『バスタオル一枚、勇気ひとひら』
夕食のバイキングは、まるで高級ホテルのコース料理のような豪華さだった。
ローストビーフの香ばしい匂いに、濃厚な出汁の染み込んだ土瓶蒸し。
ひよりは大好きなカニグラタンを三皿もおかわりし、デザートのプリンを頬張りながら、ふと我に返った。
(……だめだ、こんなに食べてお腹ぽっこりしちゃう……っ!)
「ねえ、ひよりちゃん、そんなに食べてお風呂で動けなくなったりしないでよ〜?」
メグのからかうような声が耳に残る中、ひよりは急いでお部屋に戻った。
* * *
「よし……」
部屋の扉を閉めて、ひよりはスーツケースを開いた。
“バスタオル一枚”という前提があるから、選べるものは限られている。
それでも、髪をまとめるリボンや、濡れても落ちにくいアイシャドウ、
足先に透明感を出すためのラメ入りローションまで、用意は万全だった。
(お兄ちゃんは、こういうの気づいてくれるかな……いや、気づいてくれなくてもいい。
ただ、可愛いって、ちょっとでも思ってくれたら……)
鏡の前で頬を赤らめながら、入念に準備を進める。
肩のラインを際立たせるようにパウダーをはたき、鎖骨にはきらりと輝くオイルをのせた。
「……うん、完璧!」
バスタオルを胸元にしっかり巻きつけて――
その上にふんわりと羽織った薄手のガウンを、軽く前で結ぶ。
「……でも、これだけじゃ足りないよね」
そうつぶやいて、リュックを開いた。
中には、星空お散歩タイムに備えて選び抜いたミニブランケットや虫よけスプレー、
夜風で冷えたとき用の小さなカイロ、そして――
(……もし、夜遅くなって……添い寝タイムになったら)
パジャマではなく、部屋着っぽく見えるよう計算された“ふわもこルームウェア”を用意していた。
お兄ちゃんが来ることを思い浮かべながら、それをきゅっと胸に抱きしめる。
(……だめ。自分のことばかり考えちゃ)
(今夜は、お兄ちゃんが満足してくれるようにしなきゃ)
(温泉も、お散歩も、部屋での時間も――“全部”忘れられない夜にしてあげたい)
深呼吸をひとつして、ひよりは決意と共に立ち上がった。
「行こう。……最高の“ごほうび”を渡しに」
* * *
混浴露天風呂の入り口前――
バスタオルを肩にかけたコウが、少しだけ落ち着かない様子で待っていた。
「……あれ、遅かったな。大丈夫か?」
「ご、ごめんね! 準備にちょっと……」
湯気が漂う夜の空気に包まれながら、ふたりは向き合う。
そして、無言のまま――
着替えののれんをくぐる。
* * *
脱衣所。男女は別スペースだが、中央に設置されたロッカールーム越しに、なんとなく“気配”が伝わってくる。
(お兄ちゃんも……バスタオル一枚、だよね……)
ひよりは、ガウンをそっと脱ぎ、バスタオルをぎゅっと胸元で結ぶ。
胸が高鳴る。頬が熱くなる。心拍は加速する一方。
髪をひとつにまとめ、足元を確認しながら、鏡の前で最後の調整。
(……うん、いける。これで、いけるっ!)
ガラガラ――。
「……待たせた」
そう言って現れたのは、バスタオル一枚のコウだった。
肩幅の広いシルエットに、すっと伸びた背筋。
温泉の湯けむりの中、その姿はまるでドラマのワンシーンのようだった。
ひよりは思わず、ぴしっと背筋を伸ばす。
「お、お兄ちゃんこそ……かっこよすぎ……」
「ん? なにか言ったか?」
「な、なんでもないっっ!!」
ばっ!と顔を逸らしながら、心の中で叫ぶ。
(バカ……ばかばかばか……見られたくて準備したくせに……っ)
そして、ゆっくりと、二人並んで湯煙の中へと歩き出した。
今宵の混浴、星空の下の露天風呂。
想いを込めた準備と、勇気と、ささやかな決意が――
少しずつ、ふたりの距離を縮めていく。




