『推しマネの素顔、メグの声』
「はー……やっぱ無理かも」
リハーサル用の録音ブースで、俺――天城コウは、マイクに向かってうなだれていた。
星宮メアさんとのペア配信が明日に迫る中、何度練習しても「恋人らしい甘さ」ってやつが、どうにも出せない。
「“好きだよ”ってセリフ、どこか硬いな……これじゃ説得力ないよな……」
台詞は合っている。でも、気持ちが入らない。
ひよりの声なら自然と反応できた。
けれど、演技としてやろうとすると、どこかぎこちなくなる。
そんな俺の横に、いつの間にか誰かが座っていた。
「はい、今の録音。75点。中の人補正で加点して、85点ってとこかな」
「……え?」
振り向くと、そこには事務所の見習いスタッフ――葛城メグがいた。
ポニーテールに黒縁メガネ、事務所Tシャツにパーカーを羽織った“ガチオタ臭”のする少女。
「あ、ビックリした? 収録ログ見てたら、ひとりで唸ってるからさ~。差し入れ持ってきたんだけど?」
「さ、差し入れ……?」
「コーヒーゼリーと、ストロー付きカフェオレ。甘さで脳みそ回せば、セリフも甘くなるって理論」
「ありがとう……ございます」
正直、ペースを乱されそうだった。
でも彼女のテンションと物腰は、不思議と不快じゃなかった。
***
「で、さ。アレ聞いたよ。“恋人役演技力対決”。レイくん、注目されてるじゃん」
「注目されすぎて、むしろ胃が痛いです……」
「わかる~。期待されると逆に緊張するタイプでしょ?」
うんうんと頷きながら、メグは自分のスマホをいじっていた。
そして、あるファイルを開いて、俺に差し出す。
「じゃあ、これ聞いてみて」
「これは?」
「私の、“恋人セリフ演技”……的なやつ」
軽く言うけど、それって……。
「……え? メグさんって、配信者だったんですか?」
「ううん、まだ。“志望者”。配信者になりたくて、ずっと準備中。でも、デビューする勇気がなくてね」
はにかんだように笑うメグの表情が、いつもより少しだけ大人びて見えた。
「Vオタとしてずっとファンやってきたからさ。“推す”のは得意だけど、“推される”自分なんて想像できないんだよね」
「……それ、なんかわかる気がします」
「でしょ? でもさ、**あんたの声聞いてたら、ちょっと思ったの」
メグは真剣な目で、俺を見る。
「“この人に褒められる声になりたい”って」
「……え?」
「ま、今のはオタクの暴走。忘れてくれていいけど」
そう言って、メグは笑う。だけど、耳が少し赤い。
「だからね、教えてあげるよ。“推し”って、恋と似てるから。声を通して“誰かの心”を揺らせるのって、それだけで愛情表現だよ」
その言葉に、心が少し揺れた。
演技としてのセリフ。
本気じゃない気持ち。
でも、それを受け取る側には、ちゃんと届いているんだ。
「……じゃあ、俺の声も、誰かを……動かしてるんですかね」
「少なくとも、私はちょっと動いてるよ?」
メグは軽く笑ったあと、スマホから再生ボタンを押した。
そこから聞こえたのは――
『あたし、レイくんの声、すっごく好きだよ。……好きになっちゃったかも』
少女の声。でも、ちゃんと届いてる。
思わず、息を飲んだ。
「……すごいじゃないですか、この声」
「……ほんとに、そう思う?」
「うん。……俺、好きです。メグさんの声」
その瞬間、メグの手がぴたりと止まり――
彼女は、うつむきながら、小さく笑った。
「……やば、泣きそう」
「えっ、え?」
「ごめん、なんか……誰かに“好き”って言われたことなかったから」
ぽろりとこぼれた涙に、思わず言葉を失う。
「ずっと、“応援する側”だったから……」
俺は、その言葉に胸を突かれた。
「でもさ……今、少しだけ思った」
涙を拭きながら、メグは照れくさそうに微笑んだ。
「――**“推されるって、悪くないかも”**って」
***
その夜、家に戻るとひよりが珍しく、リビングで待っていた。
「おかえり」
「……ただいま」
「……あのね、明日、本番なんだよね?」
「うん」
「じゃあ、これ。……お守り」
差し出されたのは、小さなキーホルダー。
ひよこがレイくんの肩に乗ってる、手作り風のミニチュアだった。
「“レイとひよこまる”、セットじゃなきゃ変でしょ?」
「……ありがとう」
「……でも、演技は“本気”でやって。だってお兄ちゃんの声、本気じゃないと意味ないから」
その言葉に――俺は、背筋を伸ばした。
「わかった。“本気”で、伝えてくるよ」
それが、“誰か”に届くように。