを〝共鳴〟させる力がある。その力は、こういう時のためにある」
セレスティーヌがゆっくりと息を吐いた。そして——
「……やります。やらせてください!」
こいつ……できるな。間合い、溜め、言い方、吐息。全て完璧なセリフじゃないか!
もしかして、俺に【付いてきている】のだろうか。
セレスティーヌも俺みたいな芸術家になりたいのかな、知らないけど。
「ふっ……任せた。期限は十日だぞ」
「はい!」
「——あ、一つ注意がある」
「なんですか?」
「歌う場所は……選べ。教会の近くでは、歌うな。審問官に目をつけられたら終わりだ」
「わ、分かりました!」
「ニーカ。セレスティーヌの護衛を頼む」
「はい。安全管理の一環として」
ニーカの安全管理の範囲がまた広がった。もはやこの言葉で何でも包括できる気がしてきた。
◇◇◇
七日が経った。
各部門の成果報告。
リゼットは修道女として聖堂への潜入に成功し、記録保管庫から異端審問の記録と没収財産の目録を回収した。
「大変でした。写本室で三日間、聖典を書き写す作業に従事させられました。……でも、おかげで聖堂の内部構造は完璧に把握しています」
「衣装係の鑑だ。実地で役を演じ切るとは」
「褒められてるんですかね、これ……」
リゼットが回収した記録によると、ヴァルトラウトが「異端」として処刑した者の大半は、教会に逆らった商人や、教会の不正を告発しようとした市民だった。真の異端者はほぼ皆無、完全な冤罪の山だ。ここまでゲスだとヘドも出ない。敵ながらあっぱれだよ、ほんとに。
そしてフィーネは、聖堂の内部構造を詳細にスケッチしていた。
「お師匠様! 聖堂の大広間、天井がすっごく高くて、音がよく反響します! 特に中央の祭壇付近は、小さな声でも広間全体に届くんです!」
「音の反響……なるほど。照明効果と音響効果の相乗効果が狙える構造か」
「はい! あと、大広間の入口は三つあって、聖職者用の控え室は祭壇の裏です! 窓は東側と西側に大きいのが四つずつ!」
照明の報告としては完璧だ。副次的に、聖堂の完全な見取り図が手に入ったが、まあ副次的な成果だ。
そして——セレスティーヌ。
彼女は十日の期限を待たず、七日で戻ってきた。目が赤い。泣いていたのだろう。
「……集めました。二十三人分の、物語を」
「二十三人?」
「全員は……時間的に、無理でした。でも、遺族や友人に会って、話を聞いて……その人たちの人生を、歌にしました」
セレスティーヌが竪琴を構えた。
「聞いて、もらえますか」
「ああ」
セレスティーヌが弾き始めた。
——穏やかで、静かな旋律だった。
パン屋の主人が、教会の小麦価格つり上げに異を唱えたら、異端と呼ばれた話。
若い母親が、病気の子供のために教会の備蓄を分けてほしいと懇願したら、不敬罪で裁かれた話。
老いた学者が、聖典の翻訳の誤りを指摘したら、冒涜者として火刑に処された話。
一人一人の物語が、歌の中で息を吹き返していく。
名前があった。顔があった。家族がいた。夢があった。
そして——全て、一人の男に奪われた。
歌が終わった時、俺は手帳を握ったまま、何も書いていなかった。
フィーネが泣いていた。リゼットが唇を噛んでいた。ニーカだけが無表情だったが、拳が白くなるほど握りしめられていた。
「……セレスティーヌ」
「は、はい……どう、でしたか……」
「これを、聖堂で歌え」
「え?」
「聖典朗読会の日に、ヴァルトラウトの目の前で、聖堂の大広間で——この歌を、響かせろ」
セレスティーヌの目が見開かれた。
「で、でも……あの場所は審問官の、」
「だからこそだ。神の名を騙って命を奪った男に、その犠牲者たちの声を突きつける。——これ以上に、正しい音響効果が、他にあるか?」
セレスティーヌは、しばらく黙っていた。
それから、竪琴を抱え直した。
「……分かりました。歌います」
「……ああ。頼んだ」
セレスティーヌは間の取り方が上手くなってきたな、と最近思う。
泣いていたのも演技だろう。ああ、俺の背中を見て成長しているのか。
俺もああいう時は泣く演技をしないとダメだな、うん。練習しておこう。
◇◇◇
聖典朗読会の日。
聖堂の大広間は信者で埋め尽くされていた。中央の祭壇にはヴァルトラウトが立ち、その周囲を武装修道士たちが囲っていた。
最前列には教会の上位聖職者たち。枢機卿の姿もある。
俺は大広間の二階回廊から全体を見下ろしていた。ニーカは例によって姿が見えない。フィーネは信者に紛れて大広間内に配置済み。リゼットは修道女の姿で聖堂内部に潜伏している。
そして、セレスティーヌは——大広間の隅で、他の聖歌隊に混じって立っていた。朗読会の前に聖歌が歌われる慣例があり、ニーカがセレスティーヌをそこにねじ込んだ。「安全管理の一環」らしい。もう何でもありだな、あの言葉。
――朗読会が始まった。
ヴァルトラウトが聖典を開き、朗読を始める。威圧するような、威厳のある声。だが俺の《万象観劇》には、その声から伸びる因果の糸が見える。黒い糸が聴衆に巻きつき、恐怖と服従を植え付けている、これが聖典朗読の実態だ。誰も、聖典の何たるかなんて信じてない。
つまりこの男が、一種の『感情支配』を行っているのだ。カリスマと呼ばれるもの。恐怖による支配。
——なるほど。これがセレスティーヌの《心奏曲》と対になる構造か。
恐怖で支配する声と、共感で繋がる歌。
面白い。
朗読が進む。ヴァルトラウトは聖典の一節を引用し、「異端は神への冒涜である」と説く。聴衆は黙って聞いている。反論する者は誰もいない。この空間では、審問官の言葉が絶対だ。
朗読が一区切りついた。
ここで、聖歌の時間が入る。聖歌隊が立ち上がり、壇上に移動する。
セレスティーヌが、その中にいた。
聖歌隊が定番の聖歌を歌い始める。荘厳な声音が、高い天井に反響する。フィーネの報告通り、この聖堂の音響は素晴らしい。
そして——聖歌が終わった、その直後。
通常なら、ここでヴァルトラウトの朗読が再開される。だが——
セレスティーヌが、一歩前に出た。
竪琴を構えた。
会場がざわつく。聖歌隊の一人が、勝手に動いている。異例の事態だ。
だがセレスティーヌは構わず、弦に指を置いた。
——最初の一音が、聖堂に響いた。
穏やかで滑らかな旋律。祈りのように穏やかで、でも芯に悲しみが込められている。
パン屋の主人の物語。
歌詞に名前はないけど、この街の人間なら分かるはずだ。三年前に「異端」として処刑された、あのパン屋の——。
聴衆の間に、さざ波が走った。
「何だ、この歌は」
「これは……まさか」
「間違いない、あの事件……いや、異端審問の……!」
セレスティーヌの《心奏曲》が、歌に〝記憶〟の色を添えている。聴衆の中に眠っていた記憶——隣人の死、友人の消失、説明されなかった処刑——が、歌によって掘り起こされていく。
二番の歌詞。若い母親の物語。
聴衆の中で、一人の老婆が泣き始めた。その母親の姑だったのかもしれない。
三番。老いた学者の物語。
会場のそこかしこで、すすり泣きが聞こえ始めた。
ヴァルトラウトが祭壇の上から、セレスティーヌをギロリと睨んだ。
こええ……おもらしするかと思っちゃったよ、この年で。いや、ほんとに。
「——やめろ。いったい、何を歌っている!」
その威圧感に、セレスティーヌの手も止まった。竪琴の弦を弾く指が、震えていて。
——と、その時。
「お師匠様の作品を、止めさせちゃダメ!」
フィーネだった。実のところ、彼女は冴えない照明係ではなく(半分そう思っていたが)、固有スキルを持っている優秀な劇団員だった。
完全な誤算……ではなく、計算通り、俺のスカウト眼に狂いはなかったということだ。
ともあれフィーネは信者の群衆の中から飛び出し、固有スキル《陽だまりの残像》を発動した。彼女の「残像」が大広間の複数箇所に出現し、武装修道士たちの注意を分散させる。
たかが子供の幻影だ。戦闘的には意味がない。でも修道士たちが一瞬、フィーネの残像に気を取られた。
その一瞬で、セレスティーヌは立て直した。
歌が続く。四番、五番、六番——。
二十三人分の物語が、聖堂の天井に反響し、広間全体を満たしていく。
俺は《万象観劇》で見ていた。
聴衆の因果の糸が変色している。恐怖の黒が薄れ、怒りの赤と悲しみの青が混ざり合い——やがて、一つの色になった。
紫。
悲しみと怒りが融合した色。
それが、聖堂全体を覆ったのだ。
「……っ、黙れ! 異端の歌を歌うなら、お前も異端だ!!」
ヴァルトラウトが叫んだ。武装修道士に彼女の【審問】を命じようとする。
だが——修道士たちは動かなかった。
彼らもまた、聴衆と同じ色に染まっていた。同じ街に住み、同じ隣人を失い、同じ疑問を抱えていた者たちだ。セレスティーヌの歌が、押し込められていた感情の蓋を開けてしまった。
「……なぜだ!? なぜ……動かん!?」
ヴァルトラウトが修道士たちを見回す。返答はない。
そして……最前列に座っていた枢機卿だけが、ぬるりと立ち上がった。
これは俺の脚本にない展開だ。枢機卿が動くのは、もっと後の——いや、違う。
これ……いつもの、やつだ。
枢機卿はヴァルトラウトの前に立ち、おっかない声で告げた。
「ヴァルトラウト・ヘルツォーゲ。聖導教会の名において、あなたの異端審問権を即刻停止する。——聖都における、全ての職務権限を剥奪する」
ヴァルトラウトの顔が、初めて歪んだ。
取り繕っていた無表情が崩れ、その下から——明確な恐怖が覗いた。
自分が【審問】されるのではないかという恐怖。
自分はもう裁く側ではないのだと自覚した恐怖。
俺はしみじみ思った。こういうゲス野郎でも、怖いと感じることはあるんだな、と。
「ば、馬鹿な……私は神の代行者だ。異端を裁くのは神の意志だ!!」
「神は、無実の民を裁けとは仰せではない」
枢機卿の声は小さかったが、聖堂全体に響いていた。フィーネの言っていた通り——この聖堂は、中央祭壇付近の声がよく通る構造だな。
照明効果として、満点。
——いや違う。音響効果か。
……まあいい。どちらでもいいし、どうでもいい。
重要なのは、この今——聖堂に犠牲者たちの声が響き、偽りの聖者の仮面が剥がされたことだ。
セレスティーヌの歌が、最後の一節を紡ぐ。
もう泣いている人はいなかった。今あるのは、あのクズ野郎に向ける怒りの感情。
俺は、手帳に書いた。
『最終幕「聖堂の審判」。音響効果による感情の転調——恐怖から悲嘆へ、悲嘆から覚醒へ。セレスティーヌの歌は、聴衆を〝観客〟から〝当事者〟に変えた。これは俺の演出を超えている。音響の力を、俺は過小評価していた』




