破滅の芸術家(マエストロ・ルイーナ)ー[1]
断言するが、今朝の暗殺は最悪だった。
いや、俺がやったわけじゃない。朝食がてら立ち寄った酒場の窓から、たまたま路地裏の《執行》が目に入っただけの話だ。
標的は街の高利貸し。罪状は弱者からの搾取と、証人への脅迫。《終幕庁》から処刑対象認定を受けた、まあ典型的な小悪党だ。
で、担当の《執行者》がどうしたかというと——背後から近づいて、首を一突き。以上。三秒で終了。
……は?
いやいや、待ってくれ。
確かに手際はいい。隠密性も申し分ない。通行人は誰も気づいていないし、血の処理もきれいだった。《終幕庁》の評価基準でいえば、文句なしの満点だろう。
だがな。
俺は思わず立ち上がっていた。心の中で叫んでいた。
——【物語】は、どこだ?
高利貸しが搾取した人々の怨嗟は? 彼が若き日に道を踏み外した分岐点は? あの男の人生六十年の蓄積を、たった三秒の刺突で終わらせるだと?
それは暗殺じゃない。ただの作業だ。工場で部品を打ち抜くのと何も変わらない。
……やれやれ。これだから効率主義者は困る。
自己紹介が遅れたな。俺の名はレヴィアン・グラース。職業は《執行者》。等級は《三番手》。
異名がある。《破滅の芸術家》。
我ながら悪くない響きだと思っている。
俺は暗殺を芸術だと思っている。いや、信じている、じゃないな。知っている、が正しい。
すべての命には物語がある。生まれ、出会い、選択し、過ち、後悔し、それでも歩き続けた軌跡。その終着点を描くのが、俺たち《執行者》の仕事だ。
にもかかわらず、この世界の《執行者》どもは効率ばかりを追い求める。速く殺せ、静かに殺せ、安く殺せ。まるで物流業者だ。
暗殺とは、命を奪う技術ではない。
命を完成させる、芸術だ。
——と、常々主張しているのだが、同業者からの反応は概ね「面倒くさい」である。心外だ。
さて。酒場のテーブルに戻り、パンを齧りながら今日の予定を確認する。
昨日届いた《終幕庁》からの依頼書。封蝋を切って中身を広げる。
標的:マルコ・ヴェルーガ。ルエンティス市の商会長。
罪状:孤児の強制労働による違法魔石採掘。複数回の告発を貴族との癒着により握り潰した件。
危険度:C。本人に戦闘能力はないが、私兵を十数名雇用。
推奨遂行期限:七日間。
七日間。
……七日間?
俺は依頼書を閉じた。そして、丁寧に封蝋を元通りにして、もう一度開いた。七日間と書いてある。幻覚ではなかった。
馬鹿を言うな。
この男は四十年以上の人生を歩んできた。慈善家の仮面の裏で孤児を搾取する二面性。貴族との癒着という政治的な闇。そこには必ず「なぜ彼がこうなったのか」という物語が埋まっている。
それを掘り起こし、読み解き、最も相応しい結末を設計するのに——七日だと?
最低でも三週間は要る。
俺は依頼書の裏に『遂行期限の延長申請:芸術的観点から、本依頼には最低二十一日間の準備期間を要する。理由書は別紙にて提出予定。レヴィアン・グラース』と書き添え、酒場の壁に掛かった《終幕庁》の伝達箱に投函した。
知っている。こんな申請が通るわけがない。だが、出すのだ。毎回出すのだ。そしてなぜか毎回、期限を過ぎても俺の案件は取り消されない。たぶん、俺の芸術性が評価され始めているのだろう。
——違う。《終幕庁》は単にお前の《達成率》が異常だから黙認しているだけだ、と以前同期に言われたことがある。達成率100パーセント。《終幕庁》が設立されて以来、失敗が一度もない《執行者》。
ふん。当然だろう。完璧な芸術作品に「失敗」はあり得ない。
さて、マルコ・ヴェルーガ。お前の人生という物語を読ませてもらおうか。
俺は席を立ち、ルエンティス市の中央通りへ足を向けた。
◇◇◇
固有スキル《万象観劇》。
これは俺が生まれつき持っている能力で、対象の人間関係や感情の流れが「舞台の脚本」のように視覚化されるスキルだ。暗殺芸術家としてこれ以上の天賦はないと、我ながら思う。
マルコ・ヴェルーガの商会前。遠くから《万象観劇》を起動する。
途端に、世界が変わった。
マルコを中心に、光の糸が四方八方に伸びている。側近、使用人、貴族、取引相手——彼の人間関係が蜘蛛の巣のように可視化される。
なるほど。主演はマルコ。共演者として側近が四名。パトロンとして地方貴族が二名。そして——
地下へ伸びる糸が、大量にある。二十本以上。全て弱々しく、今にも消えそうな光。
孤児たちだ。地下の採掘場に繋がれた子供たちの存在が、因果の糸として視えている。
……群衆役にしては数が多い。舞台演出的に、これは処理しにくいな。
さらに目を凝らす。マルコの糸の奥に、もう一つ別の蜘蛛の巣が見えた。もっと大きく、もっと暗い糸の塊。マルコの背後に、別の組織がいる。
ふむ。これは「劇中劇」の構造か。物語の裏に、もう一つの物語が隠れている。面白い。
芸術としては複雑だが、やりがいがある。
俺はコートの内ポケットから手帳を取り出し、マルコの人物相関図を書き始めた。「第一幕 悪徳商人の仮面」「第二幕 崩壊する砂の城」「最終幕 薔薇園の幕引き」——完璧な三幕構成が頭の中に浮かんでいく。
その隣のページには、側近の行動パターン、警備のローテーション、商会の間取りが事細かに記されていく。これらは全て「舞台装置の配置図」だ。
間違っても「作戦計画書」などという無粋な呼び方はしない。
……ところで。
もう一つ気になることがある。
地下への因果の糸の中に、一本だけ異質なものがあった。他の孤児たちの糸が「弱々しいが未来へ伸びている」のに対して、その一本だけは——未来側が、切断されている。
死が確定されている命――いや、物語の途中で無理やり打ち切られた糸、と呼ぼう。
誰かが、この人物の物語を強制的に終わらせようとしている。まだ第一幕すら終わっていないというのに。
——ありえない。
俺の中の芸術家が、激しく怒った。
途中で幕を下ろされた物語ほど、冒涜的なものはこの世にないのだ。




