病室で君に「好き」を返した日から。 ~青白い指先が絡まる、退院までの約束~
目を開けたら、天井が白すぎた。
蛍光灯の光がまぶしくて、反射で目を細める。まぶたの裏がじんわり熱くなる。
喉がカラカラだった。唾を飲みたいのに、うまくできない。
息を吸うたびに、酸素マスクのプラスチックの匂いが鼻の奥まで入ってきて、ちょっと冷たい。
呼吸の音だけがやけに近い。
体が重い。布団が重いっていうより、体そのものが重い。
指先まで思うように力が入らなくて、手を握ろうとしても、ぎゅってならない。
右足のあたりが、妙に存在感を主張しているのに、動かせなかった。
そこだけ別の体みたいに遠い。感覚はぼんやりしてるのに、何かがずっと乗ってるみたいな圧だけは残ってる。
動かそうとした瞬間、見えない壁に止められた感じがして、息が少しだけ引っかかった。
「……んっ」
小さく声を出してみたけど、喉の奥でつぶれて、ほとんど音にならなかった。
その代わり、ベッドの横で何かがカサッと動く気配がする。
「綾……?」
その声だけで、胸の奥がぎゅっと締まった。
息を吸うのも怖くなるみたいに、体がこわばる。
視線をゆっくり横にずらす。
そこにいたのは、いつもよりずっと疲れた顔の彼女だった。
白いカーディガンの袖口が少しよれてる。
前髪も目にかかるくらい伸びてて、整える余裕なんてなかったって一目でわかる。
こんなふうに乱れてる美月を見るの、たぶん初めてだ。
「……美月」
名前を呼んだだけで、喉がひりっと痛くなって、涙が出そうになる。
うまく声にならないのが悔しくて、もう一回呼びたくなるのに、息が追いつかない。
美月は慌てたみたいに私の手を握ってくる。
指先が冷たい。
ずっとここにいたんだろうなって、すぐにわかった。
「動かないで。まだ安静にしないと……先生が、右足の骨折と、頭を打ってるからって」
言葉の最後が震えてる。
いつもはちゃんと強いのに、今はそれが隠せてない。
美月は泣きそうな顔を隠すみたいに、私の手の甲に頬を押し付けた。
やわらかい体温がじんわり伝わってくる。
髪が腕に触れて、シャンプーの匂いがふわっと広がる。
いつもの匂いなのに、今はなぜか遠く感じた。手の中でするっと逃げそうで、怖い。
「ごめん……迎えに行けなくて。バイト終わって、駅で待ってたのに、急に連絡がきて……」
声が途切れ途切れになるたび、私の胸がきゅっと痛む。
大丈夫って言いたいのに、喉がうまく動かない。
指を少しだけ握り返してみる。それでも、美月の手の冷たさが消えない。
事故のことは、ほとんど覚えてない。
信号待ちの横断歩道。
急にクラクションが鳴って、反射で振り返った瞬間。
思い出せるのは、そこまでだった。
あとはもう、救急車のサイレンと、誰かの叫び声と、痛みと、暗闇。
全部がぐちゃぐちゃに混ざって、意識の底に沈んでいった。
「美月が……来てくれたんだ」
それだけ言うので精一杯だった。声がかすれて、喉がヒリつく。
美月は小さく頷いて、ぎゅっと私の指を握り返す。爪が少し食い込むくらい強くて、逆に安心してしまう。
「当たり前でしょ。綾がこんなことになってるって聞いたら、いてもたってもいられなくて……」
そこで一回、息が詰まったみたいに止まる。
「病室の前で、ずっと足がすくんでた。怖くて、怖くて……でも、来なきゃって」
美月の目から、ぽろっと涙が落ちて、私の点滴のテープに当たった。
雫は冷たくて、手の甲にじわっと染みていく。
「バカ……泣かないで」
私がそう呟くと、美月はますます泣きそうな顔になって、首を振った。
「だって……綾の顔、こんなに青白くて、唇もカサカサで……いつもみたいに笑ってくれないから……」
いつもみたいに、か。
そうだっけ。私、笑ってたっけ最近。
でも、美月と一緒にいるときは。
確かに笑ってた気がする。
コンビニの前で、アイスを半分こしてるときも。
夜の公園で、ブランコに並んで座ってるときも。
私の部屋で、布団にくるまって映画を見て、途中で寝落ちしちゃうときも。
全部、ちゃんと覚えてる。
笑ってた。たぶん、美月がいるから。
「……ごめん」
今度は私が謝る番だった。
美月は慌てて首を振って、強く否定するみたいに髪が揺れる。
「謝らないで。謝るのは私の方だよ。もっと早く、ちゃんと……『好き』って、ちゃんと言っておけばよかったのに」
その言葉が、頭の中にずしんと落ちた。
重くて、でもあったかくて、胸の奥が痛いのに、離したくない感じがした。
病室の空気が、急に重くなる。
心臓の音が、耳の奥まで聞こえてくるみたいだった。
美月は私の手を離さずに、そっと顔を近づけてきた。
涙で濡れたまつ毛が、すごく近くて。
「生きててくれて、ありがとう」
囁くような声。
その一言で、私の胸の奥にあった何かが、ぱちんと音を立てて溶けた。
右足は動かないし、頭はまだぼんやりする。
でも、左手を伸ばして、彼女の頬に触れることだけはできた。
冷たい指先で、涙を拭ってあげる。
「……私も、好きだよ」
声が震えた。
でも、ちゃんと届いたみたいだった。
美月は一瞬目を大きく見開いて、それから、くしゃっと顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
子供みたいに、声を上げて。
私は、痛む体を無視して、
なんとか彼女の肩を引き寄せた。
点滴のチューブが引っ張られて、チクッと痛みが走ったけど、そんなのどうでもよかった。
美月の髪が、私の首筋に落ちてくる。
温かくて、柔らかくて、生きてる匂いがした。
「……もう、離さないから」
彼女の小さな呟きが、耳元で響く。
私は、ただ、ぎゅっと目を閉じた。
どれくらい、そうしてたんだろう。
美月の肩に顔を埋めたまま、時間の感覚がぼやけていく。
点滴が落ちる、規則正しい音。
「……痛い?」
ようやく美月が顔を上げて、慌てたみたいに私の体を離そうとする。
でも私は、左腕に力を入れて、彼女をもう一度引き寄せた。
「痛いけど……この方が、もっと痛い」
本音だった。
離れたら、またあの冷たい天井と、ひとりぼっちの時間が戻ってくる気がして、それが嫌だった。
美月は私の言葉に、くすっと小さく笑って、「わがまま」って呟いた。
でも、嫌がる様子はなくて。
むしろ美月はベッドの端に腰を下ろして、私の隣に体を寄せてきた。
カーディガンの袖が、私の腕に触れる。
布越しに体温がじわっと伝わってきて、さっきまでの寒さが少しだけ引いていく。
「先生に怒られるかな……こんなにくっついてたら」
「怒られたら、私が謝るよ。『彼女がどうしても離れてくれなくて』って」
「……綾こそ、ずるい」
美月が頰を膨らませて、私の肩に軽く頭をコツンとぶつけてくる。
子供っぽい仕草なのに、胸がきゅんとした。痛みとは別のやつで。
それから、しばらく無言になる。
言葉がないのに、変な沈黙じゃない。
互いの呼吸が重なるのを、確かめてるみたいな時間だった。
「……ねえ、綾」
美月がぽつりと口を開いた。
声が少し低くて、さっきまでの照れた感じが消えてる。真剣だ。
「事故のあと、最初に頭に浮かんだの、何だった?」
私は目を閉じて、記憶の断片を探る。
暗闇の中で、確かに浮かんだものがあった。
「……美月と、約束してた映画。まだ見てないやつ」
彼女が小さく息を飲む音がした。
「それ……私も、ずっと考えてた。綾が、目を覚まさないかもしれないって思ったとき、一番後悔したの、それだった。『まだ一緒に観てない』って」
美月の指が、私の指と絡まって、ぎゅっと握りしめられる。
逃げないように、確かめるみたいに。
「だから……退院したら、絶対観ようね。約束」
「うん。観よう」
「それから……」
美月が言葉を切って、顔を上げた。
この次、告白に入る直前だから、ここの「それから……」で空気が変わるの、めちゃ効いてる。
目が真っ赤で、でもどこか、逃げないって決めたみたいな光が宿ってる。
「私、ちゃんと綾の彼女になる。もう、曖昧なままでいたくない」
心臓が、どくんと大きく鳴った。
音がしたんじゃないかって思うくらい。
今まで、二人とも「好き」って気持ちは、たぶんわかってた。
でも、言葉にしなかった。
友達以上、恋人未満みたいな、ふわふわした場所に立ったまま。
壊れるのが怖くて、一歩を踏み出せなかった。
「……私も」
喉が詰まって、声が震える。
「私も、もう曖昧にしたくない。美月の彼女になりたい」
美月が、涙をこらえるみたいに唇を噛んだ。
一瞬、何か言おうとして、やめて。
それから、ゆっくりと顔を近づけてくる。
「……いい?」
聞かれて、私は小さく頷いた。
次の瞬間、柔らかい感触が唇に触れた。
短くて、優しくて、でも熱がこもってるキス。
触れてる時間は一瞬なのに、胸の奥がいっぱいになる。
美月の涙が、私の頰に落ちてきた。
離れたあと、彼女は照れくさそうに目を逸らして、
「……初めて、だったよね」
「うん……私も」
二人で顔を見合わせて、くすくすと笑い出した。
ぎこちなくて、でもそれが嬉しくて。
痛む体も、青白い顔も、今は全部どうでもいいみたいだった。
この人がここにいる。それだけで、ちゃんと息ができる。
でも、現実はすぐにやってくる。
病室のドアがノックされて、看護師さんが入ってきた。
「紫微さん、痛み止めのお時間ですよー。あ、お友達もいらっしゃるんですね」
その一言で、美月がびくっとして、慌てて体を離す。勢いよく立ち上がって、顔が真っ赤。
「す、すみません! すぐどきます!」
病室のドアがノックされて、看護師さんが入ってきた。
「紫微さん、痛み止めのお時間ですよー。あ、お友達もいらっしゃるんですね」
美月がびくっとして、慌てて体を離して立ち上がる。顔が真っ赤だ。
「す、すみません! すぐどきます!」
看護師さんはにこにこしたまま、ベッドの横に来て点滴のあたりを手際よく確認する。
チューブを指で軽くたどって、テープの端を押さえ直した。さっきのチクッが、少しだけ落ち着く。
「ちょっと引っ張られてましたね。大丈夫ですよ」
それから、困ったみたいに笑って、何かを理解した感じで私達を見た。
「そういうのは元気がある証拠だとは思いますが、気を付けてくださいね」ってやわらかく言ってくれた。
美月はますます赤くなって、私の手をぎゅっと握ったまま、看護師さんの処置を見守ってる。
薬が入っていく感覚が腕の奥にひんやり広がって、さっきまでの痛みが少しだけ遠のいた。
点滴が終わって、看護師さんが部屋を出ていく。
ドアが静かに閉まったのを確認したみたいに、美月はもう一度、ベッドの端に座り直した。
「……これから、毎日来るね」
「毎日? バイトとか、大丈夫なの?」
「シフト減らした。貯金もちょっと使っちゃうけど……いいよね?」
言い方は強気なのに、目だけは不安そうで。
私は彼女の髪をそっと撫でた。指先にふわっと触れる感触が、ちゃんと現実だった。
「うん。来てほしい。毎日」
美月が、やっと安心したみたいに目を細める。
それから彼女は、私の枕元に置いてあったスマホを手に取った。
「写真、撮ろ? 証拠に」
「え、こんなボロボロの顔で?」
「いいの。今日が、私たちの『はじまり』だから」
美月が自分の頰を私の頰にくっつけて、セルフィーを撮る。
画面の中の私は、確かに青白い。目の下もひどい。
それでも笑ってた。美月の隣で。
「……これ、待ち受けにしていい?」
「恥ずかしいけど……いいよ」
美月は満足そうに頷いて、すぐに画面をいじり出す。
「じゃあ、私も変える。ずっと、この写真見ながら、綾の退院待ってる」
そう言って、彼女は私の額に、そっとキスを落とした。
熱じゃなくて、ちゃんと彼女の体温が残る。
病室の窓から、日が差し込んできた。
白い光がカーテンを透かして、部屋の空気を少しだけ明るくする。
まだ痛みは消えない。
まだ、長いリハビリが待ってる。
でも、もうひとりじゃない。
美月の手が、私の手を離さない。
これが、私たちの新しい始まりだった。
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