第1話 白い光の先で
「――乾杯!」
薄暗いカラオケルームに、グラスの触れ合う音が響いた。
天城 陽は、少し照れくさそうに笑いながら、その輪の中心に立っていた。
「お前もついに墓場入りかぁ」
「主任昇進目前で結婚とか、勝ち組すぎだろ」
好き勝手に囃し立てる同期たちに、陽は苦笑しながら肩をすくめる。
「なるようになっただけだよ」
そう返しながら、胸の奥には不思議な温かさがあった。
脳裏に自然と浮かぶのは、白雪 月の顔だ。
職場で出会い、同じプロジェクトで何度も衝突し、それでも互いに妥協せず、真正面から意見をぶつけ合ってきた相手。
誰よりも仕事に真剣で、誰よりも自分に厳しい。
それでいて、疲れ切った帰り道には缶コーヒー一1本を無言で差し出してくる、不器用な優しさを持っている。
3日後には式を挙げる。
指輪も、式場も、新居も――すべてが順調に決まっていた。
このまま歳を重ね、同じ家で朝を迎え、時々喧嘩して、また笑う。
そんな未来が当然のように続いていくのだと、疑いもしなかった。
同じ夜。月の家でも、小さな独身お別れ会が開かれていた。
「緊張してるでしょ?」
「……少しだけ。でも、楽しみ」
グラスを両手で包みながら、月ははにかむ。
不器用なくらい真っ直ぐで、嘘がつけない性格。
それでも仕事の場では誰よりも強く、堂々と意見を言える。
夜が更け、それぞれ解散となった。
月は公園前で、陽と待ち合わせをしていた。
「お待たせ」
「ううん、今来たところ」
夜風が、2人の間を静かに抜けていく。
その瞬間――世界が、白く染まった。
――
目を開けた瞬間、喉の奥に焼けるような香の匂いが流れ込んだ。
同時に、皮膚の内側から押し潰されるような圧迫感。息が、うまく吸えない。
――何だ、ここは。
足元は冷たい石。
視界を上げると、床一面に刻まれた歪な魔法陣。
その外周を、ローブ姿の人間たちが取り囲んでいる。
そして、その中心に、俺と月は立たされていた。
「……成功だ!」
誰かが叫ぶ。
前に出ている男。
異様に細い目をした召喚士マクベス。
その背後。
腕を組み、こちらを値踏みするように見下ろす男。
――グラディウス帝国皇帝、カイゼル。
本能が告げていた。
この場で、一番“逆らってはいけない存在”だと。
状況を理解するより先に、身体が強張る。
「……!?」
動かない。
腕も、脚も、指一本すら動かせない。
筋肉が凍り付いたような感覚。
見えない鎖が、内側から四肢を縛り上げている。
「ここはどこだ!?」
「お前たちは誰だ!?」
叫んでも、返事はない。
皇帝は、興味なさそうに俺と月を見比べ、低く呟いた。
「……女だけのはずだったな」
マクベスが小さく頭を下げる。
「そのはずでしたが……向こうの世界で何らかのアクシデントが起きた可能性があります」
「ふむ……」
月が震える声で叫んだ。
「あなたたちは誰なんですか!? ここはどこなんですか!?」
皇帝は一瞥だけ向け、手を払う。
「すぐに終わる。
女は予定通りだ。男は後で考える」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
「やれ」
短い命令。
「……はっ」
月が俺を見る。
「陽……私たち、どうなってるの……?」
「……分からない。
でも……身体が、動かない」
――嫌な予感が、背中を這い上がる。
その瞬間だった。
月の身体が、光に包まれる。
「月……?」
次の瞬間、彼女の身体が宙に浮いた。
「陽!!」
「何をするつもりだ!!」
月は、研究用の石台――祭壇のような台へと運ばれていく。
「待て!!
彼女に何をするつもりなんだ!?」
叫びは、無機質な石壁に虚しく反響するだけだった。
刃が、振り上げられる。
時間が、引き延ばされたように感じた。
月の瞳が、こちらを見ている。
口が、何かを言おうと動く。
音は、届かなかった。
「……いや……」
次の瞬間。
赤い血が舞い、魔法陣へと流れ込む。
月の身体が、力なく崩れ落ちた。
「……え?」
声が、出なかった。
視界が揺れる。
耳鳴りだけが、やけに大きく響く。
理解が、追いつかない。
「あ……ああ………………」
そして。
「――ああああああああああ!!!!」
遅れて、喉が裂ける。
だが、身体は一切動かない。
世界が、音を立てて壊れた。
「素材としては、申し分ないな」
背後から響く、女皇ヴィクトリアスの淡々とした声。
胸の奥で、何かが完全に切れた。
だが――
「実験用に生かしておけ」
皇帝の声が、すべてを押し潰す。
次の瞬間、意識が強引に引き剥がされる。
闇が落ちてきた。
暗闇の奥で。
赤黒い瞳が、ゆっくりと開いた。
「――良い憎しみだ」
低く、愉悦に満ちた声。
「奪われ、壊され、怒りに染まった魂……実に美しい」
理解できないまま、俺はただ睨み返した。
「力が欲しいか?」
答える前に、眼球が灼けるように熱を持つ。
――冥奪の眼。
技を、力を、憎しみと共に喰らい取る力。
「楽しませてもらうぞ、人間」




