3-5終結
「……嘘だ、そんなはずはない! 立て! 立って戦え、この出来損ないどもが!」
バルガスの絶叫が虚しく響き渡る中、広場を埋め尽くしていた人造魔導士たちは、誰一人として武器を手に取ろうとはしませんでした。
彼らはうなじの熱い疼きから解放され、泥だらけで自分たちを見つめるリゼッタの瞳に、かつて失った「自分たちの名前」を思い出していたのです。
最前列にいた魔導師は、震える手で漆黒の兜を脱ぎ捨てました。その頬を、止まっていたはずの涙が伝います。
「……リゼッタ、様……?」
その消え入りそうな声が合図となりました。
王宮の外周から、突如として地響きのような鬨の声が上がりました。
「者共、続け! 偽りの英雄を引きずり下ろせ!」
王宮の正門を突き破り、なだれ込んできたのは、カッセル元子爵が率いる義勇軍でした。
かつてバルガスに領地を追われた兵士たち、そして彼の良識を信じて集まった領民たちが、手に手に農具や剣を持って広場を包囲します。
カッセルは馬を飛ばし、最前線で剣を振り上げました。
「人造魔導士たちを傷つけるな! 彼らもまた被害者だ! 狙うは高壇の上、国を騙した逆賊バルガスのみ!」
その号令に、広場を警護していた憲兵たちは動揺しました。彼らは最強の戦力である魔導士たちが戦意を喪失しているのを見て、自分たちが守っているものが正義ではなく、ただの一人の男の野望であることに気づかされました。
一人の憲兵が、がらりと音を立てて剣を地面に捨てました。
それを皮切りに、次々と金属音が連鎖します。
バルガスの恐怖政治を支えていた規律は、皮肉にも彼が最も信頼していた「暴力」の沈黙によって、音を立てて崩れ去っていきました。
「な、なんだ……貴様ら、何を……! 私は元首だぞ! この国の王だ!」
バルガスは取り乱し、自分の足元に転がっている王冠を拾い上げようと無様に這いつくばりました。
周囲の兵士たちは、もはや彼を主君として見ることはありません。
そこにあるのは、ただの惨めな老人の姿だけでした。
カッセルの軍勢が広場を制圧する中、リゼッタはふらつく足取りで魔導師たちの元へ歩み寄りました。
戦う力も、命じる意志も、今の彼女にはありませんでした。ただ、一人の人間として、彼らの前に立ちました。
瓦解した軍勢を捨て、バルガスは逃げるように王宮の深部へと駆け込みました。
かつての理知的な面影はなく、血走った眼で玉座の間へと辿り着いた彼は、隠し持っていた禁忌の魔導核を自らの胸へと突き立てました。
「まだだ……私は終わらん! 私こそがこの国の秩序だ! 出来損ないの奴隷どもに、真の魔導の力を見せてくれる!」
凄まじい魔力がバルガスの身体を突き抜け、その四肢を異形へと変えていきます。
しかし、それは「力」ではなく、制御を失った「暴走」でした。彼の肌はひび割れ、そこからどす黒い光が溢れ出します。
「あ、あああああ……ッ! なんだ、この熱さは! 私の身体が、溶ける……!?」
そこへ、静かな足音が響きました。リゼッタです。
彼女は、狂気に悶えるバルガスを冷徹に見下ろすのではなく、深い憐れみを持って見つめていました。
「……身の丈に合わない力は、自分自身を滅ぼす。バルガスさん、貴方はかつての私と同じ過ちを犯しているわ」
「黙れ……! 貴様に何がわかる! 私は、完璧な計画を……!」
「私は教わったの。アンナから、カイトから、そして、バルガスさん、あなたからも。自分の手で握れる重さ、自分の足で歩ける距離……その範囲にあるものだけが、本当に守れる大切なものだって。……貴方が欲しがったその力は、貴方の器には大きすぎたのよ」
バルガスが苦悶の咆哮を上げ、制御不能な魔力の塊を放とうとした瞬間。
リゼッタは闇の翼で一気に距離を詰めました。
彼女の手には、魔導具でも闇の刃でもなく、カイトから譲り受けた一振りの古いナイフが握られていました。
それは、ただ獲物を捌き、生きるために使われてきた「等身大の力」。
リゼッタはバルガスの放つ魔力の奔流を最小限の動きで回避し、彼の胸に突き刺さった魔導核の接合点を、鋭く切り裂きました。
「――終わりよ」
パリン、と乾いた音がして、魔導核が床に転がりました。
バルガスの身体から膨大な魔力が霧散し、彼は力なく床に膝をつきました。
異形化は解けましたが、魔導回路を焼き切られた彼の身体には、もう魔法を操る力は残っていません。
「……殺せ。殺せよ、リゼッタ! 私をこんな惨めな姿にしやがっえ……!」
「いいえ。死んで逃げることは許さない。……生きて、自分の犯した罪を数えなさい。私も同じように、犯した過ちを背負って生きていくから」
「ふ、ふん……笑わせるな! 貴様はただの犯罪者だ! 偽物の令嬢、国家転覆の首謀者……! 貴様を待っているのは極刑か、良くて一生を腐った地下牢で過ごすことだぞ!」
バルガスは顔を歪め、呪詛のようにリゼッタを罵りました。
しかし、リゼッタはその言葉を聞いて、驚くほど清々しく笑いました。
「ええ、それで構わないわ。それが私の『身の丈』に合った結末だもの」
そこへ、カッセル元子爵率いる兵たちが踏み込んできました。
「逆賊バルガスを捕らえろ! 連れて行け!」
「放せ! 私は元首だ! 貴様ら、無礼だぞ! リゼッタ、貴様もだ! 貴様も地獄へ落ちろおおおっ!」
バルガスは最後まで醜く喚き散らしながら、兵士たちに引きずられていきました。
静かになった玉座の間。
カッセルがゆっくりとリゼッタの前に歩み寄りました。
彼は複雑な表情で、腰に下げた鉄の手錠を鳴らしました。
「……分かっているな、リゼッタ」
「ええ」
リゼッタは何も言わず、自ら両手を差し出しました。
冷たい鉄の感触が手首に伝わります。
かつて召喚奴隷として繋がれていた鎖とは違う、自らの意志で受け入れた「責任」という名の重み。
カッセルに促され、王宮を後にするリゼッタの耳に、遠くで子供たちの呼ぶ声が聞こえた気がしました。
彼女は一度も振り返ることなく、光の射す広場から、薄暗い牢獄へと続く道を選びました。その顔には、かつての偽りの聖女にはなかった、穏やかで誇り高い輝きが宿っていました。




