第2話 血に染まる一歩
目を覚ますと、冷たい石の感触が背中に張り付いていた。
湿った空気。
錆びた鉄の匂い。
視界を動かすと、そこは石造りの牢だった。
――1週間。
兵士は、何も言わずに固いパンを床へ投げる。
水は濁っていて、泥のような臭いがした。
それでも、俺は口に運んだ。
噛むたびに歯が痛み、喉に引っかかる。
生き延びるためだ。
最初は、悪い夢だと思った。
目を閉じれば、またカラオケルームに戻れるはずだと。
何度も、何度も、目を閉じた。
だが、開いた先にあるのは、いつも同じ石壁だった。
見たこともない装飾の鎧。
通じるはずの言葉が、どこか歪んで聞こえる違和感。
ここは、俺のいた世界じゃない。
夜、衝動的に鉄格子を殴ったこともあった。
拳が裂け、血が垂れた。
喉が枯れるまで叫んだ夜もある。
……何も変わらなかった。
そして、ようやく理解した。
泣いても、喚いても、戻らない。
あの光の中で起きたことは、現実だ。
暗闇の中で聞いた“あれ”の声。
焼けるように熱を持つ、この眼。
意味は分からない。
だが、確かな感覚。
――俺の中で何かが変わっている。
まずは、生きて出る。
それだけが、今の目標だった。
そして。
月の復讐を果たす。
俺は、石の床に座り込み、血の乾いた拳を強く握り締める。
「食事だ」
そう言って扉を開けて入ってくる兵士。
食事を運んできた兵士の喉を、反射的に掴んだ。
――嫌な感触。
指の内側で、柔らかいものが潰れる感覚。
次の瞬間、兵士の身体がびくりと跳ね、力なく崩れ落ちた。
……殺した。
理解が追いつく前に、胸の奥がざわついた。
「……強い」
力を込めた瞬間、あり得ないほどの握力が出た。
だが、それ以上に――
胸の奥に、熱が溜まる。
気持ち悪い。
なのに、目が離せなかった。
その時、足音が近づいてくる。
異変に気付いた兵士たちだ。
俺は床に落ちていた剣を拾い上げ、構えた。
最初の1人。
刃が肉を裂く感触。
血が飛び散る。
胃の奥がぴくりと跳ねた。
――なのに。
身体は、止まらなかった。
次々に迫る兵士を押し返し、斬り伏せる。
途中、一瞬だけ刃を弾き損ねた。
肩を掠める痛み。
「……っ」
舌打ちと同時に、踏み込み、次の一撃で首を落とす。
地下牢を突破した。
扉を抜けた瞬間、空気が変わる。
城の外れの通路。
窓の向こうには、石造りの街並みと巨大な城壁。
……1週間、地下に閉じ込められていた。
この異様な光景を前にしても、思ったほど動揺していない自分に気付く。
慣れ始めている。
この世界に。
「……城を出る」
巡回兵を避け、城門へ向かう。
だが――
「侵入者だ!」
数人の兵士が剣を構える。
その後ろに、明らかに格の違う2人。
――もう戻れない。
そう悟った瞬間、身体が前に出ていた。
最初の兵士の喉へ突き刺す。
引き抜くと、温かい血が手に絡みつく。
2人目。3人目。
防ぐ。
踏み込む。
斬る。
考えていない。
身体が勝手に“最短の動き”を選んでいる。
数秒後。
立っているのは、俺と、最後の2人だけだった。
血の匂いが、空気に重く漂う。
「オリバー様、ここはこのカーンにお任せを」
「動きが素人じゃない。油断するな」
低い声で、オリバーが告げた。
カーンが、薄く笑う。
「承知していますよ」
カーンが前に出る。
剣がぶつかる。
重い。
速い。
一瞬、視界が歪んだ。
何かが視えた気がした。
――奪う。
<剣術B コピー>
<剣術:F → B>
踏み込み。
角度。
間合い。
考えるより先に、身体が動く。
反撃。
刃が走り、首が宙を舞った。
……何だ、今の。
剣道経験はあった。
だが、これは別物だ。
眼球が一瞬、焼けるように熱を持つ。
――あいつの言っていた力か。
考える暇はない。
オリバーが魔法陣を展開する。
――火
炎が迫る。
躱す動作と同時に、また眼が熱くなる。
<火 コピー>
避けた直後、反対の手が自然と前に突き出ていた。
――火
炎の塊が放たれる。
オリバーは反応が間に合わなかった。
悲鳴と共に、身体が炎に包まれ、崩れ落ちる。
……魔法。
現実じゃあり得ない。
だが、立ち止まる暇はない。
俺は城門を越え、そのまま川へ飛び込んだ。
冷たい水が身体を包み込み、意識が闇へ沈んでいった。
ーー
闇の中だった。
上下も前後も分からない。
ただ、遠くで赤黒い光だけが、脈打つように瞬いている。
――また、ここか。
「目覚める前に、少しだけ話そう」
声は、空気を震わせず、直接頭の内側に流れ込んできた。
次の瞬間。
闇の奥から、巨大な影が浮かび上がる。
輪郭は曖昧なのに、目だけは異様に鮮明だった。
赤黒く濁った瞳が、こちらを覗き込んでいる。
「我の名は――エルロキス」
低く、愉悦を含んだ声。
「憎悪を糧とする神だ。
この世界の多くの神からは忌み嫌われているがな」
視界が歪む。
無理やり押し込まれるように、光景が流れ込んできた。
広大な大陸。
幾つもの国家。
その狭間に存在する、獣人、亜人、魔人などの影。
「この世界は一枚岩ではない。
帝国は魔族を“人類の敵”として掲げ、討伐を正義と定義している」
胸の奥が、わずかに軋んだ。
理由は分からない。
だが、どこかで“引っかかる”。
それ以上考える前に、声が続く。
「覚えておけ」
エルロキスは淡々と言った。
「この世界では“力”がすべてだ。
法も、倫理も、命の価値も……強者が決める」
――だから、月は殺された。
言葉にならない怒りが、喉の奥に溜まる。
「お前に与えた“冥奪の眼”は万能ではない」
エルロキスは、わずかに口角を上げた。
「奪えるのは1人につき1つ。
生きた存在からは“在り方を写し取り”、物に宿る力からは“機能を剥ぎ取る”。
磨かなければ、ただの模倣で終わる。
だが……」
赤い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
「憎しみ続ける限り、お前は成長する」
空気が、一段冷たくなった。
「また会うだろう」
「その時までに――どれほど強くなっているか、楽しみにしているよ。
“天城 陽”」
名前を呼ばれた瞬間。
視界が反転した。
闇が、砕けるように弾けた。
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【陽】
種族:人間
称号:冥奪の眼保持者
加護:憎悪の神エルロキス
眼のレベル:Ⅰ
剣術:B
魔法
火




